♯5-2
昼過ぎになって降り出した雨は、しだいに勢いを増していた。
「わたしはいったん死神局へ戻るわ。この子のこと、よろしく頼んだわよ」――情報屋を出るなり、モノローグはその場から姿を消した。雨の降りつける狭い路地。あたりは心なしか薄暗く、何とも言えない不気味さを醸しだしている。恭助はふいに怖くなって、傍らの死神を見上げた。彼は微動だにしない。鎌を肩に担がせたまま、じっとその場に佇んでいる。恭助はうつむきがちに口をひらいた。
「大丈夫かな、ゼロ」
「さあな……おそらく、モノローグが上手いことやってくれるだろう。今はそれを信じて、待つしかない」
死神は苦いため息をもらした。
「――ところで、お前の作戦だが」
「え?」
「間接的なことであれば、問題ないはずだ」
「どういうこと?」
恭助は首をかしげた。
「つまり、“直接、生者の人生に干渉さえしなければ”、何かしらの力になることは可能だと言っている」
「協力、してくれるの?」
死神は雨の向こうをじっと見つめながら、「まあな……」と小声で呟いた。
「で、でも……どうやって?」
「それを考えるのはお前の仕事だ」
恭助がまっさきに思いついたのは、彼らに対して手紙を書くことだった。死神に協力してもらい、近くの文房具店で道具を一式そろえたあと、恭助達はいったん情報屋に戻った。
彼らが向かったのは、情報屋の最上部にある“展望室”である。およそ、地上6階の高さに位置するそこは、大きなガラス窓に囲まれており、あたり一帯の街が見渡せるようになっていた。感覚をあけてテーブル・セットが置かれているが、そこには、彼らの他に誰もいない。
死神は窓際の席に腰かけると、ぼんやりと下界に目をやった。眼下には、激しい雨に打たれる街並みが広がっている。恭助は向かいの席に腰かけながら、その景色の中に喫茶店【memento mori】を発見した。窓には明かりがついている。しかし、やはり店は営業していないようだった。
「しかし、慣れないものだな」
死神は頬杖をつきながら、ため息をもらした。恭助は、先ほどの彼のようすを思い出し、思わず口もとを綻ばせる。人間の姿と化した死神は、恭助の代わりに彼の口座からお金をおろし、文房具屋での会計をすませたわけだが、ことあるごとに、まわりの目をひいていた。というのも、彼には一般的な知識が欠けていたからである――レジで支払いをする際など、彼は「この中から好きなだけ持っていけ」と、そのまま財布を渡していたのだ。
「店員さん、びっくりしてたよ」
「仕方あるまい。普段は人間になる機会などないのだから……」
死神はため息をもらしたあと、
「しかし、どんな内容を記すのだ?」
「え?」
「まさか、【死神くずれ】に殺された、などと書くつもりではあるまいな」
「そ、それは……」
恭助はふいに口ごもった。手紙を書くこと自体は、さほど難しいことではない。【死神局】をとおせば、“消印” を変えることが可能だということだ。生前の恭助が残した手紙として、彼らに届けることができる。しかし、問題は内容だ。恭助は悩みに悩んだあげく、深々とため息をもらした。「やっぱ、無理なのかな……」と彼は、半ば諦めたような口調で呟いた。
「まだ猶予はある」
「え?」
「6日間だが……それまでに、考えればいいのだ」
「そ、そうだよね」
恭助は驚いたようにうなづいたあと、死神に向かって「ありがとう」と小さく微笑んだ。励ましてくれたような気がしたからだ。
「私はただ、この仕事を早く終わらせたいだけだ」
死神はそう言って、彼は窓の向こうへ目をやった。相変わらず、外はひどい雨だ。うっすらと霧がかかっており、遠くまでは見えない。しかし、死神の鋭敏な感覚は、その姿をはっきりと捉えていた。どうやら、そこは高台にある公園のようだ。制服姿の女性が見えた。この雨の中、傘もさしていない。何かを思いつめるようにして、じっと佇んでいる。死神はふと首をかしげた。
「あれは、お前の知り合いではないか?」
「え?」
恭助は、彼の視線の先を追った。しかし、霧がかかっていてよく見えない。目をこらしてみたところで、そのあたりに公園があることしかわからなかった。
「たしか、小林ナントカ……」
「ちいちゃん?」
恭助は首をかしげた。どうして、そんなところに彼女がいるのだろう。しかも、こんな雨の中で何を――恭助は、はっとして立ち上がった。「お、おい!」死神は制止しようとしたが、恭助はすでに駆けだしていた。死神は床に置いていた鎌を拾うなり、急いで彼のあとにつづいた。ゆるやかな螺旋を描く階段を駆けおりながら、「待て……待つのだ、恭助!」と声をかけたが、彼の耳には届いていないようだ。恭助の後ろ姿は、みるみる内に遠ざかっていく。
死神は肩に鎌を担がせながら、彼を見失わないように先を急ごうとした――しかし、それはかなわなかった。突如として、階段の踊り場に誰かが立ち塞がったのである。
「お前は……」
死神の前に両手をひろげて立っているのは、ゼロの代理で情報屋に派遣されている上層部のひとり――シュヴァルツ、だった。彼は相変わらず、にこやかな笑みを浮かべている。死神はじれったそうに、
「どけ、あいつを追いかけなくては……」
「そういうワケにはまいりませんね、Au1208」
「どういうことだ?」
「あなたともあろうお方が、あんなことをなさるとは――がっかりです」
「何の話だ」
死神は首をかしげた。
「おやおや、しらばっくれるおつもりですか? ご自分のなさった罪を、潔くお認めになったほうがよろしいのでは……」
「だから、何の話だ」
死神は苛立ったような口調で言った。すでに恭助の姿は見えない。先ほどのようすから、彼の向かった場所は見当がついていた。しかし、途中で【亡魂】に襲われでもしたら、と死神は気が気でなかったのだ。シュヴァルツは呆れたようにため息をもらし、「やれやれ……仕方がありませんね」と肩をすくめた。
「生者との接触、ですよ」
死神は一瞬、どきりとした。
「もちろん、あなたはご存知でいらっしゃる。【死神局諸法度】では禁じられていることを……それなのに、あなたはそれを犯してしまった。いかなる理由があったにせよ、掟は掟にございます。今回のことは、死神局に報告させていただきました。いずれ、あなたは“査問会”にかけられることでしょう。あなたには、しばらく情報屋に留まって……」
「今はそれどころではない、どけ!」
「そうはまいりません……ああ、上司に向かってその口のきき方は、如何なものかと思いますよ」
頑としてそこを動こうとしないシュヴァルツに、死神は「そんな悠長なことを言っている場合ではない」と、持っていた鎌を両手にかまえた。
「おやおや、物騒ですね。何をそんなにご心配なさっているのです?」
「お前には関係のないことだ」
死神はそう言って、目の前の男を睨みつけた。シュヴァルツはしばらくのあいだ、そんな彼の姿を呆然と見つめていたが、やがて「仕方がありませんね」と壁際に退(しりぞ)いた。死神は、彼には一瞥もくれずに駆けだしていく。その後ろ姿を見送りながら、「どうなっても知りませんよ……」
シュヴァルツはひとり、意味深(いみしん)な笑みを浮かべた。




