二章 1
うめくことすらできない騎士たちは、残らず荷馬車に回収した。御者を担う騎士たちは、シャツにズボンといった、どこでも見かける恰好だ。
先に荷馬車が帰り、ごまかし要員の騎士たちと、エリカ騎士は歩いている。
「それにしても、リナリア騎士には驚かされましたね」
ため息とともにウルスラが呟くと、ミランダとヴェラが小さく噴き出した。レオラはうんうんと頷き、テレシアはニッと笑いながら横を向く。
ベアトリス自身も、彼女たちが見た光景を見ている。だからだろうか、ベアトリスの頬はかすかにゆるんでいた。
「身動きひとつできないくせに、無駄な美貌に陰りはない、だなんて。驚き以外の何ものでもないですよ。顔が入団条件という噂も、伊達じゃないですね」
「いや、リナリアは顔が第一だよ? で、コキアは、あの団長に耐えられる人間しか残らないし」
「ああ……やっぱりそうなんですね」
思わずといった体で、ベアトリスはうっかり呟いてしまった。
常に鏡を持ち歩き、うっとり眺めている。コキア騎士団は、そんな団長を抱えているのだ。耐えられなければ、やっていられないだろう。
それでも、かろうじて、春先に規定の団員に満たなかったことはないという。
かといって、他騎士団がまともかというと、そうでもない。
ヴァーノンは転んだり迷子になったり、いろいろと困った面倒をちょくちょく引き起こすらしい。コーデルはコーデルで、女性と見ればフラフラ寄っていく。その上、時間にも、ひどくだらしないと聞いている。
オリオンも、極度の人見知りゆえに、扱いが楽な団長とは言いがたい。
許される顔ならば、リナリアが一番居心地がいい可能性はある。
「……そういえば、治癒タイプの魔法使いが集まれば、ちゃんと治せたかもしれないんですよね……」
声ひとつ立てずに荷馬車に積み込まれ、揺られて帰っていった騎士たち。ひょっとしたら、彼らを歩いて帰らせることが、できたのかもしれない。
そう考え、ベアトリスはわずかに沈む。だが、ウルスラはカラカラと笑ってあっさり否定した。
「どっちにしても、あの騎士たちは荷馬車確定ですよ。だって、今いる治癒タイプは基本的に、モデスティー伯寄りの人たちですから。だいたい、ビビアンもナイジェル様も、一人に一回ずつしか治癒魔法を使わなかったじゃないですか。その気になれば、団長や副官には、回復するまでかけられたはずですし。いいですか、団長。同じ騎士とはいえ、わざわざ敵対してきたやつに魔法をかけてあげるほど、魔法使いは優しくはないんですよ。魔力も有限ですからね」
「……ああ、兄……じゃなくて、父の差し金なんですね」
これまで兄と呼んでいた人は、実は父だった。
それを知ってから、できるだけ、呼び方を改めるようにはしている。けれど、長年呼び続けた呼び方は、すっかり癖になってしまっていた。なかなか、すんなりと抜けるものではない。
「そういう時は、粋な計らい、とでも言ってください。印象の悪い言葉を教えたのではないかと、後々私が伯からいろいろお叱りを受けるので、正直面倒なんです」
「あ、つらかったら言ってくださいね? 父に言って、止めさせますから」
「今だから言いますけど、本当に、団長がうちの団長でよかったですよ。伯の強烈なわがままが発動しても、最悪団長が抑えてくれるんで、本当に助かります。あの人、私にドレスで団長の警護をしろって言い出したんで、聞かされたらがっつり叱ってもらえるとありがたいですね」
やや憤慨しているウルスラに、ベアトリスは不思議そうに首を傾げた。
「……ドレスで、ですか? しかも、あたしの警護って……何があったら、そんなことになるんですか?」
ウルスラの言った状況になる条件が、ベアトリスにはさっぱり思い浮かばなかったのだろう。今度は反対側に首を倒し、真剣な顔でうーん、とうなりながら考え込んでいる。
「ああ、何でも、サマラ王妃がお見えになった後で、団長の婚約を正式に公表する場を設けるそうですよ。当日は邪魔が入ること必須なので、私とヴェラがバッチリ張りついて護衛に当たる予定なんですけどね」
最大で四人、捕縛していられるヴェラだ。その上、弱いながらも防御ができる。普段でも警護には欠かせない。
だからといって、私的なことに使っていいものなのか。そんな疑問が、ベアトリスの頭をフッとかすめる。
「ちなみにですね、サマラ王妃と言えば、フロース王国きっての悪女と名高い女です。他人の手はもちろん、自分の手を汚すことも厭わないので、そう呼ばれているんですよ。考え方は、リナリアの団長に近いですね。ただ、情熱を向ける方向の違いと、頭の出来が残念な方向にいくらか違うそうです」
最後に何気なく、とんでもないひと言が聞こえた気がした。だが、誰もがサラリと聞き流してしまったようだ。
とてもではないが、それを聞き直せる雰囲気ではない。
そもそも、語っているのがウルスラだ。聞き直したところで、大して表現が変わるわけではない。むしろ、悪化する恐れもある。
「相手がそんな女なんで、エリカ騎士としては、団長を守ることに異論はありませんよ。もちろん、伯寄りの騎士たちも同様ですからね」
いまだに私的な会話はしてこない。そんなミランダでも、異論はなかったのか。
そこがふと気になって、ベアトリスはミランダへ視線を向ける。気づいたようで、ミランダはベアトリスをジッと見つめた。
相変わらず冷ややかな表情だが、以前のような、ひどく刺々しいものはない。
しかしすぐに、ミランダの顔はふいっと背けられてしまう。
「ミランダは、もうちょっと素直になったらいいと思うの」
クスクス笑いながら、ヴェラがミランダの背中にそっと触れる。
他の面々も、ヴェラの言いたいことがわかっているようだ。テレシアは薄く笑って腕を組み、ミランダをジッと見つめている。レオラも、どことなく楽しそうだ。
瞬きつつ眺めているうちに、ミランダの耳がじわじわと赤く染まり始めた。
「言う前から照れてどうするのよ」
ウルスラが言い放ち、容赦なくミランダの背中を平手でバシンと叩く。
しばらくの沈黙の後。
「……い、今まで団長に言った暴言は、全部撤回するから」
声を出したとたん、ミランダはふわっと、見えている肌を残らず赤色に染めた。
「えっと……本当ですか? 嬉しいです! ありがとうございます、ミランダさん」
団長とは認めない。
そういった類いの言葉を、時々もらっていた。態度からも、それは痛いほどよくわかっている。
だからこそ、いきなりの贈り物が、たまらなく嬉しいのだ。
「というわけで、団長。ミランダはちょっと素直じゃないだけで、割と前から団長のこと、ちゃんと団長と認めてますからね」
「ちょっと、ウルスラ!」
真っ赤になったまま、ミランダはウルスラにつかみかかる。だが、ウルスラは、すでに十分鍛え抜かれた騎士だ。腕力や力量を含め、新米魔法使いに含まれるミランダが、まず敵う相手ではない。
ウルスラも、その辺りはしっかり理解しているのだろう。ミランダを軽くあしらいながら、笑って逃げ回っている。
何もなくて、ミランダがこんなにあっさり、団長と認めてくれるはずがない。きっと、ウルスラがいろいろと、手を回してくれた部分もあるのだろう。
もちろん、ベアトリス自身の頑張りを、評価してくれてもいるはずだ。
(……やっと、あたしは、エリカ騎士団の団長になってきたのかな?)
団員にきちんと認められ、時には頼りにされる。何かあった時には、手段を選ばず、警護対象と団員をきっちり守り抜く。
そんな団長になりたいと、ずっと願ってきた。
ようやく、そこへの一歩が踏み出せたのだと、初めて実感が伴った。そんな感覚だ。
‡
城へ戻ると、他団の騎士たちは、半死半生の騎士たちをそれぞれの部屋へ運び込む作業が待っていた。エリカ騎士はすぐに、休息を取るよう、メイベルから命令が下される。
元気な騎士たちも、作業が終わったら体を休めるのだろう。
「いいこと、ベアトリス。あなたも、今はしっかり休んで、英気を養っておきなさい。本当の戦いはこれからでしてよ」
「あの、メイベルさん。本当の戦いというのは、サマラ王妃のことですか?」
「サマラ王妃は、単なる前座に過ぎなくてよ」
てっきり、これからやってくるという彼女が敵なのだと思っていた。しかし、メイベルの口調から察するに、そうではないようだ。
しかも、実姉を『単なる前座』呼ばわりするとは、思いもしなかった。
「これから、サマラ王妃を前面に押し出して、裏で暗躍する貴族たちの悪意にさらされるでしょうけれど……何かあったら、わたくしかオリオン、モデスティー伯、オーソン、ウルスラの誰かに報告しなさい。これは絶対でしてよ」
その注意事項は、サマラからの手紙が届いた時、聞いた気がする。そう思いながら、ベアトリスはこくりと頷く。
隠しごとが、かえって味方への凶器となる。
その可能性があることを、すでにヴァーノンが示唆しているのだ。今さら、自分勝手に判断し、味方の行動を制限したくはない。
己の感情のままに動くようでは、団長としては間違いなく失格だろう。
「ああ、それから、明日マラキアを訪ねなさいね。採寸しておきたいそうよ」
「わかりました」
針子のマラキアが、こんな時期にわざわざ採寸したいというのだ。ウルスラが言っていた、婚約発表の際に着るドレスに関することに決まっている。
(……そういえば、一応、婚約したんだっけ)
オリオンとの関係は、婚約前後で特に変わっていない。顔を合わせれば話をするし、夜回り番もこれまでと同じようにこなしている。
一緒にいて、安らげる。黙っていても、空気が心地よい。何もなくても顔を見たいが、何かあったらますます会いたくなってしまう。その辺りも、取り立てて変わりはない。
むしろ、周囲の態度が大きく変化していて、そちらに戸惑いを隠せない状況だ。
今はゆっくりと、体を休めるべきだろう。それがわかっているのに、彼のことを考えていたら、不意に会いたくなってしまった。
「申し訳ないのだけれど、今日は、オリオンは夜まで空かないでしょうね」
こっそりと、メイベルに耳元で囁かれる。
完全な不意打ちだ。
知らず知らずビクッとしたベアトリスは、怖ず怖ずとメイベルを見上げた。
「顔に出ていましてよ」
囁くメイベルの表情は、ずいぶんと穏やかだ。普段の妖艶さはすっかり影を潜め、包み込むような優しさとやわらかさがある。
「……少し、話しませんこと?」
「はい……」
ベアトリスが頷くと、メイベルは職人棟へ向かって歩き出した。隣に並ぶと、メイベルが自然と歩調を落とす。
「……オリオンは、見習い騎士を飛ばして従騎士になったことを知っていて?」
「そうなんですか?」
母との出会いや、関わり方は聞いたことがある。しかし、オリオンが騎士になった経緯は、聞いた覚えがない。
言われてみれば、あれほどひどい人見知りをするのだ。同じ魔法使いの集まりになる従騎士はともかく、見習い騎士では、とてもやっていられないはずだ。
そもそも、集団生活が基本の騎士として、これまでやってこれただけでも奇跡的だろう。
「あの魔法の才能が、特例を許したのよ。それでも、最初は日常生活にも苦労していたようだけれど」
何を思い出したのか、メイベルが小さく笑う。
出会った当初の怯えようは、今でも鮮明に思い出せる。そのくらい、ベアトリスにとって、彼は異質な存在だった。
まともな生活ができるのか。ついつい心配して、余計な世話を焼きたくなる。そんな人だった。
「団は違えど、同じ従騎士ですもの。わたくしも、ヴァーノンたちも、オリオンのことは気になっていましたわ。何しろ、わたくしの顔を見ることもせず、ひたすら震えているのですもの。心配にもなるでしょう?」
「……メイベルさんの判断基準って、そこですか?」
「言っておきますけれど、あなたも、審美眼が生きているのかと心配になった口でしてよ」
あまりに不潔だったり、だらしない身だしなみでない限り、ベアトリスは気にしない。当然、相手の美醜も、人間性として評価することはしていない。
だからこそ、メイベルを美女だと思っても、そこまでで止まるのだ。
見た目にだまされれば、痛い目を見ることもある。
自警団での経験などから、その辺りはしっかりと、ベアトリスは学習していた。
「表面は純真な女性を装って、中身は腹黒い、という方も、見たことがありますから。見た目は評価の範囲外です」
「……貴婦人の大半は、今あなたの言った、綺麗に装った腹黒どもでしてよ」
メイベルのあまりな言い草に、ベアトリスは思わずプッと噴き出す。
いくら何でも、笑っている場合ではないだろう。それは痛感しているが、常に気を張ってはいられない。
フッと肩の力を抜いて、普段の自分でいる。
それもまた、今のベアトリスには必要なことだ。
「……それはさておき。オリオンは、あの見た目と特例で、意味もなく目立っていましたの」
「やっぱり、髪と目が黒い人って珍しいんですね」
「そうね……あなたもずいぶん、珍しい取り合わせですけれど。オリオンは、ご母堂が妾ということもあって、兄弟とは仲がよくないようですわ。一応次男ですし、兄君に何かあった時のため、お屋敷で育てられてはいたそうよ。その辺りは、どこからか漏れるようで、団長になるまでは、ずいぶんときつい扱いもされていましたわ」
オリオンは、彼自身のことをあまり語らない。知られたくないのではなく、割り切って話せる状態にない、といったところだろう。だからベアトリスも、あえて聞きだそうとはしなかった。
その一部を今、メイベルの口から聞いている。
先ほどから胸をチクチクと突き刺すのは、罪悪感なのだろうか。
「本当は、わたくしから話すことではないと、わかっているのだけれど……時々、ご母堂のことを聞いてあげてちょうだい。話したがらないでしょうが、あなたが関われば、オリオンは乗り越える努力をするはずだもの」
メイベルの言いたいことが、いまいち理解できない。
そんな顔で、ベアトリスはぼんやりと、メイベルの横顔をジッと見上げる。
「……オリオンのことを、お願いしますわ」
ボソリと呟かれた言葉には、やけにずっしりした重みが感じられた。




