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黒い薔薇が咲く庭について1

 転機が訪れたのは、それから三年後。ニネットは十六歳になっていた。


「ニネット、お前は宮廷舞踏会に出席しなければならない。病を理由に辞退する場合、王宮医師団の問診を受けることになってしまいそうだ」


 父からそう聞かされ、ニネットは驚いた。


 五歳児の大聖堂での礼拝と並び、十五、六歳になってからはじめて参加する宮廷舞踏会は、ユスタ王国の貴族にとって重要な節目となることは知っていた。


 結婚相手を決めるために、社交は重要だ。

 それでも、心身的理由で社交の場に出ていくことができない者も少なからずいる。強制的な参加を求めるのはなぜなのか?


 その理由について、父が説明してくれた。


「昨年あたりから、国王陛下への花嫁選びがはじまっている。家柄重視の政略としてではなく、娘本人に資質があり、心から信頼しあえるご令嬢をお捜しだそうだ。王母様のご経験からくるものだろう」


 エディスの名に触れるのは禁句だから、父は遠回しに言った。つまり前代では、ただ家柄だけで選ばれた娘より、実際に交流して選んだ相手のほうが相応しかったということか。


「でも、どうして辞退が許されないのでしょう。病弱な女性は国王陛下の伴侶に相応しくありません」


「派閥による圧力がないように、とのご配慮だ」


 ニネットは大筋に納得して、頷いた。

 貴族は常に派閥を作り権力争いをしている。たとえば力が弱い家門に美女や才女がいた場合、力を持った家門の圧力で辞退させられる可能性が出てくる。それを避けようとしているのだ。


(でも……王家は、いつからそれほど公正明大になったの?)

 

 王母……ロザリーの意向なのだとしたら違和感がある。彼女は権力と派閥を愛する人だった。王家に嫁いで変わったのだろうか? それとも、よほどよい側近がいるのか。


 どちらにしても、ニネットには今のところ関係ない。前世から引き継ぐ復讐心はあるが、それをやり遂げられると思えるほど、愚か者ではなかった。


 きっと今のニネットには、ロザリーを前に、この闇を抱えたような本心を隠すだけで精一杯だろう。それにニネットは、過去の自分より、今の自分と家族のほうが大事だ。


「どうだい? ニネット。招待に応じた方が危険は少ないと思うのだが……」


「はい、お父様。少しだけレッスンしていただけたら、問題ありません。招待をお受けして失礼のないよう、そして目立たぬように振る舞えばいいのですよね?」


「そうだな。ニネットなら大丈夫だ」


 父は安心したように言う。

 ニネットも、不安は少なかった。令嬢としての振る舞いは、前世の記憶が多少なりとも補ってくれるはずだ。


(王宮に行けば、あの人には会えるかしら?)


 今はオベール公爵と名乗る、かつての友人の存在を意識した。もしもオベール公爵の姿を見ることができるなら、宮廷舞踏会への参加は悪くない気がしていた。



   §



 ニネットが部屋から出てきたことに、マズリエ伯爵家の使用人達は驚き、戸惑っていた。


 ほぼ話したこともなく、部屋に閉じこもり、本だけを読んでいる娘。もしかしたら、まともに口がきけないのではと疑っていた者もいただろう。


「あのかたが? ご健康そうに見えるけれど……?」


「でも身体には、ただれた痕が残ってしまったって」


「お顔には、シミやそばかすのひとつもないのにね」


 廊下を歩いていると、使用人達のひそひそ話が聞こえてくる。


 ニネットのドレスは、肌の露出を極端に抑えたものだ。ただ、覆うことができない顔と手は、日焼けをしていないため、醜い痕など想像できないほど白くなめらかだった。


「でも、どうして髪の色が旦那様や奥様と違うのかしら?」


「ああ、それは先代の奥様に似ているって話よ」


 不安な部分は、すでに両親によってしっかりと情報操作されている。元の髪色が明るすぎない色でよかった。髪の色が子どもの頃より暗くなる人間は多い。突然の変化でなければ、それほど不自然ではないのだ。


 外へ出ても、もう五歳の時のニネットの姿を鮮明に覚えている人はいないだろう。「亡くなったお祖母様に似た黒髪」と説明すればそれで済むことだ。


 ニネットは、父から「家族で食事をしよう」と誘われていたので、食堂に向かっていた。一家団欒が目的なのではなく、作法を学ぶための席だ。


 食堂に入る直前、うしろからてくてくと足音が聞こえてくる。ニネットが振り向くと、好奇心を隠さない瞳を向けてくる、茶色の髪の男の子がいた。


「あなたがニネット姉上ですか? はじめまして。弟のジャックです」


「一緒に食事をするのははじめてね。これからしばらくよろしくね、ジャック」


 ジャックはニネットが七歳の時に生まれたから、今は九歳になっているはずだ。ジャックはニネットの存在を今までどう捉えてきたのか。同じ屋敷にいるのに、会うことのない姉の存在など、意識したことはなかったのかもしれない。


 ニネットが屋根裏部屋の窓から、時折様子をみていたことなど知らないだろう。彼の近くにはいつも母がいて、その母は幸せそうな明るい顔をしていた。だからニネットは、ジャックに感謝している。彼はマズリエ家の救いだ。


 ニネットは宮廷舞踏会の一夜が終われば、もとの生活に戻るはず。それともこれを期に多少なりとも外で過ごす許可がもらえるのだろうか。父はこれからのことをなにも明言していないので、ジャックに対してはとりあえず「しばらく」という言葉を使った。


 それは、自分自身が余計な期待を持たないようにしようという、守りの姿勢からくるものでもあった。


「姉上、お加減はもうよろしいのですか?」


「ええ、ありがとう。さあ、部屋に入りましょう」


 ニネットとジャックが食堂に入ると、そこにはすでに両親がいた。


「ニネット、ジャックも……いらっしゃい」


「お母さま、ジャックはとても優しい子ですね。私の体調を心配してくれました」


「ええ、ええ! そうでしょう。とても優しい子よ。……ニネット、あなたもね」


 母はこの食事会を……家族四人が揃うこの光景を待ち望んでいたかのように、手を合わせて喜んでいた。そんな母を見ていると、自分の根幹はエディスではなくニネットなのだと実感する。ニネットは確かにマズリエ伯爵夫妻の娘だ。


 できることなら毎日ではなくとも、こうやって家族と過ごす時間があればいいのに。そうすれば、ニネットはただの十六歳の娘でいられる。


 もう分別が難しい幼子ではない。女性であるニネットは気をつけてさえいれば、そうそう胸の黒い痣を人に見られてしまうことはない。


(……だからきっと大丈夫)


 家族との食事会で思わぬ楽しいひとときを過ごしたニネットは、一瞬だけそんな勘違いをしてしまった。


 でも、抱えている問題はそれほど簡単なものではないと、すぐに自覚することになる。




 家族でのささやかな食事会の翌日、マズリエ伯爵邸には仕立屋が呼ばれていた。宮廷舞踏会のためのドレスを作るのだ。


「伯爵夫人。ここには女性の針子しかおりません。完璧なドレスの寸法を測るには、せめて下着姿になっていただけませんか?」


 仕立屋の女主人は、貴族への礼節をわきまえながらもきっぱりと言った。女性店主が経営する店という理由で依頼をしたのだが、彼女はなかなかこだわりが強い人物だった。


 ドレスは着る人の体型に合わせ、指先一本分の長さを調整して作り上げるのだという。そのため、服の上からの採寸は適していないと彼女は言い張った。


 当然、母は首を縦には振らなかった。


「いいえ、許可できません。私の娘は傷つきやすいの。人前で肌を晒させるわけにはいかない。このままで調整していただくわ」


「事情はおうかがいしておりますが……」


 仕立屋がため息をつく。ここで彼女に帰られてしまっても困るし、だからと言って服を脱ぐわけにもいかない。今から新しい仕立屋を探すのは大変だ。


「マダム……どうかお願いいたします」


 ニネットは懸命に、そして弱々しくマダムに頼み込んだ。不安を感じるのも必死なのも嘘ではなく本心だ。


 宮廷舞踏会に行かないと医師が派遣されてきてしまう。そこで黒い痣を見られて、異端として処刑などされたくない。ニネットは前世で死んだ瞬間を覚えている。あの苦しみをまた味わうかと思うと、じわりと涙がにじむ。


「……かしこまりました」


 泣き出しそうなニネットを前にして、仕立屋は折れてくれた。ドレスのデザインは母が細かく指示を出さなくてはならなかったのだが、それは職人の誇りを傷つけかねないものだったので、話がまとまるまではひやひやした。


 それでもどうにかデザインも決まり、注文することができた。仕立て屋が引き上げていったあと、ニネットと母はほっとしながらも疲れきってソファに座り込む。


「お母さま、ありがとうございます」


 ただドレスを作るだけで、問題が露呈しそうになるなんて。

 痣が発覚してから、ニネットと外の世界を遮断した両親の判断は、確かに正しかった。普通ではない自分の存在が申し訳ない。それでも母は、満足げだ。


「これくらい、なんてことないわ。素敵なドレスができあがりそう。楽しみね」


「はい。そうですね」


 それからニネットは、ダンスの練習もした。


「ニネットは筋がいい」


 練習には父が付き合ってくれて、すぐにステップを覚えることができたニネットを褒めてくれる。本当は前世の経験で知っていただけなので、少し後ろめたさはあった。

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