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授業も終わって帰り支度を整える中、クラスメイト及び友人達は、未だ歓迎祭の話で大盛り上がりだった…特に皇凛と蒼実。
俺一人、気分がだだ盛り下がりなんだが…
「あぁ~明日からの歓迎祭、たっのしみぃ~!」
「僕も! 特に夢現界散策なんて滅多に行けないから、尚更だよね」
「うんうん! やっぱり、夢現界散策が一番の見所だよね」
「そうだよね! 生粋の幻想界育ちは夢現界に行く機会なんてほとんどないし、歓迎祭の日が来るのが楽しみで楽しみで! パパに聞いた話だと、日々目まぐるしい進化を遂げているんだって」
「あ、それ俺も父さんから聞いた! 中でも、かでんせいひんっていうのが凄いらしいよ! わくわくするよねぇ!」
「うん!」
歓喜に打ち震える彼等を尻目に、家電製品をそんなぎこちなく言っているの初めて聞いたなぁと現実逃避。
キャイキャイはしゃいでは、どんどんテンションが上がっていく二人。俺が幻想界に夢を抱くような人間だったなら、その気持ちを理解できたかもしれないが…残念ながら、俺の性格ではそもそもそういう機会は巡って来そうにない。
尚もはしゃいで大興奮し続ける二人の勢いはしばらく止みそうになく、このままだと帰宅すらしなさそうなので一応声をかける。
「おい、俺はもう帰るからな」
「あ、待ってよ大介」
「待って待って」
「…早くしろよ」
置いて行こうと思っていたけど、まぁ急ぐ用事もないし待ってやることにした。
いつものメンバーで正門をくぐる際、生徒を見送りに来ていたラクター先生を見かける。改めてこの場で二時限目の謝罪をすれば、先生は、律儀な奴だなと苦笑気味に言って頭を撫でてくれた。
多分それは日本人の特性ですとか返しながら思ったのは、多感な時期の複雑な心を持った少年の頭を撫でるのはよした方がよいのでは、ということ。人によっては、子供扱いすんなって憎まれ口が返ってくるだろうからな。
まぁ、俺ほど身長が低いとそうなっちゃうのかもしれないけど…って、何自虐してんだ俺。抗いようのない事実なだけにちょっと凹みつつ、ラクター先生にさよならを言って正門を抜ける。
外壁に向けて首をもたげつつ、帰宅する生徒達を優しい眼差しで見送るエンシェントにも勿論挨拶。
「さようならエンシェント」
「ほぉほぉほぉ…はい、さようなら。獣に出くわさんように、気を付けなされよ」
「はい」
気遣う台詞にお辞儀で返しながら、早々に学園を後にする。学園を出て10分ほど、住宅街へと続く道と、『潤しの源泉』へと続く道が現れる。普段なら、皆と別れて『潤しの源泉』に一人で向かうところなのだが、何故か皆、見送りたいと言うので寮生の純一以外は俺について来ることになった。
因みにロイドがついて来るその理由は…蒼実のボディーガードです。
『潤しの源泉』への道の途中、もう少しで到着するというところで、先を行く生徒達が困惑気味に立ち止まったり時々振り返るなどしていた。三年生は三時限目までしか授業を受けてないから既に居らず、つまり、今ここを通っているのは二年生ということになるのだが…
一体どんな不測の事態なのだろうか。
「なんだ、どうしたんだ?」
「あ、それがさぁ…」
クラスメイトの一人が振り向きざまに身を引いたその先には…見覚えのあるものが。大きさは俺もよく知るアレの大きさに匹敵するが、アレと違ってちゃんと楕円であり一方がとんがりめな形をしている。
殻は厚めだが、ハンマーで何回と叩かないと割れないほど厚いわけでもなく…って、さっきからアレアレって言っているのはダチョウの卵サイズって言いたいわけだが、明らかにそれとは違う。
だってここは幻想界。夢現界ではないのだ…ということは?
「ドラゴンの卵、だな」
という結論に至るわけ。認めたくなくてもここは幻想界、幻獣の宝庫。そこに来てダチョウの卵、と言っても、何それ、と返ってくるのがオチなのだ。
それにしても、何だってこんなところにあるんだろう?
「てか、この卵どうする?」
やっぱ先生方にことのことを知らせた方が…とか続けようとした言葉は出る間もなく次の行動に出なければならなかった。
何故なら皇凛が、金槌を持って無邪気な顔で残酷な言動を取ったから。
「割っちゃおうよ!」
「!? 待て!!」
寸でのところでなんとか止めたけど、後もうちょっと遅かったらお仕舞いだった。こいつはホント、何をしようとしてるんだ。肝が冷えたって言うか、寿命が縮まったじゃないか。
しかし皇凛の奴、自分が犯そうとした過ちの重大さに気付かず不平不満を。
「いいじゃん、いいじゃん。俺ずっと前から、ドラゴンの卵のエキスが欲しかったんだよ」
「ふざけるな。死んでるんならともかく、生きてるかもしれないのにかち割る気か?」
魔族ながらもとても希少な保護動物として保護対象に指定されているドラゴンの、それも無防備でか弱い卵を割ろうとした皇凛の奇行。寿命が一年ほど縮まるほど焦ったってのに、由に事欠いて反省の色もなくそんなことを言うだなんて、一体全体どういう神経なんだ?
あまりな皇凛の言動に見守っていた友人達やクラスメイトもフォローのしようがなかったらしく、皇凛にくどくどと説教をし始めた俺を止める者はいなかった。
延々とお説教を続け、すっかり元気を失ってしまった皇凛に最後の念押しをし、再度皆に意見を伺う。
「で、この卵どうする? やっぱり先生のところに持って行った方がいい?」
「そうだね。そうした方がいいよ。このままここに置いてても肉食の獣の餌食になるだけだし」
「ぼ…僕も、そうした方がいいと、思う」
「だよな」
ちゃんとしたまともな意見が返ってきたのでほっとし、また学園まで戻るのかぁ…と内心がっくりした。しかし、どうやって卵を運ぶべきか…
サイズの分だけ重みも増したそれを無事に運ぶにはどうすべきだろう?
悩んでいると、蒼実がおもむろに自分のローブを地面に敷いて、そこに卵を置いて一緒に運ぼうよ、と提案。なるほど、緊急時に怪我人を運ぶ要領と同じというわけだなと感心しつつ、卵をそこに乗せた。
一体いつからあったのか、かなり冷え切って弱る一方の卵。誰も手を差し伸べなければ、野に打ち据えられたまま息絶えていたのかと思うと、途端放って置けない気持ちになった。
学園に戻って正門でエンシェントにこのことを尋ねると、シュレンセ先生に頼めばなんとかしてくれるはず、とアドバイスをくれた。
しかしその際、卵に息を吹きかけるという不可解な行動に出ていたのだが…まぁそんなことはさて置き、事は一刻を争う事態だと、急いでシュレンセ先生の元へと向かう。シュレンセ先生の研究室に向かえば会えるはずだとエンシェントに教えてもらったので、卵を落とさないよう慎重に運びつつ、足早に研究室を目指す。
後もう少し、のところでちょうどシュレンセ先生を発見し、声を張った。
「シュレンセ先生!」
研究室へ向かわんとする先生の背中に声をかけると、先生は後ろを振り返って朗らかな笑みで迎えてくれた。
「皆さんお揃いで…どうしたのです?」
「実は…このドラゴンの卵が、道端に落ちていまして…」
「これは、ファイヤードラゴンの卵ですね。それも常温…かなり弱っているようです」
俺と蒼実で先生の前へ突き出すと、卵をそっと撫でながら憂い顔になる。
パチリと指を鳴らして、ふわっふわの毛布の敷かれたバスケットを出現させたシュレンセ先生に指示されるまま、卵を割らないよう慎重に卵を乗せた。再び指を鳴らしたシュレンセ先生の術で、宙に浮いたバスケットの中で弱りきっていた卵が発熱。ぶわっと一気に高温になった。
見る見るうちに赤々と変化して、まるでマグマのように黄色みがかっていく。どう見てもこれは、ゆで卵とかそういうレベルは超えているように見えるが、元々ファイアードラゴンの卵が孵化するのに必要な温度が1000度だと聞いていたので、実はこれが彼等のとっては常温なのかもしれない。
とても信じがたい光景ではあるが…
そういえば、ファイアードラゴンの抱卵では、ごくたまにマグマに浮かべるという方法があるとかないとか聞いてたけど…普通だったらその瞬間にご臨終決定だろう。とても熱くて、傍にいるだけで火傷しそうなほど放熱していることに配慮したのか、先生はまた指を鳴らしてバスケット毎消して見せた。
多分その一瞬で、研究室のどこかに移動させたのだろうと推測。
因みに、シュレンセ先生のこの指を鳴らして魔法行使するという方法は一般的ではなく、実際シュレンセ先生以外で出来る人はいない技だという。
普通の魔法使いでいうところの詠唱呪文に値するこの指パッチンは、独学で魔法を習得した際に得たもので、実は自分でも何故出来るようになったのかは分からないのだとか。未だかつて、習得しようと試みて成功した者は居らず、この世で唯一それを実現した人だと言われている。
本来、詠唱呪文なしでの魔法行為自体存在しないとされているが、そのあり得ないことをやってのけたという意味でもシュレンセ先生は歴史的快挙の一人として知れ渡っており、故に偉大なる錬金術師と言われている。
詠唱呪文や、すでに力の宿った特殊な素材を使う際、どうしてもその言の葉、及び魔力の性質に合わせたものしか魔法行使ができないとされているのだが、シュレンセ先生はその定説を打ち破り、どの魔法行使においても同じ動作をするだけでやってのけてしまう。
彼が生きた伝説と称される所以でもある。
実際、何事もなく簡単にやっているように見えて、相当の鍛練と集中力を要する究極の技なのだと、日々の勉強の中で身に沁みて分かってきたしな。
だからこそ、尊敬せずにはいられない。先生は本当に偉大だなぁとか感動仕切りだったのに、こんな時にあのお方のお声が聞こえてきて…
「おや、シュレンセ先生。ここにいらっしゃったのですね。お探し致しましたよ」
「アルスター先生」
お貴族様のごとーじょーです。シュレンセ先生目当てでやってきただけの不純な教師が、前触れもなく現れた。
ここに現れたってことは、目的は一つしかないのだろう。
そのお目当てとはやはり…
「探していた…とは、私に何かご用事でも?」
「えぇ、とても大事な用でして」
一体どんな用だって言うんだか。
うっとり顔でシュレンセ先生を見下ろすアルスター先生からは、糖度過多な雰囲気が胸焼けがするほど立ち上っている。ナチュラル且つ確実にシュレンセ先生との距離を縮めて、よりにもよってシュレンセ先生の腰に手まで回し引き寄せている。
うん、どうやら早々に退散させて頂かなければいけないようだな。頼むから、そういうことは外野のいないとこやってくれと切実に思うのだが、完全に俺達をアウトオブ眼中なアルスター先生には汲み取ってもらえないだろう。
ていうか、口で言わなきゃ分からなそうだけど…
てか、今すぐここから逃げたいのに、あろうことか友人達が動かない。前方に先生方、左右に友人、後方にも友人とくれば……絶体絶命だろう。
しかも右隣にいる皇凛は俺の腕をがっちり掴んでいるし、左隣のシャオファンも俺のローブを掴んでいる…一人で逃げようにも逃げられない。誰か、助けてくれ!
そんな思いも虚しく、目の前では昼ドラのような光景が繰り広げられていた。
「それは一体、どんなご用で?」
「貴方という儚く高貴なお方と巡り会えた奇跡とこの想いを貴方に伝え、成就するという大事な用です」
「それで、探していらっしゃったのですか?」
「えぇ。これは私の、義務ですから」
だから、それは一体どんな義務だっていうんだ。というか、こんなにあからさまに口説かれていながらその意図をスルーって、鈍すぎにもほどがある…
片や熱っぽく見つめて口説きモード、片や鈍感に普通の対応…どうしてこんなことが起こり得るのか、是非ともご本人達に聞いてみたいものだ。
というか、彼等はいつまでこの状態なんだろう。そして俺達はいつになったら、帰れるんだろうか。
「あぁ、本当に…なんて美しい相貌なんでしょう。絹のように肌理細やかな白、エメラルドを嵌め込んだかのような美しい瞳、東洋の島国の春に咲く花の色ような麗しい唇、そしてその身を巡る高潔なる王家の血。その細い首筋に牙を付き立て、純潔の赤い薔薇で喉を潤したい…」
って、この場で吸血する気かこの人!?
ヴァンパイア特有の眼孔の開いた瞳で、シュレンセ先生の首筋を見つめるアルスター先生。今にも食らいつかんと顔を近づけていくアルスター先生の強行姿勢に、危険信号が灯る俺。
これは止めないとやばいけど、ヴァンパイア相手に下手に行動を起こせば俺達殺されるかも。どうすればいいんだ!?
慌てふためく俺の心情は皆も同じだったのか、皇凛もより一層俺に掴まり、シャオファンもローブを持つ手に力が篭っていた。逃げられもしないし助けられもしない、この状況をどうすればと思っていたら…頭上を何かが通過した。
それが何なのか確認するより先に、アルスター先生の指の間に何かが挟まっていた。先程までの甘々な雰囲気を引っ込め、俺達の頭上の彼方を睨むアルスター先生。その瞳はまさに、ヴァンパイアの狩りの瞳だった。
思わず竦み上がって動けなくなっていると、背後から声が響く。
「我が主への無礼は許さんぞ」
「おやおや、それは聞き捨てならないねぇ。私はシュレンセ先生に無礼を働いた覚えなどないのだが」
「黙れ、この道楽貴族!」
この台詞とこの声…まさかまさかの、あの人ですか? またまたバトル勃発?
今すぐ帰りたいんですがぁ…




