三章 1
ベアトリスがエリカ騎士となって三日目。
団長として、すべての武器に通じることを要求されたので、午前はベロニカ騎士団の訓練に参加した。昼食後からカーティスに何だかんだと絡まれつつ、オリオンの講義を受け終えた後のこと。
「今日は夕食の前に、明日の予定を団員に伝える練習をしましょうか。今日はリナリア騎士とエリカ騎士が、この時間に騎士宿舎の食堂で食事をしていますの」
「えーっと、明日は、午前はリナリア騎士団と合同ですよね。そういえば、他のエリカ騎士って、午後は何をしてるんですか?」
午後の講義は一人で受けている。午前の訓練以外の時間に、他の団員を見かけた覚えがない。当然、まだ顔を見たことのない団員もいる。
自主訓練だろうか。はたまた、指導すると言っていた礼儀作法だろうか。
こてんと首を傾げているベアトリスに、メイベルはごく薄い笑みを浮かべた。元がいいだけに、その笑みはかえって凄惨さを加える。
「彼女たちには、わたくしとヴァーノンで、最低限の礼儀作法を身につけてもらっていますの。テレンスとコーデルも、出来を確認しておりますわ」
「あ、やっぱりそうなんですか。じゃあ、そのうちあたしもですね」
エリカ騎士たちだけで終わる話とは思えない。それどころか、彼女たちよりさらに厳しいダメ出しや、過酷な要求があるに決まっている。
「あなたに関しては、食事のマナーはほぼ完璧。言葉遣いも、いざとなれば、多少難ありで済む程度には話せるようですから、今すぐ厳しく指導しなければならないとは考えていませんの。他に確かめておきたいことと言えば、社交界におけるマナーの問題ですわ」
「う……」
社交界に出る必要はない。
それが兄の方針だった。そのため、ベアトリスには社交界に関する知識はまったくない。その上、ダンスひとつ満足に踊れないのだ。
不要の世界で、ずっと生きていればよかったのだが、避けて通れない立場となった今。
「あのモデスティー伯のことですもの、あなたは本当に、社交界とは無縁に生きてきたのでしょうね。ですから、万一エリカ騎士たちの手が離れなくとも、あなたには時期を見て徹底的に叩き込み、名実ともに立派な淑女となっていただきますわ」
嘘のつけないベアトリスの表情で、しっかり察したのか。メイベルは口元だけで笑う。
「その前に、団長としての仕事を覚えてもらいましょうか。さあ、いらっしゃい」
先導するメイベルの後ろを、トボトボと、黙ってついていくしかなかった。
六階建てだという騎士宿舎の一階は、広々とした食堂になっていた。それでも、フロース王国騎士団に所属する全騎士が、一堂に会して食事をすることはできない。食堂の収容人数より、騎士の人数が多いことも理由のひとつだ。しかし何より、それだけ大量の食事を一度に調理できるほど、厨房に余裕がないことが最大の理由だろう。
エリカ騎士は見たこともなかっただろう類の食事を、それなりに打ち解けて楽しんでいるようだ。そんな彼女たちを、離れたところからリナリア騎士たちが、ほのぼのと見守っている。
(……リナリア騎士って、本当に顔が基準だったりするのかな?)
紫色の制服に身を包む彼らは、誰もが端整な顔立ちをしている。メイベルが団長を務めていることに、違和感をひとかけらも与えない。
テレンスならば余裕で違和感なく、コーデルはわずかな見劣り程度で混ざれるだろう。だが、ヴァーノンでは、あからさまにかすんでしまいそうだ。
「リナリア騎士団、全員起立なさい」
ざわついている中でもよく通るメイベルの号令に、リナリア騎士は一人残らず立ち上がる。凍りついたような、ビシッとした直立不動だ。
メイベルが指先で軽く振り払った髪が、ふわりと揺れてパサリと落ちる。
「明日の予定を伝えますわ。一度しか言いませんから、よくお聞きなさい。午前は訓練場にて、エリカ騎士と合同訓練。午後は、今日と同じでしてよ。各々、リナリア騎士の制服に恥じない行動を心がけなさい」
「了解しました!」
五十人ほどの美男子たちが声をそろえれば、十分耳に痛い大音量になる。そのことを、ベアトリスは身をもって理解した。
「次はあなたの番でしてよ」
促すメイベルの言葉に、まだ姿勢を崩していないリナリア騎士たちの視線が、背中にザクザク突き刺さる。なるべく気にしないよう努めながら、ベアトリスは食事の手を休めたエリカ騎士たちと向き合う。
「えっと、明日はリナリア騎士団の方々と、訓練場で合同訓練を行います。三時課の鐘が鳴り終えるまでに、今日と同じ場所に集合してください。午後は、今日と同じです」
何とか言えた。
ホッとして、ついつい気がゆるんだところで。
「不合格よ。初回にしては滑らかで、情報の不足もなく、悪くはありませんでしたが……その敬語調はどうにかなりませんの? いえ、丁寧な言葉遣いが悪いとは言いませんけれど、あなたと対等以上の立場にいる人間は、本当に数えるほどしかおりませんの。誰に対してもその姿勢は、さすがに感心しませんわ」
「あれ? いつだったか、アマリリスの団長にも似たような説教してませんでした?」
一人のリナリア騎士が口を挟む。とたんに、メイベルにジロリと睨まれる。
(そういえば、オリオンさんって、カーティスさんにも同じ調子だったっけ)
今まで触れたことがなく、少し壁を感じる言葉遣いだ。それでもオリオンは、必要な時には毅然とした態度を取れる。だからこそ、団長として正しく慕われているのだろう。
自分はどうだろうか、と考えた。
団長としての覚悟さえ、まだきちんとできていない。
「オリオンは筋金入りどころか、もう十六年もあのままで変わらない男でしてよ。注意はしましたけれど、他人がどうこうできるものではありませんわ」
「団長、年数が間違ってるよ。アマリリスの団長は、生まれてすぐからあの調子。『出産祝いに来た人がことごとく、派手に泣かれてね……初対面の人相手に泣かなくなるまで、本当に本当に苦労したよ』って、いまだに親御さんの笑い話のひとつだよ。あの話し方も、話し出した時からこれっぽっちも変わってないらしいし」
三十半ばらしき騎士の言葉に、メイベルの唇から色っぽい吐息がこぼれ落ちた。
「ですから、諦めましたの。テレンスと同じですわ」
あー、とため息に似た納得の声が、あちこちからいくつも漏れ聞こえる。
生まれつきと言えるオリオンの様子に、会話が成立する今の状態は、まだ救いがあるのかもしれない。
不覚にも、ベアトリスはそう思ってしまった。
「ですが、あなたは別でしてよ、ベアトリス。一応状況を見て言葉遣いを選べるのですから、その場に相応しい言動を取り繕うだけですもの」
「だからって団長、あんな小さい子に……」
ためらいがちだったが、挟まれたひと言に、ベアトリスは思わず振り向く。
「確かに、ベアトリスは小柄ですわ」
言葉を発するより早く、表情をなくしたメイベルが淡々と呟いた。
「ええ、正直わたくしが羨ましいと思うくらいに可愛らしい上に、どう頑張っても実年齢よりいくつか下に見えるのですもの、放っておけないでしょうね。庇護欲をそそられると、耳にしたこともありますわ。ですが、これから発足する騎士団の団長です。ああ見えて、まともな貴族でしたら、とっくに嫁いでいてもおかしくない年齢でしてよ。しかも、武術絡みは完璧ですけれど、生活面では本当に、本当に最低限の教育しか受けていない山猿状態の小娘を、正式発足までに、どこに出してもおかしくない淑女に仕立てる必要に迫られていますの」
「……最初から思ってたんですけど、メイベルさんたちって、時々容赦なく事実を的確に表現しますよね」
「事実は事実、曲げようがありませんわ」
「そうですね。あたしも、割と言いたい放題言えて楽ですし」
育ちがあまりよくないと、蔑まれなかっただけでもありがたい。しかも彼らは、モデスティー伯の妹と知っても態度を変えなかった。
兄の名が、他の騎士たちにはどんな現象をもたらすのか。彼らがことさら必死に隠すことからも、ベアトリスにだって容易に想像できる。
「一日も早く、団長らしくなれるように頑張りますから。これからもご指導、よろしくお願いします!」
笑顔で言い放ったベアトリスに、メイベルはグッと言葉を詰まらせた。
「団長が照れてるぞ!」
「おぉ、本当だ……今夜は季節外れの大雪か?」
「……あなたたち、明日は覚悟なさいね?」
リナリア騎士たちから、遠慮のないからかいの声が飛ぶ。すぐさまメイベルが、冷ややかな笑みを向ける。それからベアトリスの腕をつかんで、足早に食堂を飛び出した。
引っ張られるに任せ、足がもつれそうになりながらも、どうにか歩く。
宿舎から出たところで。不意に足を止めたメイベルの背中に、顔をしこたまぶつけた。ヒリヒリ痛むところに左手で触れながら、思いがけずたくましい背中を見上げる。
「伝え忘れていたことがあるのですけれど、よろしいかしら?」
「何ですか?」
「騎士団長は二人一組で、終課の鐘が鳴った後に、敷地内の見回りをしていますの。少々睡眠時間が削られてしまうのですけれど、これも大切な役目ですわ。そこで、ベアトリスにもお願いしたいのだけれど……大丈夫かしら? もちろん、あなたをコーデルと組ませることはしないから、その点は安心してちょうだい」
夜間の見回りならば、四番街でもたまに参加していたから、大きな不安はない。
唯一の心配は、誰と組むことになるのか、だ。
「初回はわたくしかヴァーノンで、と思ったのですけれど」
(まさか、テレンスさん、とか?)
コーデルは迷惑極まりない。しかし、テレンスは気味が悪い。
どちらであっても、迷うことなく遠慮したいくらいだ。
「オリオンとお願いしますわ。壁の周りから建物の間を一通り回り、不審者や不審物がなければ問題はありませんから」
間近では背中しか見ていないオリオンだが、コーデルかテレンスに比べたら。
「わかりました!」
元気な返事とともに、ベアトリスはビシッと敬礼を決めた。




