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とりあえず辺境伯家のタウンハウスに帰るかと思っていると。
「レイスリーネ!」
名前を呼ばれた。
振り返ると、予想通りにタッシェが追いかけてきている。
その横にはタッシェと同じ年ほどの、身分の高そうな男がいた。
もしかしてと思うと。
「ハイドラ!」
「父上」
予想通りハイドラ側の人間だった。
ということは公爵家の当主だろう。
心配を浮かべた顔に、家で酷い扱いはされてなさそうだなと安堵した。
本人がくたびれているだけで、身なりは高位貴族に相応しいものだったから、そうかなとは予想していたけれど、当たって何よりだ。
二人がレイスリーネ達に追いつくと、真っ先に口を開いたのはタッシェだった。
「何をしているんだお前は!」
立ち止まったレイスリーネはハイドラを紹介するように手のひらを向けた。
「実は彼とはここ連日、図書館で会っていて知らぬ仲ではないの」
「何!」
タッシェが驚いたように声を上げると、公爵が慌てて「本当か?」とハイドラを凝視した。
まあ婚約者がまだいた状態で今の説明は誤解を招くだろう。
ハイドラがいいえと首を振った。
そしてもの凄く言いにくそうに口を開く。
「会ってはいますが、ただ……三回ほど挨拶をした程度でお互い名前も知りません」
「知らぬ仲じゃないか!」
「そんなことは些末なことよ、お父様」
満面の笑みを浮かべたレイスリーネに、タッシェは手で顔を多いがくりとうなだれた。
その様子に公爵家の二人が戸惑うように、チュクシオン家の二人を交互に見やる。
「これは、どうなっているんです」
呆然としたハイドラの誰にともいえない言葉に、レイスリーネはきょとんと目を丸くして、わずかに眉を下げた。
そうすると儚い外見が、ますます儚く見える。
「私が婚約者じゃ役者不足でしょうか」
その言葉に動揺したハイドラと公爵に、とりあえず話し合いをとタッシェが提案して、公爵邸へと向かうことになった。
到着した公爵家の建物はとても洗練された建築物だった。
辺境伯領にあるチュクシオン家の武骨な建物とは雲泥の差だ。
といってもチュクシオン家は騎士団を有し、有事の際にも使われる砦じみた城の一角に居住用の邸宅がある。
優美なんて言葉とは対極だ。
王都のご令嬢なんかは確実に嫌な顔をするだろう。
さすがは公爵家だ。
綺麗だなあと呑気に思いながら公爵の案内に続くと、玄関ホールに一人の人物がいた。
ハイドラとよく似た顔立ちの、白銀の髪をした少年だ。
顔立ちがハイドラより少女めいている。
「兄上!」
ホールに入るなり、少年がハイドラへと駆け寄った。
兄上という言葉から、弟だとわかる。
「大丈夫でしたか。また酷い目にあったりしていませんか?」
あわあわと眉を下げて詰め寄る少年に、ハイドラは苦笑している。
少年が後ろにいるレイスリーネ達に気付いて、目を丸くした。
「あの、こちらの方たちは……?」
「チュクシオン辺境伯とそのご息女だ」
公爵の説明に少年がこちらを見やる。
ふんわりと微笑むと、わずかに少年の頬に朱が走った。
「辺境伯様とそのご息女が、何故我が家に?」
「それも含めて、今から話し合いだ。お前も来なさい」
不思議そうな少年を促す公爵に案内されて、応接室へと向かった。
公爵家と辺境伯家でそれぞれテーブルを挟んで向き合う。
ソファーも一級品だなあと感心していると、公爵が口を開いた。
「改めて、こちらが長男のハイドラ。隣が次男のネルだ」
「はじめまして」
にこにこと可憐に笑うレイスリーネを見て、なんとも言い難い表情を浮かべたあと父親が口を開いた。
「こちらはレイスリーネです。跡取りであり、次期辺境伯になります」
その言葉に、三人ともが驚いた表情を浮かべた。
無理もない。
辺境伯家は王国の盾と言われている。
跡取りのイメージは一般的には武骨な男であり、レイスリーネのように妖精めいた可憐な少女ではないだろう。
「よろしくお願いします」
三人の驚きをよそに、レイスリーネはまごうことなき事実だと言わんばかりに微笑んだ。
最初に我に返ったのは公爵だった。
「ええと、それで……ハイドラと婚約するというのは」
「その前にひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
レイスリーネの言葉に、公爵は頷いた。
「ハイドラ様はベアトリーチェ様の婚約者ですよね。何故あんな扱いをされているのですか? 仮にも婚約者に対するものではないと思うのですが」
レイスリーネの言葉に、ハイドラが恥じるように目を伏せた。
それに一瞬視線を向けた公爵が、苦々しい顔をする。
「もともと、とても気の強い方なのだ」
肩をすくめながらのタッシェの言葉に、まあ穏やかとは対極だったなとベアトリーチェを思い出す。
「辺境にまで届いているか」
「王都の情報もつねに収集していますから」
公爵の言葉にタッシェがにこりと笑う。
ふう、と公爵がひとつ息を吐いた。
「辺境伯殿はとても優秀なようだ。そもそもこの婚約は、二人が十歳のときに結ばれた。ベアトリーチェ様は光魔法持ちとしてもてはやされたせいか、手がつけられず婚約者がことごとく見つからなかった。ハイドラの婚約者も決まるという直前に、なかば強制的にこの子が選ばれた」
「完全な生贄ですね」
レイスリーネの可憐な唇から思わずといったように、言葉が飛び出す。
「レイスリーネ」
「すみません」
タッシェの名前呼びに、殊勝な顔を浮かべておく。
公爵が気を取り直したように、ひとつ咳をした。
「ベアトリーチェ様の強い後ろ立てになり降嫁にふさわしい家として、我が家に断れない打診がきた。魔力量も多く、性格も問題がない。そして真面目な性分にベアトリーチェ様を抑えられるのではとハイドラが選ばれたのだ」
「押しつけ感が凄い」
「レイスリーネ」
「黙ってます」
思わずまた飛び出した言葉に、タッシェからすかさず嗜める声が入る。
ハイドラをちらりと見れば、困ったような、どう反応すればいいのかといったような表情で苦笑している。
諦め感が強い。
(うーん、この笑い方気に入らないな)
ハイドラの月色の目は一応見えているけれど、やっぱり死んでいる。
「それ以来、ベアトリーチェ様に奴隷のように扱われている。正直、光魔法の使い手としてだけでなく、一人娘として陛下が甘やかしていて問題ばかりだ。それをハイドラが周りの迷惑にならないように矢面に立ったり尻ぬぐいをしたりしている」
どうやら公爵家自体が動けば自分の非が目立つと思っているのか、ハイドラ以外が動くのを拒否しているらしい。
じゃあ自分で尻ぬぐいしたら、とレイスリーネは言いたくなる。
やっぱりただの生贄だ。
「そのせいで時間がまったくとれない。それに加えて後継者教育を詰め込んでいる。休む時間がなければ、体が悲鳴を上げるのは当たり前だ」
「何故そんな無茶な生活を?後継者教育は本来、時間をかけてやるものでしょう。学園を卒業して本格的に取り組む家も珍しくない」
きゅっとタッシェの眉が寄る。
レイスリーネもそれはどうなんだと思う。
レイスリーネだって後継ぎで勉強はしているけれど、そこまで詰め込んではいない。
けれど眉間に力の入った公爵の様子を見る限り、彼の本意ではないようだった。
その公爵を労わるようにハイドラが「父上」と呼びかけて、タッシェとレイスリーネに向き直った。
「私が春には学園に入学するからです。学園は同年齢ばかりなので、ベアトリーチェ様がますます何をするかわからなくなる。そうなるとどれだけ時間を確保できるかわかりません。卒業後も同様です。なので父上に無理を言って、今急いで勉強しているのです」
それで隈があり肌が荒れて髪に艶がないらしい。
健康的にはまったく見えないので、食事や睡眠の時間も削っているのかもしれない。
とてもレイスリーネには真似できない。
「もの凄く、頑張られたんですね」
「頑張った、ですか」
レイスリーネの言葉に、ハイドラは呆けたように繰り返した。
なんでそんなに驚くんだ。
頑張ったどころの話じゃないのに。
レイスリーネは胸を張って力強く頷いた。
外見が繊細なので力強さは欠片も感じないが。
「これ以上ないくらい頑張ってると思いますよ。だから図書館にいたんですね、あんな方の相手をしながら勉強していたなんて、凄いです。褒章ものです」
「褒章……」
「褒章です!」
呆気にとられたハイドラに、もう一度力強く頷いて見せる。
「今までのことを、そう言っていただけるとは思いませんでした」
ほんの少しだけ、諦めとは違う笑みをハイドラが浮かべた。
それは今にも消えそうな淡いものだ。
レイスリーネはそのお月様の瞳をそっと見て、全然足りないと内心ぶすっとふてくされた。
全然キラキラしていない。
(足りない。全然足りない。もっと元気にして、もっと笑ってもらって、あのお月様をキラキラにしたい)
むしろ自分の手で元気にしてやろうじゃないかとさえ思ったから、今こんなことになっているのだ。
レイスリーネはすでに決めてしまっていた。




