ギュンター・フォン・ケンティキアン
どうやらマッドナーがエリシャに先に伝えてしまったのは予定外だったらしく。
司令室の一角で、屈強な老整備兵が「空気を読め」とか「大概にしろ」だとか基地連中にどやされている風景は、見ていて実に滑稽である。(ちなみに、共犯であったフレイ・フレイヤも例外ではない)
そんな、コメディ番組のワンシーンにしか見えないやり取りを背景に、この基地のコマンダー(元から居たニカという幼女ではなく、ボルスニーからの付き合いの方だ)がエリシャに厳重に包まれた書類を渡す。
「すでにマッドナー中尉から知らされてしまっているだろうが、少尉。君を、あの新型のパイロットとして任命する」
「は!エリシャ・グランテ少尉、XFR-44を受領。同時に、パイロット任務を拝命致します」
後ろで交わされるやり取りに、どうやらニカが加わったらしい。まだ成長期を迎えてもいない子供特有の、その甲高い声にマッドナーの胴間声が困り果てるその様子を耳にし、今度こそ必死で笑いを堪えてエリシャはその書類を受領する。
いや、基地司令室でそれやらないで。マジで。と思ったことは、後で誰かに……姉妹ではマトモな方のフレイヤにでも愚痴ってやろう。
ただ今は、それにも増して気になることが一つある。
「あの、司令。ひとつ伺ってもよろしいでしょうか」
「ん?まぁ、答えられる範囲で質問は許可するが……」
「では、その。なぜ、私なんです?順当に行けば、新型機のパイロットはウチでも先任のグレイズ大尉かフィッシャー大尉かと思うのですが…」
「……少尉。少し外を歩こう」
「へ?あ、はい」
有無を言わさず室外に歩み始めたコマンダーに、エリシャは慌てつつ、未だ収まる気配のないコメディトークが続く司令室を後にした。
「あの新型をグレイズ大尉ではなくお前に預けたのはな、少尉」
司令施設の外、もう日が落ち始めて砂漠の夜特有の強烈な寒風が襲いかかる格納庫の前を歩きながら、司令官、ギュンター・フォン・ケンティキアン大佐は言う。
名前はさっき聞いた。いや、もちろん書類上は知っていたが、彼が「そう言えば直接話したことも、名前すら言ったことがなかったな」と教えてくれた。
カトリア連邦―今の敵国がまだ帝国主義だった、何十年も前から続く大貴族の伝統的な名字。
その、今は疲れた色が濃い赤色の双眸にも浮かぶ強いカトリア系の血は、軍上層部から、随分厭われてきたそうだ。
「大尉自身が、それを君に任せたいと言ってきたからなのだよ」
瞬間、エリシャは大きく目を見開き、いつの間にか少尉ではなく君と呼んできたギュンターを見返す。
驚いて見返されたその蒼い瞳に、しかし普段は実戦慣れした現場指揮官の様相を呈す壮年の士官は優しい紅い瞳で返す。
共和国軍の官給品である降雪地帯用コートと相まって、まるで本当の祖父のようにエリシャを見つめるギュンターは続けた。
「この基地に着く、その前から。異動命令を受領したその時から、この話は彼にしていた。当時は彼は乗り気だったがね。だがこの基地に着いてから、彼は突然、君に任せたいと言った」
「え……」
「私も最初は不思議でならなかった。こんなことを君に直接言うのはどうかとも思うのだが、私とて部隊を預かる指揮官だ。部下にリスクを負わせる訳にはいかないし、そうなれば、新鋭機を預けるのは新任の君ではなく大尉であって欲しかったのだが。その彼が言うのだから、私も特には言わなかったがね」
そう言い切ると、ギュンターは深く息を吐き、胸ポケットから古めかしいパイプを取り出して、年季の入ったオイルライターで火を点けた。
「……先の戦争が無ければ、私も産まれてくる孫のために、禁煙でもしたものかな」
小さく呟いたその言葉を、しかしエリシャは聞かなかったフリをし切れず、俯いてしまう。
ギュンターは、そんな感情の起伏を隠せない彼女を気にするでもなく、パイプの紫煙を吐き出すと同時に続ける。
「大尉は…あるいは君にこそ、あの機体が似合うと思ったのかもしれない。大尉の言う通りだ、君には底知れない才能がある。きっと、大尉までもすぐに追い越してしまうぐらいにな…
交戦記録を見させて貰った。あれは、とてもついこの前まで訓練生だったと思えない程の戦い方だ。大尉もそれを分かって、何度か私にそれを言いに来たよ」
煙を吐き出し、見たまえ、と。ギュンターに促されたその視線の先には、遮る光のひとつもない、ボルスニーでは見られなかった、満天の星空をバックに、連だって飛ぶ2羽の夜鷹。
親子だろうか、一方はかなり危なっかしい飛び方だが、それをもう1羽が上手くカバーしている。
「今の君は、言うなればあの夜鷹だ。今にも親鳥から離れて飛び立とうとする、成長途上の雛鳥だよ。ここからは、私の想像だが。大尉はきっと、不安なんだろう。戦争の複雑さに付いて行けない程純粋な君が、凄まじい勢いで力を付け始めているのが」
「……だから、私にあの機を?」
「君が未熟者だと、そう言っている訳ではない。だが、あれはきっと、大尉の老婆心のようなものだろう。君に、この戦争の泥沼に巻き込まれて、引きずり込まれて欲しくないから、それしきで墜ちない強い翼を…
少なくとも、彼が私に、あの機を君に譲ると意見具申をしに来た時はそんな印象を抱いた。それだけは言っておく」
本人に面と向かって言うには少々失礼が過ぎたなと、なにか奢ると言われて24時間営業のドリンクサーバーに向かうと、果たしてそこには遊び疲れたのかテーブルに突っ伏し、可愛らしい寝息を立てるニカと、彼女に毛布らしきモノをかけて付き添っているフレイとフレイヤが居た。
「“お叱り”は終わったの?」
『うん、結局ニカがジョンおじさんで遊び倒して、疲れ負け』
『暖かいものでも飲む?って誘ってここ来たら、寝ちゃった』
答えた彼女らに目を遣ると、なぜだか妙に密着している。まるで、2人が1着のコートに収まっているような…
不安になってニカにかかっているソレを見ると、…コート付きのロングコート。黒い、2人が身につけているものと同じ。
つまり今、どちらか一方が……
「…少尉、ノーシャ嬢は私が部屋まで連れて行こう。少尉は…その…」
「り、了解しました。大佐……」
『『……てへっ』』




