表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
114/116

実朝をめぐる人名録

 源実朝みなもとのさねとも 建久三年八月九日生(1192年9月17日生)建保七年一月二十七日(1219年2月13日)享年二十八才(満二十六才)鎌倉幕府を開いた源頼朝の子。第二代将軍頼家の後を継いで第三代将軍となる。歌人として知られ九十二首が勅撰和歌集(朝廷の選になる和歌集)入首し、歌集として金塊和歌集がある。作品中は「実朝」で通したが、当時は「實朝」が本名。


 源頼家みなもとのよりいえ 寿永元年八月十二日(1182年9月11日)生。元久元年七月十八日(1204年8月14日)亡。享年二十三才(満二十一才) 鎌倉幕府第二代将軍。若さゆえの独断的政策を阻む、北条家によって将軍職を剥奪された。伊豆国修善寺に幽閉された後に、北条氏によって暗殺された。


 北条政子ほうじょうまさこ保元二年(1157年)~嘉禄元年七月十一日(1225年8月16日) 鎌倉幕府を開いた、源頼朝の正室(正妻)。頼朝が亡くなった後、出家したので尼御台所あまみだいどころと呼ばれた。源頼家、源実朝の母。北条時政の娘。


 北条時政ほうじょうときまさ 保延四年(1138)~建保三年一月六日(1215年2月6日)

伊豆士郷で、さして重要な官職を持つことがなかった様に考えられている。これは官職があれば、介とか呼ばれていただろうが、北条四郎が通り名であったことは、無官であった事を示しているからである。また「吾妻鏡」にも、「豪傑」として紹介されているだけで、本来示される官位などが書かれていない。

 しかしながら、頼朝に娘、政子が嫁ぐことを許し、平家への反乱である「旗揚げ」に、中心的な働きをして、北条氏の成功の元を作った。

 



 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ