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十一話 邂逅編その二(災難続きの一日です)

「はぁ……どうしたもんかな。誰にも会わない」


 俺は辺りを見渡し、溜め息を零す。歩けど歩けど、人に出会さない。あれから、既にどのくらい経ったのか。多分、十数分は歩いている。だと言うのに、からっきしだ。


「……選択間違えたかも。動くべきじゃなかったか。どうしよう」


 今更立ち止まったところで、結局先程動いた分は変わらない。なら、まだ歩くか。それも駄目な気がする。こうなってくると、八方塞がりだ。あーでもない、こーでもない、と俺は頭を悩ませてしまう。


 そもそも、人に一人も会わないと言うのがおかしいのだ。このフロアには奴の部屋以外にも部屋は存在している。人が一人も居ないと言うのは、どう考えてもおかしい。


 そこまで考えて、俺は突如として背中に衝撃を受けた。


「っ! 何だ、いきなり……!」


 たたらを踏みながらも、何とか後ろを振り返った俺は思わず言葉を失った。人が居たのだ。それも、俺と知り合いの。


「ミーコさん!?」


「誰がミーコだ! あたしの名前は美魅子みみこだ!」


 そう言って俺に拳骨をお見舞いしてきたのは、氷室ひむろ 美魅子みみこさんだった。


 痛む頭を押さえながら、俺はちらりと美魅子さんを見やる。以前と変わりない真っ赤な髪色にヘーゼル色の瞳。目尻の下にある黒子は整った顔立ちと合わさって、大人の女性の魅力を引き立てている。スタイルや服装とて同じだ。さすがに今日の瑞希さんよりは露出度は高くないが、俺と同程度の身長に整ったスタイルで、それを強調するようなダメージ系の服装。素直に格好いいと思ってしまった。


 彼女はまだうちが転生者の下宿先としてあった頃、住んでいた人物だ。当時は姉御的存在で、溌剌とした女性だった。今もそれは変わっていないようで、俺としても嬉しい。


 ところで、と美魅子さんに改めて向き直り、問い掛けた。


「何でこんなところに美魅子さんがいるの?」


「あー、ちょっと頼まれたんだよ。このフロア、立ち入り禁止にしたままだからお前を迎えに行ってくれって」


 それだけで、俺は理解した。奴だ。やはり元凶は奴だった、と。


 要するに、奴がこのフロア全域を立ち入り禁止にして、無人にしたのだ。そして、美魅子さんを迎えに寄越した。


 何故そんな事をしたのか。どうせ奴の事だ。俺をおちょくりたかったとかだろう。道を覚えていれば問題ない。だが、もしも道を覚えていなければ迷子にして、からかう。そんなところだろう。


 本当に性根の悪い奴だ。無駄に人を苛立たせる。


「あー、まぁ、大体の察しは付いたみたいで何よりだ。あたしの口からは言いにくいしな」


「……察したくはなかったんだけど。腹立つのに、怒り向けられる相手がいないし」


 そこまで計算に入れていたのだろう。それが余計に腹が立つ。奴は最後まで人をおちょくっていったのだ。


「どんまい、諦めろ。あの人はそう言う人間なんだからよ」


「特に、俺に対しては酷い気がする」


「それは言えるな。まっ、そこは息子だからってのもあるんじゃないか? 何だかんだ言って、構いたいし、構ってほしいんだろ、きっと」


「血が繋がってるだけで、関係ないし。こっちはいい迷惑だ」


「相変わらずだなぁ、クロ坊。毛嫌いすんのはいいけど、ほどほどにな」


 そこまで言って、美魅子さんは俺の肩を叩いて歩き出した。どうやら、出発ということらしい。俺も黙ってそれに従った。


 程なくして、エレベーターらしき場所に着く。意外に近かった。と言うか、曲がり角を二回曲がった所だった。


 こんな近い所に、と俺は内心泣いた。今までの苦労は何だったのか。本当に泣けてくる。無意識に軽く目元を擦ってしまったが、当たり前のように濡れていた。


「そう言えば、クロ坊は最近ここに来てなかったみたいだが、何してたんだ?」


 そんな時に美魅子さんが話を振ってきた。彼女なりの気遣いだ。泣いてない、と言っても信じてはくれないだろう。


 ああ、美魅子さんの善意が胸を抉る。


 そうは思いながらも、ちょうどいい機会だ。美魅子さんとも一年程会っていない。みんなの所に帰るまで、互いの近況報告をしておこう。


 エレベーターに乗り込みながら、俺は口を開いた。


「って言っても、大した事はしてないんだよなぁ。この二日間は別にして、だらけてただけだし」


「ふーん、確かに怠けてたみたいだな。少し身体が鈍ってる。この様子だと、勘も鈍ってそうだな」


「まぁ、多少は。身体の方は維持してるつもりだけど、何があるってわけでもないから鈍ってるっちゃ鈍ってるかな」


 大雑把に身体を触ってくる美魅子さんに抵抗しつつ、俺は改めて身体の状態を告げる。確かに最近は受験やら何やらで怠けていたのは事実だ。鈍ってもいるだろう。


 その事を説明すると、美魅子さんは何か思ったらしく、頻りに頷いていた。


「なるほどな。なら、時間の取れた時はクロ坊の鍛錬をしてやるよ。他の連中にも言っとく。約束だ。嬉しいだろ?」


 そして、告げられた有り難くも迷惑な約束。俺は苦笑いを浮かべるだけで精一杯だった。冗談抜きでやめてほしい。この人達は加減を知らないのだ。そんな人達と鍛錬など、正直に言っても御免被る。


 だが、それを口にすることは出来なかった。何か、言い難い圧力を美魅子さんから感じ取ってしまったのだ。この人からすれば、ただ笑みを浮かべているだけなのかもしれないが、俺からしてみればそれは圧力だった。


 結局、俺はただただ頷くしかなかったのだ。これは既に決定事項。覆すことは叶わなかった。


 半ば強制的な頷きの代償に流れる沈黙。流石にこれはまずい、と俺は話のネタを探す。次いで、浮かんできたのは美魅子さん達の近況だった。俺の話をしたのだから、今度は美魅子さんの番だ。別に不自然ではない。


 エレベーターが目的の階に着いたタイミングで切り出してみた。


「そう言えば、美魅子さん達は今何してるんだ? ここには他の人も?」


「いや、あたしだけだ。他の連中は長期任務やら出向やらで、あちこちに散ってるはずだ。あたしはちょうど一仕事終えて、帰ってきたばかりだな。今日はその報告に寄っただけで、クロ坊の迎えはついでだ。このあとは久し振りの長期休暇だよ」


 エレベーターから出て、歩きながら話してくれたが、これはあれか。遠回しに、鍛錬してやる的な事を言っているのだろうか。もしそうなら、俺は話の選択を間違えたらしい。自分から地雷の海に飛び込んでしまったようだ。


 何より、彼女は最後に何と言った? 長期休暇だ。長期、どのぐらいの休みかは分からないが、少なくとも二、三日ではないのは確かだ。少なめに見積もっても、一週間は休みと考えるべきだろう。その半分を鍛錬に費やしたとして、果たして俺はその間生きているのだろうか。正直、予想出来ない。


 そう遠くない未来に震える俺に、彼女は更に恐怖を植え付けてくる。


「ああ、クロ坊の鍛錬だけど、今年から高等部に入るんだよな? なら、明日から入学式の前日まで毎日鍛えてやるよ。良かったな、クロ坊」


 ごめんなさい。その笑みが眩し過ぎて、立ち眩みして倒れそうです。いやもう、いっそのこと、このまま気絶したいくらいです。


 などと思ったところで、気絶なんぞ出来るわけもなく、ぎこちない笑みとともに了承の意を伝えることしか出来なかった。


 それからは何とか他愛ない世間話に花を咲かせ、どうにかこうにか間を持たせることが出来た。何てことはない。恐怖を受け入れてしまえば、あとはどうにでもなるのだ。これを世間一般では、現実逃避と言う。


 へへ、最近、俺の特技に現実逃避が新しく加わったんだぜ。凄いだろ?


 なんて、馬鹿みたいな思考すらしているが、今が問題ないならそれでいいのだ。俺はそう思うことにした。だから大丈夫だ。


 それより、もうそろそろ目的の場所だ。つまりは、クリス達が居る場所。


 世間話の際に、その事は聞いている。迎えの送り先は、この建物の一階フロアに存在する待合室。クリス達もそこに居るとのことだった。


 そして、今、俺はクリス達と再会を果たす。


「おるぶっ!」


 待っていたのは、クリスの右ストレートだったが。


 回転しながら後ろに飛んでいく俺。一体どこのギャグ漫画だ。歯が折れなかったから良いものの、かなり痛い。危うく気絶仕掛けた。


 取り敢えず、立ち上がってクリスに物申さなければ。殴られた意味が分からない。


「痛たた。何するんだよ、クリス。俺が何したんだ」


「何したって? 彼氏いないだの、貧乳ガサツ馬鹿だのって言っておいて、何しただと?」


「……? っ! ちょっと待て! そこまで言ってない! 彼氏いないとか馬鹿は言ったけど、そこまでは言ってない!」


 一瞬、何のことを言っているのか分からなかったが、瞬時に思い当たる節を見つけた。駅での、別れ際の時に言った台詞だ。


 まさか根に持っているとは。完全に予想外だった。


 そうこうしているうちに、再びクリスが牙を剥いてくる。


「んなもん知るか。もう一発殴らせろ!」


「やめっ、危ないって! マジでそれはヤバいから!」


 ぎりぎりで回避したが、風切り音が聞こえる程だった。本当に危険だ。最初の一撃より、明らかに威力が高まっているのは容易に想像できた。


 ルビー達に助けを求めようとそちらに視線を移せば、何故かそっぽを向かれてしまった。理由は分からないが、ルビー達もクリスに共感して怒っているらしい。


 勘弁してくれ! 俺が一体何したって言うんだ。クリスにしても、ルビー達にしても、そこまで怒る理由が分からん。


 そんなこんなと無駄に考え事をしていたら、また耳元で風切り音が聞こえてきた。今度はさっきよりも近い。考えている暇は無さそうだ。


「待て、本当に待て! 分かった、俺が悪かったから! 悪気はなかったんだよ! それどころか、クリスのこと、うちでは天使とか女神様とか崇めてる時だってあるんだぞ! 駅でのことは魔が差しただけなんだって!」


 いつの間にかラッシュへと変わっていたクリスのそれを必死に避けながら、俺はどうにかその機嫌を直そうと躍起になっていた。当たればシャレにならないダメージを受けるのだ。必死にもなる。


 そして、それが功を奏したのか、クリスの動きがピタリと止まった。実際問題、止まってくれて助かった。本当にぎりぎりだったのだ。顔から数センチ。それがクリスの拳との距離だった。


 俺は腰を抜かして、その場に仰向けに倒れ込んでしまった。


 次いで、今頃になって美魅子さんの笑い声が待合室に響く。この人は、入った時に隣に居たと言うのに、助けにも入ってくれなかった。クリスに反応していたにも関わらず、と言うのが余計に酷い。どうせ彼女のことだ、例えその事に文句を言っても、これも鍛錬の一環とばかりに笑い飛ばすのだろう。実際に今も笑っているのだから。


 そうして、俺が美魅子さんを恨めしげに見ていると、動きの止まっていたクリスが再び動き出した。クリスはそのまま俺に跨り、やはり殴ってきた。ただ、それは先程のものとは打って変わって、本当に軽いものだった。


「……本当に、そう思ってるの? お兄ちゃん」


「へ? ああ。もちろんだ。だって、俺一人じゃ家のことも自分のことも何にも出来ないんだぞ? そりゃ、クリスのこと天使とか崇めたくもなるよ。それに、可愛い妹だって常々思ってる。本当だぞ?」


 まさかの素モードクリスさんだった。殴ってきた時は違ったのを見る限り、今回は俺の言葉が引き金か。最近は何がきっかけになるか分からないな。だが、取り敢えず甘やかしておこう。この場合のクリスに対する唯一の対処法なのだから。


「えへへ、そっか。なら、いいよ。許してあげる。でも、二度とあんな事言わないでね? 悲しかったんだから」


「もちろん、約束する。で、だ。取り敢えず、降りてもらっていいか? そろそろ立ちたいんだけど」


「まだ駄目。まだ撫でてもらってない。撫でてくれたら、降りてあげる」


「へいへい、仰せのままに」


 駄々をこねるクリスの頭を言われるがままに撫でる。それで退いてくれるなら安いものだ。そう思っていた時もあった。


 まさか、この行為によって第二、第三の駄々っ子どもが現れるとは思わなかったのだ。いや、少し考えれば分かったことかもしれない。この状況的には、やらないと言う選択肢はなかったわけだが。


「あー! ずるい! 私もー!」


「駄目だ、クロ。そのいかがわしくも全身が痺れるような甘美な行為。私にもしなければ駄目だ」


「ふふ、恥部を撫でつけるようなその手技、私も所望します」


「……私……希望……」


 お前らなぁ! 特に大人二人! 何でもかんでも下ネタに結び付けるんじゃないよ! てか、重い! 全員でのし掛かるな!! 降ろそうとして、何で増えるんだよ!! ちくしょう!!


 既に声も出せないほどのし掛かられ、俺は心の内で叫ぶほかなかった。このまま、俺は窒息するのだろうか。いや、絶対に窒息する。そのあとに待っているのは、確実な死。


 待合室に響く美魅子さんの高らかな笑い声。それを最後に、俺の意識は否応なく途絶えるのだった。



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