一章 2
非常にすっきりした顔で、モデスティー伯は去っていった。もちろん、オリオンと二人がかりで持ってきた大量の菓子は、部屋の片隅に置いてある。
シンティアはぐったりして、ソファに倒れ伏していた。
「……あの、シンティア王女。大丈夫ですか?」
だが、彼女に答える気力はないようだ。代わりに、シンティアの侍女たちが、ベアトリスにググッと詰め寄る。
「なぜ、あの鬼畜の妹だと教えてくれなかったのですか?」
鬼畜。
その単語が、やけに兄を的確に表していると思えてしまった。だが、そのことと、自ら教えなかったことは別問題だ。
「聞かれなかったからです。それから、エリカ騎士および他騎士団を合わせても、ごく一部しか、あたしの家名は知りません。これは、限られた者以外に知らせるなと、兄に厳命されましたから。そして、シンティア王女には、先に教えろとは言われませんでした。ただし、聞かれても答えるな、とも言われてはいません」
だから、ベアトリスには、シンティアに問われたら答える、という選択肢しかない。
確認もせず、単なる庶子と決めつけたのはシンティアだ。
「それから、あたしは、母様とは、厳しい弓の練習以外は、ひたすら遊んで暮らしたことしか覚えていません。兄様に引き取られた後も、最低限のマナーを教えられた程度です。ですから、育ちはほとんど庶民と申し上げました」
何しろ、団長になると決まってからも、山猿だの小娘だの、好き勝手に言われていたのだ。生粋の貴族として育っている人間から見れば、庶民に毛が生えた程度にしか映らないだろう。
その辺りは、複雑な生まれ育ちだと理解している。わざわざ吹聴する理由はない。だから、答えてもいい相手には、聞かれれば答えるのだ。
「もし、兄が苦手でしたら、次からは、こういったことは絶対にしないように注意しておきますけど……どうしますか?」
突っ伏していたシンティアが、バッと顔を上げる。
泣いていたからか、赤みを帯びた目が腫れぼったい。少々気の強そうな、凛とした顔の彼女が、痛ましく見えるほどだ。
「あの鬼畜に、二度と顔を見せないよう言っておいてちょうだい!」
「は……はい、わかりました」
あまりに強いシンティアの口調に、ベアトリスはやや尻込みする。
以前、シンティアがいつ訪れたのか、それをベアトリスは知らない。だから、過去に何があり、どうして兄が苦手意識を持たれているのか。その理由も、さっぱりわからなかった。
(……オリオンさんたちに聞いたら、教えてくれるかな?)
兄に聞けば、もちろん主観など一切入っていない、純然たる事実を教えてくれるだろう。だが、知りたいのはそれだけではない。せっかくだから、さまざまな角度からじっくりと、ものごとを見てみたいのだ。
モデスティー伯の脅威が、今後はなくなる。そう判断したらしいシンティアは、ようやくゆっくりと起き上がった。
顔色はまだ、いいとは言い切れない。それでも、先ほどよりはずいぶんまともだ。
「そうそう、ベアトリスはどの程度強いのかしら? わたくしの護衛を務めるのですもの、教えていただける? せめて、ヴァーノンには勝てるのでしょう?」
各団長を強さ順に並べると、ヴァーノンは二番手だ。もっとも強いのは、オリオン。それは、エリカ騎士団が発足するまで、揺らぎようのない事実だった。
「オリオンさんにも勝ちましたけど……実践と模擬はやっぱり違いますよね。ヴァーノンさんは、割とすばしっこいので、たまにちょっと怖いです。でも、肝心な時に転ぶので、逆に心配になりますね。メイベルさんは、接近されてもそんなに怖くないです。でも、力が強いので、たまに押し負けそうになります。月に一回くらい、みなさんと戦ってみますけど……今のところ、あたしは負けてません」
テレンスは、馬に乗らなければまったく怖くない。乗っていても、かなり高確率で馬に夢中になる。そしてコーデルは、脅威にもならない。
そんな調子なので、今は負け知らずだ。
指を折りながら言っていたベアトリスは、ふと視線を感じて、グルリと周囲を見回した。引きつった顔のシンティア、怯えている侍女たちが、順々に目に入ってくる。
「あの……あたし、何かおかしなこと、言いましたか?」
「……あなた、オリオンにも勝っているの?」
「え? あ、はい。お互い面倒なので、一回勝負したっきりですけど」
無駄に時間はかかるし、結局同じ結果になりそうということで、勝負はあの一回きりだ。
そもそも、オリオン自身が、あまり勝負をしたくはない様子だった。他の団長とも、滅多なことでは戦わない。
「……エリカ騎士団は、化け物の団長をすえているのね」
「化け物、ですか? あたしは、普通のつもりなんですけど……」
あまりの未熟さに、時々、ひどくいたたまれなくなるのに。
何より、この程度で化け物と言われては、これ以上の弓の腕があったという母は、いったいどうなるのか。
「普通のはずがないでしょう? オリオンは、これまでずっと無敗の男よ? それに勝つだなんて……あなたが最も強いと、証明しているも同然でしてよ」
「えっ……オリオンさんって、負け知らずだったんですか?」
「……あなた、団長でしょう? もう少し、情報を知るべきでしてよ」
すっかり呆れ果てた顔で、シンティアは大きく、深いため息をついた。
‡
昼食を挟んだ午後は、シンティアの散歩につき合った。向かった先は、城を囲む敷地の外れだ。街に近い一角に、たくさんの花々が四阿をグルリと取り囲む場所がある。そこが、シンティアのお気に入りの場所らしい。
仰々しい護衛は嫌だという彼女のため、ベアトリスを含む五人がついていく。
狭い場所で戦う可能性を考え、剣を使う二人に、補助タイプと攻撃タイプの魔法使いを一人ずつ。これが一番いいだろうと、団長たちに相談して決めた結果だ。
「ここは相変わらず、綺麗な庭を作っているのね」
「そうなんですか? そういえば、ここって、いつ見ても綺麗な花が咲いてますね」
「……本当に、あなたは団長として、情報を集めるべきと思いますわ。常に誰かが助けてくれるわけではないでしょう? あなた一人の時、あなたの判断できちんと行動できるよう、努力すべきでしてよ。そうでなければ、わたくしたち、守られる側も不安になりますもの」
来た当初、メイベルにはひどく突っかかっていた。だがそれは、彼女が断言していたとおり、メイベルにしかしないようだ。ベアトリスには、最初の菓子の件以来、何もしてこない。するのは、必要で簡単な説教くらいだ。
そして、エリカ騎士たちには、逆に恐ろしくなるくらい何も言わない。それどころか、目線すら向けないこともある。
「そう、ですよね……頑張ります!」
ベアトリスが笑顔で元気よく返事をすると、シンティアはなぜか、ひどく気まずそうな顔を見せた。シンティアの侍女たちは、一様に、失笑に似た苦笑を浮かべている。
青の離宮からはちょうど反対側にある四阿で、ひと時の休憩だ。花を楽しみ、吹き抜ける風をしっとりと浴びたら、また歩いて離宮へ戻る。それで、シンティアとしては満足するらしい。
シンティアと侍女たちが四阿にいる間、ベアトリスたち護衛は、ひたすら周囲を警戒する。侵入にはあまり適さない外壁とはいえ、入られたらすぐに襲われる位置だ。
徒労に終わるくらい、過度に警戒してもしすぎではない。
キャアキャアと楽しそうな、シンティアたちの声を聞きながら。ベアトリスはゆっくりと、視線を巡らせる。
(……あれ?)
視界の隅で、何かが動いた気がした。
風の流れも、空気も、おかしなところは見られない。敵意といったものも、感じない。それでも、はっきりと指摘できない、ごくごくかすかな違和感がある。
「準備」
ごちゃごちゃと、難しい言葉を並べても、お互いに忘れてしまう。だから、簡単な言葉で命令を伝えることにした。そのひとつがこれだ。
敵襲に備え、いつでも武器を手に取れるようにすること。
魔法使いたちが、体の影でこっそり、人差し指と中指をそっとくっつける。残りの二人は、腰の剣にスッと手を伸ばした。ベアトリスもさりげなく、弓に手で触れる。
カサリ、と小さな音がした。
風に木々の葉が揺れた音ではない。とっさにそちらを向いたベアトリスの手は、弓をしっかりと握って、素早く矢を番えていた。
敵意のない者ならば、これで慌てて出てくる。そして、危害を加えるつもりがないと、主張するはずだ。
しかし、人が出てくる気配はない。音のした辺りへ向け、ベアトリスはパッと一撃を放つ。そのまま、シンティアたちを庇える位置へ、ササッと移動する。
「氷結!」
バキバキと鳴りながら、氷が地面をえぐって進む。
「守護!」
補助タイプの魔法使いが、四阿全体に防御をかける。ベアトリスは範囲の外だ。
(ミランダは攻撃タイプ。特に氷が好き。ヴェラは補助で、防御はあんまり強くない。でも、捕縛はかなり優秀。ウルスラは力が強くて、少しくらいなら打ち合っても平気。体力もある。レオラはすばしっこくて、力が弱め。受け流して隙を突くから……)
連れてきている騎士たちの特徴を、頭の中でさらう。
金色のポニーテールを揺らす少女が、もう一度空中に線を描く。貴族の私生児だという彼女が、ミランダだ。
今も、打ち解けたとは言えない。けれど、仕事と私事は別だと、彼女も理解しているようだ。完全に私的な時間でなければ、口も利かない、といったことはない。
「氷結!」
木の陰からバッと飛び出してきた男に対し、氷の固まりが走っていく。
やわらかにうねる栗色の髪をふんわりと揺らして、ヴェラは空に、いくつも線を描いた。
「捕縛!」
一人目の男は、氷の固まりを危なげなく避けた。そこにヴェラが、捕縛の魔法を投げかける。
着地した男の軸足に、銀色でキラキラと輝く茨が絡みつく。とたんにそれは実体を持ち、鋭いトゲを持つ緑色の茨へと変わる。キリキリと容赦なく足を締め上げ、トゲを足へ食い込ませていく。
「捕縛!」
ヴェラは立て続けに呪文を唱える。
出遅れたのか。はたまた、わざと遅らせたのか。一斉に飛び出してきた男たちの一人に、シュルシュルと伸びた銀の茨が絡まった。
(あと三人!)
「ウルスラさん、前に!」
短い栗色の髪をなびかせて、ウルスラは正面切って受け止めるために出る。その間に、レオラがウルスラの近くへ駆け寄った。他の二人がすり抜けてくるのを、妨害するためだ。
振り下ろされた剣を、ウルスラが軽々と受け止める。頭がキンと痛む金属音が、辺りに甲高く響く。
「捕縛!」
つば迫り合いをしているそこへ、ヴェラが捕縛の魔法を発動させる。とっさに逃げることができず、三人目もあっさりと茨にとらわれた。
(ヴェラさんは、四人までしかつかまえていられないから……)
放つだけなら、魔力がある限り放てる。しかし、つかまえ続けるのは難しいらしい。そのため、とらえておくのは限度があるそうだ。
これは、オリオンでも同じらしい。ただ、オリオンはもっとたくさん、一度に捕縛しておけるという話だった。
「団長、後方に」
「わかりました」
ひっそり囁かれたヴェラの言葉に、ベアトリスは示された方向を見る。
飛び出してきた男たちは、目元以外を黒い布で覆っているため、顔はまったくわからない。黒い服は全体的にゆったりしていて、体型もわかりにくい。外に見えているのは、それぞれが手にした武器だけ。
四人は剣を持っている。こちらから大きく距離を取った一人は、手ぶらだ。
「剣を!」
手近にいる剣を所持した一人に、ウルスラとレオラが近づく。その隙に、ベアトリスは番えた矢を、遠い人物の腕に放つ。
ヒュッと風を切り、矢は右の上腕にざっくり突き刺さった。刺さったところを押さえ、男はわずかに前屈みになる。
「ヴェラさん!」
「捕縛!」
待ち構えていたようで、即座にヴェラが、離れている男をとらえにかかった。
これでヴェラは手がいっぱいだ。後は、万一、防御の壁が壊された時、作り直すくらいしかできないだろう。
混戦時には、魔法も弓もかえって使いにくい。
頼りになるのは、剣だけだ。
ベアトリスは弓をしまい、腰の剣をスルリと抜く。いざ斬りかかろうとして、ふと気づいた。
「……オーソンさん?」
どこかで見た太刀筋を、はっきり思い出す前に。その名前が、ひょいと口を飛び出す。
「……さすがはエリカの団長だ。まさか、剣を合わせるより早く気づかれるとは」
顔を覆っていた布をはぎ取れば、そこにあるのは間違いなくオーソンの顔だ。
目を丸くするベアトリス同様、エリカ騎士たちも驚きを隠せない。
「え? じゃあ……」
思わず、とらえている四人を順々に眺める。
「グレアム、レスター、トレント、それからナイジェルだ」
「ああっ、ご、ごめんなさい!」
治癒のできる魔法使いは、今は連れてきていなかった。治癒も使えるナイジェルがいるから、ガザニア騎士たちはともかく。
そのナイジェルのケガが、すぐには治療できない。
「エリカの団長、お気になさらず。戻って、団長に治していただきますので」
「え、でも……」
「気になるのでしたら、ハンカチで傷口を縛っていただければ十分です」
「じ、じゃあ、それで……」
ポケットにハンカチが入っていることを確かめ、急いでナイジェルに駆け寄る。
「矢を抜きます」
宣言してから、思い切りよく矢を引き抜いた。
真っ白なハンカチを取り出す。小さなうめき声をこぼしたナイジェルの腕に、ハンカチをギュッと縛りつける。
「ありがとうございます。いやぁ、それにしても、あの距離からこうも正確に狙われるとは、お見それしました」
「攻撃してきても、よかったんですよ?」
「ああ、その……いろいろ巻き込む可能性があったんで、手が出せなかっただけです」
「……そうなんですか?」
ナイジェルが、攻撃と治癒を扱えることは知っている。しかし、具体的に、どんな攻撃を好んでいるかは知らない。
不思議そうに、ベアトリスが首を傾げていたからか。ナイジェルがクスクス笑って、無事な左手を動かして説明を始める。
「この位置からこう、炎を飛ばしたら、さすがに、ねぇ……」
「あ、そうですね」
誰か一人くらい、うっかり巻き込まれる者が出ても、確かにおかしくない。
しかもこちらは、防御に自信のないヴェラだ。運悪く軌道が逸れた時、シンティアたちに被害が及ぶ可能性もあった。
「それで、これはいったい何なんですか?」
まずはナイジェルを見て、オーソンをジッと見つめる。
「エリカの実戦的な訓練は、あまりしていないからな。抜き打ちで試してみた。ああ、もちろん、他の団長たちからは許可を得ているぞ」
言いながら、ほんの少し、オーソンの目が泳ぐ。
「オーソンさん?」
「……ご明察」
「一度、ちゃんと説教しなきゃ……」
ベアトリスが言外に問えば、すんなりとオーソンは認めた。
何もなくともかまわずにはいられない、兄の性格は熟知している。だが今は、それが邪魔だ。
「まあ、シンティア王女が仰々しい護衛は嫌だっつったんだろうが、これじゃ防御がちょっと不安だな。それに、補助タイプは、せめてもう一人は必要だ。エリカには治癒を兼ねてるのはいなかったな……とはいえ、こっちが本気でかかってたら、恐らくエリカの団長以外、とっくに死んでるぞ」
「誰一人、死なせません!」
とっさに叫んでいた。
楽しげに、オーソンがニヤリと笑う。
「そうそう、その心意気ですよ」
「エリカの団長は、心構えはもう団長だな」
「うちの団長と取り替えて欲しいなぁ。馬に乗せるのはひと苦労だし、すぐ迷子になるし、いきなり転ぶし、滑るし……」
「その分、頑丈だけどな」
「いやでも、やっぱり可愛い子だと、こっちの気合いが違うだろ?」
「これ以上好き勝手言うと、うちの団長に報告しますよー」
ガザニア騎士たちは、ナイジェルのひと言でピタリと口を閉じる。
「シンティア王女、お騒がせいたしましたこと、どうぞお許しください。エリカ騎士の護衛に、少しは信頼を置いていただけたでしょうか? では、エリカ騎士のみなさん、任務を続けてください」
全員がはらりと布を取って顔を見せ、オーソンがニッコリ微笑む。優雅な一礼を披露し、さっさと歩いていってしまう。彼の後を、やはり一礼した他の者たちが追っていく。
彼らがすっかり見えなくなってから。
「……これだから、ヴァーノンも嫌いなのよ」
拗ねた顔で、ボソリとシンティアが呟いた。




