第36話 初めての冒険が終わる時
4月15日 水の日 ???
灰色に染められた飾り気の無い空間。石造りの部屋に石の玉座。それに偉そうに腰を掛けるのは斧に宿る霊魂。
「まずはご苦労だったと言うべきかの?」
「あれ? ……あっ、夢か──」
夢の風景なんて起きたら忘れてしまう。同じ風景に出会うことはまずない。この娘がいてすぐに思い出せた。
「だが、お主はまるで何もできなかったな。むしろわらわがご苦労じゃったと褒めるべきだな」
「……耳が痛いな」
「分かっておるならよ、結局全てわらわの力頼り、お主の力で成しえたことなど一つも無いに等しいからのぉ」
確かにあのダンジョンにおいて『俺』が役に立ったことなんて無い。斧の力が無ければ最初の歓迎も対処できなかった、罠の通路の解除もできなかった。巨大花の戦いも、その後の探索も斧の力頼り。あまりにも汎用性に富んであらゆる障害を排除してくれた。おまけにセクリを解放もできた。
だが、反論したい。
「こういう言い方は嫌なんだが、道具であるあんたを使いこなすことは俺の力になるんじゃないか?」
扱える人物が現状俺だけなら、この成果は俺のおかげと言ってもいいんじゃないか? アンナも道具は使いこなしてこそ。と言っていた気がする。
「ほう……言うでは無いか。多少は言葉を出せるようになったか。そうでなければわらわの使い手としてふさわしくないからの」
試されてたのか? 望んだ言葉だったのか随分とご機嫌な様子になっている。
良い機会だ。この際言えることは言っておかなければ。変に警戒してしまったこと、命を助けてもらったこと。感謝すべきことはいくらでもある。
「まずは……ありがとう。あんたがいなかったらアンナを守ることができなかった。それに、情けない話だけど……死ぬ間際になって俺も生きたかったのが実感できた。感謝しきれないぐらい大きな恩を受けた。ありがとう」
終わりたくなかった。死にきれなかった。どんな手を使っても守りたかった。それを叶えてくれた。
だから、ちゃんとお礼はしないといけない。
「…………ん? 礼を言ったのか? わらわに?」
ただ、当の彼女はキョトンとした顔で目を開きこちらを見る。そんなにおかしい事言ったか? 言ったかもしれないけどそんな顔されると恥ずかしくなってくる。
「くははっ! やはりお主を選んで正解だったか。わらわの予想を簡単に外してくれる! これまでの道化達と比べて先が読めん」
ご機嫌と呼ぶにふさわしい笑い声。気になる単語も出てきたがここは話題を変えるべきだな。ずっと気になることがあるから。
「ところでさ。あんたに名前ってあるのか? いつまでも『あんた』っていうのも失礼だし味気無い」
「名前……じゃと?」
愉悦に酔っていた笑顔が。冷水を掛けられたかのように素面へと切り替わった。不味い事でも聞いてしまったのかと不安になる。
「どうした?」
「……いや、そんなことを聞くのはお主が初めてだったと思ってな。だが、わらわの名などわらわも知らん。人々は『惨劇の斧』と呼称するがな」
「随分と重々しい名だな。でもそれは斧の名前であんたの名前じゃない。となると……そうだ! 折角だし俺が名付けよう! 使い手になったんだから名前を付ける権利があってもいいはずだ!」
礼とするには不躾かもしれない。でも、彼女を名前で呼びたいと思った。名前があって初めて個として存在できる。
この世界で俺の名を呼んでくれる人がいて、初めて俺は生きていると思うから。
「お主が? わらわの名を……? まあ、いいじゃろ。この縁を逃せば二度と来ぬ可能性もある。だが偉大なわらわに見合った名を挙げねば認めんぞ」
「それじゃあまずは──」
それから俺は頭に浮かんだ名前を上げていくが……。
「斧子」「却下」 「サン」「ようわからん」 「黒子」「見た目で言っとるな?」 「ノワール」「悪く無いが響きが似合わん」──
名前をあげては却下されるを繰り返す。もっとネーミングセンスや語彙に優れていればすぐに納得されられた名を与えられそうなのに、自分ながら情けなく思ってしまう。
「もっと強そうなのは無いのか? お主の世界で強い生物、誰もが憧れるような強い名がわらわに相応しい」
強い名か……英雄や武器の名前からでもいいけど、せめて関連性が無いと不自然な飾りを身に付けてるようなものだ。この子は強い、我儘、偉そう。それにこの『惨劇の斧』の形は──
「……あっ、丁度いいのが一つ。ただ女の子の名としては」
「構わん申せ」
大口を開けた龍の横顔。ドラゴン。でも、少し見方を変えれば。
「Tレックス。俺の世界で有名な恐竜なんだ。強くてかっこよくて、子供から大人まで人気がある太古の王者。それからもじって『レクス』でどうだ?」
「成程……太古の王者か、悪くない! ならこれよりわらわの事をレクスと呼ぶが良い!」
どうやらお気に召してくれたようだ。満足気な笑顔が見れてこっちも気分が良い。神様を自称していても見た目は子供と変わらないから可愛げがあって心がほっこりする。
「ああ、よろしく頼むよレクス」
「うむ、こうして名前を呼ばれるのも新鮮で良いのぉ!」
4月15日 水の日 09時05分 ニアート村
「……寝すぎた」
起きた時点で理解した。カーテン越しに届く日差しの明るさ。ダンジョン探索の疲労は思った以上に身体を蝕んでいたようで、普段以上に長い時間睡眠を必要としたようだ。
誰も起こしてくれなかったのは優しさか、それとも二人もまだ眠っているのか。
カーテンを開いて外の様子を見てみると。
「まてまて~! よし! 捕まえた!」
「もう姉ちゃんてかげんしてくれよ!」
「ふふん! 手加減してこの結果なんだよね!」
「いったな!!」
そこには子供達と一緒に追いかけっこをして遊ぶセクリの姿があった。走っている子供達もダンジョンで捕まっていた子達。元気なってくれて本当によかった。
賑やかな声に誘われるように俺も外に出ると、扉の近くで壁に背を預けて元気に遊ぶ子供達の光景を微笑ましく眺めるアンナがいた。
俺も隣に陣取り同じように子供達の遊戯を視線で追いかける。
「……楽しそうに遊んでるな」
「うん、本当によかった。これを見るために助けに行ったようなものだもん」
「一緒に遊ばなくていいのか?」
「もうじゅうぶん遊んだからいいの。ちょっと疲れたからセクリと交代したのよ」
「そうか」
俺達の行ったことの答えが目の前にある。結果さえ良ければ過程のイザコザはどうでもよくなるっていうのかこういうことだろう。自然と笑みがこぼれて確かな達成感をかみしめてしまう。
ただ、そんな嬉しい時間はあっという間に過ぎるもので、出会いがあれば別れも訪れる。
王都に戻る時がやってきた。
「ありがとうございました!」
「あ、ありがと!」
「ありがとな……」
子供達は命の危機に瀕していたことなど記憶に無いような明るい表情。
彼等の親は俺達が戸惑うぐらい深々と頭を下げて感謝を示してくれていた。俺達に向けられる純粋な感謝という感情。俺は照れくささでまっすぐ向き合うことができなかった。
それはアンナも同じなようで顔が赤くなっているのが印象的だった。
「またいらしてください~!!」
多くの村人達に見送られながら馬車に揺られ王都へと進む。彼等の姿が見えなくなるまでアンナは手を振り続けていた。
「はぁ~……! これで初めてのダンジョンもおしまいかぁ」
「今までの人生で一番濃かった一日だった……」
「ボクはここからが始まり。どんな日々が待ってるのか楽しみだなぁ!」
最初のダンジョン探索もこれで終わり。だけど、これは一つの区切りに過ぎない。
ただアンナのお爺さんの手紙に従っただけ。それが思わぬ流れとなったのは事実だけれど。レクスの力にセクリとの出会い。成長の実感もあるし新たな仲間もいる。
アンナの夢を叶える大事な一歩にはなっただろう。
4月15日 水の日 11時35分 マテリア寮
王都クラウディアに到着し、マテリア寮に帰ってまず向かう先は使用人達が集まる一階の奥。セクリを使用人として登録的な事ができるのか? という話をする為だ。どんな決まりがあるのか全然知らない、今日に至るまでも洗濯と言った簡易的な援助は受けていた。多分、ここにいる使用人の誰かと契約すれば本格的な掃除や食事のサービスも受けられるだろうけど。
「さてと……」
「何かご用命でしょうか?」
「うおっ!? え、えっとですね……!」
備え付けられているベルを鳴らそうとした瞬間に、待たせるのも失礼と言わんばかりに瞬間移動したかのようにすぐに姿を現す。
登場の仕方に狼狽えてしまったが、何とか俺達のやりたい事を説明する。
「使用人登録でございますか? はい、可能ですよ。そちらの方でしょうか?」
「はい! このセクリをわたしの使用人にしたいんです!」
「よろしくおねがいします!」
深々と頭を下げ。使用人となる意志を示すが、彼女は真面目な表情でセクリを見つめている。
「どちらの紹介から誘致されたのでしょうか?」
「ダンジョンで見つけました!」
「見つかりました!」
二人の嘘偽りない明るくハッキリと伝える言葉に。
「…………」
表情は変わらないが、訴えるような視線が俺に突き刺さる。その意志を汲み取り、大人として話を進めさせてもらおう。
「何か不都合がありますか? 他の生徒さん達も使用人を傍に置いていると思うんですが。条件があるのでしょうか?」
「明確な条件はございませんが、使用人の身分や素性は必要となります。ここには貴族の錬金術士もいらっしゃいますから」
「なるほど……つまりはスパイ、間者の危険性を無視できないと」
頷き肯定される。
なるほどな、確かに素性も知れない見ず知らずの人間を置いておく訳にはいかないだろう。錬金術のレシピや道具を盗まれる可能性を危惧している。
俺みたいに首に使い魔の刻印があれば違うだろうが、セクリにはそんなのは無い。
「大丈夫! ボクは二人の近く以外に行くところなんて無いから!」
当の本人が笑顔で堂々と胸を張り宣言する。
「そうは言ってもですね──」
「不躾な真似はしませんしさせませんよ。今の言葉で俺も思い出しましたよ、セクリと同じように俺もアンナの傍以外に帰る場所がありませんから。アンナの生活を豊かにするためにもセクリは必要です。何か問題を起きそうなら俺が最初に止めます」
「テツオ……!」
後は無い背水の陣。
このマテリア寮からアンナが追い出される事態になってしまえば、俺達は容赦なく切り捨てられる。いや、違う。アンナに生きて欲しいから俺達は自分から手を離す。
ここはアンナが夢を叶える為の拠点でもある。俺達の問題で手放す事態には絶対にしない。
「かしこまりました。その覚悟に免じて認めましょう」
「やった!」
俺達の表情が緩んでくれた。これで、アンナが錬金術に集中できる環境に一歩近づい──
「ただし、見たところあなたは使用人としての技能があまりにも未熟。徹底的に鍛え上げて差し上げます」
「えっ!? そんな、ボクはこう見えても人を守るためのスキルは結構あるし、家事なんて日々すごしているだけで覚えて──」
「家事『なんて』? やはりあなたにはマテリア寮使用人の矜持を叩き込む必要がありますね。遠慮の必要はありません。このご時勢、寮を利用する生徒も少なく暇を持て余すことが多いのです。私も腕が鈍くなるのを防ぐため、初心に返りつつ互いに腕を磨きましょう」
いつの間にか廊下に出ていて、流れるような動きでセクリの腕を掴んでいた。そして、ゆっくりと二人は歩き出す。
「え? これ? どうなってるの? 身体が勝手に動いていくよぉ~!」
どんどんと奥の部屋へと運ばれていく。いや、歩かされているのだろう。どんな原理かしらないけど彼女はそういう事が出来てしまう人だということだ。
「それじゃあがんばってねー」
「健闘を祈る」
俺達には応援の言葉を投げかけることしかできない。立派な使用人として成長することを期待しながら。
そうして俺達は先に自分達の部屋『1002号室』に帰ることにした。
「さてと、片付けしないとね」
「採取が目的じゃなかったとはいえ、この程度しか持ち帰れなかったのか……」
激闘の末に手にすることができた素材達。殆どが巨大花から採取したもの。当たり前だが鞄に収まる程度に抑えられてしまう。巨大花全体の大きさに比べれば100分の1にも満たない量本当に僅か。残された素材は未だダンジョンの中。腐らないか心配になってしまうし墓場泥棒的な存在に持ってかれないかも心配になる。
「しかたないって。体力も限界近かったし、鞄のサイズも性能もまだまだだから往復なんてしてたら帰ることできないって」
「分かっているけど、勿体無いなぁって思ってしまうんだ」
ただまあ、独占できるかと言えば不可能だ。物理的にこの倉庫に入りきらない。だから涙を飲んで受け入れるしかないのだ。寮の部屋に着けど未練はダンジョンに残っている。
「それもそうだけぉ~! このレシピはお宝だよ!」
「確か……人形の作り方だっけ?」
「そう! 特に完成までに必要な調合品がとても興味深いの! 肌を作る粘土や関節を繋げる糸。表面のコーティング剤とかわたしの知らないことばっかりでおもしろそうなの! きっとこれを全部理解出来たら錬金術士としてすごく成長できると思う!」
気になったページを喜々と広げて見せるが俺に本は読めない。けど、アンナの表情で凄いことはしっかりと伝わってくる。
「そいつはよかった」
子供を持った経験なんてないけど、きっと楽しそうな子を見る時の気持ちはこんな感じなんだろうな。
「あっ!!」
「うぉっ!? どうした急に大声出して?」
「思い出した……マルコフ先生に課題を言われてたんだった……」
「確かに言われてたな「ダンジョン探索のレポートを作成して提出してください」だったか。随分と長くなりそうな探索内容だ」
レポートはダンジョン探索の証明であり、自身の探索成果を見つめ直す記録。
ただ、沢山の出来事があった。その内容を一つ一つ書いていくとなると随分と長くなりそうで気が滅入りそうだ。
レインさん達に出会って地図を写させてもらったから余計に資料が増えたし、
「レポートってなにをなんて書けばいいのかさっぱりだよぉ……」
「今回の場合だったら……そうだな。探索した内容をまとめればいいはずだ。がっちがちの学術的なものを望んでいるとは思えない」
「わたしがあそこで見たこと経験したことを書けばいいってこと?」
「大体そうだけど大事なのは事実をしっかりと記すことだな。日記みたいな書き方はダメで、「なんとかだと思う」みたいな曖昧な書き方はしないこと。自分の考えを記入する場合は別枠にしておいた方がいいだろう」
「ふんふん……ほかには?」
「情報をごちゃごちゃにしないことだな、今回だったらダンジョンの構造は構造だけを。素材なら素材をしっかり区別してまとめる方がいい」
腐っても元大学生だ。得意ではなかったけど作成経験はある。ようやく役に立てる知識を提供だと言ってもいいだろう。
「それじゃあ早速レポートを書いてこ! こういうのは先に済ませた方がいいって!」
こうしてダンジョン探索の総決算が始まった。
巨大花の素材達もレポートに書くことになりそうだから、今片づけたら二度手間になる。後でいいだろう。
「え~とダンジョンの場所はニアート村の近くで、名前は……無かったと思うけどどうするの?」
「誰が決めるんだろうな……? とりあえず特徴とセクリの情報も加えて巨大花のコロニーとかでどうだ?」
「ふむふむ、悪く無さそうな名前ね。確かにあの花の家みたいだったものだったからいいかも」
言い得て妙だ。確かに植物系の家と言えるだろう。あの巨大花が主なのは間違いなさそうだし。
「でも文章で特徴を書くのがムリ! 書いたりするのって苦手ぇ……」
「絵とか図形で書いてもいいんだぞ。いっそのことアンナがマッピングした図を利用するのも一つの手だ」
「なるほど! それならこれをそのまま提出すれば楽にできそう!」
しっかりマッピングしてきた証を利用する。悪くない、コピペできないこの世界じゃいちいち書いていたら時間がいくらあっても足りやしない。
「途中で気絶しちゃってたけど、どうやって花を切り裂いたの?」
「この『惨劇の斧』の力を使ってだな」
「『さんげきのおの』? そんな名前だったの?」
「みたいだ。俺も今朝知ったばかりなんだ。ちなみに斧にいる霊の名前は『レクス』。俺が名付けた」
「へぇ~、じゃあわたしもこれからレクスって呼べばいいの?」
「それでいいと思う。わざわざ禍々しい名前で呼ぶ必要もないしな」
名はともかくとして、もっとあの力を自由に引き出せるようにならないとな……。火も使い方次第で災害にも調理にも使える。この力も使い方次第で凶器にも人を救う力になるはずだ。
どこか安全に訓練できる場所とかがあればいいんだが……人通りが無く、広く殺風景な場所が理想的だけど、残念ながらここは街並み豊かな王都。個人が広々と使える場所なんて無さそうだな……。
「どうかした?」
「いや、何でもない。他に気になる事は?」
「えっとね──」
何度も相談し、何度も答え、何度も共に悩み、何度も思い出した。
自分達がやってきたことを振り返るようで恥ずかしくもあり情けなくもあったけど、まるで思い出話に花を咲かすように楽しさが勝っていた。
「できたぁ~……!」
「よくやったな!」
二人と新たな仲間が加わった冒険の証が完成した。
レポート作成はこんなに楽しいものだっただろうか? もっと義務的で、嫌々やってなかったか? 少なくともこんな風に笑うことは無かった。
インクで汚れた手、失敗してクシャクシャに潰された紙の山。内容を精査し何度も書き直し慣れないことに向き合い、協力し作り上げたレポート。
束縛から解放されたからじゃない、達成感で笑顔が自然とできてしまった。
過去の記憶と比べてもまさに月とスッポンな程差がある。
死にそうな目で数字を書き込んだり比較したり、疲労した頭で文献を検索して参照して。迫る期限に出席しなければならない授業、交遊費や食事代を稼ぐためのアルバイト。思い通りに進まない。不安や焦り。
研究室に籠り賽の河原のように積み上げるデータ。本当にやりたい事とは何だったのかと考える暇さえ与えられない。望んだ場所に入れた訳じゃないから尚更だった。
でも、今は違う。
ここに書かれているのは全て自分の足で進み、手で触れ、音を聞き、空気を嗅いだ、本物の夢にまで見た経験がまとめられた冒険譚。
楽しくない訳が無いだろう。
「あぁ~……お腹空いた。作らなきゃいけないけど頭も体も動かないぃ……」
「俺もだいぶ限界が近いな……」
ここまで疲労したアンナは初めて見る。もはや椅子に溶けて絡まったと言っていい程脱力している。全身運動ならともかく、頭脳労働はそこまで得意じゃないのかもしれない。
「その為のボクの出番だね!」
「うわっ! いつのまにそこにいたの?」
「二人ががんばってる時からだよ。はい、喉も乾いてると思うから用意しておいたよ」
セクリが上機嫌に台所から給仕盆片手に姿を現してくれた。盆の上にはレモンのカットフルーツが差し込まれたコップにジュースが注がれ。清涼感と華やかさを演出していた。
「ありがとう。ん──! うん、おいしい! 初めて飲んだ味!」
「……おっ、これはレモネードか。それに甘みが強めでありがたいな」
この味は知っている。世界を越えても変わらぬ味に少し感慨深さを覚える。それにのどを消火するかの如く冷えており、疲れた脳届く甘味。
「ふふん! それよりもこの恰好。どう?」
「他の使用人と同じ格好……だけどなにか変な気がする?」
「サイズが合ってないのか?」
黒いワンピースに白いエプロン。いわゆるメイドさんの恰好。黒い細リボンで髪を束ねて桜色のポニーテールを作り、清廉さを表現し同時にうなじが見えて色気も感じてしまう。
しかし、首から上は端正であっても、よくよく見ればその下は不整合。僅かに足りない袖、胸周りで持ち上げられカーテンみたいになっている。腰回りはパツパツで窮屈そうだ。
「そこは嘘でも似合ってるって言ってほしかった! でも正解なんだ……今は昔使われていたのを借りているだけで、サイズがピッタリなのは後日届くみたい。登録の後、体のサイズを細かく使用人長に測ってもらったんだ。ボクの身体を見て色々驚いてたけど」
その光景が簡単に想像できる……俺達も本当に驚いたからな。
「へぇ~そこまでやってくれるんだ。でも、セクリのその姿を見ると本当にわたし達にも使用人ができたって実感できるね」
「そうだよね? さっそくその証明として料理の用意はできているから大事なものは移動させよっか」
「わかったぁ~ちゃんと大事に机の上に置いておかないとね」
「俺は散らばったゴミとか片付けとくよ」
言葉通り大事に抱えるようにレポートを自室に運ぶアンナ。成果に至るまでの残骸は惜しみつつゴミ箱へ。これで後はマルコフ先生に提出するだけ。
インクや紙くずで汚れたテーブルは拭き取られ、レポート作成の跡は何もなくなり、上書きされるように料理が並べられる。
「わぁ……!」
「料理は初めてだけど味の方は長にも見てもらったから大丈夫だよ!」
「これが初めて……だと!?」
アンナが感嘆の溜息を吐くのも納得できる。
俺達二人の時はアンナが作ってくれていた。アンナの料理は美味しいけれど、唯一の欠点と言えるのが見栄え。いい感じに焼いていい感じに炒めていい感じに煮る。最後にお皿へドン。シェフの気まぐれ料理としか名前が出せない。
それに比べれば目の前に並んでいるのは先人が名付け精錬した料理だと分かる程の綺麗さ。
そして、普段の倍以上の品目。
彩り鮮やかなな季節のサラダ、食欲を誘う豊かな香りが広がるペペロンチーノ、琥珀色に揺蕩うスープ。黄金色に艶めくオムレツに真紅のケチャップソース。
これがこっちの世界の料理なんだろう。
「ほらほら! セクリもいっしょに食べようよ!」
並べられた料理に目をキラキラさせて子供心剥き出しで席に付き、無邪気に席に誘う。
「お気持ちは嬉しいんだけど遠慮するね……」
「どうして?」
「従者は共に食べていけないと言われたのか?」
「そうじゃなくて……何度か失敗したりして、その度に食べてを繰り返してたから、今はお腹いっぱいで入りそうにないの。長に「食べ物を粗末にしない」ってことを骨の髄まで叩き込まれてたんだぁ」
困った顔でお腹をさすり、満腹をアピールするセクリ。
確かに料理の練習で失敗したら捨てる。なんてことを繰り返していたらもったいなさすぎる。
「そうなんだ。でも、いっしょに座ってよ」
「いいのかな?」
「ご主人のお願いを無下にはできないだろ? それに立って見られると俺も落ち着かないからな」
「そうそう、見張られるのは好きじゃないって」
「ならご合席させてもらうね」
四人が座れる大きさのテーブル。アンナの前に俺とセクリが座って主人の前に従者が向き合う形となる。厳格な場所だったら従者が主と同じ食卓に着くことはありえないかもしれない。
アンナが大らかな性格で上流階級の教育を受けていないからこの形が出来上がった。
「「いただきます!」」
「召し上がれ!」
まあ難しいことなんて一切考える必要無くて。これが一番美味しく食べれる形だとアンナは思ったのかもしれない。そう思えてしまうほどアンナは待ちきれなかったと言わんばかりにペペロンチーノにフォークが伸びてクルクルと巻いて口に運ぶ。
すると、手が止まり目を見開くと一噛み毎に表情が緩んでいくのが良く見える。
俺も釣られるように口に運ぶと、この世界で食べる前の世界の料理に感動と同時にこの世界特有と言うべき味の違いに舌が唸った。
「おいしい……!」
「……ほお!」
まずは明確に美味しい。そこは大前提だが、今まで食べたことのないぐらい味のパンチが強烈だ。これを食べたらもう前の世界のペペロンチーノは食べられない。それぐらい味の格が違う。いや、高いレストランなら届くかもしれないが、この味が普通の店で食べられるとは思えない。
噛み応え、風味、舌触り、俺の平凡な舌でも違いが分かってしまう。辛味を抑えられているのもポイントが高い。
「まさかここまで美味しいものを出されるとは思ってなかった。お店でも開けるんじゃないか?」
「嬉しいけど褒め過ぎだって。長の指導が厳しいおかげだよ」
「料理は元からできたのか? 今日初めてでここまでは流石にありえないとは思うが」
「うん。ある程度料理の仕方や食材の知識はあったけど本格的な調理は今日が初めてなんだ。長の教え方が上手だったからすぐに覚えられたよ」
「はぇ~……アンナの先見の明は流石だったんだなぁ」
これが才能の違いというやつだろうな。アンナもここまで見抜いて手にしたいって言った訳じゃないだろうけど、見事な……あれ?
アンナに視線を向けると食欲の導くままに動いていたフォークが停止して。笑顔にも影が掛かり表情が消えた。
「どうかしたのか!?」
「苦手な味があった?」
「ううん、そうじゃないの……なんだか懐かしくなって」
懐かしい。その言葉に込められた感情がズシリと胸を締め付ける。
その言葉は料理を食べて出た言葉じゃないのはすぐに分かった。
「……確かに懐かしいな、こっちに来てから食べる機会がなかったからなぁ」
「偶然子供の頃の味が再現できたのかな? これから沢山料理の勉強もしてアンナちゃんの食べたいの何時でも作ってあげるからね」
セクリはまだ何も知らない。ここで言うべき事でもないし、後で伝えておけばいい。
でも、そう言葉にしてもらえたってことは。少しは俺達でアンナの心の隙間を埋められたと思っていいのだろうか? もしも、家族のようだと感じてもらえたら素直に嬉しく思ってしまう。




