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勇者がくるまえに  作者: ジャン・黒冬
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第14話 魔界へのいざない

 徒歩で道路を逃げるより、船で水上を移動した方が速い。


 水路に係留されていた小船に乗り込み、レブとウィルは町の西側へと街を流れる水路を下った。


 留置所からかなり離れた地点で、二人は小船を降りて移動する。


 相当な距離が稼げた筈だ。ということは時間も稼げたということになる。


 この先をどうするかという方策は浮かんでいないが、レブの中で、やることは決まっている。


 エルバリオ殺しの犯人を見つけて、その報いを受けさせるのだ。


 そういえば昼飯がまだだった。レブはマスクを手近なゴミ箱に叩き込むと、ウィルを連れて適当な店に入ることにした。


「バレたらどうするんですか」


 おどおどしたウィルが、店内を見渡している。完全に挙動不審だ。


 先ほどは落ち込むウィルにげきを飛ばしたレブだったが、今の方が鬱陶うっとうしいことこの上ない。


「こういう時はな、むしろ堂々としてろ。元からお前のことなんて、誰も気にしちゃいねえよ。まさかこんなところに脱獄した人間がいるとは思ってねえ。そうすっと目に入ってこねえもんなんだよ」


 逃げて間もないから、ウィルの手配書はまだ出ていない筈だ。


 フィレノの住人たちは、ウィルの名前を知ってはいても、大半が顔までは知らない。つまり、気づかれる可能性はほとんどないということになる。


 武闘会での賞金がまだ残っているからいいようなものの、それが無かったら食い詰めていたかもしれない。


 そうした怒りの矛先は自然とクレオ・エルバリオ殺しの犯人に向かう。


 ――絶対に見つけ出してやる。


 レブは息巻いた。


 朝昼と定食を出す酒場の隅で、二人は魚のフライと豆を甘辛く煮たのをおかずに、昼飯を食いつつ、これからの話をする。


「クレバリオを殺したいほど憎んでる奴はいねえのか。それともなけりゃ奴が死んで得する奴とかよ」


 殺人の犯人というものは、捕まえてみれば顔見知りであったということが多い。


 殺されたエルバリオにどんな交友関係があり、誰に恨まれ、誰に金銭の貸し借りをしていたか。


 その辺りに犯人へと到達する道しるべがあるのではないかと、レブは考えている。


 だがウィルの返事は素っ気無かった。


「サー・エルバリオは人格者です。誰からも恨みを買うようなことはありません」


「いやいや。殺されるなんざ、よっぽどだぞ」


 素晴らしい人間なら、レブの八百長に乗らないだろうし、約束の金を少なく寄こしたりしない筈だ。


「金の貸し借りは?」


「申し訳ありません。私には何とも」


「だよな」


 従士が主君の台所事情を知っているとは思えない。


「じゃあ、誰がやったんだよ。エルバリオはそこそこの手練てだれだぞ。それを真正面から胸に穴が開くほどの一撃だからな。不意を突いたにせよ、そうそういないだろうよ。そんな奴」


「あの。レブ様ではないですよね」


「あん? 俺はレブだよ」


「そうでなくて、レブ様が殺したわけではないですよね。違いますよね。武闘会ではサー・エルバリオに負けましたもんね」


 レブはしばし無言でウィルの顔を見た。


 それは一、二秒のことだったが、その間にレブは、目の前の少年が本気で聞いているのだと理解した。


 ウィルは、レブがエルバリオにわざと負けたことを知らないのだ。


 レブは自分が犯人ではないことを知っている。だから疑われるとは露ほども考えていなかった。


 レブは黙ってウィルの脳天に手刀を落とした。


 びし。


 鈍い音がした。ウィルが「あいたっ」と言って、頭を抑える。


「何で叩くんですか」


「お前が阿呆だからよ。俺が犯人だったらな、わざわざお前のこと助けねえだろ」


「あ。ですよね」


「何が『あ。ですよね』だ。お前は思いついたことを口にする前に、いったん考えてからしゃべれ」


「すいません」


「っとによ。助けて疑われたらたまらねえよ」


 とはいえ、義理を重んじるレブとしては、助けないという選択肢は最初からない。


 ――まさか屋根の修理代の話が、ここまで大きくなるとはな。


 次に八番目のマーに会うことがあれば、喋らなくなるまで殴ろうとレブは決めた。


「本当に誰かいねえのか。疑わしい奴はよ。エルバリオは殺されてるんだぞ。そんなにいないだろ。殺してやりたいと思っても、実行に移す奴は」


 魔族においてはその限りではない。


 むしろ殺される方が悪いという空気があるくらいだ。


 だがこれは人間の世界の話だ。


 殺すという行為に及ぶのは珍しくはないが、多いというわけでもない。


 ウィルは考えこんだが、やはり首を横に振るだけだった。


「すいません。やはり私には思い当たりません」


「ふーん。まあ、いいや」


 正直、ウィルには期待していなかった。


 ウィルはまだ子供だし、世間を知らなそうだ。殺しなどという人間の禁忌きんきには縁が無くても仕方がない。


 年齢的にいって、十数年前にこの国でおきた、王位継承戦争も経験していないだろう。


「いいか。犯人は俺じゃねえし、お前のわけがねえ。なら、他の誰かってことだ。誰かいないか考えろ。手がかりは今のところ、そこにしかねえ。大体、俺はエルバリオの交友関係を知らねえからな」


「サー・エルバリオは立派な方です」


「まあ、お前がそう思うのは勝手だがよ。実際に、いい人過ぎて殺されるってこともあるんじゃねえかな。たとえば、悪い奴の邪魔だったりよ」


 飯も食い終わり、ここでは詰めた話がこれ以上はできそうもない。


 レブは店を出ようと立ち上がった。店内に気を配るが、特にレブとウィルに注がれる視線はない。上手く溶け込めているようだ。


 こういう時はじっと座って考えたり、立ち止まって悩んだりするくらいなら、動いた方が良い考えが浮かぶものだとレブは知っている。


 どちらかというと事態に向かっていくことで、新しい動きが出たりするものだ。


 ウィルがもそもそと立ち上がったのを見て、レブは給仕に代金を渡した。


 店を出てから、レブはゆったりと歩いた。


 飯を食った後は寝転がりたいくらいだが、今はそうもいかない。


 昼下がりの街には活気がある。荷を運ぶ馬車が歩道を歩くレブたちを追い越してゆく。頭に果物が入った籠を乗せた女たちが歩いている。子供たちの笑い声がどこかから聞こえてくる。


「平和なもんだな」レブはひとりごちた。


 エルバリオの事件など、一部の人間にしか関わりがない。


 大半の街の人々は、そうしたこととは無縁で、平和に生きているのだ。


 今は十月。南半球に位置するこのシアソン大陸は、これから夏が来る。


 もっと北の国では八月が真夏で、二月が冬だという。


 この世界にはフィレノとはあべこべな季節を持つ国があるらしいが、レブには想像もつかない。


 二人が歩いている辺りは市場いちばから離れているが、金物屋や小間物屋といった商店がのきを連ねている場所だ。店先で干されている丸々と太ったマンドラゴラが、気持ちよさそうに歌をうたっている。


 ――叫び声じゃなきゃ死なねえんだな。


 のんびりと歩くレブの後ろを、ウィルが周囲を気にしつつ、ついてくる。


 吹く風に、魔力が混ざっているのにレブは気づいた。その魔力から刺激的な花の香りを連想した。


 ――また、魔族かよ。


 レブの背後から女の声がする。


「レブさまですよね」


 声のした方に、ゆっくりと振り返ると、道の端に若い女が一人立っている。


 白い肌をした女だった。頭にかぶった日差しよけの白いベールの下から、大きな瞳がレブを見ている。


 ただ瞳孔どうこうが小さいので、レブの顔を見ているのか、レブの頭を透視して、彼の後頭部を見ているのかは判然としない。


 袖のない白い服から、白い肩と細い腕が見えている。開いた胸元では、豊満な胸が谷間を作っている。


 少し長めにその谷間に目をやってから、レブは女の顔を見つめ返した。


 レブの元に現れたこの若い女は、魔力を匂わせている以上、人に変化へんげした魔族で間違いない。姿が若いということは、実年齢的にも若いということだ。


 目の前の女はレブとたいして年齢は変わらなさそうだ。


 女がどこの手の者か知らないが、魔族に関する話をウィルの前でするのは得策ではない。レブは相手が話す前に、先手を打つことにした。


「ここじゃなんだ。場所、変えようぜ」


 女にそう言って、レブは背後のウィルに自分の家の住所を告げる。


「鍵を渡すから、俺の家に先行ってろ。俺もすぐに戻る」


「は、はい。わかりました。それで、あの、レブ様はどちらへ」不安そうな表情でウィルが尋ねる。


 レブが答える前に、女が言った。


「いいとこよん」


 しっとりと濡れたように光る若い女の唇から、そんな言葉が出たものだから、ウィルは赤面した。


 それがおかしくて、レブはつい笑ってしまう。


「俺の客は冗談が好きでよ。まあ、あんまり道草する気はねえけどな」


 ウィルと別れて、レブと若い女は少し歩いた。裏通りに入る。


 表通りの喧騒けんそうとは打って変わって静かな場所だ。


 今のところ、辺りに人の気配はない。ここなら、魔族関連の話をしても聞かれる心配はないだろう。


「何か用か?」


「レブ様をお誘いしに来たんですよう」


 女は、鼻にかかった声を出す。


 レブは女の顔をじっと見た。魔族は人化じんかすることで外見が変わるが、それぞれが持つ魔力の量と質は変わらない。


 そして質というものは、色と香りを持ち、それには個体差がある。


 さっきの刺激的な花の香りというのは、これだ。


 そして、それにレブは覚えがあった。


「お前、ハピコか。たしか、二千三百十五番目のハピコだよな」


 去年、一度だけだが、レブは彼女の面倒を見てやったことがある。


「すっごーい。レブ様、あちしのこと覚えてくれてたんだ」


「お前らって、ホントに頭悪いしゃべり方するよな」


 鳥人のハーピーは、鳥ゆえか、頭があまり良くない種族だ。その為、彼女らの名前は三種類しかない。


 ハピコ、ハピリア、ハピザベスだけだ。


 それゆえに、何番目のハピコといったときには、膨大ぼうだいな数がつく。それについては彼女らも、覚えていられるようだ。


「えー。レブ様ひどいですよう。せっかくあちしがリゲータ派に入りませんかって誘いに来たのに」


「お前ら今、リゲータの下についてんのか」


 ――こいつは、かなり面倒なことになりそうだな。


 レブは、ため息をつきたい気分だ。


 先代魔王シャルクの四男リゲータ。あの気まぐれな男が、レブに興味を持ち出したということだろうか。


「あちしは魔杯まはいもらってないんですけどね。ハーピーの総意として、リゲータ派です。それであちし、頭悪いなりに考えました。レブ様がリゲータ様のところに来てくれれば、御兄弟の力関係も、リゲータ様が優位になるなって」


「リゲータの使いで来たわけじゃねえのか」


「あの方は何を考えてるか、ちょっとわからないんですよね。あちしらが頭悪いせいかもですけど」


「そうか」


 レブは少し安心した。ラーゴン派だけでも面倒だし、今はウィルのこともある。これ以上話をややこしくする要素は願い下げだった。


「二千三百十五番目のハピコよう」レブが言った。「ラーゴン派の奴らにも言ったんだけどな。俺は今のところ誰からも魔杯を受ける気ねえんだわ。どうしてもってんなら、大将が、つまりお前のとこだとリゲータがな、直接俺のところに来いってんだよ」


「いいじゃないですか。そんなご無体むたいいわずに」


「あのな、二千三百十……、めんどくせえな。ハピコ。いちいち名前の前に順番つけるのやめねえか?」


「そういうわけにはいかないですよう。あちしら、名前が三種類しかないですもん。数字が無くなると、誰が誰かわかんなくなっちゃう」


「そうだな……」


 レブは、あごに手をあて、空をにらんだ。思い浮かぶ言葉を口にする。


「よし。お前、ダフネって名前にしろ」


「何それ、斬新ざんしんじゃないですかあ」


「頭悪いくせに、斬新とかはわかるのか」


「えー。あちし、今日からダフネって名乗ればいいんですか?」


「そうだよ。いちいちよ、名前呼ぶのに順番なんざ口にしてらんねえだろ」


「ありがとうございますう」


 二千三百十五番目のハピコ、改め、ダフネは、嬉しそうに笑った。


 いつの間にか彼女はレブの隣に立つ。あっさりと彼の左腕を取った彼女は、それを両腕でかかえた。必然的に彼女の体の他のところもレブの腕に当たることになる。


 主に胸が。


「レブ様って、やさしい。ほんと、レブ様みたいな方が、リゲータ派には必要なんですよう」


 彼女が喋るたび、レブの腕に感触が伝わる。弾力があって柔らかい。いっそ楽しい。


 その感触が、レブの心を一瞬で遠くまで連れていく。


 今のレブは、晴れた空の下、風の止まった大海原に浮かんだ小船だ。


 自然と笑いがこぼれてしまう。


「なははははは。そうだな。ちょっと行ってみてもいいかな」


 ティコが聞けば激怒しそうなレブの変わりようであって、実際に彼は後一歩で篭絡ろうらくされるところだった。


 一人の少年の声が聞こえなければ。


「レブさまじゃん。何やってんの?」


 いつのまにか、レブとダフネのそばに、少年が一人立っている。

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