終戦 ― Epilogue ―
「本来ならこちらから出向かなければならぬところ、ご足労いたみいります」
「こちらこそ武力による他国への非礼、心からお詫びいたします」
シーリア戦争終結から十日後の早朝、市役所に招かれたテミスはアラン市長と堅く握手を交わした。
「マリィからお噂はかねがねうかがっておりましたが、噂以上の実力だったと聞きおよんでおります。我が軍のエースがこう易々と撃破されるようではこの戦、敗北は必然でした」
「たいしたことはしていませんよ。未熟な弟子と少し戯れていただけです」
戦争の結果はあっけないものだった。決闘にてマリィが敗北した後、テミスを中心にしたグラント軍は電光石火の勢いでシーリア本陣に切り込み、総大将であるナーサシスを瞬く間に打倒し捕虜にしてしまったのだ。
虜囚となったナーサシスを人質に停戦勧告を発すると、シーリア軍総指令本部はあっさりと敗北を認めて降伏した。開戦からわずか数日後の出来事だった。
戦闘の高速化が進む昨今だが、それでも異例の早さで集結した戦争として、シーリア戦争は歴史にその名を残すこととなる。
「いやはや上には上がいるものだ。私はマリィの一騎当千の実力をよく知っていますから。敗北の一報を聞いたときは一瞬、八百長でもしたのではないかと疑ったほどです」
「大丈夫です。周囲にそう思われないよう、圧倒的な実力の差ってやつをたっぷり見せつけておきましたから」
「……」
「ご安心ください。すべては、あなたの思惑どおりに進んでいますよ」
テミスは薄笑みを浮かべて言った。
「事前に市長から話は伺っていたものの、まさか本当に大将の首ひとつで決着がつくとは思っておりませんでした。あのクレアとかいうシーリアの女指令、そうとうな親馬鹿のようですね」
「……ああ。彼女は私とナーサシスの結婚にも頑なに反対していたからな。両家にとって得しかない縁談にも関わらずにね」
逆にアランの顔からは笑みが消えた。目つきも鋭いものに変わる。
「この敗戦で、ひとまずシーリアからハマトとバルティアの影響力は消えました。この後、仮にバルティアから責められたとしても言い訳は立ちますよ。何しろ表向きはきちんと戦ってきちんと敗れたわけですからね」
「一刻も早くハイブラッドを粛正する必要はあるがな。その際には、約束どおり力を貸していただきますよ」
「喜んで。こちらも色々と我が侭を聞いてもらっておりますので」
ダルメセク家はかねてよりバルティアとハマトを危険視しており、家長であるアランは市長就任以来ずっとグラントと内通していた。今回の戦争も決して望んでいたわけではなかったが、やるからにはグラントに勝利してもらわなければならなかったのだ。
バルティアからの増援も極力抑えた。自軍の情報も漏洩した。最愛の婚約者を危険に晒すような真似もした。売国奴と罵られても仕方のない行為だったが、すべてはシーリアの未来の為にしたこと。アランは人としては最低かもしれないが、家長としては誠実であり、政治家としてはしたたかだった。
「いずれ私自身が、粛正される日が来るかもしれないな」
「気に病むことはありません。会談中の要人を襲うようなゲスな連中に政権を握られたら遅かれ早かれ国は破滅です。あなたは政治家として正しい判断を下しただけですよ。そんなことより、そろそろ預けたものをお返しいただけないでしょうか」
「なんの話ですか?」
「もちろんマリィのことです。あいつは俺の代わりに泥を被って騎士資格を剥奪されてしまったのですが……あなたのおかげでシーリアの騎士としてふたたびタロスに乗れるようになれました。ありがとうございます」
「つまり、今度はシーリアからの剣客として、マリィを第七騎士団に再編入する気なのかね」
「さすがは市長、話が早くて助かります」
満面の笑みを浮かべて話すテミスに対して、アランは苦笑いで返すより他なかった。
師弟共に、きわめて私的な目的のためにシーリアを利用したのか。
愛国者のアランからすれば本来、噴飯ものの話ではあるのだが、両者のあまりの肝の太さに呆れを通り越してむしろ感心してしまう。
――これが太陽の子と、その愛弟子か。
世界を動かす大人物とは、きっと彼らのような者のことを言うのだろう。国どころか市を維持することで精一杯のアランには恐れ多くて口を挟むことすらできない。
「後方支援部隊がマリィのゴールドソードを確認したとき、すでにコックピットはもぬけの殻でした。こちらに戻ってきてはいませんか?」
「残念ながらアッシャームには戻ってきておりません。てっきりあなたがたに回収されたとばかり思っていましたが、どうやら違うようですね」
テミスは一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに何かを察したかのように大声で笑い出した。
「なるほど、その道を選ぶのか。まっ、そっちのほうがあいつらしいかね」
市役所の窓からテミスは東方の空を眺める。
たとえどれだけ離れようとも、たとえどこの陣営に属そうとも、二人の絆はこの蒼穹とタロスで繋がっているのだから。
神血の通り路――『ブラッドヴェセル』。
かつてイコールを運ぶために整備されたシーリアとバルティアを結ぶ通路を、二台の馬車がのんびりと進む。
移住のためにシーリアを出立した馬車。そのうちの一台には家具等の生活必需品が山のように積まれていたのだが、その中に生身の人間がひとり混じっていた。
二十歳に届かない年頃の軍服を来た可憐な少女だった。太陽を浴びて光り輝く金髪の美しさが、古ぼけた家具類の中にあっても道行く人々の眼を強く惹きつけた。
「マリィ、そんな埃くさい場所にいないでもう一台の馬車のほうに移れよ。少し詰めれば一人ぐらいは乗れるからさ」
「お気遣いは無用。無料で乗せていただいている立場だ。それにここは風通しが良くてなかなか気持ちがいい」
アヤメの好意を丁重に断ると、マリィは道ばたで引っこ抜いた雑草で草笛を作って吹いた。高価で上等な楽器には敵わないが、これはこれでなかなかいい音が出る。雑草だからといって決して侮れない。
「うむ、音楽もなかなかどうして悪くない。まるで心が洗われるようだ」
「あんた団長に負けてからずっとそれだな。もう勝つことを諦めちまったのか?」
「まさか。諦めたのならすでにグラントに投降している」
グラントの後方支援に回収される前に、マリィはゴールドソードを捨てて脱出していた。理由は無論、再びテミスと剣を交えるためだ。
グラントには戻らない。さりとて属国となるシーリアに残っても無意味。途方に暮れていたところ、たまたま移住のために荷物をまとめていたアヤメ一家と出くわし、無理を言って乗せてもらったのだ。
「今回は遅れをとったが、次は絶対に私が勝つ。そのために私は他国に亡命するのだ」
「できもしないことをいけしゃあしゃあと口にするのはおやめなさい」
隣の馬車から年齢不詳の銀髪のメイドが顔を出す。
「私もあれとは剣を交えましたが想像以上の怪物でした。何が『団長は私の倍は強い』ですか。あなたの蟻のような実力では、たとえ百万回やっても巨象のごとき強さを誇るあれには勝てませんよ」
リリーはマリィの顔を見るとすぐに悪態をつき始める。
どうもテミスになす術もなくやられ、ナーサシスを護れなかったことが今でも許せないらしい。二人にはずいぶん迷惑をかけたので、ストレスの捌け口ぐらいにはなってやろうかとマリィは思う。
「私はバルティアで諜報活動の任務がありますので大っぴらには行動できません。あなたが代わりにバルティア騎士団に入団して、ナーサシスお嬢様の仇を討ってください」
「ナーサシスならすでに釈放されているじゃないか。この前、慰めてやろうと連絡を入れたら逆に慰められたばかりだぞ」
「それでは私とクレア様の気が治まりません。いいですか、間違ってもあれと一対一で闘おうなどと考えてはいけません。数で囲んで袋叩きにしなさい。後シーリアに攻め込む機会があればどさくさに紛れてアランを暗殺しなさい。私たちが許可します」
自分も他人のことをどうこう言えはしないが、いくらなんでも私怨にまみれすぎだ。マリィは呆れて眉をひそめた。
「おまえたちも音楽をやるといい。少しは心穏やかになれるかもしれないぞ」
荷台に転がり空を見上げて草笛を吹く。
シーリアの空のどこかにいるテミスに想いを馳せる。
――ラングフォード団長。
まるで太陽のようにまぶしい男性。あなたの存在はあまりにも遠く、私の手があなたに届くことはついぞありませんでした。でも今はそれでいいと思っています。
私はあなたの一番にはなれなかったけれど、闘っているときだけはあなたは私を見てくれます。だから私はあなたと闘い続けます。あなたに勝つまで闘い続けます。あなたに殺される日まで闘い続けます。
恋人みたいに甘い語らいなんていらない。私たちの約束の場所は血にまみれた戦場にあります。一度は終わった夏だけど、夏は何度でも巡って来ますよね。
愛しています団長。
そして、私の恋を認めていただきありがとうございます。
Marigold Fin
マリィの冒険はこれにてひとまず終了です。
続編の構想はありますので評価していただけることを期待しています。