103 渡宋船の進水
台の上に立った和卿は大きな声で話し始める。
「皆さんのお力を頂き、渡宋船ができあがりました。今日は、皆さんと協力して、船を海に浮かべます。大変重い物です。大太鼓をたたいた時に力を入れて引いてください。」
和卿の弟子の造船頭がゆっくり太鼓をドーンとたたくと、御家人、船大工、郎党が顔を真っ赤にして綱を引いた。大船はなかなか動こうとしなかったが、やがてみしみしという音とともにゆるりゆるりと身動きし始めた。ドンという音とともにギシリギシリと前進する。敷き詰められた丸太の上をそりのように船台が滑って行くのだ。
やがて船は海に入り始めた、実朝、室、義時、広元が、目を見開いて、御車の御簾の影からそれを見ている。その時「ズン」という鈍い音がして船が止まってしまった。より多くの人々が船を押すが、あたかもくっつけてしまったように微動だにしない。海の方から船で引っ張る、牛を連れてきて人とともに押してみる、何をしても無駄であった。日頃、浜で見物していた漁師が言うには「あの、遠浅の浜で大船を造って海に浮かぶはずがなかんべ。あの和卿という男は船の事をしらねえんじゃねえか?」と言うことだった。和卿は東大寺建立に当たり建材を横領し宋に帰国する船を造ろうとして、後鳥羽院から出入り禁止を言い渡された男だという風評もあったのである。今日それが具体的現れてしまったのかもしれない。
義時が去り、御家人と郎党が去り、実朝と室と広元と少数の御家人と陳和卿が浜に取り残された。まるで言葉がない。和卿の目から涙が溢れている。浜におりた実朝の前で土下座すると、無言で去って行った。実朝は近侍を残して、室と広元を帰らせた。
夕暮れて行く浜で、実朝はいつまでも酒を飲んでいたが、船に合掌すると「帰るぞ」とポツリと言った。
由比ヶ浜に誰もいなくなった。海にのめり込んだ姿の大船が、折からの満月に照らされているのみである。