6:あの日見たパンツの赤さを、僕たちは忘れない
キーツからは蛮族認定されたベアトリスだが、これでも淑女だ。そして、王家に嫁入りする予定の令嬢でもあった。
そのため彼女はエドワード王太子の婚約者であった頃、定期的に登城していた。ある時は王太子妃としての教育を受けるために、またある時は人脈作りのお茶会を開くために。
あの日の彼女は、エドワードの政務の手伝いをするため彼の執務室に向かっていた。艶やかなドレス姿で廊下を歩く彼女を、文官と近衛兵が先導する。
「殿下は事務仕事をなさると、細かなミスが多いもので……ラバチェット公爵令嬢様にお手伝いいただけるなんて、光栄の至りに存じます」
文官がたびたび彼女の方を振り向きながら、何度も感謝してくる。ベアトリスは鷹揚に微笑んだ。
「殿下は文字や数字の羅列をご覧になると、もれなく発狂されますものね。それで、そのおバカさんは今どちらに?」
「目や肩がお疲れになったとのことで、自室でお休みになられております」
「そう、それは好都合ですわね。今のうちにさっさと片付けてしまいましょう」
エドワードは内勤業務が大嫌いなくせに、ベアトリスが手伝うとあれこれ口を挟んで来るのだ。彼の仕事の肩代わりは一向に構わないので、せめて冬のナマズのように大人しく黙っていて欲しいものである。
執務室は無人だと、誰もが思い込んでいた。そのため文官がノックをせずにドアを開けたのも、当然の流れだった。
しかし執務室には、人がいたのだ。部屋の主であるエドワードが。
彼はパンツ一丁になり、床で四つん這いになっていた。そんな彼の背中に、鞭を持った女の子が片足を乗せている。ちなみに彼女は黒革で出来た、下着のような煽情的な――ベアトリスが後に調べたところによると、ボンテージなる衣装に身を包んでいる。
両陣営は束の間、無言だった。どちらも目と口をかっぴらいたまま、固まっていた。
最初に復帰したのは、ベアトリスだった。彼女は頬に手を添え、憂い顔でゆっくり首を振る。
「殿下。そのような下世話なご休憩は、どうぞご自身の寝室でなさって下さいな。ヒョロヒョロで真っ白なお体を白昼堂々とお見せになられても、不愉快なだけですわ」
この言葉に、エドワードの真っ白な肌が赤くなる。彼が履いているパンツも赤色なので、奇しくもトータルコーディネートの完成だ。
彼はその勢いのまま、猛然と二足歩行に戻った。
「言うに事欠いて、ヒョロヒョロとは何だ! 貴様、キティを侮辱するなぁ!」
「あら、嫌ですわね。今のはそちらのキティさんではなく、殿下の無筋肉ボディへの軽口でしてよ」
「貴様のような筋肉だるま一族の末裔の基準で、私の容姿を侮辱するな!」
むしろキティ嬢はしなやかに引き締まった、いい手足をしているし姿勢もいい。城内に数多いる侍女の中でも見覚えのある顔と名前なので、きっと普段は働き者なのだろう。
そんな彼女も羞恥心で赤くなりながら、エドワードから少し離れた場所でうなだれていた。ベアトリスは文官からコートを奪――否、借りて彼女の肩にかける。
「殿下、お小言は後ほど拝聴いたしますので。まずキティさんには、服を着せて差し上げませんと」
言外に「お前は裸でいろ、面白いから」と言ったのだが、果たして伝わったのか。いや、エドワードには全く伝わっておらず、彼女の嫌味よりもずっと手前の水際でふてくされる。
「貴様はいつもそうやって、自分が一番正しいという顔をするのだな……口も減らず、忌々しい」
「淑女のおしゃべりは武器ですもの。これこそが、貴婦人たちの行き着く最終形態でございますわ」
「嘘を言え! 母上は普段は大人しいではないか!」
ちなみに怒ると、誰よりも怖い。ぶっちゃけベアトリスの父よりも怖い。
「王妃殿下におかれましては、貴き例外でいらっしゃいますので」
「ならば貴様も見習え! 腐っても公爵家だろうが!」
「ええ、わたくしは公爵家の末席にいる身ですわ」
ベアトリスの声の温度が、下がった。
居心地悪そうに廊下の壁に寄っていた、文官と近衛兵が目をまたたく。エドワードも怪訝そうに、細い眉をしかめた。
「貴様、どうしたのだ? ちょっと怖いぞ」
「ねえ、殿下――わたくしは公爵家の者として、強固で極太な実家に寄生しながら甘い汁を吸って来た身である、と自覚しておりますの」
「そ、そうか。なんだかカブトムシみたいだな」
「そうですわね。おかげで売値が上がるよう、美しく健やかに育てていただきましたわ」
ベアトリスはえへん、と胸を反らし、エドワードは白けた表情を浮かべる。
「よくもまあ、照れもなく自分を美しいと言えるな……」
「だって事実ですもの。わたくしはそんな樹木改め実家のため、殿下との結婚にも誠意を以て臨む所存です。ですので殿下も、ほんの少しだけで結構ですので、誠意を見せていただけませんか?」
エドワードは床に散らばっていたズボンに手を伸ばした姿勢のまま、鼻を鳴らす。ちなみにキティにはお仕着せ一式を渡し、すでに退室させている。
「……なんだ? 結局金が欲しいと?」
「いいえ。お金でしたら、大木の実家であり余っておりますわ」
「ではなんだ? 土地か? 顔のいい下男でも欲しいのか?」
「いいえ。殿下との決闘の権利ですわ」
「はぁっ!?」
エドワードはギョッと目を剥き、のけぞった。履きかけだったズボンが、その拍子に足首まで落ちる。
ベアトリスは落ちたズボンを目で追いながら続けた。
「決闘の方法は、殿下が選んで下さって結構です。剣術でもボードゲームでも徒競走でも、何でも構いませんが、勝敗が一目瞭然の方法でお願いいたしますね」
「いや、貴様、それ――」
「そして、もしもわたくしが殿下に勝利出来た際には、こちらの秘密のご趣味を公にしていただけませんか?」
この条件に、エドワードが怒鳴った。
「何故そんなことをせねばならぬのだ! この私が!」
「このような倒錯的な趣味をお持ちの方と、常人であるわたくしとの閨が上手く行くとは思えないから、でしてよ。よりあけっぴろげに申し上げれば、ノーマルな催しではそちらがご起立なさらないのではないか、と危惧しておりますの」
ベアトリスはそう言いながら、エドワードの赤パンツの中央を指さした。エドワードは慌てて内股になり、股間を両手で覆う。
「あっ、あああっ、あけっぴろげ過ぎるぞ! 貴様に慎みはないのか!」
「わたくしがお子を授かれぬ出来損ない、と謗られるかもしれませんもの。慎みなんてかなぐり捨てますわ」
さすがのエドワードも、自分の性癖が倒錯的である自覚ぐらいはあるらしい。ぐぬぬと歯噛みするも、反論を絞り出せずにいた。
ただ、代わりに一つだけ問うた。
「……私が勝った場合には、どうするのだ?」
「もちろん殿下のご趣味は、生涯秘匿いたしますわ。いざという際には、石女といった前時代的な呼び名で蔑まれる覚悟も完了いたしましょう。もちろんキティさんとの関係にも、一切口を挟みませんとも――ねえ?」
最後の問いかけは、文官たちに向けてのものだった。当事者の婚約者様にそう言われては、彼らも頷くしかない。
それに彼らは、どのような競技でもベアトリスが勝つと確信していたし、エドワードがボロ負けした末にマゾっ気を告白する瞬間も見たかったのだ。
なにせ勉強も運動も事務作業も大嫌いなこの王子は、恐ろしく顔がいい上に社交性だけはピカイチだった。
そのため、国民からの人気は高いのだ。また相手の懐に入って甘えるのも得意なため、交渉や外交も案外上手い。
よって「ちょっぴりお馬鹿だが、愛すべきキラキラ次期国王」というのが、一般的な彼の評価なのだ。エドワードの尻拭いに日々追われている文官や、そんな光景を見ている近衛兵からすれば、かなり腑に落ちない好評ぶりである。
変態イケメン王太子と小馬鹿にされるぐらいで、ちょうどいいだろう。
***
エドワードはこの日、
「貴様の言い分は理解した……であれば、決闘の方法や日時を検討したい。だから後日、また登城してくれ」
と煙に撒いてベアトリスを帰らせた。彼女も、駄目で元々の申し出であったので素直に従った。
しかしその数日後には、彼女がエドワードの元学友のキティ嬢に事実無根の疑いをかけて暴行を働いた挙句、殺し合いの決闘まで強要したという噂が出回り始めたのだ。
出所のあまりの分かりやすさに、当事者であるベアトリスは笑うしかなかった。
だって彼女は、キティ嬢がエドワードの学友だなんて知りもしなかったのだ。




