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なんて思った時もあったよな、とレイスリーネは絶賛暗雲を背負って落ち込み中だ。
朝教室に入ったらあいかわらずハイドラに女生徒がむらがっていたけれど、レイスリーネの姿を見てそれらを置いてけぼりに近づいてきた。
「おはようございます」
「お、おはよう」
眩しい。
(いや眩しいのは知ってたけど!)
ここまで眩しかったろうか。
動揺しながらレイスリーネはぎこちなく顔から目線を離すと、それとなく距離をとって自分の席へと向かった。
そのあとも不自然に距離を置いてしまっていた。
食堂でも今まではハイドラの横に座っていたのに、今日はマリアンナが座った隣に滑り込むように座る。
ハイドラがそれを目で追っていたけれど、やっぱり顔が見れなかった。
目があったら絶対に挙動不審になる自信がある。
そうして放課後までずっと廊下を歩いていても、ハイドラの後ろをいつもより歩幅を小さくして歩いた。
ハイドラが気にして足を止めたり声をかけたりはしてくれたけれど、必要最低限しか返せなくて自己嫌悪だ。
そしてこんなときに会いたくない人間には会うものだ。
対面したのはベアトリーチェだった。
一応後ろにトキーノは控えていたけれど、今までよりベアトリーチェから距離をとっている。
決闘以降、思うところがあったのかもしれない。
代わりにメラメラとした闘志のようなものがレイスリーネに向けられていて、とても鬱陶しい。
ベアトリーチェは距離のあるレイスリーネ達を見て、勝ち誇ったように口の端を吊り上げた。
「あらあら、今日は随分と殊勝な態度をとってるじゃない。ようやく身の程を知ったのかしら。わかったら、さっさとハイドラと婚約を解消なさい」
「あいにくそんな予定はありません。私の婚約者は一人だけです」
居丈高なベアトリーチェに、ハイドラは淡々と言葉を返した。
その内容に、ぴゃっと肩が跳ねる。
そしてハイドラが柔らかくも有無を言わせぬ流れでレイスリーネの肩を抱いた。
思わず喉をごきゅりと鳴らし、悲鳴を抑える。
これはベアトリーチェへの牽制だ。
(ごまかすためだから!ごまかすためだから!)
何度も心中で叫んでいるあいだに、ハイドラが「失礼します」と歩き出したのでレイスリーネも足を急いで動かした。
そしてある程度距離が出来たところでハイドラが手を離すと、勢いよく後ずさる。
レイスリーネのその反応に、ハイドラが目を丸くした。
そして口元にわずかに力がこもる。
それは一瞬のことで、すぐに眉を下げた。
「すみません、触れられたくなかったですよね」
「だ、大丈夫」
全然大丈夫じゃない。
嫌とかではないけれど、全然大丈夫じゃない。
結局空気がぎこちなくなったまま、二人は練習場へと到着した。
なかではすでにフラップたちがいて、それぞれ片手を上げたり頭を小さく下げたりしてくる。
「練習しましょうか」
ハイドラの言葉に大丈夫だろうかとレイスリーネは固まった。
練習ならまた後ろから抱きしめられる体勢になる。
無理だ。
秒で結論は出た。
奇声を上げる自信しかない。
「レイスリーネ?」
「今日からは、自分でやる。だいぶコツも掴んだし、その、一人でやりたい」
ちらりとハイドラを見ればじっとレイスリーネを見つめてくる。
それがいたたまれなくて、両手の指をいじいじと絡めながら、ハイドラとその手を何度も交互に見た。
「わかりました。他に手伝えることはありますか?」
「あ、う」
「……私は席を外しますね」
「あっ」
はじかれたように顔を上げると、すでにハイドラは背中を向けていた。
その銀髪の流れる背中に待ってと声をかけようとしたけれど、それより先にドアが閉まる。
遠ざけたかったけれど、なにか違う。
あんな強張った声をたくはなかった。
ドアを見て立ち尽くしていると、ポンと肩を叩かれた。
のろのろと後ろを振り返ると、マリアンナが心配そうな表情を浮かべている。
「どうしたの?」
その問いかけに何も言えずにいると、フラップも近づいてきた。
「あんな拒否の仕方はよくないぞ」
「拒否したつもりは、ないんだけど」
「だって登校も違う馬車で来てたろ。何があったか知らないけど、あれはよくない。ハイドラは一度ベアトリーチェ様に手酷く捨てられてる。それがトラウマになっててもおかしくないだろ」
「そんなつもりは!」
ない、とは尻すぼみになった。
そのまま何も言えずに俯くと、パールピンクの髪が目元を隠す。
じわじわと今日の不甲斐なさだとかハイドラへの態度の悪さとか、自覚のあるものを思い出してレイスリーネの赤い瞳に水分が増した。
「今日はもう帰ったほうがいいわ」
マリアンナの言葉に小さく頷くと、のろのろとドアの外へと出る。
一人になった途端、レイスリーネはその場にしゃがみ込んだ。
恋を自覚したとたん浮かれて、きっとハイドラを傷つけた。
これではベアトリーチェに婚約者が出来次第、すぐに解消だろう。
なんなら別の人間を本当の婚約者にすると解消を申し出る可能性だってある。
「婚約解消……したくない。本当の婚約者になりたいよ」
膝に顔を伏せると、ほんの少しその場所が濡れる。
レイスリーネは暗い考えばかり浮かぶ頭のなかに、しばらく動けなかった。




