実朝をめぐる人名録
源実朝 建久三年八月九日生(1192年9月17日生)建保七年一月二十七日(1219年2月13日)享年二十八才(満二十六才)鎌倉幕府を開いた源頼朝の子。第二代将軍頼家の後を継いで第三代将軍となる。歌人として知られ九十二首が勅撰和歌集(朝廷の選になる和歌集)入首し、歌集として金塊和歌集がある。作品中は「実朝」で通したが、当時は「實朝」が本名。
源頼家 寿永元年八月十二日(1182年9月11日)生。元久元年七月十八日(1204年8月14日)亡。享年二十三才(満二十一才) 鎌倉幕府第二代将軍。若さゆえの独断的政策を阻む、北条家によって将軍職を剥奪された。伊豆国修善寺に幽閉された後に、北条氏によって暗殺された。
北条政子保元二年(1157年)~嘉禄元年七月十一日(1225年8月16日) 鎌倉幕府を開いた、源頼朝の正室(正妻)。頼朝が亡くなった後、出家したので尼御台所と呼ばれた。源頼家、源実朝の母。北条時政の娘。
北条時政 保延四年(1138)~建保三年一月六日(1215年2月6日)
伊豆士郷で、さして重要な官職を持つことがなかった様に考えられている。これは官職があれば、介とか呼ばれていただろうが、北条四郎が通り名であったことは、無官であった事を示しているからである。また「吾妻鏡」にも、「豪傑」として紹介されているだけで、本来示される官位などが書かれていない。
しかしながら、頼朝に娘、政子が嫁ぐことを許し、平家への反乱である「旗揚げ」に、中心的な働きをして、北条氏の成功の元を作った。