遭遇
広く大きな城の一室、異変に気付いた少女は顔を上げた。城の中の空気が、何か変わったような気がする。警備の者や使用人達は何をしているというのか。
仕方ない、とひとつ息を吐き出し、少女は立ち上がって動き出した。侵入者が居るのなら、この目で直々に確かめてやろう。
だが何とも薄い、虚弱な気配だ。こんなものは生まれてこの方感じたことがない……いや、そんなことも無かった。ほんの数年前に亡くなった、ごくごく身近な人が似たような感覚だったのではないだろうか。だとすれば『侵入者』の正体は──
考えながら歩き、やがて気付く。在ってはいけない場所に、その気配が在ることに。慌てて足を速め駆け込んだその部屋には、一人の男の姿があった。
「動かないで。 そこから一歩でも動けば殺すわよ」
「!」
声に驚いたのか、一瞬身を震わせた男が振り返る。
「良かった、やっと人に逢え──……っ!」
腑抜けたような表情と声で言いかけた男が、少女を見ては息を詰まらせた。揺れる瞳が、泣きそうなそれにも見える。彼の口元が小さく動いた気もしたが、何を言っているかまでは聞き取れなかった。
ただ男を見て分かったのは、先の予想の一つは間違っていなかったということだけ。
「人間、ね?」
長く尖った少女のそれとは違い、小さく丸い耳。ほんの少しの精力も術力も感じない……それとは別の、生力だけを僅かに感じるだけの気配。
精力とは、少女のような存在──『魔族』の生命力のことだ。これが強い程健康的で長生きをすると言われている。
対して生力とは、男のような存在──『人間』の生命力のこと。
そして術力はいわゆる『魔法』を使う為の、魔力のこと。多少減っても休息や薬で回復出来るもので、人間でも稀に持っている者が居るという。
少女の呟きにはっと我に返った様子の男は、また先のように腑抜けた表情でへにゃりと笑った。
「そう、人間。首都じゃ珍しいみたいだね」
世界人口の九割を魔族が占めているという。辺境の町や村にはちらほらと居ることもあるが、魔王の住む城のあるこの首都で人間を見かけることはそうそう無い。
ここまで分かっているということは、少なくとも男はこの地が首都であることまでは理解している筈だ。ならば城の中に入り込んだのは、やはり何か目的があっての侵入か。
そんなことを考えていると、問う前に男が情けなく眉尻を下げて頬を掻いた。
「会いたい人が居て首都まで来たは良いんだけど、迷っちゃって。ここが何処かも分からなければ目的地の方向も。挙げ句雨が降ってきちゃうし……通り雨だとは思うんだけど、とりあえず建物が見えたから雨宿りに入らせてもらったんだ」
「はぁ……?」
思いもよらなかった言葉に、少女までが間の抜けた声を出してしまう。迷って城に辿り着いたというのか。それはそれで理解し難い。
街から城は少し離れているし、森の木々に囲われた城の敷地周囲には結界も張ってある。結界は精力や術力に反応するものなので、生力しか無い男が抜けられたのも分からないことは無いが。
わざわざ首都へ来て、街から離れたのだとすれば。
「その目的地とはどこ? 『会いたい人』というのは、お前とどういう関係なの?」
警戒を隠さず言えば、ああ、と男はまた笑う。
「会いたい人っていうのは、昔の俺の恩人でね。首都の人なら知ってると思うんだ。方位計が壊れて首都の入口が分からなくてさ……最初にこの建物を見付けたから、雨宿りついでに人が居たら聞こうと思ってたんだよ」
懐から男が取り出した方位計は、確かに明後日の方向に向いていて意味を成していない。一度それに向けられていた男の視線がぱっと上がり少女と合えば、表情には笑みを湛えたまま、彼はとんでもないことを口にした。
「魔王の城に住む、ゼシス様に会いに来たんだよ」
「っな……!?」
まさか、と言おうとした言葉は、音にはならなかった。
ゼシスとは、魔王……つまり、魔族の頂点に立つ者の名だ。世界を掌握していると言っても過言ではない。ただ、『ある地域』にだけは、絶対に手を出さないとしていたが。
そんな人物と知り合いだなどと、普通の者は言わない。大物なのか、図々しいだけなのか。
だけど、どちらにせよ
「……ゼシス・レイナーに会うことは出来ないわ」
「どうして?」
「死んだからよ」
「──え?」
魔王を恩人と呼ぶ人間。そしてその魔王がよく言っていた人間。それは、同一人物だろうか。こんなことなら、生きているうちにその人間の名を聞いておけば良かったと、少女はそう思った。
目を見開いて少女を見る男は、本当にその死を知らなかったようだ。
「そんな……まさか。だってあの人は、そんな簡単に死ぬような人じゃ……」
「そうね。でも、子供を庇ってならどうかしら。それは分かりやすく大きな隙になるでしょう?」
「……っ」
くしゃりと、男の顔が歪む。心から、信じられないと、悲しいと思っているように。
「だって…………まだ、何も……返せてないのに……」
小さく、呟きが落ちて。男の瞳から一粒の雫が流れ、床で弾けた。
その様子を見て、もしかしてと思う。かつてゼシスが言っていた人間は、この男のことなのではないかと。だけどその人間には術力があった筈だと思い直した。術力を持たないこの男が“そう”である筈はない、と。
確かゼシスは、人間が好きだった。大昔にあったとされる人魔戦争によって別れた魔族と人間を、また共存出来るようにしたいと動いていた人だった。だからこの男も、その過程でゼシスに救われただとか、その類いだろう。
「お前、名は?」
「え? ……セル。セル・クロム」
「セルって……『勇者』? 随分高尚な名前ね。見えないから、あたしはクロムって呼ぶことにするわ」
古代語で『勇者』を意味するとされる言葉『セル』。気の抜けるような笑みも、弱々しい人間の気配も、その名を持つには役不足な気がした。
「あたしはセシルよ。セシル・レイナー……今の魔王」
はっきりと少女・セシルが名乗った名に、男・セルは「えっ」とまた間の抜けた声を上げる。こんな少女が、と。
「……ということは、君はゼシス様の子供? だったら……もう、フローラ様も亡くなってるって、こと……」
「そうよ。前魔王と王妃は、四年前の同じ日に、同じ魔物に殺されたんだもの」
呆けたように言ったそれに淡々と返され、また「まさか」と呟く。魔物なんかに殺されるような人じゃない、と。だけどその答えは、先ほど彼女が言ったということも分かっていた。
──『子供を庇ってならどうかしら』
その『子供』とはきっと、セシル自身のことなのだろうと男は思って、それ以上の言葉を紡ぐことは出来なくなった。
「四年も前のことよ、今更言っても仕方のないことだわ。
──ギトス。ギトス! 前王の客人よ、もてなしの用意をなさい」
吐き捨てるように言ってから、セシルは使用人の姿を探す。いつもなら近くに居るし、そうでなくても呼べば来る。




