日常 【5月下旬】
5月下旬
史はその日、たまたま大学の休講とアガルタの休みが重なり、朝から丸1日フリーになってしまった。
「休講?そうなのか。じゃあ今日くらい一人でゆっくりしたらいいんじゃないか?」
朝食のトーストを食べながら寿々がそう言うと、史は何だか困ったような顔をしながら。
「そうなんですけど。なんだか一人でゆっくりとか、久しぶりすぎて何をすればいいのやら・・」
と隣で既に朝食を終え、腕組みをしながら本気で悩んでいる様子だ。
「あ、じゃあたまには実家に帰るとか?」
「ないですね」
寿々があえて気を利かせて提案をしてみたのに、史はそれをきっぱりと言い切った。
「・・・・あのなぁ。別にもう先生と不仲なわけじゃないんだろ?だったら史にとって気軽に帰れる場所があってもいいと俺は思うんだよ」
寿々はトーストを頬張ると残りのコーヒーで流し込み、そのままテーブルに置かれた史の食器と一緒に重ね、片付ける為に立ち上がる。
「・・・別に不仲・・ではありませんが。それでも俺はもう帰らないと決めてあそこを離れたんです。だから戻る気はないんですよ」
寿々は流しで簡単に食器を洗いながら。
『頑固なところはいつまでたっても本当に変わらないなぁ・・・』
と半ば呆れながらその話を聞いていた。
「じゃあ、天気もいい事だし外にでも行ってこいよ。最近ずっと大学と会社と家しか行き来してないだろ?てか大学の友達とかはいないのか?」
「俺に友達がいるように見えますか?」
「いや・・いないとは思っていないけど。たぶん史が友達と思っていないだけで、向こうは普通に仲は悪くないって思っている奴らはたくさんいると思うぞ?」
寿々のその意見はまさにその通りだった。
史はどうも自分の査定が低すぎる。自分の態度が同級生に対してあからさまにそっけなくなっている事は自覚している。ゆえにどうも自分は誰からも好かれていないだろうと本気で思っているのだ。
しかしそれはあくまでも史の頭の中だけの話しで、学部の中には史の容姿に惹かれ寄って来る生徒も多いのだが。周りにいる同級生は史の真面目さはもちろん、結構抜けているところやオタク気質なところに好感を抱いている人もたくさんいるのだ。ただその事に本人が気が付いていないだけで。
「そうですか?・・ちょっと実感はないですけれど」
史は寿々の言葉を聞いて少しだけ子供の様な表情で首を傾げた。
「まあ、とにかく。今日は家事なんかも適当でいいから、ゆっくりと休めよ?」
そう言うと寿々は時計を確認して少しだけ慌ただしく準備を済ませると、もう一度リビングに戻ってソファに座ってまだ悩んでいる史に声を掛けた。
「じゃ、俺行ってくるから!」
「あ、はい。いってらっしゃい・・・」
はっとして既に玄関へ向かう寿々の背中を見送ると、史は何だか急に言い知れぬ思いに苛まれ・・。
思わずその違和感に自分の胸に手をあてて考えてしまった。
『何だ?なんか物足りない・・というか。空しいというか・・』
「・・・やっぱり俺も一緒に仕事に行けば良かったな」
とポツリと言葉に出てしまった。
午前中は何だかんだで家の掃除を念入りに済ませ、余った時間で授業の復習をするなど。史はとにかく手が空いてぼんやりと何かを悩まないよう気をつけながら過ごしていた。
そして午後2時が少し過ぎたくらいだろうか。
ピンポーン、とチャイム音が部屋に響き渡った。
史は特に返事をするわけでもなく、のっそりと机から離れると玄関へと向かう。
ガチャリと鍵を開け扉を開いた先には、ジーンズにTシャツ姿の従兄弟の迦音が立っていた。
「・・・・・」
「呼んで悪かったな。ま、入っていいよ」
史は扉を開くも、迦音は玄関先で少し顔色を悪くさせて無言のまま部屋に入れず立ったままだ。
「・・・・・」
「何?1ヵ月前の事?」
史はちょっとだけ怠そうに迦音に問いかける。
勿論1ヵ月前に寿々をこの部屋から誘拐して実家の白菱まで連れて行った時の事を忘れたわけでもないし、許したわけでもない。
でも寿々が迦音を責めたくはないと言った以上、史も迦音に対して無下な態度を取りたいわけでもなかった。
「はぁ・・まあいいから入れよ。そこでそのまま突っ立ってられても困るからさ・・・」
そう言うと迦音もようやく史に連れられて中へと入った。
「で?今はまた父さんと暮らしてるんだって?」
史はソファに腰を下ろしながら迦音に話しかける。
迦音はまだ黙りこくったまま、以前と同じように床へと正座した。
「・・・・ええ、そう」
ようやく蚊の鳴くような小さな声で答えると、迦音は丁寧に両手を床について頭を下げた。
「・・・本当にごめんなさい。・・こうやってちゃんと謝るのも本当に烏滸がましいとわかってる」
「・・なあ迦音。やめないか?俺、確かに伯母さんも汐音も大嫌いだけど。伯父さんには頑張ってもらわないとだし、その伯父さんを支えられるのはお前しかいないと思っているんだ。勿論俺自身はお前もお前の家族も祖母さんも許す事はできない。一生できない。それは変わらない。だけど前にも言ったけど、俺はもう秦の家に囚われたくないし、それにようやく色々と清算されたとも思っている。・・・だからさ。仲良くやろうとは思わないけれど。これからはもっと普通の関係でいられたらと思ってる」
そう言われて迦音は少しだけ顔を上げた。
「・・・普通」
「そうだな。確かに俺達にとって普通って難しいよな」
史は自分で言っておきながら、やはり普通の従兄弟同士の関係などよく分からなかった。
そしてソファから下りて自分も床に正座し直すと。
「とりあえず。今日迦音を呼んだのは他でもないんだ。俺に料理を教えて欲しい」
と真顔で迦音に頼み込んだ。
「料理・・・史が??」
迦音も突然の頼み事に驚きを隠せない。
「実はここ1ヵ月半くらい、料理はずっと俺が作っているんだが。どうにも効率が悪い、というか・・・何となく今以上に上達しようがない・・」
真剣に悩みながらそう言う史の顔を見て思わず迦音の顔も緩んでしまった。
「はは・・・そんな事でいいならいくらでも手伝うわ。というか、史が料理を作っているのね?引っ越しの時は寿々さんの方が真剣に聞いていたから、てっきり寿々さんが主に担当しているのかと勝手に思い込んでいたわ」
「まぁ・・・寿々さんも別にやらないわけじゃないんだけど・・。あの人想像以上に雑で・・何となく俺の方が気になってしまって今に至るって感じ」
「あ~・・・それはちょっとわかる気がする」
史も迦音も、血液型はO型だがどうも出自がそうさせているのか。二人共掃除や所作や生活習慣的なところではA型の寿々よりはるかに几帳面なのだ。
と言うかA型というのは自分の気になる1点集中型な部分で几帳面と勘違いされやすいのだが、本来とてもズボラな性分が多いのも事実だ。
寿々も家事などはある程度やっているが、料理のセンスにおいては平均点以下なのは相変わらずだった。
二人はとりあえず買い物をしに下北沢のスーパーまでやって来た。
相変わらず高身長美形コンビのこの二人が街を歩くだけで、通りをゆく人々が振り返る。
買い物をしながら迦音は色々な事を史に教えてくれた。
「料理は手間をかけようと思えばいくらでもかけられるけれど。それだと長続きしないのよね。だから毎日やるならとにかく上手い事手を抜くのが大事!」
そう言いながら迦音は調味料コーナーで史に色んな調味料メーカーが出している、炒めるだけ、混ぜるだけ、和えるだけ。そう言った簡単にできるを謳い文句にした商品を手当たり次第におススメする。
「こういうのは使わない?」
「いや、たまに使ってはいる。でも寿々さんがまだ肉は勿論魚も食えないからいつも必然的にスルーしていた」
「だったら他の食べられる食材に替えればいいのよ。例えば・・・鶏肉とキャベツ、鶏肉とジャガイモ。こういうのは鶏肉を厚揚げとかに変えるとか」
「なるほど・・・」
史は思わず目から鱗と言わんばかりに感心している。
「あとは・・どうかしら。寿々さんはハムやかまぼことかの加工品もダメかしら?」
「どうだろう・・。その辺は俺の発想力がなかった。でも多分薄いハムはいけると思う。最近はようやく鮭フレークを食べられるようになったけど・・」
「鮭フレーク!!・・・くくく」
迦音も史の話を聞いて店内で思わず堪えきれずに笑いだしてしまった。
「まるで赤ちゃんね」
「本当にそう」
史も大きく頷き苦笑いをするしかなかった。
二人は一通り買い物を終えると部屋に戻り、史は早速迦音の指導のもと料理の手解きと諸々の保存方法などを教えてもらった。
「へぇ~。凄いじゃない。ご飯もおかずもそれなりにストック出来てる!」
迦音は冷凍庫を見ながら感心している。
「前に教えてもらった事はちゃんと実践してる。それは本当に助かってる」
史は買ってきた野菜をゆっくりと刻みながら素直に感謝するように答えた。
「ねぇ史・・・本当は話すつもりなかったけれど。・・・御祖母様の事、このまま何も聞かなくてもいいの?」
迦音にそう言われて史は思わず手を止めると持っていた包丁をまな板へ置いた。
「はぁ・・・今包丁使ってるんだよ・・・急にそういう話すると危ないだろ?」
と本気で動揺を落ち着かせるために大きく息を吐く。
「ごめんなさい。・・・でもまぁ、もうあの家の事はこうやってラフな感じで話して終わらせるくらいでいいのかもって思ったから・・・」
「・・・ま、確かに」
迦音はシステムキッチンの横にもたれ掛かる様にして腕を組んでいる。
史も一旦手を止めて、同じように腕を組むと壁際に背中を付けた。
「・・・で?どうなったって?」
「・・・御祖母様ね。一度退院して家に戻ってきたけれど、どうにも優れなくて。食事も少なく、会話もほとんどしなくなってしまったのよね。これは父から聞いたのだけれど。半月前の定例的な親族会の時は途中から酷く動揺して気分が悪くなったらしく数日間入院してたみたい。お母様はもう御祖母様は元には戻れないから親族から何か当てられる前に施設入所も考えなくては、と父に話したそうよ」
「・・・・・」
正直どうでもいい話ではあった。
史にとってはもう終わった話でしかないからだ。
とはいえ何となくその話しを聞いて胸の内がざわざわとするのを止める事ができなかった。
その様子を見た迦音はキッチンで手を洗うと、切り刻まれた野菜を代わって刻み始める。
「私はもう白菱に戻る気はない。けれど状況が変わればそれも分からないわ・・・」
「と言うと?」
「もし御祖母様が施設に入って、父が白菱を継ぐのならばしばらくはまた家に帰るかもしれない。正直お母様は勿論、今の汐音が神社を継ぐだなんてあり得ないもの」
「・・あぁ」
史と違って手慣れた迦音の野菜を刻む包丁の音はとても軽快で小気味良い。
しばらくそうやって迦音の手つきをただ眺めていると。
「あ、そうそう」
突然その手が止まった。
「?」
「史は総司叔父様から話を聞いてる?」
「?大学を辞めたらスウェーデンに行くって話か?」
「違う違う。ハンナ伯母様をまた日本に呼ぶって話し」
「はぁ!?」
史は自分の両親の話なのに全く寝耳に水で思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「いやいや、そんな事母さんからは何も連絡ないけれど」
「あ~・・じゃあ多分これは、叔父様のいつものやつね。勝手に決めちゃうやつ」
「なるほど・・それだ」
史と迦音は二人して呆れたように笑い合った。
夕方6時半になると迦音は任務を終えたとばかりにささっと帰り支度をし、そのまま玄関に向かった。
「前にも寿々さんが同じこと言ってたけど。一緒に飯食っていけばいいのに」
なかなか史から出て来なさそうな言葉に思わず迦音も笑顔になる。
「そうね。ぜひ今度来た時はそうする」
しかし迦音は未だに寿々に合わす顔がない、というか勇気が無かった。
きっと寿々はいつものように何も無かったように迦音を温かく迎え入れてくれるのはわかっていた。だからこそ罪の意識を余計に重く感じてしまうのも否めない。
迦音はまだそれを上手く対処できる自信がなかったのだ。
「あ、そうだ。あと汐音だけど。大学で変な事してない?」
「いや?そう言えばあいつ白菱で戦った時以来見てないな・・。学部が違うし、学校に来ているのかさえ分からない」
「そう、ならいいんだけど。きっとあいつ今でもどうすれば史にちょっかい出せるか考えていると思うの。でもきっと今行くとめちゃくちゃダサいから行けないんだと思う」
「うっざ!」
「ふふ。ま、もし汐音の事で面倒な事があればいつでも私が懲らしめてやるから連絡して」
「わかった。そうする」
史がそう返事をすると迦音は玄関の扉を開け
「じゃあ、また」
「ああ。今日はありがとう助かった」
挨拶をするとそのまま帰っていってしまった。
そしてゆっくりと扉が閉まり、外で迦音が階段を降りてゆく音を聞きながら。
「・・・・こういう感じなのか。普通って」
と少し不思議そうな顔をしながらしみじみとその〝普通〟を思い返しながら改めて実感する事があった。
「よし。寿々さんが帰ってきたら話してみるか・・・」
午後7時半
玄関の鍵が開けられ、寿々が仕事から帰ってきた。
「ただいまー」
何の変哲もないいつもの日常。
寿々は明かりが点いているので部屋の中に史がいるのは分かっていたが、声が返って来なかったので少しだけ不思議そうにリビングへと向かった。
「ただいま」
中へ入ると史がイヤホンをして何かを聴きながらテーブルの上いっぱいにファイルを広げ書きものに集中しているところだった。
「あ、寿々さんお帰りなさい」
寿々が入ってきたところでようやく気が付き、イヤホンを外して笑顔で応答する。
チラッと見るとどうやら企画書を書いていたようだ。
史はノートPCで企画書を作る前に、一度手書きでアイディアを書き出す方が性に合っているらしい。
寿々はその様子を見て
『はは、結局いつもと変わらない感じだったのかな。ま、本人がそれがいいってのならいいと思うけど』
そう思いながらベッド横のハンガーフックに鞄を掛け、そのまま洗面所で手洗いを済ませると、部屋着に着替えながらリビングへと戻ってきた。
「寿々さん。ちょっといいですか?」
とやや上機嫌に声を掛けられたので、寿々もどうしたのかと不思議そうにソファに座る史の隣に腰を掛ける。
「ん?どうした?」
史はテーブルの上の企画書原案を数枚取り出し
「寿々さん。また一緒に取材に行きませんか?」
と話しかけた。
「し・・取材⁉」
寿々はいきなり何を言い出すのかと思い、素直に驚いた表情になる。
「今企画書を考えていたんですが。俺、夏休み中にどうしても取材に行きたいんですよね・・・。勿論企画が通ればですが」
「そりゃあ内容によりけりだろうけれど・・。でも俺、今酒井さんの教育担当だし。正直約束は出来ないと思うんだ」
「勿論難しいのはわかっています。でも俺、寿々さんと一緒に企画をやりたいんです」
そう言って原案書を寿々に渡した。
寿々は思わず
『相変わらず我がままだなぁ・・・』
と思いながらも渡された原案書に目を通す。
そこには東北の遠野の妖怪伝承の特集企画がびっしりとしたためられている。
項目の中にはあの鬼神伝承に纏わる達谷窟についても書かれていた。
あの辺の話はまだ史にも詳しく話してはいなかったので、寿々は思わずこれも俺が負うべき使命のひとつなのかもしれないなと、何となく感じてしまった。
一通り目を通してから
「うん・・・わかった。これ来月の会議で俺がプレゼンするから。何とか週末までに形にしておいて欲しい。俺がやりたいってちゃんと皆に伝えられればきっとお前との共同企画だとしても通ると思うから」
そう言って笑顔で答えると史の顔が一瞬にして満面の笑顔になり、
「ちょ・・」
そのまま勢い良く抱きしめられた。
「・・・ありがとうございます」
耳元で本当に嬉しそうな声で言われ、思わず寿々も顔が赤くなる。
それはまるで初めて史に好きだと告白された時のことを思い出させた。
「っとに・・。お前本当に俺と一緒に仕事するの好きだよな」
「当たり前じゃないですか。それがしたくてチートを使って寿々さんを引き寄せたんですから」
「わかった、わかった」
観念した寿々は史の背中に腕を回すと細い指でぎゅっと抱きしめかえす。
「・・・よし。そうと決まれば。まずは飯にしましょう!今日はいつもと違ったものをたくさん作ったので、是非色々と試しに食べてみてください」
史は上機嫌でテーブルを片付けると一度自室に置きに戻り、そして笑顔のままキッチンへと向かう。
『・・・何もなかったのかと思ったけれど・・・。やっぱり何か良い事でもあったのかな?』
その姿を見つめながら、その日は寿々も何となく良い事があったな、とそう実感できる1日となったのだった。