第二話 口づけ
リオナは幼い頃から、トラブルや事件に巻き込まれやすかった。
暴漢に襲われそうになったり、度々痴漢に遭ったりするのは、豊満な胸のせいかもしれない。
だが、それだけではなかった。
下ろし立てのワンピースを着れば鳥に糞を落とされ、お気に入りの靴を履けば道のど真ん中で泥水を踏んだり、信号を渡れば野良犬に追いかけられ、引っ越した途端アパートが燃えたり。
そして今朝も、軍発行の身分証を紛失してしまい、面倒な入館手続きと上司の長いお説教をうける羽目になった。
記憶にあるだけでも、挙げきれない程に極度に運が無かった。
◇◇◇
ふかふかとした弾力と、上質なシーツの滑らかな肌触り。
いつも使っている寮の硬いベッドとは比べものにならない心地よさに、リオナは幸せそうにもぞもぞと体を動かした。
寝起きの覚醒しきらないまどろみの中、すぐそばにあった心地よいぬくもりへと手を伸ばす。
抱き枕なんてもってたっけ?と思いながら、その豊かな胸を惜しげもなくぎゅっと押し当て、小さな足まで絡めて抱きついた。
「……随分と大胆だな」
「ふえ?」
頭上から降ってきたのは、耳の奥を直接震わせるような、セクシーで低い声。
ぼんやりとした視界の中、ゆっくりとまぶたを持ち上げたリオナの目の前に広がっていたのは——整いすぎたアルベルトのドアップだった。
——これはいったいどういう状況だ?
さっきまで、事務局のデスクで仕事をしていたはずなのに。
リオナは混乱していたが、だんだんと記憶が蘇る。
事務局に顔を出すことすら普段ないアルベルトが襲来し、自分はまたしても情けない事に気絶したことを。
(……え? うそ……っ!?)
気持ちよく抱きついていた“抱き枕”の正体が、まさかのアルベルト・ラインヒューズ大佐本人だと理解した瞬間、パニックで叫びそうになる。
「ひっ、んんっ——!?」
叫び声を上げようと口を開けた瞬間、それを予測していたかのようにアルベルトの唇が隙なく重なり、リオナの声を丸ごと塞いでしまう。
「!!!!」
「騒ぐなよ、サボってんのがバレるだろ。」
目の前が真っ白になった。声にならない悲鳴が喉の奥でつかえる。
(な、何が起きてるの!? なんでラインヒューズ大佐とベッドに!? なんでキスされてるの!? ふぁ、ファーストキスなのに!!)
頭の中のパニックとは裏腹に、再び重なる唇は容赦なく熱を帯びていく。
強引に口内へと入り込んでくる舌の動きに、巧みに体温を奪っていくような濃厚な口づけに、男性経験が一切ないリオナの思考能力はあっという間に奪われていった。
(やわらけぇ。とめらんねぇ……)
アルベルトは決して女なれしているわけではない。そういう店にいって欲を満たすことはあっても、キスまで許すことはなく自分が満足すれば金を払って終わりな素っ気なさ。
リオナをみてると今まで感じたことのない欲が湧いてきて、気づけば己らしくない行動ばかりとっている。
「ふぁ……ん……っ、はぁ……」
リオナの体が力なく弛緩し、熱い吐息を漏らしながら、すっかりとろけたのを確認すると、アルベルトはゆっくりと唇を離した。
「なんで……」
息も絶え絶えに涙目のリオナにアルベルトは胸がざわつく。
リオナの顔を見つめたまま少し考え
「……嫌だったのか?」
「え…いえ、嫌じゃないかも??」
「なら、問題無いだろ。」
——問題しかないだろ!
(問題しかないような?!)
逃がさないよう、リオナの頭の下へと腕を滑り込ませ、もう片方の腕で華奢な腰を力強く抱き寄せる。
「お前の寝顔見てたら俺まで眠くなってきやがった。……仮眠したら寮まで送ってやるから付き合え。」
「はわっ!?た、大佐?!」
立場が逆転し、今度はアルベルトがリオナの小さな体をすっぽりと抱き枕のように包み込んだ。
胸元に押しつけられる体温と、首筋にかかる香煙混じりの熱い吐息。
(これは夢!絶対夢!)
逃げ出すことも叶わず、真っ赤になった顔をアルベルトの胸元に埋めたまま、リオナは再び緊張とパニックで限界を迎えるのだった。
「きゅ〜」
「またかよ……」
アルベルトの呆れた声が静寂の中に響く。
◇◇◇
暗闇に紛れるように1台の車が繁華街の路地裏にとまった。
表は若者に人気の他国料理レストランだ。
車から一人の男が降りてくる。
男を出迎えるために裏口で待機していたレストランの店長が声をかける。
「まっとたでぇ、ボス。今はイーアンオーナーの方がええか?」
イーアンと呼ばれた異国の服をきた男。本名ロウエン。
白髪に引き締まった体躯、表情の読めない笑みを絶やさぬ顔。
表向きは多国にレストランやBARを営む経営者だが、裏社会では名の通った、特殊能力者によって構成される犯罪集団のボス。
出迎えたのはロウエンの片腕ともいわれるヤン。
長い黒髪を一つにまとめ、薄い色付きの丸眼鏡が特徴的な優男だ。
レストランの建物の、最上階のVIPルームに入るとヤン自ら茶を入れる。
ボスの身の安全を考えてというよりは、ただのヤンの趣味である。
「で、その後あいつらの動きは?」
「ちゃーんと調べとるさかい、安心しい。ごろつき共は元々情報与えてないから問題なしや、まぁ、ヘマはしたがかわいそうやから釈放手続きだけして施設の方に放り込んでいたわ♪」
「それはそれは、ある意味釈放されない方が幸せだったかもね。」
「紅の番犬の方やけど、ほんまに偶然やったみたいやね……ただ……」
言い淀むヤンに視線で続きを促す。
「いつもなら被害者も部下に丸投げな奴さんが、珍しく自分で介抱してたんや。」
「その被害者ってそんなに特別な人物だったの?」
「そう思って調べたんや、王家でも能力者でもない一般人の可愛い女の子やったわ……ボスの好きそうなタイプのなぁ♪」
「へぇ、個人的に興味あるなぁその子。」
ヤンはニヤリと悪い笑みを浮かべると、一枚の写真と女性の情報が事細かに書かれている紙を渡す。
写真には隠し撮りであろうリオナが写っている。
写真を手にしたロウエンの目が、獲物を見つけたかのように怪しく見開かれ、舌なめずりをする。
「ところでボス……」
ヤンはまだ何かあるのか、写真と情報を見つめたままのロウエンに声をかける。
「女性のお客様向けに、マンゴーを使った新作スイーツ考えたんやけど、試食たのむわぁ♪」
どこからともなく数種類のデザートを並べるヤンであった。
◇◇◇
「ん、あれ?」
つぎにリオナが目を覚ましたのは見慣れた寮の部屋だった。
備え付けの時計を見れば、日付が変わっていた。
リオナは昨日一日のことを必死に思い出そうとする。
あれは夢だ、あんなイケメンに遭遇したから都合の良い幻想をみたのだと、そう思い込もうとするリオナであった。
女子寮の入口で“それ”を見るまでは…。
「ら、ラインヒューズ大佐っ」
刺さる。刺さるどころの騒ぎではない。
昨日一日のうちに、アルベルトがリオナを抱き抱え連れて行ったことは基地内に広まっており、周りの女子隊員たちからの嫉妬と殺意が入り混じった視線が、痛いくらいにリオナへと突き刺さっていた。
女子寮の門の前には赤い1台の車。
そして車に寄りかかるように立つ男アルベルト・ラインヒューズ。
(いやいや、さすがに私のお迎えなんて自意識過剰すぎよリオナ!)
アルベルトの横を通り過ぎようとしたリオナ。しかし−−
「あと数分遅かったら部屋まで迎えにいくとこだったぜ、リオナ。」
「自惚れじゃなかったぁああっ」
アルベルトのニヒルな顔に周りの女性達から黄色い悲鳴があがる。
だがリオナはそれどころでない。
(なぜ!? あの日助けてもらって逃げちゃっただけで、なんでこんなことに!?
やっぱりこれも運が無いせい?!)
逃げ出そうと一歩引いた瞬間、素早い手つきで腰を抱き寄せられ、スマートに助手席へとエスコートされてしまっては、もうどうしようもない。
朝イチからお得意の「気絶」を発動させたくなるのを必死で耐えるリオナ。
(これはいったい何の罰ゲームなの!
いや、その前に助けてもらったのに逃げちゃったことを謝るのが先!?
もしかして逃げたから怒って、その嫌がらせでこんな仕打ちを!?)
他の女性陣からしたら羨ましい事だが、小心者のリオナには、不運な出来事の連発でしかなかった。
そして、昨日はリオナが気絶してしまったため、部署移動などまだ何も説明出来ていないため、アルベルト自ら迎えにきたのだった。
車が静かに走り出し、とにかく謝罪しようと口を開いたリオナ。
「あ、あの! ラインヒューズ大佐っ!」
「アルだ」
「へ?」
「堅苦しく呼ぶな、アルだ。ジグ以外でこの呼び方を許すのは、お前だけだ。」
「っ……!?」
赤信号で一時停車すると、煙草の匂いを漂わせ、アルベルトは運転席からすっと手を伸ばし、リオナの顎を指先でクイと持ち上げた。
アルベルトの顔が至近距離まで迫ってくる。
「呼べ」
「あ、アルベルト大佐……っ!」
さすがに愛称など、恐れ多すぎて呼べるわけがない。
しかもジグというのは、思い当たる限り一人しかおらず。
(大佐の幼馴染でジグなんて、、間違いなくこの国第三王子のジグルド殿下ですよねーーーっ?!)
アルベルトと幼馴染で、必ず護衛にはアルベルトを指名してくる国の要人。
国一番の天才と呼ばれ、数多くの発明や研究を発表しており、特殊能力研究の第一人者でもある。
(そんな重要人物にしか許されてない愛称なんて呼べるわけないじゃない!!!ヒィィィっ)
だが、その真面目な回答はアルベルトの機嫌を損ねてしまったらしい。眉をひそめたかと思うと
「んっ……!?」
逃げ場のない車内で、顎を固定されたまま朝から深く濃厚なキスを叩き込まれる。
「んぁ……っ、ふぁ……」
こんなキス拒まないといけないはずなのに……
昨日といいアルベルトにキスをされると、何故か抵抗出来ないリオナ。
息が苦しくなり、リオナの瞳にじわっと涙が浮かんだところで、ようやく唇が離された。
呼吸を乱し、真っ赤になってとろけた顔で固まるリオナを見下ろし、アルベルトは口元を不敵に歪める。
「お仕置きだ。呼び方を間違えるたび、仕事中だろうがキスしてやるからな、小リスちゃん。」
「……っ!?」
メンタルも小リス並みしか持ち合わせていないリオナにとって、それはあまりにも甘く、そして恐ろしすぎる死刑宣告に等しい内容である。
「うきゅっ」
やはり朝から気絶せざるをおえないリオナ。
「あ?......こいつ、このメンタルでよく軍に入れたな。」
結局、気絶したままアルベルトに抱えられ出勤するリオナであった。
なお、リオナの通行証でもある身分証は、未だアルベルトが持っていた為、本日は意識の無いまま無事入館したのであった。
——執務室前。
「おい、見たか?!あの殿下しか人間として認識してない大佐が女同伴で出勤だと!?」
「誰か俺をなぐれ!これは夢だ!俺より先に大佐に女ができるなんてえええ!」
「へぇ、大佐ってロリ巨乳好きだったんだぁ。」
「……………(怒)。朝から元気ありあまってるじゃねーか、今日の訓練は俺自らお前ら全員の相手をしてやるよ。」
「「「ヒィィィ〜〜〜ッ!!!」」」
◆◆◆◆◆◆あとがき◆◆◆◆◆◆
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