一章 3
荷馬車を引いてきた馬を一頭、こっそりと拝借した。ウルスラは、できるだけ急いで王城へ駆け戻る。
目に見える荷物は、腰につけた小振りの荷袋しかない。いったい何が入っているのか、カシャカシャと不思議な音がしている。
手近な木に馬をつなぎ、飛び込んだのはもちろん、モデスティー伯の執務室だ。
ただし、城内を駆け抜ける時間が、よほど惜しかったのか。荷袋からかぎ爪のついたロープを取り出す。それをひょいと放り投げて窓枠に引っかけ、器用に壁をよじ登っての訪問だった。
窓をカタカタと鳴らすより早く、察したモデスティー伯が窓を開け放つ。ウルスラの頭をかすめるかもしれない、などとは、一切考えていない。そんな、やや乱暴な開け方だ。
「やらかしたか」
「生き残ったのは、オーソン様とベロニカの団長、それとナイジェル様だけですね。ちなみに、無傷なのはオーソン様だけです」
「そうだろうな。あいつがわかっていて口にしたなら、それこそ賞賛に値する行動だ」
互いに、一度はあれを口にしたことがある。
見た目と匂いに反した、すさまじい味。言葉では到底言い表せない、珍妙な味だ。
簡単に表現するなら、おいしそうな料理を装った最悪で強烈な腐敗物。もしくは毒物、となるだろう。ただしそれも、微妙に間違っている。
あれは腐っているわけではない。かといって、自然から得られる毒物が混入しているわけでもない。ただ、人体にとっては、限りなく毒物に近いもの、というだけだ。
「それにしても、鋼鉄の胃袋で知られるベロニカの団長も、あれ相手では無傷でいられないんですね」
ベロニカの団長には、何を食べても決してへこたれない、不屈の胃袋を持つとの噂がある。老若幼女に人妻と、相手を問わない女好きと並んで有名だ。
「そのくらいでなければ、あれをわざわざ拷問に使うはずがないだろう?」
「まあ、そうですよね。見た目も匂いも、無駄においしそうで……本気であれは、ひどい拷問だと思いますよ。いたいけな私を、軽く実験台にしたことも含めて」
あの時は、十四、五歳だった。体も十分に鍛えていたし、庶民でなければ騎士に推薦した、と褒められていたのだ。
城にいる騎士と比べられても平気な程度には、少なからず自信はあった。
いくら薄めたスープとはいえ、まさかひと舐めで二日も寝込むとは。どんなに屈強な人間でも、いくら何でも思いもしないだろう。
「……誰がいつ、幼気だったんだ?」
モデスティー伯のボソリとした突っ込みを、ウルスラはサラリと聞き流す。
彼とのつき合いは、割と長い。初めて引き合わされたのが十二の時分だったから、もうそろそろ六年になるだろう。
どれを聞き流せば怒られるか。何をしたら機嫌を損ねるか。どんな功績が喜ばれるか。
さすがに、その辺りはすっかり把握し、ことごとく慣れてくる年数を重ねてきた。
「それでですね、騎士たちを連れ帰るための荷馬車の手配をお願いしたいんですよ。あ、その際にですね、これを使って思いっきりやっちゃってください」
片手でしっかりとロープを握り締め、懐からスッと紙束を取り出す。ウルスラの手からそれを受け取り、モデスティー伯はサッと広げて中身を確認する。
「……なるほど、早速これが役に立ったな」
「エリカ騎士には、団長の料理の恐ろしさを叩き込んでおきましたからね。みんないい感じに青ざめて、必死になって止めてくれましたよ。ちなみに、オーソン様が一番最後まで署名しないよう抵抗してましたけど」
「そうなるだろうな。だが、いくらあいつでも、ビーに人間凶器の恐れがある、などとは言えないだろうが」
ホートン候夫人の『人間凶器』振りは、公然の秘密だ。あれは彼女だけの特権と、信じて疑っていない人間が多い。
ならばなぜ、ホートン候を継ぐ者は、ことごとく拷問部門へ異動になるのか。
完璧な見た目の毒物を作り出す。そんな特殊技術を持った人間が、一族の中にいるからに決まっている。
自然発生する拷問装置を有するからこそ、犯罪者への尋問などを専門に行っているのだ。
そういった部分もあってか。ラウィーニアの一族は、誰もがあの料理に、ある程度の耐性がある。ただし、その耐性も、強かったり弱かったりはあるようで、オーソンはずいぶん弱いらしい。
これらの事実を知るのは、ほんのひと握りの人間だけ。
そもそも、現在のホートン候夫人は、曾祖父がラウィーニア家の遠縁だ。とはいえ、彼女の曾祖母や祖父母、両親含め、ラウィーニアに関わりのある者はいない。たまたま、ほんのわずかに引いた血が、凶悪な先祖返りを果たした、といったところだろう。
ホートン候があの夫人を選んだ理由が、そこにある。そう、まことしやかに囁かれるほどだ。
(あれを自ら味見して平気な団長は、確実に自分の中で解毒してますよね……。あ、それとも、あれは作った本人には害にならないってことですかね? ……えー、ホートン候夫人は、いつだったか自爆してましたけど……ひょっとして、耐性が半端なく強いってことですか?)
先祖返りゆえに耐性がないようで、滅多なことでは味見をしなかった。そんなホートン候夫人に比べ、かなりの強者に違いない。
「そういえば、ビーの料理は、相当らしいな。昔食べた時、同じものを少し味見した料理人全員が倒れて、急遽雇い入れることになったことを、たった今思い出した」
「……それ、もう、凶器じゃないですよ。兵器です」
「ビー自身は、おいしくできた、と言っていたからな……」
すうっと、モデスティー伯は目線をあらぬ方向へ放り投げた。そんな彼に、ロープをグッと握っていたウルスラの手が、ずるりと滑りかける。
ウルスラが知る中で、あの料理を平然と食べられる人間はいなかった。
少なくとも、あんなものを進んで味見をする人間は、まだ見たことがない。
愕然とするウルスラに、モデスティー伯は、手にした紙束をヒラヒラと振って見せる。
「……では、これを盾に、急いで人数分の荷馬車を用意させるとするか」
「……なるべく早く、お願いしますね」
すすーっと滑り降りたウルスラは、引っかけた時同様、あっという間にかぎ爪を外す。ロープをクルクルとまとめ、小さな荷袋の中にギュッと突っ込んだ。
次の根回しをするため、ウルスラはパッと踵を返して駆け出す。
向かった場所は騎士の宿舎だった。
留守を預かった騎士の大半は、モデスティー伯寄りの考えを持つ騎士だ。中には、家は反モデスティー伯派、という騎士もいる。
それでも、彼らはあくまで国に仕える騎士だ。
騎士の失態を、外部に知られるわけにはいかない。だから、荷馬車の御者を務めるのは、当然居残り組の騎士に決まっている。ついでに、残っている騎士たちには、死にかけの騎士を荷馬車に放り込む仕事もしてもらいたい。
さらに言えば、荷馬車が発った後の問題もある。野営訓練の帰りだとごまかすために、彼らを利用させてもらいたいのだ。
「リナリアの団長、野営訓練に出た騎士を回収するため、騎士を集めてください。御者役と、帰りのごまかし役でお願いします。というか、エリカ以外の参加した騎士全員を収容するには、いくつくらいの荷馬車がいるんでしょうね」
あからさまに、メイベルの眉がググッと近寄った。
何かを察したのだろう。彼のスラッとした人差し指が、スッと唇の下に当てられる。
「……空荷という条件で、騎士たちがまったく起き上がれないという前提であれば……だいたい、一台の荷馬車に十二、三人、といったところでしょうね。……それにしても、ラウィーニアの人間凶器でしたのね」
メイベルは、あえて誰が、とは言わなかった。ウルスラも頷くだけで、言葉では示さない。
今回の野営訓練で、人間凶器に該当しそうな者は、そう多くない。その中で、初の野営訓練経験者となれば、自ずと候補は絞られる。
ここにいる騎士たちには、すぐにはっきりとわかったはずだ。
「一応、うちのビビアンと、アマリリスのナイジェル様に治癒魔法をかけてもらっていますが……まあ、あの様子だと、かろうじて生き残ったベロニカの団長以外、全滅ですね」
「……コーデルですら、かろうじて、ですって?」
メイベルの顔が、ザッと驚愕に染まる。他の騎士たちも、一様に驚きを隠さない。
鋼鉄の胃袋が広く知られているゆえの反応だろう。
「卑怯にも食べなかったガザニアの副官はピンピンしてますよ、それはもう。それと、事前に聞いていたんですよね? アマリリスのナイジェル様も、治癒魔法で復活できる程度には無事でした。まともに食べて生き残ったのは、ベロニカの団長だけですね」
いったい、誰に対するものか。居合わせた騎士たち全員が、驚嘆のため息を吐き出した。
‡
モデスティー伯は、ウルスラから受け取った紙束を手に、国王の執務室を訪れた。
「陛下、すぐに野営訓練場所へ空の荷馬車を十台、御者に騎士をつけて送ってください」
「……何があった?」
「人間凶器が発動しました」
そのひと言で、王もすんなりと察したのだろう。ひどい頭痛を堪えるように、額に指先をギュッと押し当てている。強く押し当てすぎて、指先の色がすっかり変わっていた。
王はほんの一瞬で、一気に老け込んだ様子だ。
「ちなみに、私はそれを知っていましたので、エリカ騎士にはくれぐれも、料理をさせないよう忠告しておきました。野営訓練の性質上、他団の騎士まで知らせるいわれはありませんよね。ただし、万一、調理を強要された場合に備え、参加する治癒魔法の使い手だけには忠告しておきました。それから、念のため、宣誓書も用意させておいたのですが……」
わざとらしく沈痛な面持ちを作り、モデスティー伯は手にしていた紙束を王へ差し出す。
そこには、エリカ以外の騎士団の名と、それぞれの代表に当たる団長もしくは副官の名が、はっきりと記されていた。
「これは……?」
「私とて、人の親です。最大限、娘を守るのは当然の責務ですからね」
彼が言ったのでなければ、誰でも素直に納得できる言葉だろう。
しかし、言い放ったのは、血縁にすら冷酷無情と評判のモデスティー伯だ。その彼が、娘を守ることが責務、とは。
事実を公表する以前の娘たちには、他人とまったく変わりない扱いだったというのに。
「わざわざ作らせ、食べたのは彼らの責任です。そして、ラウィーニアの秘密を知られたくない国としても、このことを隠し通す以外にないのでは?」
雇われの御者では、見たことをうっかり話してしまうかもしれない。人の口には戸が立てられないのだ。
だからこそ、幌つきの荷馬車をこっそりと用意し、その御者には残っている騎士を当てる他にない。しかも、行きには何人かの騎士を乗せ、向こうでの人手としなければ。
残っているのが女性騎士ばかりでは、荷馬車に騎士を抱え上げるのも難しいだろう。
「し、しかし、治癒魔法もあるだろう? 徒歩で帰って来られぬのか?」
「無理でしょう。要請に来た者の話では、治癒魔法の使い手と、ベロニカの団長以外、治癒魔法があってもすぐには立ち直れない様子だったと」
それはそうだろう。
かつて、舌先にそっと触れただけで、これはあまりに危険なものだと察せられた。
それを口に入れて、すぐさま吐き出したならともかく。迂闊にも飲み込んだ者が、早々に立ち直れるはずがないのだ。
ホートン候夫人の前に人間凶器と呼ばれた、前ホートン候の妹よりも、さらに凶悪かもしれない。
「準備ができ次第、荷馬車はあちこちから出立させます。回収した騎士たちは、日が暮れてから順次、城へ運び込むことになるでしょう。それでよろしいですか?」
「……そうする以外にないのだろう?」
自力で天幕に入ることすらできない人間を、堂々と野ざらしにするわけにはいかない。かといって、真っ昼間から何かやれば、嫌でも目立ってしまう。
とにかく、住人の目に触れないように。
速やかに、且つひそやかに。
「これが、アマリリス騎士だけなら、アマリリスの団長を派遣する手があったんですけどね」
ひっそりと呟いて、モデスティー伯は執務室を辞した。
アマリリスの団長は人見知りが度を超していると、さまざまな人間が知っている。彼が出られれば最善だが、まともに治癒魔法をかけられるかもわからない。
最近は少しずつ努力をしているようだが、それでもまだ、ウルスラで精一杯だ。ほぼ初見の騎士など、治療した端から見ていられなくなるに決まっている。
期待ができない以上、他の手で可能な限り、外部に知られない方法を使うだけだ。




