参拾
クウィンシーが満足気に眠りに付いた頃、今まで起きたことを整理してみようとしていたら部屋がノックされた。カーテンの向こう側でノックされているので、俺が許可を出していいのか分からなくてシュレンセ先生を見る。ニコッといつもの笑顔を向けつつ、見て来ますねと言って向かってくれた。
戻ってきたシュレンセ先生の後ろにはタイタンが。やっぱ寝てなかったんだなぁ。まぁ、狼って夜行性だし、ウェアウルフ族だって恐らく夜行性だろうから。
何か用があって来たんだろうに、いつものように無口である。お前の寡黙さはロイド並みだな。純一も寡黙だけど、会話を成立させてくれるだけまだマシだ。
じぃっとこちらを見るばかりで何も言わない。正直いつものことだから、放って置く。それにしても、このはちみつ入りホットミルク美味いなぁと気が緩んでいたら。
「あいつ殺す」
開口一番が物騒すぎる。待たされた挙句出て来た言葉が殺人宣言かよ。
まぁ、誰のことを言っているのかは分からないでもない。恐らくアルテミス先輩のことを言っているのだろう。にしても、ここに来るまでにずっとそんなこと考えてたのかよ恐ろしいな。
庇うわけではないけども、一応言って置いた方が良さそうだ。
「アルテミス先輩は何か目的のためにやっていたことみたいだし、殺意はなかったぞ?」
「それでも殺す」
殺意が増した。何故だ。
ウェアウルフ族は、魔法族との平和協定で人を殺さないことを約束していたし、ウェアウルフ族が脅威に立たされた状況ではない場合の殺人は確かアウトだったはず。それは他の魔族と魔法族との平和協定にも書かれている一文じゃなかったか?
それでなくとも殺人は駄目なんだが。
「そもそも、俺を殺そうとしてたのはディクテリア先輩の方だったし」
「二人共殺す」
倍増する殺意。駄目だこりゃ。
お前の辞書に、殺すって言葉は命を奪うという意味だってちゃんと書いてあるか? なんか、殴るとか蹴るとかそういうものまで含んでいないだろうな? もはや、コロスという名の別の意味を持った言葉があるんじゃないかと思ってしまうほどその言葉しか言わない。
「落ち着けって。大体、スヴェンがいたから大丈夫だったし」
その前に俺が魔法を発動させたけどな。詠唱省略とは驚いたけど、俺の前世が役に立った気がする。出来ればもっと早くに役に立ってくれてれば良かったが。
しかし、どうやって医務室からあの場所に行ったのかという疑問がまだ解決していないんだよな。医務室から並行世界の狭間へ移動することなんて可能なんだろうか? やはりここは、アナログな方法だがランドリーボックスに入れて移動させたとかなのか? 推理物の定番だよな、ランドリーボックスに入れて死体を運ぶやつ……俺は死体じゃない!!
よくよく考えればクウィンシーもいるのにその方法は無理だと悟る。やはり転移の魔法か? でも、学園の外への転移の魔法は校長先生かシュレンセ先生以外は使ってはいけないはずだ。現に、他の人が使うと警報が鳴るはずだし……待てよ?
「シュレンセ先生」
「何でしょう?」
「学園の外への転移は校長先生やシュレンセ先生しか使えない魔法ですけど、学園の敷地内だったら誰でも可能だったりします?」
学園の絶対的安全を信じて疑わない理由は、学園外への転移が許されている人が限定されていることと、死の危険のある魔法が許可されていないからだ。だが、学園の敷地内であれば、命の危険のない転移の魔法ぐらいは可能になるのではないか?
今までは校舎内だけが転移の魔法が使えるものと思っていたが、広大な敷地内の何処であっても転移の魔法が可能だったのだとすれば、敷地内にはいくつか建物があるはずだからもしかしたら……
「そうですね。その可能性は私も考えていました。学園の敷地内であれば、転移の魔法は誰でも使えます」
「ただし、校舎内から並行世界の狭間への移動は無理、なんですね?」
「そのような空間があることも知りませんでしたけどね。ただ、校舎内においては命の移動が確認されない状況を許可されていないことは確かです」
校舎内はとても広い。その移動を簡単にするための手段として転移の魔法は存在する。以前、皇凛が医務室の薬剤をかすめ取るために使った不正ルートが正に転移の魔法だったわけだが、危険の伴うものだからと封鎖されていた。
未熟な魔法使い達が、少しでも自分達の移動を楽にしようと勝手に作っている道が、果たしてどれだけ存在するのかは未だ確認できていない。医務室へと繋がるルートは確認されているだけで3つで、その3つ共が不正ルートに指定されている。間違いなく、他にもあるだろうな。
校舎の外へ直通できる手段はないわけだから、俺を医務室から校舎内のどこかへ転移させ、校舎の外へ連れ出した後で敷地内のどこかの建物へと転移させたということなら、そこから並行世界の狭間へと連れ出すことも可能だろう。ただし、その間クウィンシーが大人しくしている必要があるが。
ドラゴンは、身の危険を寝ていても察知できる。それなのに、警戒をする間を与えず大人しくさせる手段なんてあるのだろうか。
「クウィンシーがいる限り、俺を外に連れ出すことは不可能な気が」
「方法ならある」
なんだって!? コロス以外の言葉をしゃべっただと!? じゃなくて。
久しぶりに会話する気になったかタイタン。ずっと一方通行の独り言を言い合うだけになるのかと思っていたが。
方法がある、とは一体?
「どんな方法だ?」
「魔族は皆嗅覚がいい。究極に臭いにおいを嗅がせれば、戦意も何もない」
嘘だろ? そんなアナログな手段なのか? 確かにさっきのクウィンシーは、臭い薬のせいでこの世の終わりみたいな顔してたけど。
ウェアウルフ族は言わずもがな、狼を起源として人狼化しているから鼻がいいし、ヴァンパイア族は夢現界の言い伝えでニンニクが弱点だと言われるほど敏感である。とはいえ、本当にニンニクが弱点かと言われるとそうではない。単純に臭いものを総じて苦手とするだけでな。
まぁ、成程? マジでシュールストレミングで気絶しちゃうってこと? 前に皇凛がとんでもない臭いを放つ薬を俺に差し出してきたことがあったが、二度と俺の前に悪臭のするものを出してくるなと言わないといけないな。ただでさえ皇凛の好奇心に満ちた目に警戒しているクウィンシーが、皇凛嫌いになり兼ねないから。
単純な魔力量だけを考えればドラゴン族の方が上なのに、魔法族相手に劣勢を強いられたのは多勢に無勢だったからだと考えていたがそうではなかったのかもしれない。まさかまさかに臭い玉を投げつけられて劣勢を強いられていたとは、酷い話である。
臭いにおいの立ち込める戦場を想像して、顔を顰めてしまう。ついでとばかりにさっきの薬の臭いを思い出してしまって辛い。魔法族と魔族の戦いが臭いから始まり臭いで終わっていたら、ある意味地獄絵図だろう。魔族じゃなくても辛い戦場だ。
それはともかく、臭くて気絶してたらどうなるのだろうか。
「気絶してたら、ドラゴンの警戒フェロモンは出ないってことだよな?」
「こいつ自身からは出ないだろうが、今のドラゴン族は警戒網を強いている状態だから、仲間のドラゴンの気配が無くなったら他のドラゴン達が不審がるはずだ」
「だから、並行世界の狭間に移動したってわけか」
最近はクウィンシーやタイタンが傍にいるからと、ドラゴン族やヴァンパイア族の護衛は手薄だった。その上学園内にいるという安心感から、警戒が緩んでいたことは確かだ。まさかその判断が、こんなことになろうとは思いもしない。
クウィンシーを気絶させたことにより俺の移動は簡単になったが、逆にドラゴン族を刺激する可能性がある。ドラゴン族の疑念が確信に変わる前に、彼等が手の出せないところへ俺を移動させる必要があったからこその並行世界の狭間ということなのだろう。
そうまでして俺を眠らせたかったという彼等の行動には何の意味があるのか。そもそもディクテリア先輩は完全に俺を殺す気だったんだけど、アルテミス先輩との目的の違いとは一体何だったのか。今日一日の出来事を振り返ってみても、何処に重点を置いて考えるべきか分からない。ただ、起きるべくして起きたことのような気がする。
聖獣の王ディザイアの予言の”序章”というが、ここに来て意味を持ち始めた。始まったのだ。何かが。
俺達は目に見えないそれを”覚悟”して立ち向かわなければいけない。正直怖いけど、前世の能力を借りながらやってみるしかないだろう。どこまで出来るか分からないけど……
「大介くん」
「大介」
視点を下げて考え事をしていたら、二人に名前を呼ばれる。その瞳は、俺と同じ意思を宿していた。
そうだ、大丈夫。俺は一人じゃない。支えてくれる人達がいる。心配してくれる人達がいる。なんとしても、この幻想界の危機を救わなくてはいけない。俺に出来るすべてで。




