二十七話 入学編(平穏は既に手にしていました)
「あはははは! 気の毒だったな、兄貴」
「笑い事じゃないっての。こっちは本当に酷いめにあったんだからな」
クリスの笑い声に俺は気分を損なう。現在、俺達は早々に家に帰宅して一息吐いていた。そして、今は同じく早めに帰宅してきたクリスに、学園での顛末を話し終えたところだ。
思い返してみても、どれだけ苦労したことか。あのあと、ヤマ達にはハルの見舞いに行くからと言われて見放され、雨月先生には未だに逆恨みされているような状態だった。クラスの中での印象とて、それに比例して悪いと来た。結果として、入学初日は最悪だったとしか言えない。
それはそうと、もう一つ問い質さなくてはならないことがある。言わずもがな、ルビー達の件についてだ。これだけは確認しておきたい。
「てか、何であいつらが学園に来ること言わなかったんだよ」
「あー、その方が面白いからってよ。気になってた本貰ったんで、黙ってた」
「つまり賄賂を貰ってた、と。あの野郎、いつかぶん殴る」
結果として、やはりあの無駄に俺をおちょくってくる似非ショタのせいだった。クリスにも問題はあるが、それはいい。
クリスは何気に読書家だ。好きな作者のまだ読んでいない本でも提示されたら、断れない程度には本好きだ。それを鑑みれば、今回も断れなかったのだろう。クリスのその性格は仕方ない。まだ許せる。
だが、奴だけは駄目だ。毛嫌いしているというのもあるが、本気で怒りを覚える。今度会った時には、瑞希さんに止められようと一発殴る。俺の平穏を奪った罪は重いのだ。
そうして、俺が密かに決意を新たにしていると、クリスが察して話を進める。
「まっ、そんな感じでアリアとシスは中等部の私と一緒のクラス。ルビーとリリーは兄貴と一緒のクラスに押し込んだんだとよ」
「よりにもよって、何でその配置なんだよ。嫌がらせとしか思えない。せめて逆にするとかならまだ許せたのに」
「いや、妥当な配置だろ。あの二人、高等部ですら通用するか分からないってのに、中等部じゃ違和感有りまくりだろ」
リビングで寛いでいる四人を横目に見て、俺はクリスの言い分に納得せざるを得なかった。確かに、あの二人を一年生と言い張るのはなかなかに難しい。三年生や大学生と言う分にはまだ分からなくもないが。
ちなみにアリアはともかく、シスに関しても同じ事が言える。ルビーやリリーとは逆に、中等部に通うにしては容姿が幼過ぎる。それこそ、初等部で通用するレベルだ。
「諦めるしかないのか、平穏な学園ライフは……」
「はぁ? そもそも兄貴に平穏なんかあった試しがねぇだろ。いっつも何かしらの事件やら問題やらで、まともな生活なんかあったか?」
「うっ、無い」
そう言えば、思い返してみても平穏とは何か分からない生活をしていた。今も昔も。しかし、だからこそ平穏を望むのであって、俺の思いは間違っていないはずなのだ。クリスに言っても、呆れられるだけだろうが。結局、俺は反論する事はせずに、溜め息だけをその場に吐き出すのだった。
「お人好し……」
クリスの呟きがこの会話の終わりを告げた。
俺はもう一度溜め息を吐いて、それからルビー達を見やった。自分で引き受けた面倒事。これもまた因果応報と言うものなのだろう。
俺はルビー達の下へと向かい、そして、ルビーに拳骨を落とす。別に八つ当たりではない。ルビーの行いに対しての正当な制裁なのだから。
「真っ昼間のリビングで堂々とエロ本読んでるんじゃない! 読むなら読むで、自分の部屋で読め!」
もう一度言おう。八つ当たりではない。実年齢はともかく、見掛けは幼い者もいる中でエロ本を読む方が悪いのだ。正義はこちらにある。
「痛いぞ、クロ。どこで読もうが私の勝手だろう」
「全部纏めて焼き捨てるぞ、こら」
何が悪い、と抗議してくるルビーに対して、俺は無造作にエロ本を奪い取る。
最近、ルビー達は気を緩め過ぎる傾向にある。家に馴染んできた証拠でもあり、良いことではあるのだ。だが、ルビーのこれは頂けない。エロ本を読むなとは言わないが、せめて隠してほしい。白昼堂々など論外だ。
「仕方ない。では、クロがこのシーンをやってくれたら考えよう」
どこに隠し持っていたのか、二冊目のエロ本のとあるページを開いてルビーは言った。すぐに奪い取ろうとしたが、今回は警戒していたルビーによって阻まれた。あくまでも、俺に読ませたいようだ。仕方なく、俺はそのページの部分だけ読んでみる事にした。その結果は。
「……こんなのするわけないだろ。てなわけで、没収」
「なっ、これぐらいならしても良いだろう!? それでも男なのか、クロ」
そんなルビーの愕然とした様子は気にせず、俺はエロ本を回収する。特に性行為のシーンが載ったページではなかったが、だからと言って再現などする気はない。何だ、壁ドンからのキスとは。やるわけがないだろう。少しは考えてから物事を言ってほしい。
ルビーは未だに騒ぎ立てているが、俺はそのままルビーの部屋にエロ本を持っていく。他に置き場所も無いので、元の場所に戻すだけだ。次にリビングで読んでいたら、問答無用で燃やす。許されるのは一度だけだ。二度はない。
それから再びリビングに戻れば、ルビーがシスに頭を撫でられて慰められている光景に出くわした。珍しい組み合わせであり、光景だ。普段なら、リリーに皮肉やら悪口やらを言われながら慰められているのが常なのだが。
「珍しい組み合わせだな。何がシスを駆り立てたんだ?」
「さぁ? 私にも分かりません。どうしたんでしょうか」
俺の独り言に、律儀に答えたのはリリーだった。同じく首を傾げている。一体、何があったというのか。アリアも近付いてきたので尋ねたが、こちらも不思議そうに二人を眺めるだけだ。答えが見付からない。
もう二人に直接聞くべきか、と思い始めた頃、俺は突如として答えを得てしまった。よくよく、シスの行動を眺めていれば分かったことだった。
「ああ、なるほど」
点けられたテレビにはペットの構い方特集と題した番組。シスのルビーを慰める動作。この二つが鍵だったのだ。そう、答えは至極単純。
「シス、ルビーはペットじゃないぞ? ただの変態だ。近寄っちゃいけません」
と言うことだった。
取り敢えず、変態から幼女を引き離そう。この言い方だと通報されかねないが、事実なので見逃してもらいたい。
それはともかく、シスをルビーから離してアリアに預ける。その後、ルビーに近寄って俺は膝を折った。しかし、このあとはどうするか。ちょっとした悪戯心が疼く。
「……ルビー、お手。おかわり。伏せ、よしよし」
迷った末に、俺はやってしまっていた。意外にルビーが従順で、調子に乗ってしまったのだ。後悔は無いが、これではシスを叱れない。まぁ、元々注意はしても叱るつもりはなかったが。
何より、ペットにするようなこの撫で回し。触り心地もよく、不覚にもハマってしまいそうだ。自然と笑みまで浮かんでくる。これがペットとの戯れと言うものか。実に楽しい。
だが、俺はこの時、過ちもまた犯していた。否、この行動自体がそもそもの過ちだったのだと言える。俺がこんな事を仕出かせば、どうなるか。少し考えれば分かったことだ。
そう、つまりは残り三人の変人達が動くのだ。我も我もと、水を得た魚の如く。しかし、それだけでは終わらない。まだ、超危険人物がいる。言わずもがな、俺に撫で回されている人物だ。発情期真っ盛りの動物も顔負けの興奮振りで、今にも飛びかかってきそうだった。
だと言うのに、俺の手は止まらない。まるで別の生き物のように、ルビーを撫で回し続けている。最早、自分の意志では止められそうになかった。
と、そこで俺は違和感に気付く。おかしいのだ。別の生き物のように。自分の意志では止められない。これは明らかに変ではないか。何が変とは断言出来ないが、いや、思考出来ないのだが。
……違う。思考出来ない。出来るはずだ。でも出来ない?
「ぬっ、クロ。レジストするな。何も考えてはいけない。考えるな、私を撫で回すことだけに専念すればいい」
そうだ。撫で回すんだった。それだけ……じゃないだろ!
「何した、ルビー!」
そう叫ぶと同時に、俺はルビーから手を離すことが出来た。思考が正常なものになり、感覚も戻る。
ルビーを見据えれば、視線を逸らして挙動不審にしている。これは明らかに何か仕出かしているはずだ。だが、ルビーは頑なにその何かを答えようとはしない。
「な、何のことだ。私は何もしていない。クロが撫でてきただけだろう」
「あくまでも、しらを切るんだな? それならそれで、こっちにも考えがある。今後一切、俺はルビーには構わない。話さないし、目も合わさないからな。いいのか?」
「だ、駄目だ! クロ、それは鬼畜の所業だぞ!」
「なら、正直に答えればいいだろ? 何した、ルビー?」
「……で、出来心だ。少々、魅了の力でクロに暗示を掛けた。だが、撫でてもらうだけの暗示で、それ以上のものは何もしていない。信じてくれ、クロ」
仕方なく少しばかり脅してやれば、ルビーは簡単に口を割った。やはり、ルビーの仕業だった。俺はその内容に、思わずルビーの頬を引っ張る。
痛い、とルビーは訴えるが、知ったことではない。そんな力を隠していて、更に俺に向かって使ったのだ。当然、報いは受けて然るべきであり、この程度で済んで逆に有り難く思ってもらいたい。
それから俺の気が済むまで、ルビーを頬を引っ張り続けた。指を放した頃には、ルビーの頬は真っ赤に染まり、眦には涙が浮かんでいた。
「うっ、クロは鬼畜だ……」
「この程度で鬼畜呼ばわりするなっての。逆にこれぐらいで済んだんだ、喜べ。それとも、鬼畜に相応しい仕返しでもしてやろうか?」
と、そう言ってやれば、ルビーは大人しくなった。分かればいいのだ。分かれば。
俺は一頻りルビーに反省を促し、魅了の力と言うのを二度と使わないと誓わせ、この一件を終わらせた。ただし、先程も言ったが二度目は無い。また同じことをしたら、次は容赦無しだ。鬼畜の所業とやらを見せてやる。
そうして、ルビーの一件を片付けた俺は、まだ片付いていない問題に意識を向ける事にした。後ろを振り返る。そちらに問題があるのだ。そう、残り三人の問題が。
「で、お前らは何やってるんだ? そんな期待した目で見ても、撫でないからな?」
俺の後ろ、そこに広がっていたのは、ルビーの真似事をした三人の姿だった。期待した眼差しが、一身に向けられている。シスやアリアならまだ可愛げもあるが、リリーがやると何故か引く。
あれだ、いい大人が何をやっている、と言いたくなるのだ。仮にも聖女なら聖女らしく、慈悲と慈愛に満ちた姿勢でいてほしい。リリーに限っては無理な相談なのだろうが。
しかし、そうは言ってもこの三人が納得してくれるわけもない。ルビーをあれだけ撫で回したのだ。不満が口々に出てくる。そして、三人が三人とも四つん這いで迫り来る様は、可愛げも何もない。ただ恐ろしいばかりだ。
これで呻き声でも上げてみろ。ゾンビに迫られているようにしか思えないような光景だ。
「じゃ、じゃあ、分かった。撫でる、少しだけ撫でてやるから。それ、やめろ。怖いわ」
結局、俺はその様に怯えもとい根負けして、妥協案を提示することになった。
だって、凄い怖いんだもん。不満吐き出しながらとか、呪詛吐かれながら迫ってくるようなもんだし。どこのホラーだよ。普通にビビるわっ。
その後、その様子を眺めていたクリスまで何故か混じり、俺は人の頭を撫で続けることとなった。少しだと言ったのに、一時間以上は撫で続けたと思う。正直、腕と手のひらが異常に疲れて痛みを覚えたが、休憩はなかった。しばらく、人の頭に嫌悪感を覚えそうだ。
そんな思いを抱きながらも、入学初日は過ぎ去っていった。日常化した非日常とともに。
そして、俺は悟った。平穏ではないことも、日々続いていけばそれが平穏になり得ることを。これを、望まぬ平穏、と言う。俺の辞書に新しく記入された言葉だ。覚えておいて、得はない。




