一章 3
青の離宮は、夜間でも警護が欠かせない。少ない団員で、昼と夜をうまく分担する必要がある。
それでも、どうにも足りない時には、他団から借りてくるしかない。
もちろん、借りた団員は、離宮内の警護はできない。外の警戒に当たってもらうだけだ。
(でも、外を守ってもらえるだけ、ありがたいよね)
外までエリカ騎士団でまかなっていたら、まともな休息は得られない。数日で、情けなくも、騎士団ごと崩壊してしまうだろう。
「ベアトリスさん、大丈夫ですか? しばらく、夜回り番はやめてもいいんですよ」
「いえ、これも仕事ですから!」
当初、シンティアが滞在している間、夜間の見回りはなしにしようと言われた。だが、それは、ベアトリス自身がきっぱりと断っている。
オリオン一人を、暗い中に放り出すことも。他の四人に、過密な見回り当番を押しつけることも。ベアトリスには、どうしてもできなかったのだ。
何より、三度の食事はシンティアと取り、団長たちとの接触も大きく減っている。
時として、ほのかな疎外感を味わってしまうくらいに。
「それに、あたしが、オリオンさんと話す時間が欲しいから。ちょっとくらい大変なのは平気です」
ベアトリスとしては、何よりも正直な気持ちだ。それを打ち明けたとたん、暗い中でもはっきりわかるくらいに、オリオンの顔がふわっと赤くなった。
「……私も、ベアトリスさんとお話する時間が、少しでも欲しいと思っていますよ」
やわらかく、ニッコリと微笑んで、オリオンはそっと呟く。
外に出たら、いつものようにしっかり手をつなぐ。
月明かりがある中でも、星明かりしかない日でも、このぬくもりだけが絶対だ。今、この時に一人ではないと、確かめられる唯一のものだ。
隣同士、のんびり並んで歩くことができるから、もう、ランプを落とすことは滅多にない。ごくたまに、オリオンが何かに驚いて、不覚にも取り落とすくらいだろう。
会えなかった間にあった、さまざまなこと。それをお互いに報告し、じれったいほどゆっくりと見て回る。
これが終われば、次の夜回り番まで、ろくに顔を合わせられないかもしれない。たった一日、少々寝不足になるくらいは、恐らく許容範囲だ。
困った時、嬉しかったこと、驚いた出来事。何もかも、すぐに伝えたい。そして、同じ感情を共有したくなる。
ふと思い立って、気軽に会えない今は、なぜだか無性に寂しい。
そんなふうに、感じてしまう。
「……もうすぐ、終わりですね」
何が。
そう聞こうとして、視界に職人棟が映った。
(……もう、見回りが終わっちゃう)
胸がギュッと締めつけられて、何だか息苦しくなる。
急に手を離しがたくなって、思わず握る手にキュッと力を込めた。一瞬、握った手が硬直したが、すぐにふんわりと握り返してくれる。
こんな些細なことに、幸福だと思う。
ほんのり赤くなった顔を軽く下へ向けて、ベアトリスは小さく微笑む。
階段を上り、五階の踊り場へ。ここでさよならだ。
「おやすみなさい」
ベアトリスが声を落として告げると、オリオンは真顔を見せる。
「三日後が、今から楽しみです」
そう言い放った後、やわらかくオリオンは笑う。
まだランプの火を消していなかったから、ベアトリスはしっかり見てしまった。
何よりも、心臓に悪い笑顔だ。
「……あたしも、楽しみにしてます」
どうにかそれだけ告げて、ベアトリスは急いで部屋へ逃げ込んだ。
‡
シンティアが滞在し始めて、今日で五日目だ。
毎日、バラバラの時間に、他団の騎士が四、五人ほどで襲ってくる。アマリリス騎士だけのこともあれば、馬に乗って走ってきたコキア騎士もいた。日に一度とは決まっていないようで、油断していそうな時間をわざわざ見計らっているらしい。
「……オーソンさん。確かに、訓練としてはいいんですけど、本物だった時に緊張感が欠けそうなので、本当に適度にしてください」
「この程度で緊張感に欠けるのか? そいつは残念だな」
「常に襲ってくるのが、他団の騎士。そう勘違いするほどの頻度で来ないでください、と言っているだけです」
ベアトリスがきっぱり言い放つと、オーソンの眉根がググッと寄った。
「……そんなに来てるのか?」
「最初のオーソンさんを皮切りに、今まで十回ほど」
正確に数えていたわけではないが、そろそろそのくらいになるだろう。そう思う回数をベアトリスが口にすると、オーソンはあんぐりと口を開けた。
「それは、確かに来すぎだな……」
初日は一回。今日は始まったばかり。残る三日で、十回近くとなれば、日に三度は襲われている計算になる。
襲撃してくるのは味方だけ、と油断が生まれる可能性は、否定できない。
「どいつもこいつも、エリカ騎士にかまいたくてしょうがないんだな。まあ、ちょいと調整するか」
「あ、たまには、こっちの弱点を突くような組み合わせにしてくださいね」
「……エリカの団長は、本気で容赦ないな」
すっかり呆れ果てた顔のオーソンが、ふうっと深いため息をつく。
「どうせ訓練するなら、勝てないかもしれないって思った方が、気合いが入るじゃないですか。本物だった時にも、落ち着いて対処できますし」
せっかく訓練を兼ねているのだ。無駄なく行いたいと思うのが、自然な感情だろう。とはいえ、常に弱点を突かれてばかりでは、さすがに嫌気が差す。
普段は生ぬるく、たまに軽い嫌がらせを受けるのが、やる気を持続させるコツだ。昔、そう、兄に教わった。
「実戦訓練はありがたいと思ってますから、頻度だけ考えてください。あ、あと、夜間の対応も、試しておきたいんですけど……」
ここぞとばかりに、ベアトリスは注文をつけておく。
主に日中の警護を担当している面々は、指示がなくともそれなりに動けるようになった。だが、夜に強く、夜間を担当している者には、そこはかとない不安が残る。団員の間であまりに開きが出るのも、歓迎はしない。
かといって、夜に弱い者を夜間警護に回すのは、さらに不安が募る。
「夜間は、エリカの団長が難しいだろうが。それとも、都合をつけてやるか?」
「都合はつけるので、日は知らせずにお願いします」
「……おいおい、夜回りはいいのか? だいたい、アマリリスの団長ってのは、普段はあんな調子だが、怒ったら死ぬほど怖いことで有名だぞ? あれに出てこられたら、逆にこっちが危ないだろうが」
オリオンが怒ったところどころか、声を荒げたことすら、まだ一度も見ていない。それだけに、ベアトリスには、怒った彼が想像できなかった。
しかも、死ぬほど怖いと評判になる光景は、なおさらだ。
どのみち、オリオンは、そこにいれば絶対に手を出してくるので、できればいない時がいい。
「そうなんですか? えっと、じゃあ、夜回り番が終わった後で」
手助けがろくに期待できない状況で、一度はやっておきたいのだ。そうすれば、いざという時、助けがなくてもやっていける。
もし助けが来れば、嬉しさは何倍にもなるだろう。
「……エリカの団長は、つくづく親に似たんだな」
「え?」
ベアトリスが見上げると、オーソンはふいっと顔を背けた。どうやら、何の気なしにこぼしてしまった、失言と思しき独り言だったらしい。
「とりあえず、襲撃に関しては考えておく」
そう言い置いて、オーソンは急いで立ち去ってしまった。
(……変なオーソンさん)
「ねえ、ベアトリス」
右に左に、ちょこちょこ首を傾げているベアトリスに、シンティアが話しかける。
「あなた、オーソンのこともよく知っているようね」
「そうですね……騎士になってから、最初に剣を見てくれたのは、オーソンさんでしたから。基本的なことは、兄から教わったんですけど」
言ってから、ふと、なぜ兄が剣を教えることができたのか。それが急に気になった。
騎士にでもならなければ、せいぜい護身用に剣を習う程度。練習の時に一度、そんな話を聞いた覚えがある。
ただの護身用にしては、大きく抜きんでた兄の剣の腕前。そうなった理由は、いったいどこにあるのか。
(今度、時間ができたら聞いてみようかな……)
ひょっとしたら、母とのなれそめも、聞けるかもしれない。
そんな淡い期待が、胸をフワフワ躍らせる。
「ほら、また人の話を聞かないで、何か考えているでしょう?」
いきなりシンティアに頬をそっとつねられ、ベアトリスはハッと我に返った。
「あなたは時々、自分の考えに入り込んでしまうのね。ただの騎士ならそれでいいけれど、団長はそうはいかないものよ。その辺りを一度、ヴァーノンたちにしっかりと教わってきなさい」
「は、はい!」
返事をした後、ベアトリスは嬉しそうな笑い声をかすかにこぼす。
「……あなたは、何がそんなに嬉しいの?」
「えっと、エリカ騎士団として初めて警護したシンティア王女が、とってもお優しい方でよかったと思って」
「──っ!」
ニコニコ笑って言うベアトリスに、シンティアはあっという間に真っ赤に染まる。顔だけでなく、首も、手も。見える範囲の肌は、はっきりわかるほど赤くなっていた。
「……あ、あなた……まさかと思うけれど、ジェローム・ラウィーニアの縁者じゃないでしょうね?」
「……それ、誰ですか? あ、でも、ラウィーニアは、母様の家名ですね」
聞き覚えのない名に、こてんと首を傾けた後。聞いたことのある家名に、ベアトリスはぽろりと呟く。
「あたし、母様の名前は、兄様に引き取られるまで知らなかったし、家名なんて、エリカ騎士になってから聞いたので……それに、兄様以外の兄様や姉様、母様の親戚には、全然会ったことがなくて……」
「はぁ?」
一国の王女にあるまじき、怪訝さを露骨に出した声が、シンティアから飛び出した。
ベアトリスが驚いている間に、シンティアはつかみかからんばかりの勢いで、ググッと詰め寄ってくる。
「あなた、オーソンと会っているでしょうに。あれもラウィーニア家の人間よ。それも、次のホートン候じゃない。あなたのお母様と、少なからず縁があるはずよ」
「……え?」
オーソンからも、兄からも、他の団長たちからも。そんな話は、これまでに聞いたことがなかった。
(どういう、こと……?)
今すぐ、警護の仕事を放り出して、どちらかに問い詰めに行きたい。
そんな強烈な衝動を、かろうじてグッと押さえ込む。
(後で、無理矢理時間を作ってでも、絶対に聞きに行くんだから!)
強く心に決めたベアトリスは、とりあえず目の前の仕事を優先させることにした。
‡
宿舎の一階の、奥にある部屋。そこの窓を、外から人影がひょいと覗き込んだ。そっと二回、窓ガラスをカタカタと揺らす。
「……何だ?」
窓の外の人物へ、室内からオーソンが問う。
「おめでとーございまーす。うちの団長に、とうとうあなたの正体がバレました!」
ガタガタッ、と派手な音を立てて、立ち上がったオーソンは座っていた椅子を蹴飛ばした。それを起こす時間を惜しみ、彼は急いで窓に近寄る。
「どういうことだ!」
「シンティア王女ですよ。さっすが、『災いの口』なんて異名を持ってるだけあって、見事なバラしっぷりでしたね」
ニコニコ笑っているのは、サラサラした短い栗色の髪を揺らす、エリカ騎士の服を着た少女だ。腰には剣を差している。
彼女は、元々ラウィーニア家で働いていた者だ。エリカ騎士を募集するにあたり、急遽、多少剣の使える彼女を送り込むことになった。
その理由は、もちろんベアトリスだ。
「あと、うちの団長、相当怒ってましたからね。何で言わなかったんだって問い詰められても、泣いちゃダメですよ? いいですか? 絶対に泣かないでくださいね? うちの団長が、大の大人を泣かせちゃったって、すっごく気に病んじゃいますからね」
「誰が泣くか!」
「えー? だって、あなた、姉君の訃報を知った時も、団長が団長になるって聞いた時も、見た人がどん引きするほどの大泣きだったそうじゃないですか。あーあ、見たかったわぁ」
「ウルスラ!」
からかい混じりの声を発し、ちょいと肩をすくめてみせる。そんな彼女の名を、オーソンは鋭く呼ぶ。
とたんにウルスラは、ピタリと口を閉じた。ニヤッとした笑みが浮かんでいた口元も、いつの間にかスッと引き締められている。
「そういうわけで、覚悟なさっててくださいね。あと、モデスティー伯にも、うちの団長にあなたのことがバレた件は、伝えた方がいいですよ。あっちにも、突撃しかねない人ですよね?」
「……短いつき合いのお前が、何でそこまであの子を理解している?」
「わかりますよ? 何しろ、言うことやること、ホートン候そのものですから」
バッサリとウルスラが言い切ると、オーソンの口からため息のような、微妙な吐息がこぼれ落ちた。
「……ああ、そうだな。確かに、似ている……というか、性別が違うだけで、完全に血がつながっているな」
「団長を見る限り、あなたの姉君も、あの性格だったんですね」
「何を言うか。一族の半分はああだぞ?」
「へぇ……そうなんですね。私、ラウィーニア家で働いてて、本当によかったと思ってますよ。あれが半分以上住んでる家なんて、ちょっとやっていけないわぁ」
容赦なく言い放ったウルスラは、ニッコリ微笑んでヒラヒラと手を振る。
「では、またそのうち」
言うが早いか、彼女の姿はフッと消えてしまう。
「……相変わらず、逃げ足の速い」
ボソリと呟いてから、オーソンはガシガシと頭をかく。窓を閉め、椅子を起こし、大きなため息をついて、静かに部屋を出ていった。




