三十八話 入学編その三(崩壊の時です。前編)
封印の儀式が始まる。リリーが描いていた聖図文字の中央にハルが立ち、それを遠巻きに囲うようにしてヤマ達が立つ。リリーは法衣を着て、ハルの正面に陣取っている。
ハルがリリーから手渡されていた聖女の血が混ざった聖水を呷る。直後に、リリーの祈りが始まった。
聖図文字が輝き、すぐにハルに異変が起きる。輝きが増していく度に、ハルが苦しみだしたのだ。右胸を握り締めるようにして、強く押さえ込んでいる。そして、遂に立っている事さえ辛くなったのか、膝から崩れ落ちていく。
ヤマ達のハルを呼ぶ声が聞こえてくる。だが、聖図文字の中には入れない。スズや葉月が一歩近付こうとすると、何かの衝撃で弾かれてしまった。その間にも、ハルの苦しみは増していっているのだろう。俺の所にまで、苦しみの叫びが響き渡ってくる。
「これは、キツいな」
「魔の者が自ら魔を封じるのだ。相応の苦しみや痛みもある。こればかりはどうしようもない事だ、クロ」
見ているだけでも辛い。思わず零したそれに、ルビーが答えた。知っているのだろう、このような光景を。経験したのか、目撃したのか、そこまでは分からない。だが、ルビーは知っている。それだけは確かなようだ。
それからクリスやアリアを見やれば、俺と同じように顔をしかめている。ハルの絶叫からだろう。だが、シスだけはルビーに近い感覚なのか、堂々と言うか平然としている。
最後に、ラファエロの方を向いた俺だったが、すぐに視線を戻した。薄気味悪かったのだ。この状況でなお、微笑みを浮かべて儀式を眺めているのには、恐ろしささえ感じる。一体何を考え、そんな真似が出来るのか。
監視をする、と言った手前、見張っておかなければならないが、あまり目を合わせたくはない。クリスやアリア、シスには頼めないので仕方ないが。
クリス達にはラファエロの事は殆ど話していない。伝えたのは、今日ハル達以外にもう一人来るということだけだ。それ以外は黙秘させてもらった。本当は話して協力を得ることも考えたのだが、ルビーやリリーとも話し合い、今回は見送った。
と、ラファエロに意識を向けていたその時、クリス達の悲鳴に近い驚く声が響いた。何事かとそちらを向けば、クリス達の視線はリリーに向かっているようだった。
「何が……」
俺も改めて、リリーとハルが居る場所を見る。そして、言葉を失った。
そこにあったのは、聖図文字が崩壊しかけ、ハルが無理矢理出ようとしている光景だった。祈りを中断し、リリーが結界でもってそれを阻んでいるのが見て取れる。リリーとハル、両者の様子からして、ただ事ではない。
直後、ルビーがラファエロに掴み掛かる姿が視界の端に映る。
「ラファエロ、貴様ぁ!」
「ルビー、僕は今、何もしていない。それとも、僕が何かしたように見えたのかな?」
「ぐっ、ふざけるな! 貴様以外に誰があれを引き起こす!」
「まったく、これだからルビーは。彼が自らやった事のように、僕は見えるけどね。聖女様は儀式に失敗した。それだけだよ」
微笑みの中に、ルビーを小馬鹿にするような気配がラファエロからは感じられた。
ラファエロの言う通り、証拠は無い。俺もルビーも、察知出来なかった。だが、俺はルビーの叫びに賛同する。
「ラファエロ、今すぐに止めろ。止めないなら、実力行使に出る」
「ルビーだけならともかく、君も証拠もなく疑うのかな?」
「クロ! ラファエロで間違いありません! どうやったのかは分かりませんが、元々仕込んでいたんです! そして、何かきっかけがあれば発動するように! 波長も一致しています!」
ラファエロがルビーにしたようにしらを切ろうとした瞬間、リリーの言葉が重なった。こちらの様子を察したらしいが、結界の維持に重点を置いていて、加勢は望めそうにない。だが、それだけだ。リリーは十分に貢献してくれた。
「だってよ、ラファエロ」
「あの聖女様、優秀だね。それとも、ただの大嘘付きか」
「ラファエロ、お前まだ」
「いや、茶番はここまでするよ。どの道、彼が結界を破ったら明かす予定だったんだ。予定が少し早まっただけの事。構わないよ」
ラファエロは先程と打って変わり、あっさりと自白した。茶番。ラファエロは確かにそう言った。想定内に過ぎないとでも言いたいのか。
俺とルビーはラファエロを睨む。次いで、状況を飲み込めないクリス達も、ラファエロの発言に警戒感を見せる。
「そこまで話して、逃げ切れると思ってるのか」
「それは少し難しいな。多勢に無勢のこの状況を打破することから始めないと」
「出来ると? 仲間が居るなら呼べよ。纏めて縛り付けてやるから」
じりじりと、俺達はラファエロを包囲していく。ハルの方はリリーとヤマ達がどうにかしてくれるはずで、数はこちらの方が断然有利だ。ラファエロの余裕は解せないが、何とかなる。
次の瞬間まではそう思っていた。
「そう? なら、お言葉に甘えて」
『ルビー、あの聖女様を倒してきて。殺したら駄目だよ?』
鳥肌が立った。ラファエロのそれに息を飲む。直後、傍らに居たルビーから、明らかに異質な気配が発せられた。勢い良くそちらに意識を向ければ、そこにあったのは瞳から光が消えたルビーの姿だった。
瞬間、その姿が消える。直感でリリーの方へと駆ける。目に映るのは、今まさにリリーに迫るルビーの姿だ。
間に合わない。そう思った時、またしてもラファエロの言葉が飛んでくる。
『やっぱり、やめた。彼を叩きのめせ』
それと同時にルビーも急停止し、瞬きとともに俺の目前に現れる。そして、次に俺が見たのは空だった。それがどういうことか、考える間もなく首回りと後頭部に痛みが走る。
「クロ! 大丈夫!?」
アリアらしき声が聞こえたのは、そのすぐあと。間近でだった。
どうやら、アリアは俺に追随してきていたらしい。そして、一撃目こそ防げなかったが、その後のルビーの攻撃から俺を庇った。ルビーの追撃が無い事が、その証拠だ。
俺はフラつきながらも立ち上がり、アリアに無事を知らせる。痛みはあれど、このぐらいならばまだ問題ない。それよりも、今はもっと大事な事がある。
「ルビー! しっかりしろ! 何でラファエロの言いなりになってるんだ! 正気に戻れ!」
「無駄だよ。ルビーには届かない。彼女は僕の支配下にあるんだ」
いつの間にここまで来ていたのか。ラファエロがルビーの傍らに現れる。見れば、クリスとシスも遅れてこちらに来ている。怪我は無いようだが、様子から察して振り切られたのだろう。
「悪い、兄貴。こいつ相当の手練れだ」
「知ってる。多分、俺達の中じゃまともに張り合えるのはアリアとルビーだけだろうし」
「んで、ルビーはあのいけ好かない奴の手に落ちた、と。事情は今は聞かねぇけど、まずい状況なんじゃねぇのか」
「かなり、な。リリーはハルに掛かりっきりになるし、ヤマ達は……」
視線を一瞬だけヤマ達に向ける。見えたのは、這い蹲る者や土で片膝を汚す者など。事情は分からないが、少なくとも戦える状態ではなさそうだ。実は期待していたので、これには苦虫を噛む。
実質、戦力はここに居る四人だけ。そして、実際にラファエロとルビーに対峙出来るのは、俺とアリアだけになる。クリスも格闘戦は出来るが、能力が戦闘には向かない。シスはどうか、こちらも近接戦闘は無理だ。後方支援や距離を置いた戦闘ならば得意らしいのだが。
万事休す。この状況には相応しい言葉だ。アリアはともかく、俺ではラファエロにもルビーにも及ばない。精々が数秒の時間稼ぎぐらいだろうか。やりようによっては、また違ってくるかもしれないが。
「僕は速やかな降伏を提案させてもらうよ。勝ち目、ないんじゃないかな?」
「……それはもちろん、お前が降伏するって事だよな?」
「あはは、面白い事を言うね。今の君程度なら、僕は数秒も掛からず地に沈められる。もう一度、提案するよ? 降伏してくれないかな。僕が欲しいのは、彼とルビーだけだ。それ以外には危害を加えないと保証する。どうかな?」
「断る! 何を企んでこんな手間の掛かる茶番をしたのかは知らない。けど、みすみすそれを見逃すつもりはない!」
じわりと手のひらに汗が浮き出てくるが、俺には退くつもりはない。ラファエロの二度の提案を悉く、拒否していく。
だが、本来ならここは態勢を立て直す事も考慮し、退くのが一番なんだろう。俺だけならともかく、クリス達も居るのだから、安全を第一に考えるべきだ。そうしなかったのは、ひとえにルビーの存在があったからだ。
こう言ってしまうと誤解を生みそうだが、別に変な意味ではない。一月ばかりの付き合いでしかないかもしれないが、大事な家の居候だ。俺にとっての助ける理由は、それだけで十分だ。
見れば、クリス達も俺に従ってくれる。と言うか、ここで仮に俺が退くと言っても拒否しそうな様子だ。
以前に、クリスが言った。俺はお人好し過ぎる、と。だが、実際にはクリス達とてお人好しの基準に届いているだろう。結局、俺達はある種の似た者同士と言うことだ。クリスに言えば、即否定されてしまうだろうが。
「そう、あくまでも拒否するんだね。君は本当にいつまで経っても愚かなままだね。でも、それも思惑通りでしかない」
俺の拒絶を微笑みでもって受け止めたラファエロは、クスッと笑いを零す。俺の如何なる言動も、ラファエロにとっては想定内の出来事。
『ルビー、今度こそあの聖女様を排除しろ。もちろん、殺しては駄目だよ?』
「アリア!」
「まっかせてー!」
だが、だからどうした。俺には関係ない。俺は俺の意志で動くまで。ラファエロの思惑など、打破して見せる。
アリアにルビーを阻むよう頼み、俺はラファエロと対峙する。クリスとシスには俺の考えが分かっているはずだ。あからさまな指示は出さなかったが、ラファエロに気付かれないよう指示は出した。それを踏まえ、分かっている前提で動く。
実際問題、俺ではラファエロには勝てない。だが、シスならばどうだ。確かに近接戦闘は得意ではない。これに関してはラファエロには勝てないだろう。
だが、距離を置いた戦闘ならばその実力はラファエロ以上になるはずだ。あくまでも俺の勝手な見解に過ぎないのが難点だが。
クリスはその護衛兼第二の時間稼ぎ役だ。情けない話だが、俺だけではラファエロにこちらの意図がバレた時の時間は稼げない。そのため、クリスが必要なのだ。俺が距離を取るための時間を稼ぎ、クリスがシスの準備が整うまでの時間を稼ぐ。
どうなるかは何とも言えないが、これが今出来る最善だ。無理矢理にでも成功させるしかない。
「君が一人で僕を足止めか。あの小さな邪神様が何かしてくれるみたいだね」
「さぁ、どうなんだろうな。そうかもしれないし、ただの囮かもしれない」
やはりすぐにバレたが、これはまだ大丈夫だ。この程度は俺も想定している。会話を繋いで、少しでも時間を稼ぐ事に専念する。
「そうだね、視野は広く持つべきだ。戦闘に関しては特に。いいよ、待とう。あの邪神様がどの程度の存在か確かめてみよう」
「それは有り難い提案だな」
「でも、それだと手持ち無沙汰かな。君に軽く戦闘の手解きをしてあげるよ」
これも有り難い事に入ると良いけど、とラファエロは言う。全く嬉しく無い。待つことにしたのなら、素直に大人しく待てばいいものを。
言うや否や、ラファエロの姿が目前から消える。拒否は受け付けないらしい。俺はすぐさまラファエロを視認しようと集中する。
そして、ギリギリのところでラファエロの一撃目を逸らした。蹴りを真っ正面から放ってきていたが、正直間に合わないと思った。実際、もう一撃続けざまに放たれていたなら、俺は間に合わなかっただろう。ラファエロが一撃目で止まったからこそ、俺は助かった。
「これぐらいなら今の君でも逸らせるのか。なら、今度はもう少し重く速くしようかな」
遊ばれている。ラファエロのこの言葉に、それを嫌でも実感させられた。
それから先はもう、戦闘ですらなかった。じわりじわりと追い詰められていき、最早ラファエロの玩具と化しているようだった。
長くなるので分けました。次回は明日か駄目なら近日中に更新します。
十一月二十四日付け。




