extra.狼の守るもの
〔なー〕
宿が借りられたから、あいつもイウジェナもそろって寝ている。イウジェナが一緒だから、あいつは出来るだけ宿に泊まるよう、気を遣うようになった。良いことだ。ニンゲンはあまり、野宿に向いていないから。
オレの定位置である扉横から、シウィの定位置である窓の前へと歩み寄って、小声で話しかける。窓から少し離れて敷かれた布団では、イウジェナが安らかな寝息を立てていた。
旅立つ前、実は少し危惧していたのだが、それは杞憂で、イウジェナは見知らぬ宿だろうが野宿だろうが、こうして健やかに眠っている。思いの外、図太い神経の持ち主のようだ。よくよく考えれば出会ったばかりの巨大なオオカミに、躊躇なく跨がれる少女が、繊細なはずもなかった。
むしろ、未だに時折、昔の夢を見て魘されているシェフィの方が、心は繊細なのかもしれない。
オレの呼びかけに、シウィは、なんだ、とでも言いたげに視線を向けて来た。
〔ずっと、気になってたんだけどよ〕
村ではあまり共に行動することがなかったし、事情があって隠しているのかもしれないしで、あえて訊きはしなかったが。
〔シウィって、ニンゲンの言葉、話せるよな?〕
イウジェナはまだ若いオオカミと思っているようだが、小柄なだけで間違いなくオレより年上だ。イウジェナが生まれる前もニンゲンと行動を共にしていたなら、当然すでに、ニンゲンの言葉は話せるようになっているはず。
シウィは答えなかった。だが、それこそが答えだろう。
〔なんで喋れないフリなんてしてんだよ〕
あの村でイウジェナはひとりぼっちだった。シウィが話し相手になってやったら、少しは孤独も柔らげられただろうに。
シウィは煩そうにオレを一瞥して、低く答えた。
〔それが姫のために必要だったからだ〕
〔イウジェナに?〕
〔姫には『言葉を返せない相談相手』が必要だった。なんでも聞くが、自分の意見を述べることのない相手がな。私が話せないと思っているからこそ、姫は思うまま、心を吐露することが出来たのだ〕
息を吐き、シウィが首を振る。
〔もしも私が言葉を返していれば、姫は私の言葉もまた、オオカミゆえに甘い言葉を吐くのだと信じなかっただろう。そうなれば姫は、私にすら本心を口にしなくなる。それだけは避けねばならなかった〕
軽く言っているが、それは。
〔ただの愛玩動物として扱われることに、甘んじてたってことか?お前、シェフィの故郷の王兄が連れてたオオカミってことは、女神の眷族だろ?〕
神に仕えるものとして、自尊心は高いはずだ。誇りも自負も、あるだろう。
そんな位の高いオオカミが、ただ抱き締め可愛がられるだけの、愛玩動物扱いを受け入れていたと?
〔それで姫の支えになれるならば、私の尊厳など些末なものだ〕
〔つったって、話したくなんなかったのか?悪い村じゃねーし、村長夫婦は良いやつだったとは言え、イウジェナの立場も状況も、良いとは言えなかっただろ?〕
〔言葉で支えることならば、ロトカでも他のユキオオカミでも出来たゆえ、私は私の役割に徹したまで。無論、歯痒く思うことはあったが〕
シウィが深く、息を吐く。
〔一度でも言葉を発してしまえば、姫にとって私は、気兼ねなくなんでも言える相手ではなくなる。姫を守るためであれば、私の心を圧し殺すくらいわけはない。姫こそが私の存在する意味。姫に尽くし続けることこそが、私の誇りだ〕
これだから、ユキオオカミは。
〔それは、イウジェナが女神の血を引く銀髪の女だからか?それとも〕
シウィを胡乱に見つめて問う。
〔お前の主人に託されたからか?〕
シウィは目を細めて答えた。
〔どちらも違う〕
言って、シウィが眠るイウジェナに目を向ける。その目に宿るのは、温かな愛情だけだった。
〔確かに、王子に頼まれはした。王子に付いたのも、先代に託されてのことだ。だが、神殿に仕え、訪れる子供を祝福するだけだった私にとって、姫は初めて生まれてから離れることなく見守った子供だ〕
〔お前、自分の番や子供は?〕
〔いない。親も兄弟もだ。神の眷族として創られた私は、役目を終えて消えることはあれど、死することはない。ゆえに、番も子も必要としない。だから〕
いとおしそうにイウジェナを見つめて、シウィは語る。
〔私にとって姫は掛け替えのない主であると同時に、兄弟であり、番であり、愛しい我が子だ。ゆえに、なにを置いても私は、姫を優先する。あのときも〕
シウィの顔が歪み、鋭い牙が露になる。
〔呪い師の家はあの村で最も安全な場所だ。私は付き添わずとも、姫は安全だった。それでも私は、病に苦しむ姫のそばに控えることを選んだ。熱で震える姫を、私の毛皮で少しでも暖めたいと。だがその結果、姫のご母堂と養父が、殺されることになった〕
〔後悔、してるのか?〕
問えばシウィは首を振る。
〔結果を知っていたとて、私が優先するのは姫だ。それに、姫の養父は立派な方であったが……どれほどの人格者であろうと、ときに歪むことはある〕
〔おいおい、早死にして良かったとでも言う気かよ〕
〔そうは言わん。優しい思い出だけを残してくれたこと、感謝している。彼が人格者であったお陰だ。婚約者を寝盗られたのだ。いなくなった実父に代わり、姫が憎悪を向けられる可能性もあった。……そのときは、私が彼を噛み殺していただろうが〕
これだからユキオオカミは。
〔その後の村人の行動は予想外だった。姫に非はひとつたりともないにもかかわらず、姫を責めるなど。……報いは受けさせたが〕
〔おいなにやったんだ〕
〔私はなにも〕
ふい、と目を逸らしてシウィはのたまう。
〔ただ、あの村のユキオオカミはみな、姫の味方だ。下らぬ嫉妬で姫を攻撃した論外はともかく、初恋の裏返しで囃し立てた愚か者共には、手痛いしっぺ返しになったな〕
なにやったんだよ……。
ユキオオカミに呆れながらもそれはひとまず横に置き、話を続ける。
〔姫は、誰も恨まなかった。清廉過ぎた。ただ己だけを責め、そうではないのだといくらユキオオカミが諭そうとも、優しさゆえの甘言と流してしまった。話せぬことにしておいた方が良いと言うのは、王子の助言だったが、聞いておいてよかったと、あのときに痛感した。私にだけは、姫は本心を話すから〕
〔それさ〕
シェフィが十年もうだうだ悩み続けたことを思って、問う。
〔そのイウジェナへの愛情、女神に植え付けられたものだとは、思わねーの?嫌になんない?〕
〔そもそも私は、女神に創られた眷族ゆえ、その問いに意味はないのだが、あえてそうではないと仮定して答えるならば〕
シウィが笑う。
〔たとえ女神に植え付けられた感情だとしても、私の思いは私のものだ。私が抱き、私が選び、私が育んだ。きっかけがどうあれ、それは変わらない。お前は呆れるのかも知れぬが〕
シウィの瞳が、オレは見据える。
〔私は姫の命が尽きるそのときまで、姫を守り続けるつもりだ。そのこころは変わらぬ。嫌になることはない〕
〔べつに、呆れはしねーけど〕
〔そうか〕
頷いたシウィが不意に、身を起こしてオレを見る。
〔どうした?〕
〔喋れぬ身でいたことに、悔いはない。私が愛玩動物であったからこそ、守れたものは確かにある〕
〔だろうな。話聞いた限り。ロトカもどうしようもなかったっつってたし。頑ななんだよな、イウジェナが。さすがは、オオカミの姫〕
〔姫を馬鹿にするな〕
〔馬鹿にはしてねーよ。ただ、生きづらいだろうなってさ〕
シウィは、ああ、と頷き、頭を下げた。
〔ゆえに、愛玩動物では守れぬものがあった。だから、ラディ。そなたとその相棒には、感謝している。姫を救い出してくれたこと、心より、礼を言う〕
〔えっ!?いや、そんな、改めて礼を言われるようなことじゃ、オレもあいつも、やりたいようにやっただけだぜ?〕
〔それでもだ。私も勝手に、感謝しただけのこと〕
頭を上げたシウィが、イウジェナを見る。起きる様子もなく、健やかな寝息を立てている、イウジェナを。
〔イウジェナが憂いなく、心から笑っている〕
噛み締めるように、シウィは言った。
〔私はそれが、とても嬉しい〕
〔そっか〕
なら、良いか。
〔でもよ〕
シウィを見て、首を傾げる。
〔それならもう、喋れないでいる必要なくね?なんでまだ喋れねー振りしてんだよ〕
〔それは〕
〔まさかずっと喋れねー振りしてたから、やめ時がわかんないとか〕
シウィが、ふて寝するように、ごろりと床に寝そべる。
〔え、図星?〕
〔そう言うことにしておく〕
〔あ、違う。これは違う。なんかもっと言いにくい理由があるやつだ。なんだよ、水くさいことしてねーで、教えろって〕
完全にオレから顔を背けたシウィが、断る、とでも言いたげに尻尾を振る。十七年も喋れないオオカミを演じてたシウィは、行動で意思を伝えるのがすごく巧い。
〔えー、おーしーえーろーよー。オレ、気になって眠れねーだろー?なー、シウィってばー〕
〔うるさい。姫が起きる、もう寝ろ〕
そんな簡単にイウジェナが起きないことは、シウィも知っているだろうに。
〔おーいー、シウィってばー〕
「んん゛」
唸る声に、びくっと口を閉ざす。
「なに騒いでるの?眠れないの?」
寝ぼけ眼で身を起こすイウジェナ。オレにシウィからの、だから言っただろう、と言いたげな視線が刺さる。
「そこだと寒い?シウィ、良いよ、おいで」
どうやら寝ぼけているらしいイウジェナが、シウィを手招く。
シウィは、のそりと起き上がると、イウジェナの布団に歩み寄った。イウジェナがシウィに抱き付き、そのままころりと横になる。
「お休み、シウィ」
呟いたイウジェナは、すぐにまた寝息を立て始める。
「ああ、ゆっくりお休み、イウジェナ」
シウィは呟くと、取り残されたオレなんかガン無視して、幸せそうに目を閉じた。
そう言えばシウィ、イウジェナのこと番とも思ってるって言ってたな。もしかして、愛玩動物の振りして、美味しいところも存分に享受してる?
思い起こせば、イウジェナの残り湯を平気で使うし、身体を洗って貰っているし、丁寧に手入れもして貰っているし、そのせいで触り心地が良いから、イウジェナはすぐシウィをなでるし抱き付くしすり寄るし。
オレはイウジェナにもっと、オスへの警戒心を育てた方が良いのでは?
そんな風にオレがぐるぐる考えているあいだにも、シウィはイウジェナの腕の中で、すやすやと寝息を立て始めて。
ばっと起き上がったオレは、イウジェナの布団から少し離れた位置に敷かれた布団に目を向けた。シェフィは起きる様子もなく、呑気に寝入っている。よそのオスに、惚れたメスが奪われそうになっていると言うのに!
思わず地団駄踏みそうになったが、そんなことすればイウジェナがまた起きてしまうかもしれない。
ううーっと心の中で唸ってから、オレは扉の横に戻り、くるりと丸まってふて寝した。
誰も彼も呑気だ。もう知らん!
そんな憤りと共に。
このふたりと一匹が、こんな風に気を抜けるいまが、どれだけ得難いものか。
そんな感慨深さも、ひっそりと胸に抱きながら。
しょーがないからしばらくは、シウィの秘密も守ってやろう。
これにて番外も完結となります
拙いお話に最後までお付き合い頂きありがとうございました
数話でさらっと終わらせる予定だったのですが
気付けば十万字越えで我ながらびっくりです
こちらのお話
実は八話の頭くらいまでは
十年前に書いていたもので
ちょこちょこ書き足しつつも
続きが書けずに日の目を見なかった作品なので
今こうして読んで下さる方がいて
完結ですと言えていることが
なんだか不思議な気持ちです
感慨深いってきっとこんな気持ちですね
昔の文体を生かしたので
読みにくい文章だったかもしれません
書いていても正解が掴めず
探り探りでした
ただ
長く抱えていただけに思い入れがあるので
読んで下さる方がいて
少しでも心に残るものがあったなら
嬉しく思います
よろしければ
一言感想を頂けるとより嬉しいです
では
あなたにも素敵な歌が届きますように
ありがとうございました




