#8ー2
情報屋の扉を開けたとたん、死神は眉をしかめた。
ホール内は、彼が思っていたよりもはるかにひどい有様だったのだ。
大理石の床には、砕かれた彫刻や燭台、書類などあらゆるものが散乱し、足の踏み場もない。至るところで、鎌を手にした死神たちの姿があった。彼らが相手にしているのは、歪な骨格をした異形の者たち――【亡魂】、だ。その数は計り知れない。
空を斬る音が飛び交う中、死神は背後をふり返りながら、
「私のそばを離れるな」
恭助は緊迫した面持ちでうなずいた。
彼らの存在に気づいた亡魂が、すぐさま身を翻す。異形の気配を捉えた死神は、すかさず鎌をふるった。研ぎすまされた刃が大きく半円を描く。固い骨に食い込んだそれは、瞬時に胴体をまっぷたつに裂いた。声をあげる間もない。亡魂の身体は粉々に砕け散り、空中に金色の塵と化した。
続けざまに左右から襲って来た亡魂らを薙ぎはらったあと、死神は鎌を肩に担がせ、恭助の腕をひいて中央の大階段まで走った。交戦を繰り広げる死神たちの中に、ひときわ目立つ存在を発見したのだ。階段の踊り場で漆黒のミニスカートをひらつかせながら、周囲の骸骨らに鞭をふるう、小さな少女――モノローグだ。彼女は二人の姿を見るなり、「来てくれたのね! 助かるわ!」
死神はまわりの亡魂らに二、三度、鎌をふるったあと、「何故、こんなことに……」
「説明はあとよ」
モノローグは大ぶりの鞭を器用に操りながら、恭助を守るようにして、死神と背中を合わせる。彼らに囲まれた恭助は、内部のようすを茫然と見回した。軽々と逃げまわる亡魂らを、死神たちは必死の形相で追いかけている。あちらこちらで鎌がふられ、そのたびに内装の一部が壊されていく。次々と燭台が倒され、しだいに暗くなって行くホール内で、死神とモノローグは目前にあらわれる異形の者をことごとく塵と化していった。
モノローグは鋭く鞭をふるいながら、「――キリがないわね」
「ああ」
淡々と答える死神にも疲労の色が窺える。
どこから溢れてくるのか、亡魂の数はいっこうに減らない。まわりには、力尽きて倒れる者の姿もあった。恭助は何も出来ない自分にもどかしさを感じながらも、死神の背後からじっと動けずにいた。
「あ、あれ!」
恭助は思わず声をあげた。
反射的に彼が指さした方向を見やった死神は、小さく舌打ちをした。入り口付近の扉から、ふらつく足取りで姿をあらわしたのは、ゼロだ。みすぼらしいローブは裂け、ところどころ肌が露出している。ただでさえ寝癖のひどい髪は、いつにもまして乱れていた。彼はホール内をぐるりと見回し、しばらくのあいだ茫然としたようすだったが、「ああ、キミたち……」――恭助や死神の姿を見つけるなり、よろめきながら彼らに歩み寄ろうとした。
「それ以上近づいたら、容赦しない」
死神は、すかさず鎌を突きつけた。顔中を腫れ上がらせたゼロは、戸惑うように足を止める。
「キミまであっしを疑うのかい?」
死神は黙したまま、ゼロを見据えた。
「ご、誤解なんだよ……あっしが【死神くずれ】だなんて」
「では、この状況をどう説明するつもりだ」
「そ、それは……」
ゼロはうつむきながら、口ごもる。その間にも、亡魂らは次々とホール内を破壊していった。頭上高くに吊るされたシャンデリアがぐらりと揺れる――死神はあたりの異形に鎌をふるったあと、再びそれをゼロに突きつけた。
「これはきっと、仕組まれたことなんだ」
ゼロは掠れた声で訴えた。
「あっしは何もしてないんだよ。あっしは、ただ……」
「誰に仕組まれたというのだ?」
ゼロは小さく首を横にふったあと、縋るような目をして声を震わせた。
「あっしは、さっきまで“おエライさん”と一緒だったんだ。こんなこと、出来るはずがないよ」
「それを保証してくれる者はどこにいる」
「死神局に戻ったとこさ……それで、騒がしいと思って来てみたら……あっしにはもう、何が何だかさっぱり」
「【カラス便】の件はどうなのだ」
「カラス便?」
「先日、恭助が亡魂に襲われた。お前が私の整理番号を使って送りつけた、あの封筒のせいだ」
「ち、ちょっと待っておくれよ! あっしは、カラス便なんて……」
「そこまでだ」
突如として、凛とした声が響きわたった。
連続的に空を斬る音がして、あちらこちらで金色の塵が舞い上がる。大理石の床に赤が落ちて、いくえにも積み重なった。恭助は思わず目をこらした。何百本ものバラを片手に、たびたび身を翻す赤い影――あまりにも速すぎて、その姿をはっきりと捉えることは出来ない。床には次々と花びらが散らばっていく。
その鋭い風がないだ時、おびただしい数の亡魂はひとり残らず消えていた。あたりの喧騒は一瞬にして静まり、そこには、金色の塵だけが音もなく舞い上がっている。
「何が起こったんだ?」
まわりの死神たちは互いに顔を見合わせながら、不思議そうに首をかしげている。
「まったく、手間をかけさせてくれるよ」
階段の踊り場に音もなく降り立ったのは、シルクハットの紳士――グロリアだ。彼を見るなり、まわりの死神たちは血相を変えて、足早にホールから姿を消した。
グロリアは小さく鼻で笑ったあと、その場に残された一同に流暢なお辞儀をした。片手には黒いリボンで巻かれた紙が握られている。彼はステッキを脇に抱え、ゆっくりとした足取りでゼロに歩み寄るなり、リボンを一気に解き放った。
「情報屋管理責任者、ゼロ……もとい、Fe0000(エフ・イー・フォー・ゼロ)……君に対する処分が決定した」
恭助は、死神の背後で思わず息を飲んだ。
グロリアは、びっしりと文字が連ねられた紙をゼロの眼前に突きつけながら、「極刑だ」――淡々とした口調で、そう言い放った。
ゼロはとたんに青ざめながら、「ご、誤解です……あっしは」
「残念ながら、これは決定事項なんだよ」
グロリアはゼロに詰め寄りながら、にっこりと微笑んだ。彼らを避けるように、死神は恭助の腕をひいて、踊り場の端まで下がった。
「あ、あっしじゃない! 全部、仕組まれたことなんだ! きっと、他の誰かに……」
「往生際が悪いよ」
ゼロは小さく呻いて、踊り場に膝をおった。彼の胸もとに、一輪の赤いバラが突き刺さっている。グロリアはすかさずゼロの腕をつかみ、「失礼したね」――そう言って、恭助達に微笑んだ。
「ちがう、ちがうんだ!」
ゼロは声を震わせた。
「あっしは、何も……」
グロリアは有無を言わさず、ゼロの腕をひいて階段を下りた。
物が散乱する大理石の床を引きずられながら、彼はなお、振り向きざまに何かを訴えようとした。しかし、それは言葉にならない。
恭助と死神は、しだいに遠ざかっていく彼らの後ろ姿を、じっと見送ることしか出来なかった。




