後編
「私は、髪が赤い人なのかなって思いました」
しばしの沈黙。
聞き手の四人は、あとに続く言葉を黙って待っている。
「あの……終わりですけど」
「へ?」
桐谷が間の抜けた声を出す。
「赤い髪の女性なんじゃないかと思いました、以上です」
これまで自分の考えを時間をたっぷり使って発表してきた四人は、このあっさりとしたもの言いにあっけにとられてしまった。
「……エビの尻尾を上に見るか下に見るかでずいぶん違いが出てくるわね。確かに靴だったらそういつも同じってわけにもいかないでしょうけど、髪の色なら、違う色に染めてしまわないかぎりは変わらない。印象深くなるのにも納得がいくわ」
気を取り直すかのように軽く息を吐くと、成田がそう補足した。口数が少なく黙々と作業をこなすことを好む村井と、先頭に立って行動力を発揮する成田。二人は案外良いコンビなのかもしれない。
「もしかしたら全体的には茶色で、てっぺんか毛先だけが赤って可能性もあるよな。そんな感じの頭したヤツ、渋谷とか原宿でよく見るぜ。言われてみれば、まるっきりエビフライカラーだよな」
そう言ってがっはっは、と笑う桐谷のおかげで、一瞬戸惑いを感じさせた場の空気も和やかなものに戻った。
「しかしずいぶんシンプルにまとめたな」
攻めるような口調にならないよう気をつけながら、桧山が言った。
「私、こういう件に関してはなるべくシンプルに考えるようにしているんです。時間をかけて考えをこねくり回したりしすぎると、かえって真実から遠ざかってしまうような気がして」
その言葉を聞いて四人がハッとするのがわかる。自分は考えることの気持ち良さに溺れてはいなかったか。まるでドラマや小説のように、誰も解けないトリックを暴くような快感を求めてはいなかったか――自らにそう問いかけているかのようだ。
「それに……」
その先が言いにくいのか、なかなか言葉が続かない村井。
「どうしたの?」
ほほ笑みながら訪ねる野崎。こういう時の彼のこの表情は、相手の心を解きほぐす、強力な武器となる。
意を決したように一呼吸して村井が口を開く。
「私たち、はじめから勘違いしていたのかもしれません」
その言葉の意味を図りかねて、全員が困惑の表情を浮かべる。
「それってどういうこと? なにかを間違えてるってこと?」
真っ先に質問を返すのはやはり成田だった。さんざん意見を述べ合ってきたことが無駄になってしまうのか。その点をまず確認しようとするあたりは、さすがと言うべきか。
この件に費やしてきた時間や費用……なにより全員の気合の入れようのことを思うと、村井も言い出しにくかったようである。
「間違いと言うよりは、思い違いと言ったほうが近いかな」
申し訳なさそうにしながらも、一度口を開いてからは言い淀むことなく言葉が続く。
「私たちは、『対象』が『エビフライ』と呼ぶ『女』がどのような人物であるかについて話し合っているんですよね?」
自分たちの状況をおさらいしよう、とでも言うような口ぶりだ。
「そのとおりだ。対象のスケジュール帳と携帯の通話履歴にエビフライと残されていた人物。それらは同一人物と考えてまず間違いないだろう。連絡を取り合った直後に必ず密会しているからな」
「さらに複数の証言から、密会相手、つまりエビフライは女であるということがわかっている……で、いいんだよね?」
「ああ、桧山と野崎の言うとおりで間違いない。それらの手掛かりから女の人物像を導き出そうと、俺たちはあれこれ考えを巡らせていたんだろ? 大量のエビフライまで用意して」
四人の視線は、まっすぐ、村井に注がれる。
「はい、それで間違いありません」
「だったらなにが問題なの?」
見当もつかない、といったように首を横に振りながら成田が言う。
「みなさんの考察をまとめているときに気づいたんです。何度も同じ言葉が出てくるなって。『エビフライのよう』だとか『エビフライのような女』って」
「確かにみんな言ってたわ。私も言った。でも、なにも不思議なことはないと思うけど」
ほかの三人も、うんうん、と相変わらずの困り顔で頷いている。
「いいえ、これはとても大事なことです。対象は一度も『エビフライのよう』だとは言っていないんです。あくまでも『エビフライ』と呼んでいただけ」
一瞬にして四人の顔の筋肉が強張った。ひょっとしてとんでもないことを見落としていたのではないか、という不安が頭の中を駆け巡っているであろうことが、その表情から伝わってくる。
「言われてみれば……」
もともと白い顔をさらに青白くさせながら桧山がつぶやいた。
「どうってことのない、ただのニュアンスの違いとして片付けてしまうこともできます。でも、これは見逃してはいけないポイントだと思うんです。そういう小さな勘違いから、最終的には大きな誤解へと発展してしまうのではないでしょうか」
誤解を真実だと思い込んでしまった場合の結末を思い浮かべ、その責任の重大さに言葉を失う四人。いっぽうでいつになく饒舌な村井は休むことなく話し続ける。
「もし対象が密会相手のことを『エビフライのような女』と呼んでいたのだとしたら、みなさんの考え方はなんの問題もありません。でも対象は『エビフライ』とだけ書き残している。それならもっと、広い範囲で考える必要があると思うんです。それこそもっとシンプルな理由かもしれない。その女の好物がエビフライだとか、出身が名古屋だったとか」
「はじめて会ったときに一緒に食べたものがエビフライだった……とかね」
悔しさのにじむ笑みを浮かべ、野崎が言った。
「もちろん対象が、みなさんが言ったように考えてエビフライと呼んだ可能性もあります。でもなぜか、どうしても、もっとシンプルな理由だったんじゃないかと思えて仕方がないんですよ」
「確かにね。『ような』っていう意味でエビフライと呼んでいたのなら、私たちみたいに考えて女の素性に辿りつく人もいるかもしれないわ。それは、二人の関係を隠しておきたかった対象としては避けたいことよね。だったら――」
そのとき、ビーっと耳障りな音が室内に響いた。
「はい、そこまでー!」
この部屋の前方で長いこと、置物のように座っていた男が大きな声でそう告げた。それを合図に、彼といちばん離れたところにいた私はやかましい音を鳴らし続ける機械のスイッチをオフにした。
「くそ! ここまでかあっ」
「真横で大きな声を出さないでくれよ、桐谷」
「でもその気持ち、わかるわ」
「そうだね。それぞれが時間を使いすぎだった。しかも、言葉の落とし穴にもはまってしまっていたようだしね」
「完敗……ですね」
私は、がっくりと肩を落とす五人の机に何気ない素振りで近づいた。
「めずらしく手こずっていたようだね」
自分ではつとめて穏やかな声で話しかけたつもりだったのだが、失敗をとがめられた子供のような顔をした五人が、いっせいに私を見上げてくる。緊張の糸がほどけたからだろうか。彼らは椅子に座るという行為を思い出したようだった。
「はい教官。その要因は、間違いなく思い込みでした」
リーダー然として成田が答える。
「うん。人間、だれしも陥りがちなことだな。一度考え方の基礎を組んでしまうと、なかなかそれを疑うことができなくなってしまう。なぜなら、その基礎をもとにしてどんどん思考を重ねていくからだ。そんな状態になってから土台を見直すなんてことは、これまでの考察を根底から覆すことになる」
五人は黙って頷く。ついさっき、その種の不安を感じたばかりなのだ。
「大切なのは、なにごとも早い段階で決めつけないことだな。慣れないうちは、こうだ、と思ったことと真逆の可能性も同時進行で考えていくようにするといい。次第に、意識せずともいくつもの可能性を手札に残したままにして、要所要所で最適なカードを選択する……というような思考ができるようになるはずだ。臨機応変な対応をできる探偵になるためにも、これは欠かせないテクニックだぞ」
「はい! 肝に銘じます!」
まるで部活の監督に返事をするかのように、桐谷が姿勢をただし、そう言った。確かこいつ、大学ラグビーでけっこう有名な選手だったんだよな。
ここは都内某所にある探偵養成スクール。
毎週金曜に行われるグループディスカッションは、このスクールでも人気の授業である。他人の考察を聞くことは、いかに自分が狭い世界でものを考えているかを教えてくれる。また、結論が同じでもそれを導き出すアプローチは異なる、というケースもよくあることだ。優秀な探偵になるためには、少しでもそういうものに触れる経験を積んでおくことが重要だ、というのがこのスクールの方針だった。
「でもまあ、お題が発表されたのが午前零時だったにもかかわらず、一晩でこれだけ資料を集めたことは評価できる点だろう」
そう言いながらエビフライの一つをつまみ上げ、口へ放り込んだ。きゅっと丸まったそれは冷たく、そして硬くなっていた。
私の言葉に照れくさそうに顔を見合わせる五人。
「せっかくだから休憩室のレンジで温めなおして、反省会でもしながら食べたらどうだい? 今日はちょうど夜間開校日だし、休憩室も遅くまで解放しているよ」
この熱心な若者たちが、毎週欠かさずグループディスカッションの反省会をしていることを私は知っている。休憩室だったり居酒屋であったり、場所はまちまちなようだ。
「はい、そうします」
そう答えたのは、やはり成田だった。
この五人は良い探偵になるだろう。
なにより、人の考えを頭ごなしに否定しない点がとても良い。それはそのまま、ものごとを決めてかからない――と同時に広い視野をもてる――ということにつながるからだ。
五人組のグループをうまく組めずにいたはみ出し者の寄せ集め……しかし私は、ほかのどのグループにもない可能性を、あの五人に感じていた。二ヶ月後にせまった探偵技能認定試験の結果が、いまから楽しみで仕方がない。
数時間後の休憩室。
探偵への情熱に顔を上気させ、口いっぱいにエビフライを頬張り、ほんの少しの胸やけを感じながら議論を交わす五人の姿が、そこにはあった。




