誕生日プレゼント
◇
人に何かをあげたことなんかほとんどなかった。
だから、どんなものをあげれば人が喜ぶのか、そういったことも全く分からない。
ただ、全くと言いきらないのは、小学校のとき、母親にカーネーションを贈ったことがあったからだ。
それを受け取った母親が「そんな金があるなら自分に渡せ」と言ったのも、今では懐かしい思い出と化していた。
◇
木々が徐々に赤味を帯びだす頃、彼女の誕生日が訪れた。
予定では彼女の満足してくれる誕生日プレゼントを買って贈りたかったが、彼女に誕生日が何がほしいか聞きだせないままだった。
優人さんに聞いたら、別になにもあげる必要はないとはっきりと言われ、彼女へのプレゼントを買えないまま、誕生日を迎えることになった。
「ていうか、バカだよね」
そう僕に言ってきたのは林だった。
彼女は腰に手をあて、僕を見据える。
「バカと言われても」
自覚はあったから、強く否定はできない。
「だって、今さら悩むなら思い切って聞けば良かったのに。ケーキとか食べ物でもいいんじゃないの? 先輩なら何でも喜んでくれそうだけどね」
ケーキや食べ物は良い案かも知れない。迷惑だったとしても食べたり腐ってしまえばそれで終わってしまうためだ。
問題は今日、彼女の家に直に寄ることになっていたということで、彼女に直接話を切り出さないと買う余裕がないということだ。
放課後、すぐに彼女につかまり、そのまま家に連れてこられたが、家に入って僕はケーキを買わなくて良かったと心から思っていた。その理由は彼女の家に到着すると、彼女が冷蔵庫から丁寧に生クリームが塗られたホールケーキを取り出したのだ。
「お兄ちゃんが十八歳の誕生日にと作ってくれたの。一緒に食べよう」
彼女はそう言うと、ダイニングテーブルの上に置いてあったろうそくとライターを手に取る。
「先輩のお兄さんって本当に料理が上手なんですね」
「でしょう。毎年、ケーキを作ってくれるんだ」
「なら、僕じゃなくて家族で食べたほうが良くないですか?」
「いいの。今年は久司君とお祝いしたかったし、明日か明後日でも家族で食べてもいいんだから」
彼女はそう言うと、ケーキにろうそくを刺していく。そして、ろうそくに火をつけていた。そして、彼女は僕をじっと見る。
「おめでとうございます」
本意が分からないが、祝いの言葉を送っておく。すると彼女は満足そうに微笑み、ろうそくの火を吹き消していた。
「ありがとう」
彼女は屈託なく笑い、台所からケーキナイフを持ってくる。そして、ケーキを丁寧に切り分けていく。こういうことは上手なのが意外な気がする。
だが、僕には彼女に言わないといけないことがある。誕生日プレゼントのことだ。
選べなかったというよりは、渡す気がなかったとしておいたほうが後腐れがなくて良いかもしれない。
そう思うと触れないことにした。
ケーキを注ぎ分けた彼女が、準備しておいたお皿にケーキを載せていく。だが、彼女はケーキナイフをケーキの脇に置くと、僕の傍まで歩み寄ってきた。そして、澄んだ瞳に僕を映し出していた。
「わたしにはこれで十分だよ」
彼女は僕に抱きついてきた。
「先輩?」
「嫌?」
嫌じゃない。寧ろ。
僕が嫌がらなかったのが肯定のサインだと思ったのか、彼女はそれ以上聞いてこなかった。その彼女の口元に笑みが浮かぶ。
「お兄ちゃんから、久司君がプレゼントのことで苦悩しているって聞いたの。その気持ちだけで嬉しいよ」
苦悩って。絶対言葉を間違っている。
「わたしがほしいのはこうやって久司君が一緒に祝ってくれる誕生日だったから、こうしてケーキを食べておめでとうと言ってくれるだけで満足なの」
その彼女の声が心に解け入り、いつも以上に愛しく感じていた。彼女が僕に抱き着く力を強めたため、彼女の髪の毛が僕の顎に触れる。
彼女の優しくて、甘くて、切ない香りが僕の鼻腔を刺激し、思わず彼女の背中に手を回していた。彼女を自分のものにしてしまいたい。衝動的に心にわいた、そんな気持ちに支配されそうになる。
「どうしたの? 苦しいよ」
茉莉は顔をあげると、僕の顔を下から覗く。
そのときあらためて気づく。
彼女はこんなに綺麗な人だったのだ、と。
彼女を抱きしめていた手を離すと、頬に手を当てる。そして、そのまま唇を重ねていた。
唇を重ねた直後、彼女の体が震えるのが分かった。だが、拒まれはしなかったと思う。そう思いたかったのかもしれない。
衝動的な行動を後悔しながら、唇を離すと、赤く染まった彼女の顔が目に飛び込んできた。
「びっくりした」
「ごめん。思わず」
「いいよ。初めてのキスがあなたでよかった。なんか、最高のプレゼントかも」
彼女は僕に絡めていた腕を放すと、僕の頬に手を当てた。
「さっきのは久司君の気持ちだから、今度は私の気持ち」
彼女の顔が近づいてきて、僕は目を閉じた。
彼女の兄が作ったケーキはあっさりとしていながらも、程よく甘くかなりおいしかった。
茉莉は半分以上をあっさりと平らげていた。
「優人さんからのプレゼントはケーキ?」
ケーキを食べ終わってから、僕は彼女に問いかける。
「これももらったよ」
彼女はそう言って、制服の下から自らの首筋に光ネックレスを指差した。
「綺麗だね」
彼は僕には何もあげなくていいと言ったのに彼はしっかりプレゼントを送っていた。彼女の兄と僕では彼女との距離も違うし、張り合っても意味もないことは分かっている。
「先輩、学校にしていかないほうがいいですよ。没収されたらどうするんですか」
「体育もないからばれないかなと思ったの。今朝貰って嬉しくてつい。明日からはしないから」
彼女は舌を出して苦笑いを浮かべる。
「お兄ちゃんは学生の間は生活がそこまで苦しくなかったら勉強だけをしていろって人だから、特に久司君は高校生だからそう言ったんだと思うよ」
もう働いている彼からしたら僕は子供だということは分かりつつも、子ども扱いされた気がしてしゃくだった。
「来年はちゃんと買うよ。バイトでもして」
「来年?」
その言葉に彼女の表情が一瞬だけ引きつる。
けれど、見間違いと思うほど彼女は優しく微笑んでいた。
「一緒に過ごせたらいいね」
僕はこの時、この時間が永遠に続いてほしいと強く願っていた。
世の中には良いことと悪いことがあると良く言われる。今までの時間が彼女との過ごすための代償だったなら、そんなものは惜しくないと心から思えた。
ケーキを食べ終え、帰ろうとした僕を彼女が引き留める。
「わたしも途中まで送るよ」
「危ないからいいですよ」
僕がそう言っても彼女が聞くわけもなく、彼女は靴を履くと僕の後をついて家を出てきた。
僕が彼女の手をそっと握ると、彼女もその手を握り返してくれた。誰かに触れることにここまで拒否感を覚えなくなっていたどころか、ここまで心が満たされていることを改めて実感させられる。その彼女の手が僕の手からすり抜ける。
今まであたたかった手につめたい風が触れ、僕は体のパーツを失ったかのように彼女の姿を目で追っていた。
目の前には大きな木々が生い茂る公園があり、彼女の指はそこに向けられていた。
「あそこ、行きたい」
池などもあるこの辺りでは少し大きめの公園で、この時間でもジョギングなどをする人の姿がある。その公園の手前の並木道に同化するように、公園の中に点在する木々も赤く染まっていた。
「いいけど、帰りが遅くなるよ」
「あんなに綺麗だから、折角だから見たい」
「明日、学校帰りに一緒に来よう」
辺りはもう半ば闇に包まれかけていて、街灯に照らされた淡い葉が浮き彫りになる。もうこんなに暗くなったのなら、彼女を再び家まで送らないといけないだろう。彼女の身に何かあれば、後悔してもしきれない。
「だめ?」
彼女は誕生日のこの日、この公園の中に入りたかったのだろう。
「いいよ。分かった」
彼女を送ると決めたのなら、拒む理由はないと思ったのだ。だが、その一方で彼女の生まれたこの日が、日曜だったらよかったのにと心から思っていた。日曜日ならもっと早い時間から一緒にいられたし、彼女の望むままこの公園でゆったりとした時間も過ごせたからだ。
「その代わり、家まで送るよ」
「大丈夫だよ。遠回りになる」
「でも、心配だから」
彼女は顔を赤く染めると、うなずいていた。
「分かった。ありがとう」
不意に先程まで僕に触れていた冷たい風が遮られる。その原因は隣で笑っている彼女だ。
彼女は僕の手をつないだまま足元に落ちていた銀杏の葉を拾い、かざして見せた。
「紅葉って素敵だね」
「そうだね」
先ほどまで体を襲っていた風の強さも、冷たさも全く気にならなくなり、彼女と二人で別世界に迷い込んだようだった。
今日のこの景色も彼女の誕生日を祝うために用意されたんだろう。僕は何の根拠もなくそう考え、彼女の手のぬくもりをただ感じていたのだ。




