#8ー4
情報屋をあとにした二人は、狭い路地を足早に歩いた。そこには外灯ひとつない。空から降りそそぐ蒼白い月明かりだけが、彼らの足もとをぼんやりと照らしている。恭助は小走りになりながら、大股で闊歩する死神のあとに続いた。
「ねえ、死神」
「何だ」
死神はふり返らずに答えた。
「やっぱり、ちょっとおかしい気がするんだ。ゼロが【死神くずれ】だなんて」
「上層部の決定は絶対だ。それに、状況的に考えれば奴しかありえない」
「だ、だけどさ……」
恭助は少しばかり躊躇ったあと、「寂しくないの?」
死神は一瞬、驚いたようにふり返った。
「ゼロは、あんたの仲間だったんでしょ。それなのに、あんなことに……」
「奴はもう、この世界に“存在しない”と思え」
冷たい風を切るように歩きながら、死神は淡々とした口調で言った。感情の欠片も感じられない。
「死神である以上、私たちは“掟”には逆らえない――いかなる理由があっても、だ」
恭助は何とも言えない虚無感を抱きながら、黙って彼のあとに続いた。
狭い路地を抜け、静まり返った商店街に差しかかったところで、恭助はふと立ち止まった。外灯の下に黒い影が転がっている。猫だ。
「公爵さま?」
そこに横たわっているのは、伯父・神宮司の飼い猫だった。ぐったりとして、ぴくりとも動かない。眠っているのだろうか、それとも――突如として、恭助の脳裏にある人物の姿がよぎった。思いつめた表情の男性。彼は悲しげに笑いながら、恭助に背を向ける。断続的によみがえる場面のひとつひとつ。確信はない――しかし、嫌な予感がした。
「お、おい! どこへ行く!」
死神がふり返った時、恭助はすでに反対方面に向かって駆けだしていた。
喫茶店【memento mori】は、深夜の街にひっそりと溶け込んでいた。灯りひとつない。小さな窓から差しこむ月明かりだけが、店内を蒼白く浮かびあがらせている。
恭助がそこに足を踏み入れた時、カウンター席で突っ伏していたのは、彼の伯父・神宮司 透その人だった。先ほどまで煙草をふかしていたのだろう、あたりにはかすかに鼻をつく匂いが漂っている。神宮司の傍らには、飲みかけのコーヒーが置かれたままだ。暖炉に火は入っていない。そこにはただ、凛とした静寂が鎮座していた。
恭助は、コーヒーカップの横に転がっている小瓶に気がついた。中身は空だ。
「これって……」
ラベルに書かれた文字を見た恭助は、思わず言葉を失った。それは、化学の知識に疎い彼でも瞬時に理解出来るような、有名な薬品の名前だった。
「伯父、さん?」
神宮司は突っ伏したまま、身じろぎひとつしない。彼がただ眠っているだけではないことは、誰の目から見ても明らかだった。
「自殺だ」
茫然と立ち尽くす恭助の背後で、冷静な声がした。死神だ。遅れてやって来た彼は、この場で何が起こったかを瞬時に察したようだった。
「まさか、こいつが死を選ぶとはな」
「なんで……」
恭助は小さく唇を震わせた。
「なんで、こんなことに……」
恭助は半ば放心状態で呟きながら、凍るような寒さを感じた。もうすでに彼は、それらの感覚を無くしているはずなのに、冷たい大気が心の奥底まで染みわたるようだった。窓から差しこむ月明かりは、何ひとつ語らない。そこに蒼白く映しだされる伯父の姿を、恭助はただ、茫然と見つめることしか出来なかった。
伯父さんが死んだ。
恭助にとって、それは自分の死よりも受け入れがたい事実だった。信じたくない──そう思いながらも、恭助は感じていた。彼を形成していた大切な“何か”が確実に失われている、ということを。
「――僕のせいだ」
恭助は掠れた声でぽつりともらした。
「何故、お前のせいなのだ。こいつが死んだのは誰のせいでもない。あくまで、こいつの意志で……」
その刹那、死神の鎌が音を立てて床に転がった。
「なんで、そんなに冷静なんだ、あんた! ゼロの時だって、あんなに信頼してたのに、どうして……どうして、平気なんだよ! おかしいだろ! なんでだよ……なんで!」
ローブの胸もとにつかみかかった恭助は、激情にまかせて言葉をまくしたてた。
「伯父さんは、僕のせいで」
恭助は涙を滲ませながら、声を詰まらせた。
「僕の、せいで……」
掠れた声が冷たい大気をわずかに震わせた。
力なく床に膝をつき、とめどなく涙をこぼす恭助の姿を見下ろしながら、死神は小さく首を横にふった。
「――以前、お前は悪夢だと言った」
「え?」
恭助は、はっとして顔を上げた。
「もうすでに変えようのない現実を、お前は頑に否定した。まだ死にたくない、とな」
「そ、それは……」
「私には理解できなかった」
死神は恭助に背を向け、自嘲ぎみに笑った。
「私にとって、それは仕事のひとつでしかなかったからだ。感情をはさむ余地などない――むしろ、それらは邪魔なものでしかなかった。しかし、今は少しだけ……分かる気がしなくもない」
死神は、疲れきったようにため息をもらした。
「お前の言った“悪夢”の意味が、な」
悪夢。
すべてがそうであってほしい。
絶望にも等しい感情に支配されていた自分。
そんな中で死神が教えてくれたのは、もう二度と戻れないということだった。冷たくて、残酷で、どうしようもない現実。変えることの出来ない過去。取り返しのつかない失敗。
それらを、不器用なりにも受け入れられたのは、いつも隣に冷静な死神がいてくれたからかも知れない──恭助は急に申し訳ない気持ちになった。
「ご、ごめん……僕」
「気にするな。それより――」
床に転がった鎌を拾い上げた死神は、振り向きざまにそれを薙いだ。鋭い切っ先が恭助の頭上をかすめる。思わず目をつむった彼の背後で、勢いよく金色の塵が舞った。【亡魂】だ。
「今は逃げることが先決だ」
死神は恭助の腕をつかみ、踵を返した。




