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112 承久の乱

 古代からただ一つの日本の王家として君臨する天皇家は鎌倉幕府の武者には神聖にして不可侵のように思えたに違いない。その天皇家を敵として戦うことには恐ろしい事であった。それは、一時関東独立国を作って「新皇」を名乗った平将門たいらのまさかどの反乱以外には、歴史に類のないことであった。その平将門も、ついには朝廷に滅ぼされたのであるから、朝廷は侮りがたいと思うのである。天皇と闘えば、天皇家側は官軍であり、鎌倉は賊軍と呼ばれる。そのおびえを、政子の言葉は断ち切ったのだった。

 

 晩鐘の頃、義時の館で、義時、時房、泰時、広元、三浦義村、安達景盛らが評議を重ねた。意見が分かれたが足柄、箱根の関所で官軍を迎え打とうと言うことに決着した。

 しかし広元は、この多数意見に対して、御家人の意気を高めるためには京都に攻め上る事が絶対に必要であるという考えに固守した。

 義時が、尼御台所(政子)に両者の意見を奏上すると政子は言った。

「上洛するような気持ちがなければ、絶対に官軍を破ることはできません。武蔵の国の大軍を持って速やかに京に攻め上るべきです」

 

 遠江、駿河、伊豆、甲斐、相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、信濃、上野、下野、陸奥、出羽、諸国に北条義時は尼御台所名でつぎのように書を発した。


 京都より官軍がすでに出立したという風聞がすでに聞こえてきている。北条時房、北条泰時が軍勢を率いて出陣する。北条朝時は北国方面に向かう。この事を速やかに一家の人々に伝えて一刻も早く出陣せよ。

 五月二十一日 再び、天下の重大事について評議が行われた。本拠地を離れて京に行き官軍に立ち向かうのは、どのようなものかという御家人からの異議が多かったからである。広元は言った。

「上洛と決定して、武蔵、各地からの軍勢を待って、一日たっただけで、こんな異議がでてしまった。心猛き武蔵野武士ですらこの有様であるから、まして西国の同様する御家人はたちまち朝廷の側につきかねません。今夜のうちに、何がなんでも、大将たる泰時殿が出立なさるならば、先を争う東国の武士の事ですから、怒濤のごとく出陣するに違いありません」

 義時はその言葉にうなずいた。


 五月二十二日 小雨のち曇る の刻(朝六時)北条泰時は京に向け出立した。わずか十九騎である。





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