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シーリア共和国 ― Searear Republic ―

 シーリア。正式名称はシーリア共和国。その名のとおりメディウス海と呼ばれる内海を背にして発展した世界屈指の商業国家だ。

 アストリア、バルティアという二つの大国に挟まれながらも、商いを通じて両国間の友好の架け橋となっていた。先日アストリアがグラントに攻め落とされたため、現在は緩衝国として機能している。この国が存在していなかったらとっくの昔にバルティアはグラントに宣戦布告していることだろう。

 行商が建国したという経緯もあってか、多くの国が王政を敷くこのイーリアス大陸にあって数少ない共和制国家となっている。その実体は自由都市と呼ばれる十三の自治体から成り、そのすべてが独立しており上下関係がない。現在自由都市の一つであるアッシャームが十二都市の信任を受けて海外への対応を一手に担っているため、ここが事実上の首都ということになる。

「ああ、そんなに緊張しなくていいよ。もっとリラックスしてくれ」

 そのような場所に形だけはいえ賓客として招かれている以上、緊張するなというのが無理な話なのだ。

 アッシャーム中央市役所の市長室にて私は、直立不動の姿勢でアランから辞令が下るのを待っていた。

「何度も言うけど、うちは共和制で僕はただの市長だからたいして偉くはない。家は建国者をご先祖様に持つ名家だけどね」

 そういうあなたこそ車内での無礼な態度に比べればずいぶんと殊勝じゃないか。

 アランはご大層な机があるにも関わらず立ったまま私と会話していた。自室とはいえ公務の場では最低限の礼は失さないらしい。

「先ほどすべての事務手続きが終わった。これで君は正式にアッシャーム市民だ。納税の義務さえ果たせばこの市にあるすべての公的機関を自由に利用することができる」

「すべて……市長のおられるこの市役所もですか?」

「もちろん、人も施設も好きに使ってくれ。僕たちは公僕だからね」

 聖グラント帝国の首都グラントではそのような権利は認められていなかった。この一点だけでもアッシャームが自由都市と呼ばれる理由がわかる。

「同時に君はシーリア軍の傘下に加わった。これからは君も公僕としてシーリアの発展ためにその身を捧げる責務がある」

「国に、ですか。市長自身ではなく」

「そうだ。シーリアの騎士が使えるのは個人ではない、国そのものでありその国を支える市民だ。もちろんこれは建前ではない。そもそも私の市長としての任期はもうすぐ終わる」

 もちろん再任する気は満々だけどねとアランは笑った。

 てっきり自分の軍閥に加入させる腹積もりかと思っていたが……つくづく変わった国だ。団長が来たらここをどう思うだろうか。あのひとは王族だけど、あまり権力にこだわる人ではなかったから、もしかしたら理想の国だと喜ぶかもしれない。

「それではさっそく歓迎会を……と思っていたのだけど、今日は色々あって君も疲れただろう?」

 疲れることなどあったかな。

 今すぐ任務を命じられても喜んで受けるが……まあここは、お疲れ気味の市長の青い顔を立てておくか。

「こちらも今朝の件の後始末があるし、君も事情聴取で警察に出頭しなければいけないと聞いている。今日のところはこれにて解散としよう」

「お気遣いありがとうございます。では人を待たせていることですし、そろそろお返し願えませんでしょうか」

「返す? いったい何を?」

 何故そこですっとぼける。手荷物を除けば私があなたたちに預けたものなどひとつしかあるまい。

「もちろん剣のことです。聖帝より賜った騎士の証――あれがないと私は外を出歩けません」

 騎士の証として団長からいただいた大事な大事な私の愛剣。戦闘終了後に警察に押収されてしまったが、私の所有物であるということは説明してくれているはずだ。

「剣? ああ剣か、すっかり忘れていた。ちょっと待っててくれ」

 アランはパーカス殿に指示を飛ばし備え付けの通信機でどこかに連絡を入れさせる。

 通話先としばらく会話するとパーカス殿は静かに受話器を置き、とても穏やかな声でアランにこう伝えた。

「マーガレット殿の剣はすでに軍施設に輸送され大事に保管されているそうです」

「……だそうだ。これで安心だね」

 ――は?

「ちょ、ちょっと待ってください! あれは軍とは無関係の私の私物であって――」

「悪いけど、シーリアでは武器の個人所有は禁止なんだ。たとえ騎士といえども帯剣は許可できない」

「しかし、あれがないといざというときに我が身を守れません」

「君は魔法使いなのだろう。自慢の魔法で身を守ればいいだけじゃないか」

「そ、それはそうですが……剣は騎士としての名誉であり誇りなのです。帯剣は無理にせよ、せめて手近に置くことぐらいは許可してもらえないでしょうか」

「できない。イコールを民間開放している以上、武器のほうを規制しないと国の治安が維持できない。もちろんこれは魔力を帯びない銃剣類も例外ではない。これは十三の自由都市共通の法律だ。君もシーリア国民になった以上法には従ってくれ」

 ぐうの音も出ないほどの正論だった。

 団長との思い出の詰まった大切な品だが、これはもう大人しく引き下がるしかない。

 それから少し間を置いてやってきた警察官に連行されて、私は意気消沈しながら市役所を出た。

 街中巡回用の魔動車に乗せられて私は警察署へと向かう。

 それにしてもまあ……なんという奇怪な風景か。辺りを見渡せばビルと呼ばれる四角い箱が規則正しく立ち並び、足下にはアスファルトと呼ばれる固体物質でビッシリ舗装された道路が、まるで迷路のように街中に広がっている。すべては合理性を突き詰めた結果とのことだが美の都リーシャ出身の私には少々理解に苦しむ趣向だ。

「あんまりキョロキョロすんなよ。グラントの田舎モンには目の毒だ」

 そして何より一番奇怪なのは、先ほどから切れ長の眼で値踏みするようにこちらを見つめてくるこの女性だ。

 ショートカットで少し黄色の肌だが、同姓として羨ましくなるほど豊満で健康的な肉体をしている。言葉の訛りからシーリア人ではなさそうだが問題はそこじゃない。

 ――なぜこの女は下着のような格好をしてるのか。

 腰をショートパンツ、胸元を薄い布で隠しているだけで、それ以外のものは何もつけていない。なんという破廉恥な、娼婦にしたってもう少し品のある格好をするぞ。この格好でお天道様の下を歩いているのか? 一緒にパトカーに乗っているということは警察関係者なのか? いったいこの国の風紀はどうなっているのか。

「あたいの名はアヤメ・ゲルマニカ。第一鉄騎兵隊の騎士だ。アラン市長よりあんたの世話をするよう命じられている。よろしくな」

 よろしくな、と言われても……そういうことはあらかじめ伝えておいて欲しい。

 元気よく前に差し出されたアヤメの手を私はとりあえず握った。

「しかしどうして警察の車に? 市長からは連絡用の携帯通信機をいただいているが」

「もののついでだよ。あたいも警察署にヤボ用があってな」

「アヤメさんは先日、街のギャングと派手にケンカして三人ほど病院送りにしてしまいましてね。今日はその事情聴取の日なんですよ」

 横から口を挟んできた運転手の後頭部を余計なことを言うなと言わんばかりにアヤメがこづく。グラントで警察官の頭を叩こうものなら公務執行妨害で現行犯逮捕だが……まあ、騎士なら特例で許されるか。

「委細承知した。しかし聖都グラントを田舎呼ばわりするのは納得いかないな。今や世界有数の軍事大国の首都だぞ」

「イコールを解禁していない国はぜんぶ田舎だよ。魔法が使えないってことは何をやるにしても人力でやらなきゃいけないわけだからな」

「この国が異常なだけですよ。イコールは貴重な神の恵み。国家によって厳重に管理されるのは当然です」

「イコールが神の恵みだというのなら、なおさらすべての民がその恩恵を受けられなきゃいけない。違うかい?」

 痛いところを突いてきた。私は少し口ごもる。

「聖帝ジュピター・グラントは天啓を受けた神の使徒にしてグラント市民の代表です。彼と彼が治める国がイコールを使うことは天の意志にしてグラント市民の総意です」

「あんた元グラントの騎士とはいえ属国出身だろ? 本気でそんなことを考えているとしたら洗脳されすぎだわ。いいから本音で語りなよ」

 言葉遣いは悪いが頭は悪いわけではないらしい。イコール未解禁国を田舎呼ばわりするのをやめて欲しかっただけだったのだが……まあいい、これから長いつき合いになるかもしれないんだ。腹を割って話そうじゃないか。

「正直に言えば、私はイコールのことをただの魔法燃料だと考えているし、聖帝がイコールを独占する現状に異議がないわけではない。私の祖国を含め、魔法を使わずに発展した国は文明レベルではシーリアに劣ると言われても仕方がないとも思っている」

「おう、ようやく認めたか」

「だがそれは、あまりにもイコールに依存しすぎた、仮初めの発展ではないだろうか。おまえも市長もイコールの重要性を軽んじている。将来この地からイコールが尽きた時にどうなるのか、私はそれが心配だ」

「もちろん将来のことだって考えてるさ。イコールに代わる燃料は常に模索し続けているし、すでにいくつか候補は見つかっている。これもすべてイコールで稼いだ金があるからできることさ」

「なるほど、未来はそれでいいとしよう。では現在はどうだ? いくら最大産出国の一国とはいえ、この国はイコールを放出しすぎている。タロスを維持できるだけの量をきちんと確保できているとはとても思えないのだが」

「その点も心配無用。何しろこのアッシャームにタロスは五機しかないからな」

 ……今なんて言った?

「すまない、よく聞こえなかった。もう一度頼む」

「だから第一鉄騎兵隊にはタロスは五機しか置いてないんだよ。所属騎士は四名だから実働しているのは四機か。だから血眼になってイコールを確保する必要がない」

 な……なんだとぉ……ッ!

「それは……もちろん第一鉄騎兵隊だけの話だよな。私的にはそれでも充分問題案件なのだが、国全体では当然もっとあるよな」

「もちろん。鉄騎兵隊は自由都市ごとに各一隊ずつ、計十三隊ある。もっとも、どう多めに見積もっても百機あるかないかだろうけどな」

 おいおい、冗談はその格好だけにしてくれ。

「百機足らずのタロスでどうやって自衛しているんだ。私の所属していた第七騎士団だけでもそれ以上の数が配備されているぞ」

「うちはアストリアやバルティアと同盟を結んでいるからな。いざってときは軍事力を貸してもらえることになっている」

「アストリアは先日潰れたぞ。潰したのは私たちだが」

 侵略国が目前にまで迫ってきている現状をどうするつもりなのかと問いかけるとアヤメは愛想よく笑ってみせた。笑って誤魔化すな!

「その辺は国の政治に期待するしかないわなあ。グラントとも頻繁に会談を行っているし、あんただってこうしてうちに来てくれたわけだしな」

「私にあまり過剰な期待を寄せないほうがいい」

 誰が使者として来ようが攻める時は容赦なく攻めてくるに決まっているだろう。要人警護の甘さからある程度の予想はしていたが、まさかこれほど酷いとは思わなかった。あまりに軍事に寄りすぎているグラントにも問題はあるとは思うが、ここの国の連中はいくらなんでも平和ボケがすぎる。

「調子に乗ってイコールをバラ撒いて軍備を疎かにしていると、おまえの馬鹿にしている田舎者に国を乗っ取られるぞ」

「へいへい、肝に銘じて置きますよ隊長」

 隊長……ああそうか、こいつは私の部下になるのか。まずは上官に対する口の聞きかたから教える必要があるな。

 平和ボケの国に素行の悪い部下。山積みの問題に頭を抱えながら、私は窓外を流れる無機質な街並みにふたたび視線を移した。

 ああ――やはり合理的なだけでは美しくないな。


 留置所の簡素な机を挟んで、私は市長襲撃の一部始終を警官に伝えた。

「さすがは噂に名高き鮮血のマリィ。傭兵風情では相手にもならないようですね」

「その渾名で私を呼ぶとは、きっとあなたも元傭兵なのでしょうね」

 ウインクは元傭兵の警官から情報を得たと漏らしていた。もしかしたらこの小太りの中年警官が裏切り者かもしれない。

「そんなに恐い顔で見ないでくださいよ。本官は確かに元傭兵で傭兵仲間のコミュニティにも参加していますが、公私の区別はきちんとつけていますし、そもそも本官のような下っ端に国の機密は知らされていません」

「では元傭兵で国家の機密を得られるような立場の人間はいますか?」

「いませんよ。ここはあらゆる人種職種を受け入れる自由都市ですが、さすがに傭兵崩れではそこまで出世はできませんから」

 それもそうか。では上官がうっかりどこかで部下に漏らしたか、あるいは……。

「元傭兵の立場から言わせてもらいますが、彼らはおそらく主犯ではありませんよ。市長を誘拐したところで利益が確約されるわけではありませんから」

 警官の言葉に私はうなづく。

 市長を誘拐して国や家を脅したところで身代金が貰えるとは限らない。普通の国ならばテロリスムには屈しないと突っぱねられておしまいだろう。グラントなら……はやく殺してくれと喜ばれるかもしれん。傭兵ならもっと確実に金になる手段を選ぶ。

「連中を雇った黒幕がいる……か。あなた、何か心当たりはありませんか?」

「ありません。というか、なんで本官が事情聴取されてるんですか。立場が逆ですよ」

 うむ、確かにそのとおり。素晴らしい正論だ。いつもの癖でうっかり問い詰めてしまったが、今は私が尋問される立場だ。餅は餅屋に任せよう。

「現在あなたが捕らえてくれた傭兵を尋問している最中ですので、黒幕がいるとすれば直に判明するでしょう」

「拷問か。拷問なら私はちょっと詳しいですよ。いったいどんな方法で苦しめているのです? 参考までに教えてくれませんか」

「だから尋問だって言ってるじゃないですか。いくら犯罪者とはいえここでは非人道的なことはしませんよ。なんでもグラント基準で考えないでください」

 おい、そんな汚いものを見るような眼で私を見るな。ちょっと効果的に人体に苦痛を与える方法に興味があるだけで、直接やったことはないんだぞ。

「詳しいことがわかり次第教えますよ。連絡先を教えてください」

 警官に通信機の受信波長を教えると私はすぐに釈放された。まあ悪いことなど何ひとつしていないのだから当然なのだが。

「さてと……暇が出来たが、これからどうするかな」

 アランから騎士専用の寮があるのでしばらくはそこで生活してくれと言われている。そこに向かうのも悪くないが、世話役らしいアヤメを置いて先に行くのも忍びない。

 私はロビーのソファで警官からサービスとして出されたコーヒーを飲みながら、彼女が釈放されるのを待つことにした。

「悪ぃ悪ぃ、遅くなったわ」

 五杯目のコーヒーがカップに注がれた頃にアヤメはようやく釈放された。

「騎士がギャングと喧嘩をするというのは珍しいな」

「グラントだとギャングなんて反社会的組織、存在自体が許されないもんな」

「まるでここでは許されているかのような口ぶりだな」

 だとしたらいよいよもって狂った国だ。とてもじゃないがついていけん。

「別に許してるわけじゃねーけどさ、連中なかなか尻尾を出さねえから迂闊に手が出せねえんだよ。あたいはカッとなってつい手を出しちゃったけどな」

「法の不備だな。グラントでは市民が団結して組織を作ること自体許されていない」

「それはいくらなんでも横暴だろ。田舎の国は野蛮で嫌だねえ」

 先日喧嘩してきたばかりのおまえにそれを言う資格があるとは思えないのだが。

「それで、今後おまえの身柄はどうなるんだ? 刑事処分でも受けるのか?」

「あーいや、どうにかそれだけは回避できた。ただ減給と謹慎処分は逃れられないだろうけどな。あー、どうにかしてあいつら一掃してやりてえなあ」

「すればいい。タロスが五機もあれば充分可能だろう」

「あんた、言うことがいちいち過激だな」

 この国が犯罪者に甘すぎるだけだ。市民の安寧のためにも社会のダニどもはさっさと駆除したほうがいい。

「ま、あたいはあんたのそんなところ嫌いじゃないけどな」

「あんたじゃなくて隊長だ。自由の国だろうと上官に対する礼儀は弁えるべきだ」

「そうかたいこと言うなよ、今日はオフの日じゃねえか。それとここだけの話、あんたの名前を忘れちまってな。なんて呼んだらいいのかわかんねえんだ」

「マーガレットだ。マリィでいい。親しい者は皆そう呼ぶ」

 親しい者というフレーズが良かったのか、上機嫌になったアヤメは私のとなりにどかりと座ると馴れ馴れしく肩に手を回してきた。本当に失敬な奴だ。

「おーけぃマリィ、じゃあさっそく行こうぜ」

「どこへ?」

「ショッピングだよ。市長から話は聞いてるぜ。どんな心境かは知らないけど、私財のほとんどを放棄してここにきたんだろ?」

「……」

 そうだ、私は剣以外のすべてを捨ててここに来た。一からすべてをやり直すために。本当に欲しいものを手にするために。

「私財の管理は信の置けるメイドに任せてある。グラントにはまた戻るつもりがあるというだけの話さ」

「すでに国籍まで変えているのにか?」

「そうだ。他国に別荘を持っている奴なんて今時いくらでもいる。グラントとシーリアの国交が正常化すればそれも可能さ」

「ありえるかねえ、そんなこと」

「ああ。私もおまえと同じく、アラン市長に期待している」

 もちろん嘘だ。置いてきた私財はすべて親父とメイドにくれてやった。祖国には二度と戻らない覚悟を決めている。

 これは私だけの願い。私だけの戦い。誰にも話すつもりはない。アヤメは何やら疑っているようだが……あまり詮索してくれるなよ。故郷を捨てる者には皆、人には言えない事情の一つや二つあるんだ。


 アヤメに案内されて私は、デパートと呼ばれる百貨店まで足を運んだ。

 話には聞いていたが、実物を見るとやはり壮観。何しろ一つの施設の中に様々な部門の売店が混在しており、多種多様な商品を陳列・販売しているのだ。

 なるほどこれは確かに便利。私は少ない手持ちに頭を悩ませながら、どうにか当面を凌げるだけの食料と生活必需品を買い揃えた。

「あ、領収書をもらっとけ。必要経費として国に請求するから」

「いいのか。私物だぞ?」

「シーリアはお金持ちだからな。その辺は寛容だよ」

 御国のために働いてもいないのに国民の血税を使うのは気が引ける。丁重にお断りする……と、言いたいところなのだが、正直この国の物価の高さでは今月を乗り切れるかわからない。ここはご好意に甘えることにしよう。

「次は服だな。二階にブティックがあるから今すぐ行こうぜ」

「服? 服ならすでに持っているぞ」

「おいおい、まさかその服で街を出歩く気かよ」

 そんなにおかしな格好をしているか? 私は自分の格好をあらためて確認する。

 上は古き良きリーシャの民族衣装。下は鞘を収めるための革製のベルトを巻き付けたグラント発祥のデニムのジーンズ。旅の必需品であるマントは新たな門出ということできちんと新調してきた。鷲の紋章の入ったちょっとお洒落なやつだ。先ほどの戦闘行為でブーツが少し汚れているかもしれないがその程度は仕方ないだろう。鎧こそ着ていないが、周囲に奇異の眼で見られるほどの格好ではないはずだ。

「確かにこの国は来る者拒まずの多民族国家だし、ちょっとおかしな格好をしてても誰も気にとめたりしないけどさ。それでも田舎者丸出しのその格好は浮いてるぞ。周囲を見渡してみなよ」

 私は買い物をしている客を一通り見渡してからアヤメに視線を戻す。

「うむ、おまえの格好がこの国のスタンダードではなく安心した」

 砂漠の多いシーリアはグラントと比べて多少暑いが、それでも他の娘は皆きちんと肌を隠している。どうやらこの国の風紀が乱れているのではなく、このアヤメが恥知らずの痴女なだけのようだ。

「あたいはいいんだよ。ただ動きやすい格好をしているだけなんだから」

「自分の格好を棚に上げて他人様の服装をとやかく言うものじゃない」

 とはいえ、この一着だけでは少々心許ないと思うのも事実。懐に余裕があれば服の一着や二着ぐらい買うのだが……まあ、ないものねだりだな。

「さっきも言ったけど金は全部国が出してくれるんだから遠慮なんてするなよ」

「いずれ国から軍服が支給される。生活する分にはそれで充分だろう」

「軍服を着て街中を歩く馬鹿がいるか!」

「私はグラントに居た時は鎧を着たまま市内を歩いていたぞ」

 騎士が巡回していると分かれば犯罪の抑止にもなる。事実グラント市民には好評だった。何が悪いのかさっぱりだ。

「マリィはお洒落に興味がないのか?」

「平時はな。パーティ用のドレスぐらいは持っていた」

 それに私はグラントの紅き魔女、鮮血のマリィだ。タロスのイコールで全身をまっ赤に染めあげる。それこそが最高のお洒落というものだろう?

「かぁーッ! 嫌だねえ、枯れた女は。そんなんじゃ男が寄ってこねえぞ」

「それが黙っていても勝手に寄って来るんだ。こちらとしては迷惑極まりないのだが」

「マリィは好きな男とかいないのか?」

「もちろん――」

 ――いない、と言えば嘘になってしまう。

 しかし私のこの想い。果たして口にしてしまっていいものなのか。

「その様子だといるんだな? マリィは、そいつに少しでも綺麗な自分を見せたいって思わないのか?」

「そ、それは……」

 団長か? それはラングフォード団長に見せろという意味か? 私ごときがいくら着飾ってもあの堅物の団長が反応してくれるとはとても思えないのだが。

 いやしかし、万が一ということもあるか。これでも外見には自信のあるほうだ。特に自慢のこの髪は皆から綺麗だとよく誉められる。身体も……アヤメほどではないが、人並み以上には発育していると思う。団長だって男、精一杯可愛い格好をして誘惑すればあわよくば何かの間違いが起きる可能性も――いやいや、落ち着けマーガレット。私は祖国を捨てたんだ。戦場以外で団長と出会うことなんてもう二度とないだろう。やはり無駄な出費に……だがグラントとシーリアが同盟を結べばワンチャンあるか? いやいやないない、そんなことをしたら東のバルティアが黙っていない。じゃあバルティアとも同盟を結んでみんな仲良く――って寝言は寝て言え。グラントの最終目的は世界征服だぞ? 建国当時は笑い話だったが、現在はすでに大陸の四分の一近くを平定しているんだ。今さらになって妥協はない。どこまで行けるかはわからないが、行くところまで行くに決まってる。淡い希望は捨てろマーガレット・リースマン!

 だが、国の経費で落とせるのなら買っておいて損はあるまい。

「私は騎士である前にシーリア市民だ。市民なら市民らしい格好をしないとな。郷に入っては郷に従う。アヤメの祖国のことわざだ」

「あたいは移民のハーフだからよくわかんねえよ」

 団長は常々言っていた。東洋のことわざには真理が詰まっていると。だからここはひとつ団長の教えに従おうじゃないか。下心など断じてないぞ、うん。

「まあいいや、その気になったのならさっさと二階に行こうぜ」

 アヤメの指さす先には二階へと続く階段がある。だがどうにも様子がおかしい。

「こいつ……動くぞ!」

 そう、この階段、あろうことか上階に向かって段が自動で動いているのだ。

「田舎者のあんたが知らないのも無理はないが、それは『エスカレイター』といって人間を運ぶために生み出された魔導装置だ」

「え……そんなことのためだけに?」

「ああ、そんなことのためだけにだ」

 歩かせろ! 大した高さじゃないだろ! なんのための足だ!

 エスカレイターだけじゃない。よく見ればこの施設、魔導機の塊じゃないか。先ほどの会計にも魔導機が使われていたし、やけに明るいと見上げれば昼間にも関わらず魔光をガンガン焚いている。グラントではこのような贅沢、王城以外許されていないぞ。貴族でさえ未だに灯油ランプを使って夜を凌いでいるというのに。

「つくづく信じ難い国だ。どうかしている」

「いい加減受け入れなよ。郷に入っては郷に従うんじゃなかったのか」

 それを言われると返す言葉がない。私は気を取り直すと周囲の客に合わせて、まるで生き物のように不気味に蠢くエスカレイターに恐る恐る足を乗せた。

 実際に乗ってみると移動速度のあまりの遅さになんだかもどかしくなる。しかし年端もいかぬ子供や足腰の弱いお年寄りにはありがたい装置なのではないだろうか。これもまたシーリアの文化。安易に否定するものではない。

 二階に上がった私は眼前に広がる洋服の海に思わず息を飲んだ。

 これほど大規模な衣料店はグラントにはない。しかも値札を見る限りどれも驚くほど安い。砂漠のせいで農耕地が少なく自給率が低いため食料品は高いが、魔導機による生産補助が可能な衣服類は安く作れるのか。これならあまり財布を気にせずに何着でも買えそうだ。私好みのシンプルなデザインが多いのも嬉しいところだ。

「おい、そこは男物のコーナーだぞ。ブティックはこっちだ」

「私は一向に構わないのだが」

「好きな男を悩殺する服を買うのが目的だろ」

 いや、別に私はそういうわけでは……その……まあ、ここはひとつアヤメに従おうじゃないか。

 こっちに来いと誘うアヤメの後についていくと、凝った意匠の看板が下がった女性専門の衣料を扱う小売店にたどり着いた。

 先ほどの店とはうって変わって高価だが、生地の品質は良いしデザインも独特だ。戦場暮らしが長く衣服に疎い私にはなんと形容したらいいのかわからないのだがこう、フリフリがついていて可愛らしいものが多い。男はこういった服を着た女性に性的興奮を覚えるのだろうか。

「田舎者のマリィに代わってあたいがいくつか見繕ってやるよ」

 と言って、さっそくアヤメが持ってきた下着のような服を即座に却下する。団長に破廉恥な女だと思われたら私はその場で自決する。

 とはいえ無骨な私に男好きのする服を選べと言われても無理難題なので、極力肌の露出を抑えたものという条件を付けた上でアヤメに選んでもらうことに決めた。

「無難なものをいくつか選んだから、とりあえず試着してみてくれ」

 この店では試着ができるのか。グラントの衣料店だと購買以外認めていない店が多いからありがたい話だ。私はアヤメから渡された数点の服を持って試着室に入った。

 服を脱いで綺麗に畳んでから店の服に手をかける。

 スカートだ。

 見たことはあるが穿くのは初めてだ。

 外での排泄の際には便利なのかもしれないが、さすがのグラントもそこまで田舎ではない。下水施設やトイレぐらいはきちんと配備されている。それにこんなヒラヒラしたものを穿いて派手に動いたら下着を見られてしまうぞ。

「着替えは終わったか!」

 いきなりカーテンを開けてきたアヤメを蹴り飛ばしてから、私は恥ずかしさを我慢しつつ着替えを済ませた。

「……悪くないな。サイズもピッタリだ」

 姿見の前でしなを作りながら服装の出来映えを確認する。

 白のブラウスと暗色系のスカートとリボン。アヤメの持ってきた服の中で一番地味なものを選んで着てみたが、なかなかどうして似合うではないか。

「どうだアヤメ、私もまだ女として枯れてはいないだろ?」

「う~ん、やっぱり地味だなあ。でもリーシャ人はこの国では目立つから地味なぐらいでちょうどいいのかもしれん」

 この格好なら団長も少しは私のことを女として見てくれるだろうか。

 そう考えると嬉しくなってアヤメに渡された服をすべて試着してしまった。

 うむ、どれも少し派手だが悪くない。私もお洒落に目覚めてしまいそうだ。自分でもいくつか選んでみようかな。

「そろそろ買って帰ろうぜ。それでもう十二着めだぞ」

「あと一着だけ。あと一着だけだから」


 一通りの買い物を済ませた後、私たちは列車に乗り郊外にある騎士寮に向かった。

 魔動車行き交う無機質な都心部を少し離れるだけで、豊かな緑と長閑な田園風景がどこまでも広がっていた。

 砂漠地帯であるシーリアに点在する貴重なオアシス。そこに人が集まって出来たのが十三の自由都市と聞く。だからこちらがきっとアッシャームの本当の姿。人が神から授かった真の奇跡。大自然の恵みだ。

「寮暮らしは嫌だねえ。こんな街外れじゃ遊ぶところのひとつもありゃしねえ」

 座席の上であぐらをかいたアヤメが、先ほどからずっとぐちぐち不満を垂れているが適当に聞き流す。

「やっぱ田舎は駄目だわ。田んぼと畑ばっかりで見てるだけで気が滅入ってくる。もうちょっと都内にいても良かったんじゃね?」

「駄目だ。今日は休日とはいえ寮には門限があると聞いている」

 この素晴らしい風景が理解できんのかおまえは。移民ということはおまえ自身、都会に憧れてやって来た、ただの田舎者だろうと指摘してやりたくなる。

 もっとも、それを口にするとたぶん怒るだろうな。それも猛烈に。こんなところで喧嘩する気はないので黙っておこう。

 列車から降りて寂れた改札を抜けた頃にはすでに日が沈みかけていた。

 私は背を伸ばして大きく深呼吸する。

 なんという清々しさだ。心が洗われるようだ。無機質な市内には少々気が滅入っていたが、ここなら存分に鍛錬に励める。

「軍の基地も都心部に作ればいいのになあ」

「できるわけがないだろ。近隣住民の迷惑を考えろ」

 グラントでは王を守るために城に騎士が在中しているが、それでも騎士団は市外に拠点を置いていた。何をするにしてもスペースを使うのだから拓けた場所に基地を作るのは当然だし機密も漏洩しにくい。世界の軍備の常識だ。

「この国には徴兵制はないと記憶しているが、そのような心構えでアヤメはどうして騎士になろうと思ったんだ?」

「入隊当初は楽して儲かる仕事だと思ってたんだよ。近年は戦争もまったくやってねえって話だったしな。それがまあ、実際入ってみたらきついのなんの。郊外の寮に缶詰にされて毎日訓練漬けだ。おかげですっかり健康的になっちまったよ」

「よく辞めようと思わなかったものだ」

「身体を動かすのはそこそこ楽しいからな。マリィが来てくれたおかげでこれからは本格的なタロス操縦技術も勉強できる。あいつを手足のように動かせたらよりいっそう楽しいだろうなあ」

「その点は同意できる」

 そう、たとえ厳しい訓練を課せられようと、たとえ生命のやりとりをしようとも、軍隊は楽しい場所なのだ。

 ここには苦楽を共にする仲間がいる。不自由のない食事がある。規則正しい生活がある。国防という名の名誉がある。そして何より武器が――タロスがある。だからある程度腕に覚えのある奴はなかなか辞めようとは思わない。時代遅れにも思える傭兵家業が消えてなくならないのもだいたい似たような理由だ。

「これからもっと楽しくなるぞ。タロスの魔性に魅入られた私が保証する」

「そいつぁ嬉しいねえ」

 アヤメの呼んだ車を待って寮に着くまで間、私は彼女にタロスで戦場を駆けることの素晴らしさをとくとくと語った。それは私の、団長とのかけがえのない思い出の欠片でもあった。


 騎士寮には思いのほか早く到着した。

 聞けばこの集落自体が軍関係者の客狙いで作られたものらしい。この距離ならわざわざ車を利用する必要はなかったかもしれない。

 少人数で利用しているということもあってか、寮はこじんまりとしたアッシャーム特有のまるで箱のような建物だった。都心の無機質な街並みに辟易していた私だが、軍施設ならこのシンプルさはむしろ美点にすら思える。我々はあくまで公僕。縁の下からシーリアを支える者だ。余計な飾り付けは不要だろう。

 寮の前まで来ると私たちを出迎えてくれる者がいた。

 髪を三つ編みにした素朴な感じの少女だった。シーリアの軍服を来ていることから軍属だということがわかる。分厚いレンズの眼鏡をかけているところを見るにかなり眼が悪いようだ。

「騎士寮へようこそマーガレット様。わたしは第一鉄騎兵隊のアコライト・エーテルライトと申します。気軽にアコと呼んでください」

 深々と頭を垂れる。アヤメと違ってとても好感の持てる人物だ。

「知っていると思うが私の名はマーガレット・リースマンだ。マリィと呼んでくれ」

「それではマリィ様、さっそく寮内をご案内します」

 私の荷物を持とうとするアコを失礼にならないようやんわりと断る。これから同じ釜の飯を食う仲間に雑用などさせられない。

「アコ、あたいの買い物袋持ってくれよ」

 こいつには遠慮は要らないだろう。私はアヤメの頭を拳骨で思いきりぶっ叩いた。

 アコに案内されて最初に足を運んだのは自分の部屋だった。

「個室がいただけるのはありがたい」

「騎士だけの特別サービスですよ。人数の多い歩兵ではこうはいきません」

 扉の前でアコから部屋の鍵を渡される。

 プライバシーまで守られているのか。シーリアに呼ばれた時点でこの手の優遇措置は半ば諦めていたのだが……これは御国に感謝しなければなるまい。

 さっそく鍵を開けて室内に入ると、出発の際に預けておいた手荷物が置かれていた。特に大事なものが入っているわけではないが、買い直さなくて済むのは助かる。室内の確認は後ほどにして、私は邪魔な買い物袋を置いてから再び鍵をかけ直した。

「ではさっそくタロスを見せてくれないか? 五機しかないとは聞いているが、この眼で戦力を確認しておきたい」

「それよりお腹は空いていませんか? 基地の格納庫に行く前にお夕食でもと思っているのですが」

 言われてみれば腹は減っているな。今日は忙しくてろくなものを食べていない。容姿を見る限り二十歳に満たない少女だが、アヤメと違ってなかなか気配りが利く。私が男なら放ってはおかないところだ。

「食事の用意までかたじけない。私のために用意していただいたというのであればぜひともいただきたい」

「こちらこそ。グラントの英雄に遠方よりお越しいただき光栄至極です」

 私が頭を下げるとアコも併せて頭を下げる。

 うむ、実に礼儀正しい。騎士の鑑だ。アヤメも見習うべきだろう。

「さっきからチラチラこっちを見てるけど、あたいの顔に何かついてるのか?」

「いや別に……」

 食堂のテーブルにはすでに豪勢な料理が並んでいた。

 軍内の食堂とは思えぬ質と量だ。私を歓迎するためにこれだけの料理を用意してくれたかと思うと胸が熱くなる。

「すいません、まだメインが焼きあがっていないのでもう少しお待ちください」

 料理を並べるために通りかかった給仕の男性に頭を下げる。お勤めご苦労様です。

「ささ、主賓はここに座って」

 私はアコに促されてテーブル中央の椅子に座った。

 こうやって特別扱いされるのはどうにも気恥ずかしい。

「すいません、できれば寮内ではなく都内の高級レストランを予約できれば良かったのですが、なにぶん急な話でしたので……」

 腰の低い給仕がいかにも恐縮そうに言う。あんまり恐れ入られると私としても少々居心地が悪いのだが。

「何をおっしゃる。私にとっては王宮での心ないもてなしより何倍も素晴らしいサービスですよ。お気遣いありがとうございます」

 思ったことをそのまま口にすると、給仕は何度も頭を下げながら嬉しそうに厨房に戻り、今度はフライパンを使って料理を始めた。どうやらコックを兼任しているらしい。

「この寮は珍しいな。休日でも食堂が開いている」

「ここの食堂は年中無休だよ」

 隣に座ったアヤメが頬杖をつきながら言う。

「それはすごいな。コックも大変だろうに」

「この寮にコックなんていねえよ」

 言葉の意味がわからない。今そこで料理をしているのがコックではないのか。

「よく考えて見ろ、この騎士寮にはたったの五名しかいないんだぞ。マリィが来てもせいぜい六名だ。そんなところにわざわざコックなんて置かねえよ」

「しかし我々は騎士だぞ。その程度の厚遇はあってもおかしくはないのでは?」

「ここは商業の国だ。稼ぎのない場所に人は絶対に置かない。よってここの食堂は無人だ。手前で食材を持ち込んで手前で調理して食べるんだ」

 ということは、私が今まで給仕兼コックだと思っていた人物は――。

「あ、すいません。自己紹介が遅れました。第一鉄騎兵隊所属のオウジャ・シモンズと申します。マリィさんのような有名な方に来ていただけて僕、感激です!」

 目の前に大きな皿を置きながら、三人めの仲間は満面の笑みを浮かべて握手を求めてきた。線の細い身体付きと物腰の柔らかさがあまりに騎士らしくないので、つい給仕と勘違いしてしまった。私はオウジャに自らの非礼を詫びる。

 もっとも、らしいらしくないの話をしだしたら私たち女性陣も一緒か。タロスを操るのに必要なのは筋力ではなく魔力でありタロスとの接続及び同調適正なのだから、外見で判断はできない。ああ見えて凄腕という可能性も多いにありうる。

「オウジャはあたいの先輩だけどまだ騎士見習いで、タロスにも乗れないからもっぱら料理担当なんだよ。名前は強そうなんだけどなあ」

 ああ、そうなんだ。まあ、そういうことも、もちろんあるさ。

「彼が見習いということは残りの騎士は二名ということか。本日は公務かな」

「いや、寮に居るはずだぞ。全員でマリィを歓迎しようって伝えてあるからな」

 言ってアヤメがアコに視線を投げかける。

 先ほどから通信機でどこかに連絡を入れていたアコは、小首を傾げながら通話を切ると困惑した顔をこちらに向けてきた。

「どうしたアコ?」

「それが……今すぐ基地の格納庫に来いって、隊長たちが」

 やれやれ、どうやらこの歓迎会、穏便にというわけにはいかなそうだ。

 まあいいさ、そちらのほうが私らしい。

「やはり戦力の確認が先決のようだ」

 私はオウジャに席を立つ非礼を詫びると、最後の仲間に会うべく基地へと向かうことに決めた。


 アッシャームの南方に広がる『グルタの森』と呼ばれる緑のオアシス。その直中に鉄騎兵隊の基地はあった。

 森を切り開いて作られた基地はよく整備されており、魔導船の滑走路もきちんと舗装されている。小規模ながら兵士の意識は高いようだ。

 当然だが基地は年中無休。世界的に休息日と定められた本日だが、煌々と魔導の明かりが灯っている。私たちは警備兵に身分証明書を提示すると、バリケードを潜って基地の内部に進入した。

「早く用事を済ませて帰りましょう。せっかくオウジャ君が作ってくれたお夕食が冷めちゃいますよお」

 アコが嘆くがこればかりは仕方がない。どのような目論見があるかは知らないが、恐らくは目的は歓迎ではないだろう。となれば早期の帰宅は困難。なあにあれだけのご馳走だ。どれだけ冷めても戦場で食べるレーションに比べれば遙かに美味いだろうさ。

 目的地であるタロス格納庫の前には人影があった。

 なぜかメイドだった。

 アヤメの時も思ったが、この国は本当にどうかしている。

「マーガレット様とお見受けします。初めまして、私はリリー・ホワイトと申します。本日は我が主の申し出を受けていただきありがとうございます」

 だがこのメイド、恐ろしく隙がない。常に身体の重心が安定しているし、こうして礼をしている最中でもこちらに向けた鋭い視線を決して外さない。ただのメイドではないな、いったい何者だ?

「リリーさんは隊長が個人的に召し抱えているメイドで、騎士の資格も持っているんですよ」

「部隊のスケジュールは全部こいつが組んでるから実質うちの副隊長みたいなもんだ」

 なるほど納得した。これほどの強者を従える第一鉄騎兵隊隊長――いや、前隊長と呼ぶべきか。どのような大物か、今から楽しみだ。

「格納庫の中にお入りください。主が首を長くして貴女をお待ちしております」

 頭を上げたリリーが私に道を空ける。

 さてと……鬼が出るか蛇が出るか。この手の『あいさつ』は久しぶりだ。とりあえずは、背後からこのメイドに可愛がられないよう気をつけないとな。

「ではリリー殿、貴女の主のところへ案内してもらえるかな」

「呼び捨てで構いません。我々は同じ隊の仲間ですので」

 リリーが素っ気ない態度で言う。なかなかどうして白々しいじゃないか。

「ならば私も勤務中以外はマリィで構わない。同じ隊の仲間だからな」

 苦笑しながら私は、リリーの後について格納庫の中に入った。

 格納庫の中は光一つない暗黒に包まれていた。

 闇討ちをするには最高の条件だがあいにく私には魔法がある。感熱魔法で格納庫内に潜む人間の数と位置を把握する。

 前に一人。これはリリー。後ろに二人。これはアヤメとアコだろう。残りは――上方に一人……か。

 伏兵はなし。たいした自信――いや、騎士道精神だ。ならば私も礼を失せず正々堂々と戦おうではないか。

「主よ、マリィをお連れしました」

 その言葉と同時に私の双眸に目映い光が飛び込んできた。

 不覚にも目がくらんでしまったがそれも一瞬だけのこと。回復した視力をすぐさま前隊長のいる方角に向ける。

 思わず息を飲んだ。

 そこには魔光を受けて燦々と輝く黄金の巨人兵の雄姿があった。

「ゴールドソード! グラントの最新鋭タロスがどうしてここに!」

「我が国はグラントとの交易も盛んで、海路より様々な品を輸入しています。このタロスもその中の一つで、市が長年グラント本国と交渉を続け、シルバーソード十機分の巨費を投じた結果、ようやく一機のみ購入できたものと伺っております」

 何を馬鹿なことを言ってるんだこの無愛想メイドは! たった一機と言えど、機密の塊である新型機を他国に放出するはずがないだろ!

 これは何かの間違い……いや、もしかしたら――。

「……どうやらシーリアは高い買い物をしてしまったようだな」

「そうでしょうか。聖グラント帝国が誇る最新鋭タロス。そのテクノロジーを買ったと思えばむしろお買い得のように思えますが」

「偽物を掴まされたんだよ。外装だけそれっぽく見繕って、中身はきっとただのブロンズソードさ」

 私の言葉を聞いてリリーは、初めてその能面のような表情を少しだけ崩した。

「ならば、あなたが直接乗って確かめてみればいいでしょう」

 嘲笑ったのだ。私のことが可笑しくて仕方ないと言わんばかりに。

「ゴールドソードの現所有者である我が主を倒して!」

 言葉と同時にタロスのフェイスガードが開いた。

 気品溢れる、まるで王座のようなコックピット。そこに座っていた騎士は、私を肉眼で認めると猛然と立ち上がり、けたたましい高笑いをあげた。

「妾はナーサシス・ラオディキア。この第一鉄騎兵隊を束ねる隊長であるぞ!」

 ナーサシスと名乗った少女はフリフリのドレスを着たお姫様だった。

 リリーの時も思ったがこの国は本当にどうかしている。

「シーリアにようこそ『鮮血のマリィ』。入隊を祝して妾が直々に歓迎してやるぞ」

 だが――『ラオディキア』だと?

 聞き覚えのある姓だ。まさかこのお姫様……。

「失礼ながらナーサシス殿。もしかして貴女はシーリア第四の自由都市、ラオディケイアの関係者でしょうか」

「左様。妾の祖先はラオディケイアの建国者であるぞ」

 なるほど正真正銘のお姫様だったか。それなら従者が就くのは納得。だが――。

「解せませんね。ラオディケイアの姫君が何故アッシャームの騎士団などに?」

「妾はここに嫁いで来たのだぞ。もっともまだ成人しておらぬ故、籍は入れておらんのだがのう」

 政略結婚か。他国では当然のことだがシーリアでは珍しいと聞く。

 この市で彼女の家柄に見合うのは……同じくアッシャームの建国者の一族であるダルメセク家ぐらいか。

 まさかアランじゃないだろうな。

「アラン様は紳士故にいつでも構わぬと言ってくださったのだが、待ちきれずに来てしまったのだぞ」

 ああ、そう。まあ……他にいなさそうだからな。

 アランはあのような外見だが今年で三十七歳。成人していないということはナーサシスは十五に満たない年齢か。いや、貴族間の政略結婚ならこの程度の年の差、別に何もおかしくはない。おかしくはないのだが、この手のニュースが報道されると、市井の間では必ず広まるある風評がある。

 私はその手の風評に詳しいであろうアヤメを一瞥する。

「アッシャームではアラン市長はロリコン野郎だって噂でもちきりだよ」

 だよな。知ってたよ。

 まあ純粋に政略結婚だろうから、個人の性的嗜虐は無関係だけどな。

「さてとマリィよ、話を戻すが……単刀直入に言うと妾は、おぬしのことを隊長と認めてはおらぬ」

 ああ。それも知ってたよ。

 上からの鶴の一声で降格人事。立場が逆なら私も納得できん。名誉を重んじる騎士とあれば殊更そうだろう。

「よってここに一対一の決闘を申し込む! おぬしが勝てば隊長機であるこのタロスをくれてやる。妾が勝ったらおぬしは荷物をまとめてさっさとグラントに帰れ」

 ナーサシスは手袋を外すとそれをこちらに投げ捨てる。

 なるほど、どうやら本気で闘る気のようだ。

「着任初日ですので荷物をまとめる必要はありませんよ。タロスの使用許可が取れているのであれば――」

 私は投げ捨てられた手袋を拾い上げて高々と宣言する。

「――その決闘、慎んでお受けいたします」

 突きつけられた決闘はすべて受けた。相手が王族だろうと貴族だろうと例外はない。

「決闘成立だな。では先にタロスを選ばせてやるぞ」

 室内のすべての照明が点灯し、格納庫の全容が明らかになる。

「もっとも、すべて同じ機体だがのう」

 ゴールドソードの両脇にまるで家臣のようにひざまづく白銀の巨人兵――格納されていたタロスはシルバーソードだった。

 その数は聞いていたとおり合計四機。グラントの現主力タロスだが、これもよく買えたものだ。どれもよく整備されているようには見えるが、実際のところは乗ってみないとわからない。

「では遠慮なく。アヤメ、おまえの機体はどれだ?」

「左手前の奴だけど……どうしてあたいのなんだ?」

「おまえの機体なら最悪壊しても構わないと思ってな」

「おい!」

 半分は冗談だ。もう半分は本気だがそう怒るな。

 私が乗るタロスを決めると、リリーからタロスのキーストーンを投げ渡される。

 キーの材質は私の元愛機と同じ。菫色をしたただの水晶のように見えるが、魔力を通すことでタロスの遠隔コントローラーにもなる。

 同時に内蔵の重力制御装置を使ってタロスから降りてきたナーサシスもリリーからキーを受け取った。

「ゴールドソードを使わないのですか?」

「無論。対等な条件で闘らねば意味がなかろう」

「年齢の差があります。その程度のハンデはむしろ当然でしょう」

「年は関係ないぞ。そもそも妾とおぬしでは三つしか違わぬではないか」

 なるほど十四歳か。年齢より幾分幼く見えるが、戦火と無縁の世界で生きていれば必然そうなるのかもしれない。

「いずれにせよあの機体では戦えぬ。おぬしとは妾の愛機できちんと相手しようぞ」

 偽物だから、だろ?

 すでにメッキが剥がれているが、まあいい。どのみちこれは私が隊をまとめるのに必要なことだ。

 キーに魔力を通してタロスに指令を飛ばす。機体から放たれた斥力を用いてアヤメのタロスに飛ぶように騎乗する。コックピットの座り心地を確認すると、私は手元の起動口にキーを押し込んだ。

 暗闇だったコックピットが目映い魔光に包まれる。メインカメラに疑似生命の焔が灯り、空中に浮き上がったモニターで外界を確認できるようになる。

「リンク完了。シルバーソード起動する」

 メイドイングラント。アストリア戦争での我が相棒。言うまでもなくこいつには乗り慣れている。剣客として召し抱えられている以上、いやそうでなくともこのタロスに乗って万が一にも敗北を喫するようなら、誰に言われずとも荷物をまとめてシーリアを去るしか……ってなんだこの機体! まったく思いどおりに動かんぞ!

 機体に何かしらの罠でも仕組まれていたのか? 慌ててシステムを確認する。

 ――古い。

 いったい何世代前のシステムを使っているんだ。おまけに機体自体もろくな調整がされていない。タロスは騎士の写し鏡と言うが、このシルバーソードにはアヤメのいい加減で適当な性格が如実に現れていた。

「どうやらハズレを引いたようだぞ」

 格納庫の外からナーサシスの高笑いが聞こえてくる。

「グラントが最新のシステムを積んだタロスを売ってくれるはずがあるまい。常識的に考えるがよいぞ」

「ならば条件は互角のはず。ハズレもなにもないでしょう」

「なにを間の抜けたことを言っておる。妾の愛機はとっくの昔にラオディケイア独自開発の新システムに変更済みだぞ。面倒くさがってやっておらぬのはアヤメだけよ」

 なるほど、先に選ばせてやるというのはそういう意味か。

 私がタロスのカメラでアヤメを睨みつけると、アヤメは露骨に目をそらして下手くそな口笛を吹き始めた。

「だって無意味じゃん。ここ何十年も大きなドンパチなんてやってないし。それにタロスのシステム変更って国の許可がいるしさあ」

 馬鹿か! なんのために国が血税を使って騎士を養っていると思っている! 常に非常事態を想定して万全の体勢を整えておけ!

「頭を下げて乞うなら特別にタロスの変更を許してやってもよいぞ」

 舐めるなクソガキ! 貴様ごときの相手、このポンコツで充分だっ!

 騎士が一度乗ったタロスを乗り換えるなど恥以外の何者でもないし、他の機体がまともだという保証もない。私は内心の怒りをおくびにも出さずにナーサシスの申し出を丁重に断ると、言うことを聞かないじゃじゃ馬のようなタロスを無理やり格納庫の外へ引きずり出した。

 格納庫の外はよく整地されたグラウンドになっている。タロスの訓練のために広く開け放たれているわけだが、これでもグラントと比べるとまだ狭い。もっとも一対一で決闘する分には充分すぎるほどのスペースなのだが。

 おそらくナーサシスたちが宣伝済みなのだろう。グラウンドにはすでにたくさんのギャラリーが湧いていた。その多くが整備兵で、何やら賭事のようなことをしているのが見てとれる。危ないからもっと離れろと警告したが聞く耳を持たない。まあいい、このような場所では娯楽も少ないだろう。警告はしたのだから後は自己責任だ。

「準備はいいかのう」

「はい。いつでも構いません」

 最初こそ悪戦苦闘したものの、このじゃじゃ馬の扱いにもだいぶ慣れてきた。調整は適当だが悪意ある細工は施されてはいないし、これならそこそこ戦えそうだ。

「では決闘のルールを説明いたします」

 タロスに乗ったリリーから剣を手渡される。

 どうやらミノス合金製の戦闘用ではなく刃のついていない訓練剣のようだ。当然か、ラオディケイアの姫君に万が一のことがあれば国際問題になりかねない。

「ルールは単純に、先に背中を地につけた者の負けでよろしいでしょうか?」

 姿勢制御はタロス操縦の初歩にして極意。こちらとしては異論はない。

 ナーサシスもこれに了解したため、後は開始の声を待つだけになった。

「ではこれより国際決闘法に基づき決闘の開始を宣言いたします。両者、騎士道精神に則り正々堂々と闘ってください」

 リリーが退場し、いよいよ決闘の火蓋は切って落とされた。

 私は剣を構えたまま動かず、対面する相手の動向に注目する。

 まず最初に感心したのが、ナーサシスの持っている剣が実剣ではなくただの訓練剣だという事実だ。

 人数を集めてリンチするわけでもなく、タロスに小細工するわけでもなく、ルールも剣も対等だ。これほどフェアな新人歓迎のあいさつは私の記憶にはない。世間知らずのお姫様――などと皮肉るつもりは毛頭ない。ナーサシスは高潔で立派な騎士だ。家柄など関係なく本来、騎士とは皆こうあるべきなのだ。

 とはいえ、剣の構え自体はど素人もいいところ。シーリアの主力はアストリアのファラリスかバルティアのケイローンだろうから仕方のない話ではあるのだが。

 それにしても、どうしてアッシャームはグラント製のタロスを利用しているのだろうか。両国間の交友のためか? それもそうか、グラントは軍事だけで飯を食っているような国だし、兵器以外に他国に輸出できるものなんて――……え?

 ほんの少し考え事をしている隙に、いつの間にかナーサシスのタロスが眼と鼻の先にまで迫っていた。

 馬鹿な、二〇メートルは離れていたはずだぞ!

 私はとっさに剣を縦に構え直す。

 瞬間――操縦桿の内部に流れるイコールを通して凄まじい衝撃が全身を襲った。

「うおぉっ」

 機体を浮かされた! くそっ、なんてパワーだ!

 このままでは倒れてしまう――私は必死に重力制御を行い、機体を一回転させることでどうにか足から着地することに成功した。

「今の一撃で終わらぬとは、どうやら本物の鮮血のマリィのようだぞ」

 横薙ぎに放たれた一閃は実剣ならば紛れもなく必殺の威力を誇っていた。

 機体に何かしらのチューンナップが?

 ――いいや、違うな。たった一合だけとはいえ剣を合わせたことで、私はナーサシスの正体を瞬時に察した。

「どこかでタロスの操縦を習ったことはおありですか?」

「いいや、すべて独学だぞ」

 間違いない。ナーサシス――彼女はラングフォード団長と同類だ。

 感覚的に魔導を理解し、特別なことを何もせずともタロスをまるで自らの手足のように自在に操る、タロスに愛された存在。一言で言うならば――。

「妾は天才だからのう」

 自分で言うのか。

「齢、十の頃よりタロスを意のままに操り、立ち塞がる者すべてをうち倒してきた。妾こそ第一鉄騎兵隊の真の隊長にしてシーリア最強の騎士だぞ。光栄に思えグラントの紅き魔女よ、おぬしは妾の不敗伝説の礎のひとつとなるのだぞ」

 これは少々まずいことになってきた。

 相手は団長の同類。となれば一筋縄でいくはずもない。加えてろくに動かぬこのタロス。絶体絶命とはまさにこのことだ。

 ナーサシスの攻撃が再開した。私はすぐさま剣を構え、まる大嵐のように続けざまに放たれる剣撃を紙一重のところで受け止め続ける。

「さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ! さあ、どうしたマリィ! 反撃しても構わんのだぞ?」

 くそ、とんでもない奴だな!

 通常これだけ激しく動き続ければシンクロ疲労を起こして息切れのひとつも起こすものだが、ラングフォード団長と同じくそのような気配は微塵も感じさせない。

 タロスとの魔導リンクによるシンクロコントロールには疲労やダメージといったマイナスファクターまで生体にフィードバックしてしまう欠点があるが、ナーサシスは天性のセンスでそれを完全に克服してしまっている。彼女にとってタロスはノーリスクで自由自在に動かせる便利で都合のいい玩具だ。

「なかなかしぶといな。ではこれならどうだ!?」

 目の前で屈伸すると、ナーサシスのタロスが大きく跳ねた。

 上段に高々と掲げた剣を急降下と同時に振り下ろすこの剣技は――兜割り!

 反射的に受けようとすれば剣をへし折られる。

 ――ならば!

 私は直上から凄まじい速度で振り下ろされる剣をタロスの頭部で受け止めた。

「なんだと!?」

 ナーサシスがここで初めて驚きの声をあげた。

 頭部には、物理攻撃を無効化するアンチフィジクスが張り巡らされている。よって兜割りを受けるのは兜が正解なのだが、乗り慣れてない騎士はなかなかこれができない。人は本能的に頭を守ろうとするし、受ける瞬間タロスとのシンクロ率を下げてやらないと衝撃がモロに来て意識が朦朧としてしまうからだ。

 しかしまあ、いきなり飛び上がるとは滅茶苦茶な奴だな。そういう奇想天外なところも団長そっくりだ。

「やるではないか。さすがはアストリア戦争の英雄だぞ」

 間髪入れずに鋭い突きが胸部のコアを狙う。私はすぐさまそれを払いのける。

 軽やかな身のこなしから放たれる鋭く正確で息もつかせぬ攻撃の数々。まぎれもない天才。恐るべき強敵だ。

 だがな――私が、今まで誰に稽古をつけてもらっていたと思っている?

 私はナーサシスの嵐のような攻撃の中から腰の入っていない甘い一撃を待ち、そいつを剣で思いっきり叩き上げた。

「おうっ!」

 起きあがったナーサシスの上体。そこに肩から突っ込むが、間一髪後ろに飛び退くことでかわされる。しかしここまでは予定どおり。慌てて飛んだため重力の制御が甘くなり、着地の際に体勢が崩れているぞ。

 隊長就任祝いにおまえにも見せてやる。これが鮮血のマリィと呼ばれ、恐れられる所以となった、私のもっとも得意とする技だ!

 体勢を崩したナーサシスに向かって、私は剣を構えたまま突進する。

「やらせるか!」

 すかさず体勢を整えたナーサシスは私の突進を迎撃しようと試みる。

 私の突き出した剣がナーサシスの剣と衝突する――その瞬間、私はタロスの全身に流れるイコールをすべて魔力へと変換した。

 私の放った剣は、それを払おうとしたナーサシスの剣を逆に弾いて胸部に直撃した。

 刃がないため装甲を貫くことこそなかったが、全魔力の開放によって生み出された圧倒的な威力はナーサシスのタロスを軽々と吹き飛ばす。

 ――勝負ありだ。

 もんどりうってひっくり返ったナーサシスの姿を確認すると、私は剣を鞘に納めてリリーに返す。

「……この決闘、マーガレット殿の勝利です」

 剣を受け取ったリリーが渋々といった感じで私の勝利を宣言した。

 危ない場面は幾度かあったが、どうにか勝利を納めることができた。ナーサシス、おまえは確かに団長の同類だが同格ではない。どれほど優れた才があろうとも努力なき者に私は負けない。

 私は盛り上がるギャラリーの歓声を浴びながら格納庫に戻ってタロスから降りる。決闘は終わったがやることはまだ山ほどある。

 手始めに楽しそうに観戦していたアヤメのところに戻ってとりあえず殴っておいた。

「タロスの整備ぐらいきちんとしろ! こんな機体で戦えるか!」

「ちゃんと戦えてたからいいじゃねえか!」

 どこがだ。いくら才ありとはいえタロスのタの字も知らん素人と紙一重の勝負だぞ。決闘の勝敗以前におまえの騎士としての自覚のなさが許せん。

「今すぐ整備兵を呼んで一緒に機体を調整しろ」

「え? いや、今日は祝日だしあんたの隊長就任祝いを……」

「今すぐだ! ついでにシステムの変更も国に申請しておけ! これは隊長命令だ!」

 怒鳴りつけてやるとアヤメは逃げ出すように格納庫に戻っていった。明日見てろくに直っていないようなら減俸処分を検討しよう。

 さてと、アヤメのほうはこれで片づいた。今度はこっちだ。私は倒れたタロスから下乗したナーサシスのほうに向き直る。

「まさか負けるとは思わなかった。おみそれしたぞ」

「こちらこそ。失礼ながら少々侮っておりました」

 笑顔で差し出された手を私は堅く握る。潔く敗北を認め相手を憎まない。将来はきっと素晴らしい騎士になるだろう。

「もっとも、あと半年もあれば妾のほうが強くなっているだろうがのう」

 ……自惚れも時には強くなるのに必要かもしれない。それを上司の目の前で堂々と口にするのはいささか問題だが、今回は不問としよう。

「とはいえ負けは負けだぞ。では勝者の証を受け取るがいい」

 ナーサシスが指を鳴らすと仏頂面をしたリリーから金色の水晶を投げ渡される。

 ゴールドソードのキーストーンだ。投げ渡されるのは悪意を感じて不愉快だがまあいい。これで私自らあの機体を確認できる。

 足下から見上げるゴールドソードはどこか懐かしい匂いがした。

 ――この機体、どこかで見たような……。

 それがどこかは思い出せず、とりあえず騎乗してみることにした。

 コックピットは王族専用機らしく豪華絢爛。計器類も以前団長に見せてもらったとおりだ。問題は中身だが――私はキーを押し込み魔導エンジンに火を入れる。

 タロスのオペレーティングシステムが起動し魔法障壁が発生する。同時にコックピット全体が良質の魔力に包まれた。信じ難い話だがここまでは完全に本物と同じだ。偽装にしてもなかなか手が込んでいると言わざるをえない。

 多少古いがシステムはオールグリーン。魔導リンクもブロンズソードとは比べものにならないほどスムーズ。これは……本当に偽物か?

 システムの起動が完了し、シンクロもなんの問題もなく済ませると、外界の景色を映していたモニターに突如テキストが浮かび上がる。

 その文面を読んで私は驚愕した。


『あの日かわした約束、確かに果たしたぞマリィ』


 タロスのシステムに、このような内容のテキストを仕込む人物なんて、私にはひとりしか思い至らない。

 ――ラングフォード団長! もしかしてこれは、あなたのタロスですか!?

 私は事の真相を知るであろうナーサシスを問い詰める。

「うむ、すべてはおぬしの予想どおり。シーリアの地にて決闘に勝利した暁にはこれをおぬしに渡せと頼まれたのだぞ」

 した。

 確かにした。

 他国の騎士との決闘で十連勝したらゴールドソードをくれてやると約束した。九連勝の時点で終戦したのでナーサシスとの決闘でちょうど十勝めだ。

「ちなみに正真正銘の本物だぞ。ラオディケイアのタロス研究班が徹底的に解析してるからな。もっとも偽物ならグラントの国際的信頼は地に墜ちるからそれでも構わなかったのだが……おぬしの団長は律儀だのう」

 約束は、しましたけれど……本当にもらえるとは思いもしませんでしたよ! これって王族専用機ですよ? てっきり冗談だとばっかり思ってましたよ!!

 試しに機体を軽く動かしてみたがやはり本物としか思えない。あまりにも豪華な就任祝い、私には身に余りすぎる。


『このタロスを使いこなしてみろ。それが次のレッスンだ』


 団長のテキストはそこで終わっていた。

 私は操縦桿から手を離して激しく高鳴る胸の鼓動を抑える。

 ――団長は、まだ私の団長でいてくれるんだ。

 たとえ陣営を変えようと、たとえどれだけ離れていても、あのひとは私のことを見てくれている。そう思うだけで胸が熱くて、熱くて、燃え尽きてしまいそうだった。

「愛されておるのだな。妾はさしずめ恋のキューピットかのう」

 ナーサシスに冷やかされ私は赤面する。

「お嬢様に負けておとなしく恋人のいる祖国に帰れば良かったんですよ。シーリアに来てまでいちゃつかれても冷笑しか浮かびません」

 決闘直前のリリーの笑みはそういうことだったのか。まあ敵国の騎士とのラブロマンスなんて私が彼女の立場でも笑ってしまうだろうから文句のひとつも言えん。

 もっとも私と団長の関係はそんな甘いものではないのだけれど……周囲からはそう思われても仕方ないか。いや、私はそう思われても別に構わないというか、むしろ望むところというか。まあ、その……ちょっとだけ嬉しい、かな。

「団長、このタロスありがたく頂戴いたします」

 第七騎士団で騎士として認められたときに頂いた剣。

 第一騎兵隊隊長の就任祝いとして頂いたこの黄金の剣。

 団長からいただいた二振りの剣に恥じぬ騎士になれるよう、これからもよりいっそうの精進をいたします。

「マリィ隊長、そろそろ戻りませんか? オウジャ君が首を長くして待ってますよ」

 側頭部の集音マイクが地上のアコの声を拾う。そこでようやく歓迎会の途中で退席したことを思い出す。私は整備兵とタロスの調整に勤しむアヤメを一瞥する。

「もうしわけないが先に帰っていてくれないか。私はアヤメの機体調整が済んでから一緒に戻ることにするよ」

 部下に働かせておいて自分だけ戻るというわけにはいかないからな。それに今はとても気分がいい。しばらくこの中に居させてくれ。

「マリィさんの歓迎会なのにマリィさんがいなくてどうするんですか! 機体調整なんて後回しにしてアヤメさんと一緒に寮に帰りましょうよ」

「もう充分すぎるほど歓迎してもらった。ありがとう、身に余る光栄だ」

 私はゴールドソードを操り格納庫から出る。

 すでに日はどっぷりと暮れており、美しい満月が顔を出していた。私は操縦桿から手を離しシートを後ろに倒す。

 グラントでもアストリアでも月の美しさは変わらない。

 いや逆か。人の世は儚くその情勢はあまりにめまぐるしく変化するから、人は変わらないものに美しさを覚えるのだろう。

 私の団長に対する想いは……果たして美しいものなのだろうか。

 わからない。でも、きっと答えはすでに出ているのだろう。私がグラントを、あのひとの許を去った時点で、すでに――。

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