一章 1
メイベルの機嫌はすこぶる悪い。正直、隣を歩くことすら嫌だと、ヴァーノンは思う。
「まったく、あの子にも困ったものですわ」
「そんだけ怒ってて、まだ素に戻んないんだね」
「何年これで生きていると思っていて? この程度で素に戻るだなんて、わたくしを甘くみないでくれるかしら」
「それにしても、いきなり本名をバラされるなんてさぁ」
ヴァーノンが呟いた瞬間、メイベルから冷ややかな殺気がこぼれた。ヴァーノンはピタッと、一瞬で口を閉じる。
「口は災いの元、と言いましてよ」
「うん、言うね。ゴメンね、メイベル」
「次はなくてよ?」
「むしろ、次がないのはシンティア王女の方じゃない? 今頃、ベアトリス相手に、どんな失言かましてるか、ちょっと楽し……気になるよね」
うっかり災いを呼び寄せかけて、ヴァーノンは慌てて言い方を訂正する。
彼がふと視線を向けたのは、他国の王族が滞在する際に利用する、離宮のひとつだ。鮮やかな青色の屋根から、青の離宮と名づけられている。そこに今回、シンティアが滞在すると決まった。
護衛を務めるエリカ騎士団は、宿舎と青の離宮を常に往復することになる。
「……ところで、団長の個室から一番遠い離宮に、シンティア王女が滞在する理由は、わがままステラが原因かしら?」
「あー、うん、そうじゃない? ステラ王女って、オリオン大好きだし。そのオリオンはメッチャクチャ嫌がってるけど。ベアトリスが移動で時間食って、オリオンと話す時間なくなっちゃえ、っておバカな考え丸出しじゃん?」
「……わがまま同士、ぶつけ合ったら相打ちになってくれないかしら」
「無理無理。相打ちの前に、こっちがやられちゃうって」
ほっそりした指先を額にグッと押し当てて、メイベルはふうっとため息をつく。
ケタケタ笑っていたヴァーノンだが、スッと表情を改める。
「まあ、オリオンの意志は固いし、ステラ王女にはバッチリ後悔してもらうとして。問題は、口の軽いシンティア王女だよねぇ」
しかも、相手は他国の王女だ。接触させてもかまわない人間は限られている。
テレンスとコーデルでは、ほんの少しだけ家の格が足りずに近づけない。もちろん、足りていても近づけさせないが。そしてオリオンは、家柄は十分だが、本人に問題がある。
シンティア王女に関しては、基本的に、ベアトリスを介す。彼女が不在の時に限って、メイベルかヴァーノンでもかまわない。そう決定し、周知済みだ。
しかし、警備に当たるエリカ騎士団は、そういった事情に疎い。それこそ、団長のベアトリスを含めて、とにかく疎い。
「シンティア王女に、いいように使われないといいけどね」
「本当に、気が重いこと……」
そろいもそろって、メイベルとヴァーノンは重いため息を吐いた。
‡
「団長さん、わたくしとお茶を一緒しなさい。これは命令よ」
シンティアにそう言い放たれて、ベアトリスは怖ず怖ずと同席している。
目に痛い青色の屋根が目印の、青の離宮。そこには、応接間にサロン、貴人の個室と召使い用の部屋。簡単な厨房も設えられていた。
今ベアトリスがいるのは、サロンだ。優雅に茶を楽しみ、会話を弾ませる。そのためだけに作られた、非常に贅沢な部屋だ。
フカフカで、微妙に体が沈み込むソファには、まだまだ慣れていない。ふわりと湯気を立てる、可愛らしいカップの中身にも、やはり慣れない。
いくら、団長らしくあろうと、見た目は必死で取り繕えても。中身は結局、大して変わりのないままだ。
「ところで団長さん、お名前は何とおっしゃるの?」
「ベアトリスです」
そういえば、ろくに挨拶もしていなかった。ふと、ベアトリスは思い出す。
「エリカ騎士団の団長を、務めさせていただいております」
後半、本当にわずかだが、舌を噛みそうになる。この、団長らしい口上には、ちっともなじめない。
「そう。わたくしはアレグリア王国第一王女シンティアよ。次の春に、ベルギル様との挙式が行われるの」
「ああ、そうなんですね。おめでとうございます」
話を噛み砕き、敬語に気を遣う。スラングがうっかり出てしまわないよう、常に緊張していなければならない。
精神的な疲労ばかりが、どんどんたまっていく。
(ところで、ベルギル様って……えっと、確か、シンティア王女の婚約者は、第三王子だから……第三王子ってことでいいのかな?)
「ちょっと、聞いていますの?」
考え込んでいる間に、話しかけられていたらしい。
ハッと我に返って、ベアトリスは謝罪の言葉を口にする。
「人の話はきちんと聞くものよ。いい? もう一度聞くわ。あなた、わたくしより年上なのでしょう? 婚約者くらい、いるのよね?」
「いえ、いません」
「……貴族令嬢でしょう? 親の決めた方がいないはず、ないわ」
兄に、社交界から遠ざけられて育てられた。そのことを、説明していいかわからない。
そもそも、父親は生まれる前に亡くなっている。母とは、そういった話をしたことはなかった。
「少なくとも、両親からは聞いていません。それから、今のあたしの保護者というべき立場にいるのは、兄です。その兄も、あたしの結婚相手なんて話、一度もしたことがありません」
「……あなた、本当に貴族なの?」
「血筋だけなら。育ちは、ほとんど庶民ですね」
そう告げた辺りで、庶子と判断したのか。シンティアの態度が、コロッと変わった。
「じゃあ、お茶菓子を用意してちょうだい。そうね……珍しいものがいいわ」
「珍しいもの、ですか? 少し、お時間をいただけますか?」
「かまわないわ。珍しいお菓子だったら、許してあげる」
「では、しばらく席を外すことをお許しください。他の騎士は、護衛として廊下に置いておきます。何かありましたら、彼女たちにお伝えくださいね」
珍しい菓子と言えば、兄だ。きっと、兄が持っている菓子なら、王女も納得してくれるはず。
廊下にいる騎士に、何かあったらメイベルかヴァーノンに伝えるように。そう言づけてから、ベアトリスは駆け出した。
兄の部屋を訪れるのは、数日ぶりだ。
小言や説教を受けることはないが、長く引き止められる可能性は憂慮している。
「兄様、今、いいですか?」
「ビーか……どうした?」
ドアをそっと開けて、スルリと室内に滑り込む。パタン、と後ろ手にドアを閉めた。
「珍しいお菓子、持ってますか?」
「……どう珍しいものがいいかはわからんが、好きなものを選ぶといい」
そう言って、兄は書棚の下の引き戸を開ける。
ズラリと並ぶ、色とりどりの菓子。しかも、どれも大量にある。
「……そんなにあって、食べきれるんですか?」
「頃合いを見て、ビーに渡すつもりだったんだが……今、ある程度を持っていくか?」
「一人で来たので、さすがにそんないっぱいは持っていけません」
「人手なら呼び出して……ああ、じきに人手が来るな。少し待っていろ」
言われたとおり、ベアトリスは部屋のソファに座って、大人しく待ってみる。
ただ待っているだけだから、妙に時間が長く感じた。
やがて、トントン、と優しくドアを叩く音が響き。
「失礼します」
聞こえた声は、よく知った声だ。
そっとドアを開けて入ってきた人が、パッと目が合った瞬間、硬直した。
「オリオン、ちょうどよかった。ビーが荷運びの手を必要としていてな。手伝ってやってくれ」
「あ、はい……わかりました」
言いながら、オリオンはさっさと書棚へ近づく。
「どれを持ち出しますか?」
「珍しい菓子が欲しいそうだ。適当に選んでくれ」
「……もしかして、シンティア王女の命令ですか?」
確認のように、オリオンが呟いたとたん。ベアトリスは目を見開いて固まった。それを見て、モデスティー伯は、誰もが凍りつきそうなほどの冷気を全身からこぼす。
オリオンも、珍しく冷ややかな表情をしている。
「なるほど、シンティア王女か。ビー、まさかと思うが、俺が兄だと、彼女に伝えていないのか?」
「えっと、伝えてません。言う前に、珍しいお菓子が欲しいって言われて……」
「わかった。俺も行く」
「え……兄様も、ですか?」
兄が出ていって、穏やかに済んだ試しはない。それがわかっているから、ベアトリスの顔は自然と引きつった。
だが、モデスティー伯とオリオンは、まったく気に留めていない。二人がかりで、ササッと菓子を選び、それぞれにどっさり抱えている。
「ビー、ドアを開けてくれ」
ピンと張った兄の声に、ついつい体が動く。言われたとおりにドアを開け、二人が通過するまで、しっかりと支えた。
「行くぞ」
スタスタ歩き出した兄と、その後ろをついていくオリオンに。危うく、置いていかれそうになる。
(オリオンさんって、シンティア王女と顔を合わせても大丈夫なのかな?)
あの人見知り具合を思い出し、ベアトリスは密かに心配してしまう。
しかし、その場では疑問を伝える暇もない。歩調の早い二人に、何とかついていくだけで精一杯だ。
城を出て、庭を横切り、青の離宮へ向かう。
ベアトリスは、場所を言っていないのに。モデスティー伯は迷うことなく、サロンへと歩いていく。
(……あたし、場所、言ったかな?)
首を傾げつつ、懸命に追う。
目的の場所が近づくにつれ、異変に気づいた。
「え……?」
部屋の前にいるはずの騎士が、一人もいない。
三人も置いていたのだ。その全員が、一気にいなくなることなど、通常では考えられない。
「何で、誰もいないの?」
「……それは、シンティア王女だからだろうな」
「そうでしょうね」
どんな疑問もすべて、「シンティア王女だから」でひとまとめに解決されてしまう。
そんなひと言で済まされてしまうような、突飛な王女なのだろうか。
疑問と困惑が頭の中でグルグル踊り、どうしていいのかわからなくなる。
「失礼しますよ、シンティア王女」
モデスティー伯が声をかけた瞬間。
「いやぁ──っ!」
中から、すさまじい絶叫が聞こえた。
耳がキーンと鳴って、痛い。人が出せる限界の、声量かもしれない。そう思うほど、強烈な絶叫だった。
「ビー、開けろ」
「は、はい!」
あたふたと、ベアトリスがドアノブに手をかける。とたんに、中から激しい抵抗に遭う。
引っ張っても、押しても、動かない。
どうするべきかと、ベアトリスは兄を見上げた。その兄は、オリオンに向かって、顎でクイッとドアを示している。
オリオンが抱えていた荷物を床に下ろす。空いた手で、空中にススッと線を描いていく。
「ま、まさか……」
「崩壊!」
嫌な想像は、見事に的中した。
サラサラと音を立てて、木製のドアは砂が崩れるように消えていく。下には、薄茶色の砂粒の山がどっさりたまっている。
そして、ドアがあった少し向こうに、立ち尽くしている数人の侍女たち。
「なっ……どうしてオリオンまで……っ!」
「おいたが過ぎると、教えに来たんですよ、シンティア王女?」
遮るものがなくなったとたん、オリオンはクルッと廊下の壁を向いた。シンティア相手に話を進めるのは、モデスティー伯だ。
「俺の可愛い妹に、珍しい菓子なんぞを所望した理由を、ぜひお聞かせ願えますか?」
言葉だけ見れば、それほどでもない。だが、口調と空気は、明らかに威圧的だ。しかも、冷ややかな空気で、部屋がすっかり覆い尽くされている。
「い、妹……?」
「ベアトリスは、俺の末の妹ですよ。おや? ご存じなかったんですか? メイベルとヴァーノンには、きちんと釘を刺しておくよう、言っておいたんですがね」
シンティアは可哀想なほどガタガタ震え、真っ青になっている。よく見れば、無関係だろう侍女たちも、青ざめてプルプル震えていた。
「えーっと、メイベルさんが、敵に回すと恐ろしい男がついている、と言ってたかも」
「なかなかに不親切だな。だが、まあいい。ビーを見て、それが俺だと察せられなかったシンティア王女にも、大いに落ち度がある」
見た目には、確かに親子と言えるほどそっくりだ。その上、亜麻色の髪に暗緑色の瞳という組み合わせは、滅多にいない。それでも、両者を知っていれば、何となく血縁を連想する者は多いだろう。
ただし、年齢に大きな開きがあり、兄妹と言われてもにわかに信じがたい部分はある。
「せっかくビーに珍しい菓子を頼んだんだ。今日は、俺が手ずから食べさせて差し上げよう」
ニッコリ微笑んだモデスティー伯が、持っていた箱からひとつ、菓子を取り出す。遠慮なく部屋へ入り込み、シンティアへぐんぐん近づいて。
「さあ、口を開けてください、シンティア王女」
とどめとばかりに。モデスティー伯は、シンティアの口へ菓子をグイッと押しつけた。




