♯4-5
書斎に主の姿はなかった。
何度か彼の名前を呼んだが、そこにゼロのいる気配はない。蝋燭の炎は灯されているが、あたりはしんと静まり返っている。整然と片づけられた室内で彼らは互いに顔を見合わせ、どちらともなく首をかしげた。「仕方がない。ここで待たせてもらうとしよう」と、死神はソファに向かった。そのあとに続こうとした恭助は、
「うわっ!」
思わず悲鳴をあげてしまった。
書斎の奥――暗がりになっている本棚の隙間に怪しげな人影を発見したからだ。その人物はこちらをじっと見つめていた。かっちりとしたスーツや、襟もとの蝶ネクタイ、よく磨きこまれた革靴。高級ホテルのボーイを思わせる格好だ。茶色がかった髪は天然パーマなのか、細かく外に跳ねている。目鼻立ちの整ったその男は、ゆっくりとした足取りで彼らの前に歩み寄ってきた。恭助はとっさに、死神の背後へ身を隠す。
「お前は……」
「お久しぶりです。Au1208」
男は軽く会釈をしたあと、「ゼロでしたら、しばらくのあいだお戻りにならないと思いますよ――いえ。正確には、“お戻りになれない” と申し上げるべきでしょうか」と意味深な口調で言った。死神は訝しげな表情をしながら、
「どういうことだ」
「査問会でございます」
「査問会?」
「ええ。どうやら彼は、またしても重大な過失をなさったようで」
「何だ、その重大な過失というのは」
「さあ……わたくしにはわかりかねますが、前代未聞の失態だと噂では聞いております。しばらくのあいだ、彼が情報屋をお空けになるので、その代わりとしてわたくしが呼ばれた次第です」
男はそう言って、にっこりと笑った。
「ご用件がおありでしたら、代わりにわたくしが承りますけれど……いかがなさいます?」
「いや、結構だ」
死神はそう言って踵をかえし、「行くぞ」と恭助の腕をつかんで、足早に書斎をあとにした。
向かったのは、やはり例の喫茶店だ。ガラスの“ついたて”に仕切られた、テーブル席。互いの席に腰かけた彼らは、例のごとく、簡単に注文をすませた。恭助は、すっかり常連客のひとりになってしまったようである。まわりの死神達も、彼をさほど気にするようすはない。死神は床に鎌をおろしたあと、テーブルの上で指を組み合わせ、「まさか、こんな状況になっているとはな……」とため息をもらした。
「さっきの、誰?」
「奴も上層部のひとりだ。名前は忘れたが、たしか情報処理部の所属だったな」
「そう、なんだ……」
恭助はうなづきながら、ふいにおかしくなって口もとを綻(ほころ)ばせた。
「何がおかしい?」
「だってさ、まるで立場が逆なんだもん。死神の部下だと思った」
その言葉を聞いた死神は、「私に部下はいない」とまじめな顔をして答えた。恭助はついつい笑ってしまった。しばらくのあいだ、そのようすを不思議そうに眺めていた死神だが、「呑気に笑っている場合ではない」と、小さくため息をもらした。
「ゼロのやつが何をしでかしたのかは知らんが、ことは深刻だ。もしかしたら、奴はもう、情報屋には戻って来られないかも知れない」
「どういうこと?」
「お前も、査問会の意味はわかるだろう」
恭助は曖昧にうなづいた。
「やつがそこに呼ばれたのは、今回で二度目だ。前回、そこでゼロは片目を失わされ、情報屋に追いやられた」
「え…………」
恭助は一瞬、言葉を失った。
ゼロがもと上層部にいたことは聞かされていたが、片目を失わされたというのは、初耳である。そういえば、ゼロは左目に眼帯をつけていた。まさか、そんな事情があったとは――しかし、恭助には思い浮かんだ疑問を投げかける勇気はなかった。
「今度ばかりは、それだけではすまされないかも知れない。下手をすれば、“存在を抹消される” ことにもなりかねん」
「存在を、抹消?」
恭助は目をぱちくりさせながら、首をかしげた。死神はカップの中身をひとくち飲んだあと、「我々、死神がここにいるのは、存在することを許されているからだ。おもに “上層部” の連中にな。しかし、彼らの意図にそぐわない者は、容赦なく消される……それが、我々の世界の掟なのだ」
「そ、そんなのって……なんとか、ゼロの力になってあげられないの?」
死神は小さく首を横にふった。
「それは、上層部の連中しだいだ。我々には、どうすることもできな……」
「ボンソワール!」
突如、場違いな挨拶がその場に響きわたった。彼らが驚いてふり向くと、ガラスの“ついたて”の向こうで、これまた奇抜な服装の人物が手をふっているではないか。フリルやリボンなどの装飾がふんだんに盛り込まれた、ロココ調を思わせるドレス。羽飾りがついた帽子をかぶった貴婦人――ならぬ、小さな女の子だ。18世紀を彷彿とさせる衣装を身に纏った、この女性は、死神の上司――モノローグに他ならない。
「ちょっとごめんなさいね」
軽く断ってから、モノローグは恭助のとなりに腰をおろす。恭助は思わず、目をそむけた。どうにも、彼女の服装というのは胸もとの露出が気になって仕方がない。
「また、お前か……」
死神は片手で顔を覆いながら、ため息をもらした。モノローグは「あら、わたしで悪かったわね」と、唇をとがらせ、あからさまに顔をそむける。死神はそんなことを気にもとめず、「そんなことより、査問会のほうはどうなっているのだ?」と、唐突に声を落とした。
「あら、もう知ってたの」
モノローグは意外そうな顔をした。
「先ほど、奴の書斎で代理の者に会ったのだ。そいつに聞いた」
「ああ、シュヴァルツね」
彼女は納得したようにうなづいたあと、「実は、今回ちょっと苦しい状況なのよね」と、憂鬱そうにため息をもらした。モノローグの話によれば、ゼロは昨日、死神局の重要機密をうっかり外部にもらしてしまったらしい。それを見とがめられて、現在、査問会にかけられているのである。
「何なのだ。その、重要機密というのは?」
「それは教えられないわ。わたしまで査問会にかけられちゃうもの」
「まあ、それもそうだな……」
死神はため息をもらしながら、カップに口をつけた。
「ところで、上手くいってるのかしら?」
「何がだ」
「決まってるじゃない。“作戦” よ。ほら、あなたが人間に扮して、この子のご遺族の誤解を……」
「ちょっと待て」
死神は思わず咳き込みながら、「何故、私なのだ」とモノローグを睨みつけた。彼女は驚いたような顔をしながら、「協力するって言ったじゃない」と首をかしげた。ようやく落ち着きを取り戻した死神は、
「そもそも、生者との接触は【死神局諸法度】で禁じられているのだ。出来るわけが……」
「もう、頭でっかちね」
モノローグは拗ねたように唇をとがらせたあと、恭助に向き直った。
「ごめんなさいね。この子、常識外れなくらいまじめなのよ。でも、根はとってもいい子だから、きっと何とかしてくれるわ」
「は、はあ……」
恭助が曖昧にうなづく傍ら、死神は「お前の子供になった覚えはないぞ」と、ひとり小声でもらしていた。




