アシュヒトの魔法講座
「まず、この世界には三種類の言語があるのは知ってるな? 一つは普段の会話で使う標準語。二つ目は、今は随分廃れてきたが、俺の『アシュヒト』やこいつの『セル』のように、名前に使われることもある古代語。三つ目は、魔法を発動する時に術名として発している術語だ」
説明するアシュヒト・ルーベンスの言葉を聞いて、頷くシーラの様子を見て、少しの間の後でセル・クロムは「は?」と間の抜けた声を出した。
「今? そこの段階なのか? 特訓始めて何日目だっけ?」
「七日目だな」
淡々と返すアシュヒトは、小首を傾げるシーラに目線を向けたままだ。それからゆっくりセルの方を向けば、肩を竦めて苦笑した。
「いやな、確かに術力は強いんだ、それによる魔法も強力ではあるんだよ。でもお嬢さんのはやけにセンス任せの荒削りな魔法で……原因を考えたら、術語の理解が乏しいからなんじゃねぇかなって」
魔法を覚えたばかりの初心者が陥りがちなことの一つだ。正確に言葉を理解せず音のみで発するせいで、魔法が充分な効果を発揮しない。そうなればいくら強大な術力があっても持ち腐れになってしまうのだ。
今のシーラの状況は、まさにそれだった。
「例えば『シルト』。これは防御魔法の中で一番魔力の消費が少なく扱いやすいと同時に、使い手の力次第で最大の反撃ともなり得るもの。直訳すると『盾』の意味を持つ言葉だ」
説明するにあたっての具体例の一つとして、アシュヒトは最もポピュラーな魔法のうちのひとつを挙げる。それを聞いてシーラは頷きながら手元の紙にペンを走らせた。
「やっぱ真面目だなお嬢さんは、教えがいがある。でも今のはメモしなくていい。言葉とその意味そのものは本を読んだ方がいいからな。
セルがいいのを見付けてくれるだろ? ロスに来たらオレが使ってた奴を貸しても良いんだが、寄り道してる場合じゃないだろうしな」
「探して来れば良いんだな。いつまでに?」
「今日中」
突然に話を振られるも、予想していたかのようにセルはさらりと返す。それにまた笑顔で短く返されては苦笑を向けた。
「人使いが荒いな……」
「オレに早目にロスに帰って欲しいのはお前だと思うんだけどな? そういう意味であんま時間が無いの分かってんのもお前だと思うんだけどな?」
笑顔に威圧感を覚える。冗談で言ったことなのに、こう返されては申し訳なくなる。
思うが、すぐ後にアシュヒトの笑みが楽しそうに歪んだのを見て、からかわれたことに気付いた。
「お前……イイ性格になったな……」
「褒め言葉として受け取っとくぜ」
まるで子供だ。なんて、アシュヒトと居る時の自分は人のことを言えないと分かっているので、それをセルが口にすることは無い。
その代わり、仕方ないな、と平静を装っては立ち上がった。
「じゃあ、ちょっと買い物でも行ってくるか。ついでに聞き込みもしてくるから、夜に宿で落ち合おう」
「りょーかい」
「行ってらっしゃい」
二人に見送られ、セルはその場を離れる。その後ろ姿が見えなくなってから、アシュヒトは改めてシーラに向き直った。
「続きの前にちょっと聞きたいんだけど、その『シーラ』って名前は、自分で考えたのか?」
「え? ええ、そうよ。お父様に教えてもらった古代語の中で、女性名に使えるもので、言葉の響きが一番好きだったから」
突然の問い。どういう意図かは分からなかったが、正直にシーラが答えると「ふぅん」とまたアシュヒトは考える様子を見せた。それから、少し寂しげにも見える表情で口元に緩く弧を描く。
「やっぱ親子だな」
そうぽつりと零された言葉の端には、シーラの父であり前魔王であるゼシス・レイナーの影がちらついた。
まだ、セルにもまともに聞けていない。だけどシーラは、父のことを知りたかった。彼らの見てきた魔王の姿は、どんなものだったのか。
聞いてもいいのだろうかと、考えて、結局口を閉ざす。そうしていると先に言葉を紡いだのは、アシュヒトの方だった。
「『セル』がホントは偽名であまり本名を晒せない、ってのは知ってるんだっけ? 故郷……ロスに居た頃にな、オレとセルと、もう一人、女性がよく一緒に居たんだ。セルに近い存在ってことで、ゼス兄がオレと彼女にも外で名乗る名前をくれて、それがオレは『アシュヒト』だったわけなんだけど」
あ、と、声には出さずシーラは思う。言葉を選ぶように、どこか言いにくそうに告げるアシュヒトが、次に何を言おうとしているのか、想像がついたからだ。
気付いてしまった。先日、あの診療所の裏で耳にしてしまった二人のやり取りと、今のこのアシュヒトの言葉で、様子で。
「その名前が……クロムの恋人も、『シーラ』だったの?」
「知ってんのか」
「あ、えっと……」
一瞬、言葉に詰まる。流れるように言ってしまったが、そう言えば自分はそれを知らない筈なのだ。盗み聞きのような形になってしまい耳にした話で、本人から直接聞いたわけでも、別の誰かから聞いたというわけでもない。
何も知らない振りをしているつもりだったのに、どうして言ってしまったのだろう。
だけど口をついて出てしまった以上、ここできちんと答えないのは不誠実だと思った。
「あの、ごめんなさい。この間、診療所で二人が話していたのを聞いてしまったの……」
「! 何……それは、どこまで」
すっと、アシュヒトの声の温度が下がる。思わず俯いてしまったせいもあって、その声に更にびくりとして顔が上げられない。
「あたしと似てる女がいるってことと、その女がクロムの恋人だってこと。聞いちゃいけなかったことだと思って、その辺りで離れたけど……」
「……」
「ねぇアシュヒト……あたしが生まれ変わりかも知れないって、じゃあ、その人……──!」
言いかけたシーラの言葉を遮るように、すっと手を伸ばしたアシュヒトは彼女の前髪をくしゃくしゃと混ぜるように撫でた。何、と目線を上げると、少し困ったように眉尻を下げて笑うアシュヒトがシーラを見ていた。
「彼女に『シーラ』って名前付けた時にな、ゼス兄言ったんだ。知ってる古代語の女性名に使える単語で、言葉の響きが一番好きだから、ってな」
先のシーラと同じ理由。それを言ってから、彼は一度目を閉じた。
「……セルには言わないでやってくれな、お嬢さんが彼女のこと知ってるってことは。あいつ、あれでいて身内のことになるとすげぇ脆いとこあるから」
普段は表情が乏しいのに、身内のことになるとすぐに顔色が変わるんだ。
ゆっくりと目を開け、やれやれといった様子で息をついたアシュヒトは、優しくもやはり何処か悲しげな表情をしているように見えた。
何より、シーラには分からなかった。セルの表情が乏しいなんて、そんなことあるだろうか。よく笑っているし、泣いているのも怒っているのも見た。優しい目はいつも細められて……
「……あ」
ふと気付いた。いつも、彼は……なんて静かに笑っているのだろうかと。泣いていても怒っていても、とても静かで感情のままに振る舞う姿なんてほとんど見ていない。いつだってシーラの意見を聞いて、優先させていたではないか。
表情を変えたのは、ゼシスに関することでだった。いつもと違う、どこか子供っぽくもある表情を見せるようになったのは、アシュヒトが現れてからだった。
「さて、講義に戻るぜ。そもそも術語ってのは──」
ぱっとアシュヒトが話を戻し、慌ててシーラは手元の紙にメモをとる。余韻も何もあったものじゃないし、結局セルについて気になることが増えただけだ。意地の悪い人だと思ったが、それ以上何かを聞くことは出来なかった。




