第八十六話 殺し屋たちの狂宴 5
◇剥離剣【はくり-けん】
武器/〝神器〟
『終の黄昏』副団長、エルマキナ・ウォーハートの武器。
強力な雷の力を帯びており、相手の肉を触れた箇所から
容易く分解し、美しく切断してしまう。
その切断原理は、ほとんどの物体を選ばず、
薄皮を剥ぐように抵抗なく刃を徹してしまう様から、
いつしか剥離剣と呼ばれるようになった。
しかし、この切れ味でさえ剥離剣の持つ力、
その神髄の一端に過ぎないのである。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索者組合・会議室、グラトナ・グストーナ
「ギルは⁉」
地下水路から戻った私、ナギオン、イライザは帰還した勢いのままギルドの会議室に飛び込んだ。
私たちが襲撃を請け負った貯水槽までの穴の一つは、ギルド本部の直上に位置していた。フェルムが床ごとぶち抜いて作った穴から降下し、そこを無理矢理昇ってまた戻ってきたのだ。
地上に出るや否や告げられたのは……〝殺し屋〟が張った結界の中にギルとヨアが閉じ込められ戦っている最悪の状況。
「グラトナさん、体の治療を……!」
「そんなものは後だ!」
呼び止めるギルド職員を無視して進む。急造の穴を行き来したから、土埃や擦り傷で全身が酷いことになってると言いたいんだろうが、それが何だというのだ。
開け放った扉の先では、皆が声もなく沈痛な表情を浮かべていた。
まさか……、私は恐る恐る中央の円卓に近づく。そこに水の張られた巨大な盆が載せられ、戦闘の様子が映し出されている。
水面を覗き込む。
「――――――――――」
「グラトナッ!」「オイ、待つんだ!」「グラトナさん!」
視界が赤い。
何も見えない。
手足が重い。
ああ、邪魔だ。
力を込め
「――落ち着いて、グラトナ」
――脳に直接冷水を浴びせかけられたように、私を支配していたものが熱を失っていく。
私は……まだ、部屋の中にいたようだ。
背を向けて出ていこうとしたところを、ナギオンやイライザ、他にも何人かが私の手足にしがみついている。
ユサーフィ副団長は私の側頭部を両手で包むように挟んでいた。
「悪いけど魔法で強制的に鎮静させてもらったよ。今貴方が行ったところでどうにもならないの」
「アレを見て、なぜそんな言葉が吐けるんだ‼」
心臓を貫かれたギル。
致命傷を負い、死んだように動かない見知らぬ少年と少女。
……絶望に沈んだヨア。
「ここで怒れないようなら、大隊長なんざクソくらえだ!」
「グラトナ、怒りを感じているのは貴方だけではありませんよ」私の右腕を抑え込んだイライザが言う。「……感情に支配されるのはいけません。私たちは、感情を支配しなければなりません。怒りを道具にしても、怒りに使われてはいけないんです」
「……感情に支配されたのはお前だろう……!」
私は、
「――フランチェスカ大隊長を死なせたお前と一緒にするな」
もっとも口にしてはいけない事を口にした。
「……このッ、バカ野郎が!」
胸倉を掴まれ、背から壁に叩きつけられる。
「そういうところが感情的って言ってんだよ! 分別もつかなくなっちまったのか犬っころ! お前は今、吐いちゃいけねえ台詞を吐いたな! クソくらえはどっちだ、答えてみろ!」
「やめてくださいナギオン。貴方まで冷静さを失っては本末転倒ですよ」
「ッ……!」
「そのとおりです、グラトナ。自分の感情的な行動で恩人を殺した私だからこそ、貴方に同じ轍を踏んでほしくないのです。同じ苦しみを貴方に背負ってほしくないから……」
ナギオンの手が離れると同時に、私は壁に背を付けたままズルズルとへたり込んだ。
「…………ごめん。ホントに最低だ、私は」
顔を上げることができない。
手足は冷たく、頭は冷め、胸の奥だけが場違いに熱いまま。
仲間を助けようとして、仲間を言葉で傷つけてしまった。
クソったれは私自身だ。
自己嫌悪に沈む私の耳に別の声が飛び込んでくる。
「……おいおい。オイオイオイオイ、まさかユサーフィ、俺まで止める気か? お前、いつから『鉄血一座』の団長に指示できるようになったんだ? 教えてくれよ」
目だけで声の主を探すと、『鉄血一座』のオーガスタスの前にユサーフィ副団長が立ちはだかる一触即発の状況になっていた。
「お前ンところの揉め事なんざどうでもいいが、ウチにまでしゃしゃり出るのは筋違いだぜ」
「そうかな? 彼らの顔に泥を塗ろうとするのは、十分しゃしゃり出る理由になると思うけど」
「泥を塗るだと。……何のつもりで言ってるか知らねえが、要するにだ――焼かれてえのかテメエ」
チリ――と、極わずかに何かが焦げる音がした。
室内がどよめく。
……いや、オーガスタスにではない……?
「これは――」
数名が食い入るように水盆を覗き込んでいた。誰もが驚きに目を瞠っている。
オーガスタスも気づいて振り返った。水盆が映し出している光景に何を思ったのか、剣呑な気を引っ込めた。
私も重たい体を立ち上がらせ、水盆にゆっくり近寄る。
「…………」
水盆を覗く前にちらと見たユサーフィ副団長は、
あの副団長が、まるで恋する乙女のように頬を上気させて笑っている。
「……やっぱり君で間違いない」
微笑とともに紡いだその囁きが何を意味するのか、誰にも理解はできないだろう。
おそらく今はまだ。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、旧区画、ヨア
獣噛みの大剣。
ヘカトルさんが保管していた進化石を使用して、俺の持っている騎士鋼の剣を進化鍛錬した末に生まれた〝神器〟。
金属質な見た目から一変――元は諸刃の剣のそれは、生物の表皮を思わせる漆黒の皮膚、噛み締めた顎のような牙の装飾、獣毛をたたえた峰を持つ片刃の大剣に。
片手剣の軽さや取り回しの良さは消失したが、重量感に裏打ちされた威力を発揮できるようになった。
使い勝手は激変したというのに、不気味なほど手に馴染む。
武器の進化と表現するに相応しい新たな相棒を、けれど俺は正直扱いかねていた。
使いにくい……というわけじゃない。
大剣の強弱を理解した立ち回りを学ぶ必要はあれど、それは時間が解決してくれる。
はっきり言って不服なのは……この大剣が進化石に見合う価値があるのか分からないことだ。
この大剣が生まれる過程で、……一人の人間が死んでいる。その事実は消えない。
だからこそ、だからこそ多くの人を救えるような力を発揮してほしかった。
魔法のように、意能のように、念じれば何か起こるかも――そんな期待とは裏腹に大剣は沈黙を返すだけだった。
その事を相談したヘカトルさんは、それを眠っていると表現した。
何かが足りないから起きていないと。
俺はその足りないものを刺激だと想像した。
窓から差し込む朝日のように、眠りを覚ます切っ掛けを欲していると思い、それを模索する事ばかり考えていた。
今だから分かる。
初めから答えは俺の中にあった。
――鍵だったんだ。
鍵は最初から俺が持っていた。
その在処は自分だけでは絶対に気づかなかった。
ヘカトルさんの言うとおり、誰かに気づかされることで、初めて手の中にあることが分かったんだ。
ずっと……ライカを埋葬したあの日から握りしめていたはずなのに、俺自身がそれを見ようとしなかった。無意識に、知ってはいけないと、理性が封じ込めてしまった。
だけど、気づいてしまった。
気づいてしまった以上、使わないなんて選択肢は存在しない。
俺は手の中のソレを掴む。
――ああ……その鍵の名前は、殺意。
――俺はお前を……心の底から殺したい。
――グルォオオオオオオオオオオオオオオッ‼
獣噛みの大剣が、叫ぶ。
莫大な殺意を孕んだ咆哮が全てを浸食していく。
いつの間にか剣の腹の一部が鋭く裂け、爛々と光る瞳孔の無い黄色い目が世界を睥睨していた。
「……!」「なんだか知らないけど」「諸共死ね!」
〝殺し屋〟が貫手に構え、急降下し襲い来る。
徒手であろうと、鎧すら易々貫き通す威力があるだろうことは言うまでもない。
だが、もう恐れはなかった。
恐怖以上のものが俺を満たした今だけは。
俺は立ち上がると、渾身の力で獣噛みの大剣を槍のごとく投擲した。
「「は?」」
俺が武器を手放すとは思っていなかったんだろう。
けれど、やけくそになったわけでも諦めたわけでもない。
こうすればいいのだと――剣が教えてくれた。
大剣が変異する。
捉えた獲物を抑え込む前脚、大地を力強く蹴るための後脚、貪り喰らうための頭部が生じる。
剣と獣が融合したかのような形態へと変じた〝神器〟は空中で少女たちに組みついた。
そして黒髪の少女の片手に喰らいつき、噛み切ったのだ。
「ぃ、アアアアア――⁉」「お姉ちゃん⁉ この、離れろ!」
殴り飛ばされ引き剥がされた獣噛みの大剣は軽やかに着地すると、俺の傍に駆け寄ってくる。
「うううううううううう」
少女の腕の断面からドクドクと零れ出る血。
その血の香りに陶酔する剣の歓喜が俺にまで伝わってくる。
そう、伝わってくるのだ。
舌を湿らせる血の味に喉を鳴らす音も、空中を遊ぶ尾の動きも、全ては五感が訴えるものでしかない。
感覚を超えた精神的な箇所で、俺と獣噛みの大剣は今、一体となっている。
俺の抑えきれない殺意は剣という形に流れ込み、
刃が味わった芳醇な血と肉の瑞々しさが悦楽に変換され脳を痺れさせる。
「いちいち悲鳴を上げるなよ」口端から滴る血を手の甲で拭いながら俺は言う。「お前らがやったことに比べれば、そんなものは、何千分の一の痛みだ」
メアリーサリーは腕を失った苦痛に呻きながら、しかし俺をねめつける目は依然力強い。
そうでないといけない。
この程度では、誰も彼もまだ終われないのだから。
二対二……形成は互角になった。
「なんなのよこれは……」「生きた武器なんて……」「聞いたことない……」「ズルよ」「卑怯よ」
「……そうだな」
お前たちの言うとおり、俺はズルくて卑怯なんだろう。
この手にある力の、自分で手に入れた物なんて細やかなものだから。
俺自身がちっぽけな存在なんだ。
小さな器の中に、たくさんの人がたくさんの物を詰め込んでくれた。だから、俺という存在はある。その中身が消えてしまったら、ヨアという人間もこの世から消えてなくなるのかもしれない。
それぐらい……俺は弱い。
与えられた力で足掻くだけの、自分の過去すら知らない空っぽな存在。
……でも。
「それでいい」
今、この瞬間だけは、
ズルくても、卑怯でも、弱くても、空虚でも――
「――この世界からお前たちが滅ぶなら、それでいい」
「「――死ぃいいいねええええええええええ‼」」
俺と、獣に変じた〝神器〟。
白と黒の少女。
どちらかが勝ち、どちらかが死ぬ。
最後の攻防が幕を開けた。
◇獣噛みの大剣【けもの-がみ-の-たいけん】
武器/〝神器〟
『終の黄昏』特殊任務小隊の隊長、ヨアの武器。
ヨアが持つ騎士剣が、進化鍛錬により昇華したもの。
それは始め、生まれてから微睡みの中にいたが、
新鮮な殺意を喰らい、ついに覚醒した。
大剣でありながら様々な生物の姿を生じさせ、
遣い手の掌中を離れ、自立して行動が可能である。
今はまだ、目覚めたばかりの幼獣。
人がそうであるように、共に成長するだろう。
主の怨敵を噛み潰す、そんな恐ろしき獣へと。




