第八十八話 光、汚れ 1
◇封印の鉢【ふういん-の-はち】
蝕業/極意/〝獣の蝕業〟
植物系の魔物に特化して支配、格納する極意。
〝獣の蝕業〟の究極、獣性統帥、その具現の一つ。
対象の魔物が限定される分、効果は強力であり、
格上の相手でも支配下に収めることができる。
弱り、衰え、老いさらばえているなら、なおさらだ。
また一体に限り、異空間に支配した魔物を格納し、
任意の時に呼び戻すことが可能。
生物の支配は、稀少な〝獣の蝕業〟の中でも、
さらに珍しい力の発露の仕方であった。
人はそれを奴隷の商いに利用した。
***
◆???、ヴァルガ・ブラビド
この世は、輝かしいものほどすぐに消えていって、薄汚いものほど長く残り続ける。
この俺自身がその証明だ。
生まれは平凡……って言っちゃあ失礼か。
明日の食う物にも事欠く日々を送ってる奴からしたら、俺の幼少期は十分恵まれていた。
俺の生家は鉱山都市レジノスで鉱山を経営している富裕層の一つだった。
レジノスにいる人間は三つの層に大別できる。
上層――鉱山を所有し人を使う富裕層。
下層――鉱山で働いて糧を得る労働者。
中層――それ以外の商家などの中流民。
もちろん他の都市と同じように貴族様が名目上治めているが、鉱山を経営している富裕層の声が大きい以上、権威は有っても権力は無かった。そのせいだろう、存在感は薄かった。
上層に属する家の生まれ……なんて大仰に聞こえるが、ブラビド家はその中でも下の方。贔屓目で見ても、真ん中に引っかかればいい程度の家柄だ。
もっと血筋の古い家はあったし、ブラビド家が所有する鉱山は一つだけ。掘れたのが希少価値の高い貴金属だからまだ良かったものの、これが産出量の多い鉄なんかだったら、力のある同業他家に真っ先に食い物にされ、レジノスを去ることになっていただろう。
貴金属の流通を握りつつ、時に他家へ融通し便宜を図る。そうやって華麗に立ち回ることでブラビド家は代々存続してきたのだと両親は偉そうに講釈垂れていたが、一番偉いのはご先祖様が汗水垂らして鉱脈を掘り当てたお陰だろうに。
俺は何もかもが気に食わなかった。
自分が生まれた場所が世界で一番嫌いだった。
煤煙に汚れた都市の風景。
穢れと隔絶された、富裕層が住む区画で連夜行われる虚飾まみれの宴。
肋骨の浮き出るまでに痩せたガキが横たわる路上。
向上心も野望もなく、安酒で酔っ払う鉱夫どもの笑い声。
外では権力者に媚びへつらい、家では権力者のごとく振る舞う父と母。
家業に従事しろという圧力。
玉座は既に埋まっていて、既に当主気分になって指図してくる長兄。
自分の末路は分かりきっていた。
家の屋敷、その庭の片隅……木々を植えて作られた雑木林の中に一人閉じこもり、木漏れ日を浴びながら決意した。
――こんな生き方はごめんだ。
――野垂れ死のうと、俺は俺として生きたい。
決意した俺が何をやったか。
簡単な事だ、レジノスのギルドに依頼を出した。
『〝外域〟で俺を護衛し、魔物を瀕死にして俺にとどめを刺させる』と。
探索者でもない人間がわざわざ進値を上げたがる妙な依頼に、最初は首を捻られた。進値は一度上げたら二度と下げることはできないのに何故わざわざ、と。
だが依頼は受理され、斡旋された探索者どもに護衛されながら、俺は目論み通り進値を5まで上げた。
そしてアイツらに見せつけてやったのさ。
〝――ヴァルガ、お前、どうして……〟
服を脱ぎ、胸に刻まれた進値5の紋様。
それを目にしたときの反応といったら、予想通り過ぎて笑っちまったよ!
〝――進値を穢した人間に、この家の門を跨がせるわけにはいかない〟
父が吐いた言葉には隠す気も無い侮蔑と、隠しきれない恐怖が混じっていた。
一般市民……所謂進値が1の人間にとって、進値1を超えた人間に対する忌避感は尋常じゃない。両親のような富裕層……自分を貴種だと思い込んでいる奴は特に。
言葉を尽くして説得するより、あるいは暴力で解決するより、この方法が最も確実かつ手っ取り早い。
かくして俺は家から放逐され、代わりに自由を手に入れた。
それだけのことで、俺は自分の人生が上向くとでもいうような、根拠のない確信を抱いていた。
久方ぶりにレジノスに帰ったのは、既に両親が死んだ後だった。
戻るつもりはなかった。出奔の直前で父に宣告されたからではなく、自分の意志で家の敷地に踏み入ることはしないと、そう決心したからだ。
それがひるがえったのは、結局金のため。
俺は実家に金を無心するために舞い戻ってきた。
あの日、金もコネもない裸一貫で世の中に出た俺は、自然な流れで探索者になる道を選んだ。
……そして思い知った。この世には蝕業という、生まれながらに定められ、変更不可能な運命が存在することを。
剣を取り、杖を振りかざし、矢を放ち、物語の英雄のごとく戦うのにすら資格が必要であることを。
俺の腹に刻まれていたのは獣の蝕業。希少性という意味では悪くない。
他の蝕業に比べて、より直接的に己の肉体を変化させ、目的に特化した形態を獲得する特徴がある。戦闘には牙、爪、鱗を――索敵には耳、鼻、舌を――といったように獣の力を下ろすことで肉体面で圧倒的な優位性を得る。
だが……俺に発現したのは、自分が獣になるんじゃなく、獣を御すための能力だった。
存在が珍しい獣の蝕業において、さらに稀有な能力。獣の本能に首輪をつけ、己の理性の支配下に置く力。
街中の犬猫に鳥、〝外域〟の魔物、果ては人外にも。
人間ですら、能力が及ぶなら例外はない。
俺が手に入れた力は戦うための力ではなく……奴隷商が振るうものとしてむしろ有名だったのだ。
奴隷商は、職業として禁忌ではなかったが、忌避はされていた。
たとえ奴隷商でなかったとしても、それと同じ力を持っていることは相手との信頼関係の構築に著しく悪影響を与えた。
目の前の相手は、もし険悪な関係になったとき、自分を意能で無理矢理支配して加害してくるんじゃないか。
絶対にないと言い切れない事に、人間は非常に憶病になる。
世間知らずの俺は迂闊にも自分の能力を軽はずみに語り……結果として他の探索者から敬遠され、徒党もろくに組めない状況に陥ったのだ。
そのときはまだ挽回する機会はあったと思う。印象を払拭する余地が――今になって思えば――残されていたはずだ。俺はそんな事はしないんだと、言葉を尽くし、態度で表し、行動で示していれば……。
けれど、そこで捻くれた俺は人を仲間にするんじゃなく、その悪名高い力を行使して魔物を従え、仮初の徒党を作る道を選んでしまった。他人に対して拒絶の壁を作ってしまった。
そこで未来は決まってしまったんだ。
やはりアイツは危ない力を持っていて、信用できるか不明な輩だと。
そう思われたせいで、ますます他人を拒絶する悪循環。
当然、探索者がたった一人で大成できるはずもなく……早々に俺は食い詰めることになった。
能力が支配に偏っているせいで俺自身の戦闘能力は弱い。弱いから魔物を殺して進値を上げるのも一筋縄にはいかない。進値が低いのだから支配できる魔物も弱い。……弱小が群れなしたところで出来る事などたかが知れていた。
――なぜ運命は俺にこんな蝕業を与えやがった。
――なぜ誰も俺自身を見ようとしてくれないんだ。
怒り、虚しさ、不安、逃避――
酒に逃げ、賭け事に逃げ、気力も失い、金も失い。
矜持も恥も失って、俺は実家の玄関を叩いたのだ。
兄は当主を継ぎ、結婚し、子も生まれていた。
兄も兄嫁も、当然俺を歓迎するわけがなかった。家を捨てた放蕩の弟が穀潰しとして戻ってきたのだから。
はっきり言って、その時の俺はクズそのものの思考をしていた。
すなわち、暴力を背景に金を強請り、金蔓として生かさず殺さず、抵抗するなら無理やりにでも飼いならすことまで考えていた。
だが、その下卑た思惑は、結果から言うとあっけなく砕かれることになった。
「――あなたがヴァルガ叔父さんですよね!」
ドタドタと喧しく階段を駆け下りて姿を現したのは、ちょうど十五歳を迎えたばかりだという小娘だった。
「私も一流の探索者になりたいです! ずっと叔父さんに憧れてました!」
俺は何を言われているか、まるで理解できていなかった。
憧れる? 誰からも腫れ物に扱われているこの俺に? ましてや一流だと?
「――私はツェラといいます。よろしくお願いします!」
唖然とする俺に向けられた姪の笑顔は、燦々と周りを照らす太陽の光のようだった。
――いったい何をよろしくってんだ……。
呆気にとられる俺を私室だという離れへと連れ込んだ小娘は、聞いてもいない自分語りを始めやがった。
一方的に言葉を浴びせられているうちに、俺も理性が戻ってきた。
曰く、探索者として名を上げることを夢見、既にギルドに所属し〝外域〟に繰り出しているという。当然進値は1を超えていた。
つまり――進値は穢れている。
予想通りツェラとかいう俺の姪らしい小娘は、家中では邪険に扱われているようだ。嬉々として語る日々の生活は、よくよく聞いてみれば「食事場所は別々で分けられている」など距離を感じさせる部分が随所にあった。こうして自分の部屋が本館ではなく敷地の一角に与えられているのもその証左だろう。思い返せばこんな建物は俺が住んでいたころは存在しなかった。
ブラビド家という潔癖症の家からよく追い出されずにいるものだと、兄もさすがに自分の娘には思うところがあったのかと推測したが……要するに無償の用心棒として使われているだけらしい。
「お父様が『侵入者が本館に入る前に対処しないといけない』ということで、私のためにこの建屋をわざわざ作ってくださったんです!」
――そして恐ろしいことにツェラ本人は疎ましく思われている自覚がないらしい。
ただ体よく使われていることに気づかず、家族の役に立てていると疑念なく喜んでいる。
まったくアホなことだ。本当に用心棒として期待されているなら、お前が〝外域〟に出かけることは許されない。お前が留守の間、誰が家を守るんだよ。つまり用心棒云々は厄介払いの口実だ。ちょっと考えれば分かるだろうに。
まあ別に教えてやる事でもない。俺には関係のない事情だしな。
「そう言えば叔父さんはなんで帰ってきたんですか?」
不意にツェラが訊ねてくる。小娘もようやく他人に耳を傾ける気になったらしい。
俺は「お前の父親に金を借りるためさ」と答えた。嘘は言っていない。返済期限のない借金をしに来たのさ。
「――それなら私が叔父さんにお金を貸します! いえあげます! 代わりに私を探索者として鍛えてください!」
「はあ?」
ツェラは中身が詰まった皮袋を持ってくる。
口を縛った紐を解いて逆さまにすると、大金と言って差し支えない額の貨幣が山となった。
「これ、私が貯めたお金です。ギルドで請けた依頼の報酬も入れて全部」
正直なところ……俺はかなり揺れ動いていた。
目の前の金は、今日俺が兄から強請ろうと考えていた金額を遥かに超えている。
それが『探索者として鍛える』なんて曖昧な注文をこなせば手に入るわけだ。
これを受け取ったら兄から金を巻き上げられないなんてこともないしな。
これは結構美味しいんじゃないか?
……というのは好意的な解釈に過ぎない。
「解せねえな」
俺は至極真っ当な質問をぶつける。
「探索者の経験を積みたいなら、どこか適当な徒党や探索団に入ればいいだろう。ギルドの教官に相手してもらってもいい。なんで俺なんだ? 今日初めて会ったばかりの俺に」
……探索者としての実像を見たことのないこの俺を。
「…………」
ツェラは顔を伏せて幾許か逡巡した様子の後、
――意を決したように、服の裾を捲り上げて腹部をさらした。
「……………………そういうことかよ」
「……お、叔父さんは、嫌、ですか? こんな気持ち悪いのを相手にするの……」
ツェラが怯えた目で俺を見てくる。
この子の蝕業を見て、わざわざ俺に頼む理由に納得した。今の行為にどれだけの勇気が必要だったのかも。
探索者の集団に属さなかったのは賢明な判断だな。他人と組む以上、蝕業がバレる危険は常にある。たとえ面と向かって訊くようなことはなくとも、使う魔法や意能をつぶさに観察すれば予想は立ってくる。バレないように他人様の魔法意能を探るのは普通の事だからな。
誰しもが他人の蝕業を知りたい、知っておきたい。
だがそれは、人間関係の破綻を招きかねない悪の好奇心だ。
……色々加味して考えると、肉親の俺に頼むというのは悪い手段じゃないな。
この金も多分、ほぼ一人で依頼をこなして貯めたんだろう。
そこにどれだけの苦労があったかは知らないが、急に見た目以上の重さを感じるようになった。
俺が心からのクズになれていたら迷うことなく受け取っていたはずだ。
別に姪だろうが話を聞く義理もねえし、あまつさえ頼みを請け負ってやることもない。
それなのに、この憐れな娘に同情し始めている自分がいた。
蝕業で差別を受けた境遇が重なってしまう。
「……まあ……この金の範囲内なら、な」
つくづく自分は中途半端だ。
悪者になりに来たはずなのに、善行紛いの事を請け負ってしまった。
無邪気に飛び跳ねて喜ぶツェラを見ていたら、余計にそう思った。
結論から言おう。
俺は……探索者として栄達したいという野望を捨てた。
薪の燃え尽きた暖炉でまだ燻る木片のような、どんなに落ちぶれても最後まで捨てきれなかった望みの残りカス。
――それをあっさり断ち切らせるほど、ツェラの才覚は圧倒的だったのだ。
◇鉱山都市レジノス【こうざん-とし-れじのす】
地名/都市
鉱石の採掘および精錬を主産業とする都市の一つ。
ここで作られた金属が各都市に輸入され、
様々な物へさらに加工されていく。
南方都市連合の勢力範囲にありながら加盟していない、
独立独歩の気風が強い都市である。
経済的な身分格差が大きいことでも有名であり、
都市の司法、行政は鉱山を経営する富裕層が
実質的に牛耳っており、彼らの会合で全てが決まる。
ギルド支部はあるものの、鉱山の巡回警備か
魔物の間引きが依頼を占めるため、
好んで拠点とする探索者はあまり多くない。




