九話 邂逅編その二(今日は色々散々な日です。前編)
さて、現在の俺の状況はと言えば、生物学上の父親に悪態を吐いて地面に押さえつけられている。やったのは、憎きあいつではなく、何時の間にか背後に潜んでいた人物だ。対処する暇もなく、完璧に押さえ込まれてしまった。
「っ! くそ、動けねぇ」
「あまり暴れられますと外しますので、御了承下さい」
「了承なんか出来るわけねぇだろ」
「では外します」
頭に血が上っている俺は、そう言われても拘束から逃れようと暴れ続けた。肩を外されようが知ったことではない。俺にとって、毛嫌いする人物の前でこんな様であることの方が問題なのだ、と考えていた。
そうして俺が暴れることをやめないと判断したらしい背後の人物は、本当に肩を外そうとしてきた。そんな時だ、奴から待ったの声が掛かったのは。
「はい、ストップ。そこまでだよ、みぃちゃん」
「ですが……」
「いいから、いいから。クロ君も久し振りの親子の対面に照れてるだけだよ。ね?」
「誰がっ! 痛っ!」
「ほら、今は僕に従った方がいいと思うよ?」
「……っ、分かった。そうだ、そいつの言う通りだ」
悔しいが、ここは従うしかなかった。僅かに冷静になった脳裏に過ぎったのはそんな、先程までとは逆の考えだった。その判断をした裏には、ルビー達の事もあった。ルビー達はここに来た本来の目的そのもの。その事を思い出し、俺も多少は冷静になれたのだ。
そんな俺の返事に、微かに笑いのこもった口調で奴は再度拘束を解くよう促す。
「ね? だから、みぃちゃんも解放してあげてよ」
「しかし……いえ、分かりました。ですが、みぃちゃんはやめて下さい。私の名は香坂 瑞希です。みぃちゃんではありません」
「気にしない、気にしない。愛称だよ、愛称」
二度目の勧告によってようやく解放された俺は、奴に向かって歩いていく瑞希さんを見やる。瑞希さんは奴の秘書で、非常に有能な存在だ。これで何度目かの対面だが、彼女の有能さは計り知れない。
ちなみに少し話は逸れるが、今日の彼女は可愛らしい髪飾りの付いた艶やかな黒髪を下ろし、豊満な胸元から足の付け根までのピッチリとした露出度の高い衣装を纏っている。そこに網タイツと高めのヒールだ。秘書としてはどうかとは思うが、キリッとした美人である彼女にはよく似合っていた。
まぁ、ぶっちゃけ、まんまバニーガールなんだよなぁ。どうせ、またあいつが着せたんだろうけど、何でこの人も素直に着るんだろ?
これで何度目か。そんな事を思いながら、俺は目の保養に努めた。以前にはナースに巫女、マニアックなものでランドセルを背負っていた事もあった。彼女がコスプレ好きと言うよりも、大概があいつに着せられたものだとか。自分はそれに付き合っているだけ、と言うのが彼女の言い分だ。渡されたそれを素直に着ている時点で、その言い分が通るかは微妙だが。
それはさておき、そろそろ話を戻そう。
瑞希さんはこちらを見据えたまま動かず、あいつは未だにこちらに背を向けて座っている。どうせ奴のことだ。回転式の椅子で、如何に格好良く振り向くか考えているのだろう。実に馬鹿だ。あんなのが生物学上とは言え、父親だとは思いたくもない。
と、俺が内心蔑んでやれば、奴から反応があった。どうやら決まったらしい。
「待たせたね、クロ君。じゃあ、話を聞こうかな?」
そう言って、奴はようやく振り向く。肘掛けに片肘を置き、頬杖をしてもう片方の手で前髪を払っている。流し目に微かな笑みも交えて。
「……瑞希さん。あいつ殴りたいんですけど、駄目ですか」
「了承しかねます。ですが、私も同じ気持ちを抱いてしまいました。非常に遺憾です」
俺と瑞希さんはどちらからともなく、今のその気持ちを確かに共有した。殴らせてはもらえなかったが、そこは機会を窺う事にする。少なくとも、今日中に一発は確実に。
「反応が鈍いなぁ。もう少し、黄色い悲鳴があってもいいと思うんだけど。みぃちゃん、どう思う?」
「僭越ながら、死ねばいいと思います」
「アハッ、辛辣だね。ほら、クロ君も引いてるよ?」
お前にだよ、とは言わない。こういった場合、こいつに何を言っても無駄なのだ。言い返したところで、おちょくるような返しが待っているだけ。黙っているのが一番良い。何度かの対面で学習したことだった。
「お茶を入れて参りますので、これで一旦失礼致します」
そうしていると、瑞希さんがお茶を入れに部屋から退室していった。これをどう受け取ればいいのか判断に迷う。
奴に呆れて退室する口実を作っただけか。それともただ単に、本当にお茶を用意しようとしたのか。まさか、俺に奴を殴るチャンスを与えてくれたとも考えられる。いや、可能性としては低いが。
何せ、彼女は主がこんな奴でも真面目に秘書をしているくらいだ。その事から、まず有り得ないだろう。と言うことは、やはり先の二つの可能性が高いと言える。まぁ、どちらにしてもあまり気にすることでもないのだが。
と、そんな事を何気に真剣に考えていた俺だったが、奴に話し掛けられて不本意ながらも意識をそちらに戻すことにした。そこでまたも奴におちょくられ、怒りを募らせることになる。
「ああ、よろしくね。クロ君もそんな場所にいつまでも居ないで、座りなよ」
「……どこにだよ。腰掛ける場所なんてねぇだろうが」
「え? 床とか?」
「おい」
「あはは、冗談だよ。冗談。ちゃんと用意するよ。はい、空気の椅子」
本当にこいつは俺をからかっているとしか思えない。いや、初対面の時からそうなのだから、実際その通りなんだろう。毎度毎度、言動の節々からそれが伝わってくる。
過剰に反応するのは奴の思う壺だ。ここはひとまず我慢だ。先にも述べたが、機会を待つ。待って、その時に何倍にもして返してやればいい。
俺はこめかみの血管が切れそうになりながらも、どうにか怒りを飲み込んだ。正直、溜まる一方ではち切れそうだが、まだ大丈夫そうだ。
すると、俺の反応が芳しくないのを理解したらしく、奴はようやく真面目に腰掛ける場所を用意し始める。
「つまんないなぁ。まぁ、いいや。じゃあ、ほら、今度は本当に用意してあげたよ」
その言葉とともに、どこからともなく応接間にあるようなソファーが部屋の中央に対となって現れた。その間には、テーブルまでもが用意されている。ソファーは黒の革張り製。テーブルは全てがガラス製の物だった。
このソファーとテーブルが現れる一瞬、確かに魔法陣が紡がれていた。部屋に固定されていたものか、奴がその場で紡いだのかまでは判断つかなかったが、多分、転移魔法か空間魔法の一種だ。大方、ソファーなどが邪魔だからとこの魔法陣を使って出し入れしているのだろう。
その後、奴はソファーを出すなり、そこに移動して寛ぎ出した。何の躊躇もなく、ソファーに仰向けで寝そべりだしたのだ。あくびまでしている。一見して、今にも寝てしまいそうな様子だ。
そんなに眠たいなら、今ここで俺が永遠に眠らせてやろうか。
思わず、そんな考えとともに俺は口の端をヒクヒクと引きつらせる。今ならば、瑞希さんも居ないのだ。やろうと思えばやれる。
だが、俺のそんな考えを見透かすように、奴はまなじりを擦りながら言った。
「いつまでもそんな所に立ってないで、座ったら? それとも、この機会に僕に一矢報いてみる?」
「……今、ちょうど座ろうとしてたんだよ。茶々入れんじゃねぇよ」
腹の立つことに、試されている。そう感じ取った俺は、ふてくされながらソファーに腰掛けた。
瑞希さんが居ない今なら、確かにまたとない機会だ。先程までなら俺もそう考えた。だが、今は違う。瑞希さんは居る。彼女は待機しているだけだ。扉の向こう側に。俺が何か仕掛ければ、すぐさま取り押さえに飛び出してくることだろう。
その証拠に、こいつは微睡みの中に嫌な笑みを確かに浮かべていた。もっとも、今はそれも影を潜めて見えなくなってしまったが。
「あはは、引っ掛からなかったね。いつまでも口の悪さが直らないから、からかってみたんだ。みぃちゃん、もう入ってきていいよ」
そう言って奴は扉に視線を向けた。その直後、案の定彼女は姿を現した。しっかりとお茶を持って。
瑞希さんはそのままお茶をテーブルに置いていき、最後に小言を奴に零す。
「それにしても悪趣味ですよ、時司様。もう少し大人として対応してほしいのですが」
「えー、酷いなぁ。そんな事言って、みぃちゃんもノリノリだったじゃない。僕にだけ責任押し付けるのは感心しないなぁ」
「主の命令ですから。私は従うのみです」
「はぁ、まったく。困ったちゃんだね、みぃちゃんは」
お前がな、と俺は思いつつお茶を口に含む。この会話に口を挟むつもりはない。挟んでもこちらに飛び火するだけで、俺のストレスにしかならないのだから。俺がするのは、奴――時司に馬鹿にした眼差しを向けることだけ。先程のお返しだ。
そして、そんな無駄な時間が過ぎていき、ようやく話は本題へ。
「それじゃあ、そろそろ本題に入ろうか。無駄に時間を消費しちゃったから、手短にね。このあとも仕事が詰まってるし」
「……なら、無駄な真似すんなよな」
「何か言った?」
「別に。今日、俺が渋々、嫌々、ここに来たのは頼みがあったからだ。本当は極力、絶対、何が何でもあんたには頼りたくなかったんだけどな」
ボソッと呟いたはずのものが聞こえたようだが、俺は素知らぬ顔で流す。次いで、そのまま本心からの言葉を投げつけてやると、奴はわざとらしく落ち込んだ様子を見せた。
「うわー、本当に僕嫌われてるよ。そこまで言う? 仮にも頼み事頼む相手にさ」
「時司様、日頃の行いの結果ですよ。今日はまだまともな対応でしたが、以前の事を考えましたら仕方ないかと」
「わお、みぃちゃんまで敵に回っちゃったよ。まぁいいや。それで? その頼みって言うのは何かな」
瑞希さんの追い討ちを食らい、奴はふてくされると思っていたのだが、どうやらおふざけは終了らしい。笑顔の裏にあるのは、俺を見透かそうとする眼差しだ。これには瑞希さんも奴の後ろに直立し、秘書としての位置に戻っていた。
だが、その一方で俺は少なからず不満を抱いていた。別段、奴のおふざけが終わってしまったからではない。それは終わってくれた方が助かる。俺が不満を抱いたのはそれとは別で、奴の言動に対するものだった。
「白々しい。あんたなら、もう知ってんだろ。俺の頼み事の内容くらい」
「うん、もちろん知ってるよ。でも、クロ君の口から直接聞きたいんだよね。そうなった経緯とかも含めてさ」
「経緯とかどうでもいいだろ。あんた、この招待状渡す時言ったよな。俺の頼み事を年齢の数だけ叶えてやる。それが誕生日プレゼントだって。事情云々は無視しろよ」
「でもでも、聞いておきたいんだよ。クロ君がそこまで気に掛ける彼女達のこと。もしかしたら、クロ君のお嫁さんになるかもしれないよ? どうなの、そこのところ」
「無い。それは無い」
本気で苛ついた。実はその辺りのことも知っていて、おちょくっているのかとさえ深読みしてしまった程だ。こいつなら有り得るから余計に腹が立つ。
更に腹が立つのは、拒否しているのにまだ粘ってくることか。本当に鬱陶しいことこの上ない。
「えー、怪しいなぁ。ねぇ、いいでしょ。教えてよ。息子との語らいしたいんだよ、僕。話してくれないと、僕も誤って余計なことしちゃうかもしれないよ? いいの?」
「脅しか、おい。事情聞くなって遠回しに頼み事もしてるだろ」
「それは頼み事には入らないから大丈夫」
「いや、頼み事に入れろよ。選り好みしてんじゃねぇよ、駄々っ子」
「じゃあ、いいよ。頼み事に入れてもいいから教えてよ」
「それじゃ本末転倒じゃねぇか!」
最早、それは額を突き合わせての押し問答になっていた。状況的には、俺が押し負けそうだが。
まったくもって嫌になる。頭が痛くなりそうだ。もうこの際、ぶちまけてやろうかとも考えてしまう。それが一番手っ取り早い方法ではあるのだから。だが、そうすると絶対に奴は勝ち誇る。ニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべるのだ。それだけは嫌だ。認められないし、許せるわけもない。
そうして、状況は平行線を辿ると思われた。しかし、事態は急変する。奴と、延いては瑞希さんの手によって。
「もう、強情だねぇ。仕方ないかな。みぃちゃん、お願い」
「はい、既に資料も用意してあります。こちらをどうぞ」
そう言って、瑞希さんは奴と俺に何かの資料を手渡す。
どうでもいいが、どこから資料を出したのか不思議だ。クリスも同じような真似をしていたが、もしかしたら出来る女の必須スキルなのだろうか。有り得なくはない。
それはともかく、今はこの資料だ。一体何が書いてあると言うのか。
「…………ッ!? な、何で!? いやいや、おかしいだろ! 何だよ、これ!」
その資料の中身を軽く読み込んだだけで、俺はこの有り様だった。勢いに任せて、ページを次から次に捲っては読み返す。だが、結果は変わらない。逆に羞恥心を必要以上に掻き立てられてしまう。
そんな時に、奴の声が届く。
「ふーん、なるほどねぇ。うわー、結構過激な事もしちゃったんだ。あ、これなんか僕的に超恥ずかしいんだけど。お風呂上がりに鏡で自分見詰めるとか、ナルシスト過ぎ! ウケる!」
「ぎゃあ! 違うんだ! それは誤解なんだ! 頼む、話す。話すからやめてくれ!」
何で瑞希さんがその事を知っているかなんてどうでもいい。肝心なのはそれを奴が共有しようとしていることだ。いや、既にある程度は読み込まれたと思えば、共有していると言った方が的確かもしれないぐらいだ。
だが、まだ間に合うこともある。こちらから事情を話して、あらぬ誤解を防ぐことはまだ可能なはずだ。誤魔化しが効かないなら、せめてそれだけは防ぐ。そのためなら、俺はこいつに屈服だってしてやる。変なレッテルを貼られるよりはマシだ。何より、それを言い触らされるよりはずっと。
「ふふん、最初からそう言えば良かったんだよ。あ、でも、話すなら正直にお願いね? 少しでも怪しいって感じたら、これで確認しちゃうかもよ?」
「ぐぬぅ、ちくしょう……。こんな奴に屈服しなきゃいけないのかよ……」
片手に持った資料をこれ見よがしに見せられ、唸り声を上げる俺だったが、もうどうすることも出来ない。吐き出したい台詞の山を飲み込んで、俺は奴の聞きたい台詞を口にしなければならなかった。
そうして、俺は奴に屈服し、洗いざらい吐かされることになるのだった。その間、情報を手渡した瑞希さんの表情には一片の曇りもなかった。優秀な秘書も敵になると困りものだ、まったく。




