第八十七話 殺し屋たちの狂宴 6
◇亜空刻紙片【あ-くう-こく-しへん】
魔法/召喚魔法
印を刻んだ紙片を破壊することで、
対となる紙片の位置へ転移する魔法。
転移を含む空間掌握は〝羽の蝕業〟の特徴だが、
優るとも劣らない、高位の召喚魔法である。
それがゆえに、意能【召喚術】の対象となり、
転移の上限距離、回数、条件付け等について、
意能の強度に応じた幅広い編纂が可能である。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、旧区画
――奪われる。
――殺さないと、奪われる。
メアリーサリーの胸中を支配するのは、その焦燥感だけだった。
〝殺し屋〟の矜持である〝誓約〟すら――他の〝誓約〟と比較して圧倒的に緩いにも関わらず――忘却の彼方へと消えた。
今は目の前の少年を殺すことに文字通り心血を注ぐ。不調を訴える体も一顧だにせず。
黒の少女はヨア、白の少女は〝神器〟と、それぞれ相対することを選んだ。
片腕を落とし傷の大きい黒の少女は手の内が知れたヨアに当て、白の少女は能力が未知数な〝神器〟を引き受ける。その選択は戦いに身を置いた長年の勘が働いたゆえかもしれない。
黒の少女とヨアが格闘戦を繰り広げる横を、白の少女は疾駆する。
――この得体の知れないのを速攻で殺す。
その決意とともに得物たる針を引き抜く。
ヨアには無効化されたこの武器も、〝神器〟に通用しないと決まったわけではないのだ。
〝神器〟とはこの世で最も贅沢な武器。
誰もが自身の進値上限を延ばすために欲して止まない進化石を、言ってしまえばたかが武器に消費してしまう。
武器など極論、使って殺せればいい――そんな考え方も罷り通る世情において最大級の浪費、あるいは愚行。
そんな事が許されるのは、上位一部のさらに上澄みたる存在……魔物も人外も、人の嫉妬や羨望をも力で跳ね除けられる強者だけなのだ。
それを、
「この程度のガキが持ってるなんて……!」
一方的な義憤を込めて振り下ろす針を〝神器〟は生じた四つ脚で素早く回避する。
――アハ、避けるってことはやっぱりこっちには効くのね!
手の中の武器を頼もしく感じながら、白の少女は一層攻勢を強める。
何度目かの回避の後、〝神器〟が大きく後退し距離を取った。
「逃げちゃダメよぉ、ワンちゃん!」
滑りこむように死角へ回り込み、快哉とともに針を横っ腹に叩き込んだ。
ガキィンッ!
「は?」
呆けた声が漏れた。
渾身の一刺しは、貫通はおろか皮膚の一枚すら抉ることはなかった。
――逃げたじゃないの! 針は効くんじゃ……!
混乱にさまよう視線が一点を捉える。
針の先、獣毛に覆われた体表の奥には鱗が形成されていた。
断言する。さっきまでこんなものは無かった。
「――グブッ⁉」
今度は白の少女が大きく吹き飛ばされる。腹で火薬が爆発したかのような凄まじい衝撃によって。
「ゲ、エェェェェェッ……⁉」
口から漏れ出る止めどない血反吐に苦しみながら、それでも〝神器〟から目は離さない。
だが、それは少女の知る形からは既にかけ離れ始めていた。
体の各所は鱗が密集凝固した甲殻で覆われ、脚は隆々と太く、蹴りに適した構造に。
前脚は腕へと変態し、拳を突いて立つ姿は犬ではなく猿に近い。
「なんなのよ……!」
咆哮、〝神器〟は発条のごとく力を溜め込んだ脚を開放し、弾かれたように迫り来る。
術も理もない、本能に任せた爪と牙の嵐。
懸命に掻い潜りながら白の少女は何度も針を突き立てるも、それはことごとく意味をなさない。〝神器〟の肉体は既に鱗で鎧われた後だった。
「ぎッ……⁉」
左の太腿に激痛。
〝神器〟の腰部からは尾が生え、先端が自分に噛みついている。眼の無い蛇そのものの形状で、鋭い牙を肉に喰い込ませていた。
怯んだ隙を狙った拳を横にした針で受けるが、衝撃が腕を伝って体を貫く。踏ん張ることもできず、殴り飛ばされ地面を舐める。
――あああああ!
――クソクソクソ!
――この私が、お姉ちゃんが、こんな意味不明な奴らに!
血を流し過ぎた。
痛い。
寒い。
苦しい。
体の不調が止まらない。
熾烈な戦いを繰り広げながら、己の肉体から響いてくる雑音が積み重なっていく。
それは長らく感じてこなかった反応だ、自分とは無縁になったはずの感覚だ。
なぜ、なぜ、なぜ。
戦いとはもっと一方的なもの――自分が殺し相手が死ぬ、自分が嗤い相手が恐怖する、自分が奪い相手が奪われる。それ以外ありえないのに。
自分と姉の進値は40半ばを超える。
10も差が開けば一方的な戦いになるという見方が一般的である中、高く見積もっても30は超えないだろうこの少年が本来太刀打ちできる格の相手ではないのだ、自分たちは。
だが現実は無様としか言いようがない。
独立した〝神器〟に翻弄され、こちらの攻撃だけが徹らない。
こんな事があってはならないのに。
怒りに染まっていく白の少女の視界。
だがふと、〝神器〟の獣の奥で激闘を続ける姉とヨアの姿が映ったとき――
――そうだ。
――律儀に二対二を続けてやることはないのよ。
心中でほくそ笑んだことはおくびにも出さず、交戦を続ける。
反撃の手数を減らし、〝神器〟を誘い込むように奥へ奥へ、さらに距離を離す。
そして、〝神器〟の大振りの一撃を待つ。
――きた!
横薙ぎの攻撃をあえて避けずに受け止める。加えて自ら跳躍することにより後方へ大きく吹き飛ぶ。
背中から叩きつけられるも、さしたる負傷はない……大量の髪が衝撃を和らげてくれたからだ。
「ガルルルッ!」
「さようならワンちゃん」
追いすがる〝神器〟の目と鼻の先で白の少女は炎に包まれた。
突如目標を見失った〝神器〟から離れた場所で別の炎が上がる。
「――やっぱり殺すなら」「――お前からよねェ!」
――メアリーサリーは照応する転移符をお互いに持たせ合っていた。
密かな……切り札。どちらかが、残る片割れの元へ転移し、瞬間的に二対一に持ち込む。
これも先の転移と同様、この状況を狙ったわけではない。そもそも不利に陥る気すらさらさらない。相手に圧倒されたときの備えなど、己が矜持に障る行為でしかない。
だが、奪われるよりはマシだ。
負けて、死んで、何もかも奪われるぐらいなら、どんな苦汁も飲み干そう。いつの日かその命を串刺しにするまで。
意識的にしろそうでないにしろ、慢心を捨てず最悪に備えることが出来るからこその〝殺し屋〟。
どれだけ狂っていようと、破綻の未来が待ち受けていようとも、ギリギリのところで彼女たちは殺人鬼ではなくなった。
〝殺し屋〟から認められた〝殺し屋〟なのだ。
「うふふ!」
攻防による血化粧に彩られた美顔を歪ませ、黒の少女は左手を横の虚空へと伸ばす。
そこには何も――否。
こちらに来ることを知っていたように、別の手が黒の少女の手を取る。
当然だ、自分たちは二人で一つ。
半身の思惑など手に取るように理解できる。
「あはは!」
転移してきた白の少女。
黒の少女と合わせた手を離すと、指の間に光を反射する幾本もの線が。
「モーサンパッションの髪」「さぞかし切れ味がいいでしょう」
ようやくこちらを捉えた〝神器〟が走るが、もう遅い。
――今から地を駆けようが、こちらがガキを輪切りにする方が早い!
メアリーサリーは知らないが、今のヨアに対してその攻撃方法は正しい。
刺突、斬撃、打撃に耐性を有するヨアだが、圧迫による切断はどの耐性も完全には低減できない攻撃に該当する。
白と黒の少女が迫る。
「「さあ、終わりにしましょう!」」
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、旧区画、ヨア
「「さあ、終わりにしましょう!」」
少女が哄笑する。勝利を確信したように。
もう間もなく俺の元に辿り着き、俺の命を狩り取るんだろう。
今、俺の手元には何もない。
全身は傷だらけ。殺意という熱で辛うじて動いているだけの体。倒れていないのが不思議な状態。
殺意が燃料だとするのなら、俺を突き動かす意志は何なのか。
――死にたくない。
死ぬのは怖い。
記憶もなく〝はぐれ街〟へ辿り着いたときも、死にたくないと怯えていたことだけはほのかに覚えている。
寒さと飢え、隣を歩く死の影。
この世界は残酷で。
――生きていたい。
だけど、君という温かさを知ったから。
貧しくても飢えていても、二人なら苦しみを笑顔に変えられると気づいてから。
この世界も辛い事ばかりじゃないと思えた。
――ライカのために。
この世界に、君はもういないけれど、
君が俺にとっての世界だったのだと、
死んでから、気づいてしまったんだ。
殺して、死んで、甦るたびに俺は、またライカに会うことができる世界に来たんじゃないかと、どこか君の姿を目で探していた。
それをしなくなったのはいつからだろう。
――ごめんな、ライカ。
気づけば俺の周りには、笑顔があふれるようになっていた。
毎日を生きるのが楽しくて、生き延びるだけの今日が、迎えるだけの明日が、こんなにも愛おしく思えるようになったのは――
――俺、ライカだけじゃなくて、いろんな人のことが、ライカと同じぐらい……大切になったんだ。
右手を伸ばす、まだ何もないその虚空に。
――だから、
――守れなかった君の分まで、皆のことを助けたいんだ!
そこに来ることは最初から分かっていた。
俺たちは一心同体。
その理由すら知らないが、応える声に偽りはない。
少女たちを追い越して飛翔する影。二対の瞳が驚愕に見開かれる。
地を駆けて遅いのなら、空を駆けるしかない。
羽を纏った〝神器〟が翼で空を叩く。
〝殺し屋〟が俺に辿り着くよりも早く、獣噛みの大剣の柄が俺の右手に収まる。
元の大剣の形態へ変化する……だけでは終わらない。
鍔から切っ先にかけて並んだ牙の間から蒸気を帯びた熱い呼気が噴き出す。
「おおおおおオオオオオオオオオオッ‼」
空中を跳んだメアリーサリーに向けて、俺は大剣を横へ一閃振り抜く。
この剣はまさしく牙持つ獣。
二つに折って畳んでいた鎌のごとく、閉じられていた顎が開く。
一気に倍になった大剣の間合いにメアリーサリーは捕えられ、彼女たちの手は俺には届かなかった。
少女の柔らかな横っ腹に獣の牙が喰い込み――
――二人の胴体を上下に喰い破った。
血の雨が俺を濡らす。
二つから四つになった肉が地面に落ち、水気を帯びた音を響かせる。
〝噛み斬り〟である
この歯応え しかと味わえ
それがこの業の名であると、己が所業を忘れるなと、剣は俺の心の中で叫んだ。
◇〝噛み斬り〟【かみ-きり】
技/〝神器〟
展開した顎で無慈悲に噛み切る、獣噛みの大剣の技。
主の殺意によって磨かれた第一の牙。
剣の中央に走る樋、噛み合った顎が開くことで、
大剣は、さらに倍する長さへと伸長する。
鎌を折り畳むように閉じる際の咬合力は、
およそこの世に噛み砕けぬ物は無いと思わせる。
剣を通じて流れ込む、熱、硬さ、味、臭気――
ああ、これこそが、命なのか。




