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113 フィナーレ

 泰時が出立すると、鎌倉の御家人はあわてて後を追った。それだけでも千騎を軽く超えた。進むに連れて、伊豆から駿河から、また甲府から信州から多くの兵が加わってきた。泰時の軍勢は最終的には二十万の兵を集めて、京都に攻め入った。官軍は対すること一万強の軍勢に過ぎなかった。


 こうして、平安時代は真の終わりを迎えた。最期の治天の君(天下を治める実力を持った帝)後鳥羽院は隠岐の島に流されて、生を終えた。天皇とその他の上皇もことごとく島流しとなった。主立った貴族達は地方につれていかれ殺害された。

 これ以降、天皇は明治時代を迎えるまで、全く無力な飾りの帝王となりはてた。政治に於ける全ての決まり、全ての決断は鎌倉の北条氏のものとなったのである。・・・武士の時代がやって来たのだ。


 この物語を終わるにあたり、いくつかのエピソードを書きたい。


 和田の乱の時、和田側として闘ったあと、行方の解らなかった、実朝の友と言うべき和田朝盛は承久の乱には上皇側として参戦した。敗退後彼は再び消息不明となって歴史の闇の中にきえてしまった。現在、三浦半島の三浦市初声町(はつせまち)高円坊に朝盛塚なる墓がある。地名の高円坊は朝盛の法名から取ったと言われる。それから推測すると、承久の乱後、逃亡して僧侶として生きたのではないだろうか。とすれば北条の目を逃れ生きる人生はどんな人生であったのだろうか。


 江戸時代の天保十年(1839年)和歌山藩の儒者、仁井田好古にいだこうこらの手により成立した「紀伊続風土記」に実朝に関する次の記事がある。


 そもそも興国寺を建て寄進した願性上人は関東武士葛山(かつらやま)五郎なり。源実朝公の近侍としてあたかも影のように従っていた。

 実朝公がある夜、夢に見た事には実朝公は生前は宋国の名のある寺の高僧であった。その功があって日本の将軍に生まれ変わったのだという。実朝公は目覚めて歌を作られた。


 世も知らじ われもえ知らず 唐国の いわくら山に 薪()りしを

 (世の中の人は知らない、私も知らなかった中国の神山のいわくら山で 薪を切る行をしていたのを)


 実朝公は、そんな前世もあって、将軍でありながら法師のような方でありました。実朝公は宋に渡る船の造船に失敗した後、葛山五郎に前世の実朝公が修業したという温州狩蕩山うんしゅがんとうざんに行って寺の絵図を入手して、日本に建てよと命じられました。

 五郎はその命に従って九州博多で宋に渡る風を待っていましたが、将軍が亡くなられたという報を聞き、ひどく悲しみ、髪を切り出家しました。法名を願性とつけ、敵のいる鎌倉には戻らず、高野山に登って実朝公を供養したという事です。


 (以上が、風土記の文だが、葛山五郎の父は甲斐、駿河の藤原姓の国司の血をうけた郷士であった。父は頼朝の旗揚げの時、参加し、富士の裾野の宏大な領地を得た。五郎は、年も実朝と同じほどであったから実朝の気に入る所となり近侍の一人となったのだ。)


 さて、残された実朝室だが。実朝が亡くなった後、京都に戻り、実朝の遺骨を守って太通寺だいつうじを創建し、寺のある場所にちなんで、西八条禅尼にしはちじょうぜんにと呼ばれた。

 この敷地は元、平清盛の御殿のあった所で、頼朝がそれを奪取し、代々鎌倉将軍の所有するところとなった。実朝室はこの太通寺内に六宮八町ろくみやはっちょう(八町四方の敷地に六つの御殿が建っていたのであろうか)という女性の為の治外法権の場所を作った。その逸文がある。


 御領八町のうちには、むかしよりいまにいたるまで、子細他所にことなり、たとい重過の者なりといへども、このうちに入ぬれば、他人らうせきをいたす事なし。末代にいたるとも寺門この由を存知すへし

 

 (御領八町のうちでは、昔から今に至るまで、決まりは他の場所と異なり、たとえひどい過ちを犯した者でも、他の人に乱暴な扱いを受ける事はありません。寺の人々よ、末の世になっても、このことを忘れてはなりません)


 この文には、切ないほど人々の平安を願う気持ちが込められている。この気持ちは、まさに室が実朝と共有した心ではないだろうか。


 実朝室は実朝が亡くなって五十年ほども後、次の様な文を残して八十二才で亡くなった。


 我、すでに春秋をおくること八十年にみてり

 人間の無常いくばくか

 目にさえきるるおりにふるるあわれことに

 身をかえりみるおもひふかし


     山城太通寺文書「源実朝室 置文案」

 

 


                            



                                怒濤の歌   完


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