第六十話 荷は夜明けを待たない
夜明け前。
港には、すでに何十人もの人足が集まっていた。
提灯の明かりだけが、静かな海を照らしている。
「若旦那。」
庄吉が眠そうな目をこする。
「まだ船も着いてませんよ。」
「ああ。」
俺は港を見つめたまま答えた。
「だから来た。」
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しばらくすると、一人の老人が歩いてきた。
津田屋宗玄だった。
「ほう。」
「そなたも気付いたか。」
「ええ。」
俺は笑みを返す。
「勝負は船が着いてから始まるんじゃない。」
「着く前に始まっている。」
宗玄も満足そうに笑った。
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やがて水平線の向こうに帆が見えた。
「南蛮船だ!」
港が一気に活気づく。
人足たちが駆け出し、荷車が並び始めた。
しかし。
そこで俺は荷車を動かさなかった。
「若旦那?」
庄吉が不思議そうに俺を見る。
「まだですか?」
「まだだ。」
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船が岸壁へ着く。
縄が渡される。
荷揚げが始まる。
その瞬間、港は混乱に包まれた。
「こっちだ!」
「いや、先に反物だ!」
「酒樽を運べ!」
荷車同士が道を塞ぎ、人足たちが互いに怒鳴り合う。
積み荷が岸壁に山のように積み上がっていく。
庄吉は目を丸くした。
「すごい人です……。」
「だから動かない。」
俺は静かに言った。
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「庄吉。」
「はい。」
「見てみろ。」
俺が指差したのは、港の出口だった。
荷車は皆、岸壁のすぐ横まで乗り入れている。
その結果。
帰る荷車。
入る荷車。
人足。
商人。
すべてが一か所へ集中していた。
「渋滞だ。」
思わず前世の言葉が漏れる。
「じゅう……?」
「道詰まりだ。」
「なるほど。」
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「荷車を三十間後ろへ下げる。」
「え?」
「岸壁まで人足が運ぶ。」
「荷車は出口だけ担当する。」
庄吉は目を見開いた。
「そうか!」
「荷車を中へ入れなければ……。」
「道は空く。」
「その通り。」
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山本屋の人足たちは、荷を肩へ担ぐ。
岸壁から荷車までは歩いて運ぶ。
荷車は積み終わると、すぐ市場へ向かう。
空になれば戻る。
岸壁へは入らない。
その繰り返しだった。
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昼前。
混雑していた港に、少しずつ変化が現れる。
「あれ?」
「山本屋の荷車だけ止まらないぞ。」
「次がもう出た!」
「早い!」
堺の商人たちも驚き始める。
宗玄は腕を組み、静かに笑っていた。
「なるほど。」
「荷車を運ぶのではない。」
「流れを運んでいるのか。」
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昼過ぎ。
勝負は決した。
山本屋の荷は、予定より一刻も早く市場へ届いた。
一方、多くの商人はまだ港で荷を積んでいる最中だった。
庄吉が興奮して駆け寄る。
「若旦那!」
「終わりました!」
「全部です!」
「ご苦労。」
俺は人足たちへ頭を下げた。
「皆のおかげだ。」
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夕方。
宗玄たち会合衆が集まる。
「勝者。」
宗玄がゆっくり口を開く。
「山本屋。」
誰も異論を唱えなかった。
むしろ商人たちは笑っている。
「負けた。」
「だが勉強になった。」
「岸壁へ荷車を入れないとはな。」
俺は首を振る。
「皆さんの港だからこそ思いついたんです。」
「人が多いなら。」
「人を使う。」
「荷車が多いなら。」
「荷車を減らす。」
「場所に合わせる。」
それだけだった。
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宗玄は静かに立ち上がった。
「約束通り。」
「今日はそなたから学ぼう。」
「代わりに。」
「明日は我らが教える番だ。」
俺は笑顔で頭を下げた。
「お願いします。」
商売に勝ち負けはある。
だが。
学ぶことに終わりはない。
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その夜。
港を歩いていると、一人の南蛮人が近づいてきた。
見覚えのある顔だった。
「ディエゴ?」
以前、米を買い付けに来た南蛮商人だった。
「ヒサシブリ、ヤスケ。」
片言の日本語で笑う。
「オモシロイ、ハナシ。」
「聞きマシタ。」
「何ですか?」
ディエゴは懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
そこには、日本近海だけではない。
さらに西の海まで描かれた巨大な海図が広がっていた。
「モット、ヒロイ、セカイ。」
「ミテミマセンカ?」
弥助の物流は、ついに日本という枠を越え、海の向こうの世界へとつながろうとしていた。




