第20話:spring gale
──夏。
クーラーが唸り、男子はズボンを捲り上げ、女子はスカートの中まで下敷きで仰ぐ季節。
「烟山先生本当に辞めちゃうの?!」
「紅、合唱辞めるってマジ?!」
辞める、という三文字が校舎中を駆け巡っていた。
「はいはい辞める辞める、夏休み明けたら俺いないからねー」
「先生なんでー? ついに校内で喫煙したのバレた?」
「それは着任日からバレてんだよ」
「うわ終わってる……」
休み時間のたびに、1年生から3年生までが瞬のもとに集まって、がやがやと騒ぎ立てる。
歴史の教科書を机に突っ込みながら、心はその様子を横目で眺めていた。
「心は行かなくていいの、先生のとこ」
「……別に今日でさよならって訳じゃないし」
後ろから話しかけてきた紅に返せば、紅はふぅーんと軽い反応。
「私にとっては、紅が合唱部辞めちゃうほうがインパクトでかいから」
「そりゃ、ね。結局、全国の壁は高いし厚かったから」
「もうちょっと行けると思ったんだけどね」
「ちょっとじゃダメでしょ、あたしら特別賞すら獲れなかったんだから。来年は頑張ってよ、あたしが抜けても金賞は獲れるよ。心がいれば」
地区予選の大会で、合唱部は奮わず。紅は宣言通り、合唱部を去ることに決めた。
あの日、"桃花鳥戻"に翻弄されたフードコートで聞いたのと同じ言葉を繰り返されて、心は一瞬ぞわりとした。
「……前も言ったけど、私に特別な能力なんてないんだからね」
「わかってるって。でも空気読んで声量調節したりするのはうまいじゃん」
「ありがと」
風が吹く。
クーラーで冷やされたその冷風は、心と紅の前髪を優しく撫でた。
自分が風を視て操る能力者だと、紅は知らなかったから教えなかった。
心は空気が読める子。
今まで通りの無難なレッテルを、隙間なく貼り付けることにした。
「次英語だよね」
「前半は自習って言ってなかった?」
「えー、じゃあちょっとだけサボろうかなぁ」
「……心、最近地味に不良になったよね」
「そう?」
ボールペンの先を向けて鋭く指摘してくる紅に、心は半笑いで応えた。
不良少女になったつもりはない、けど。
不良教師の影響は、少なからず受けてるかも。
チャイムが鳴る。
席を立っていた生徒たちが、だらだらと戻ってきた。
「私、トイレ行ってから戻るね」
「マジで今から?! ……まぁ、わかったよ」
半ば呆れ顔の紅に手を振って、心は教室を飛び出した。
トイレとは反対方向に歩き出しながら、廊下の風をぎゅっと引き寄せる。
少し煙草の香りが残る風を。
空き教室のドアはやっぱり立て付けが悪くて、でも開け方のコツを覚えてしまった。
薄く開いた隙間に身体をしゅるりと滑り込ませて、雑然とした教室内に足を踏み入れる。
「……んだよお前、来てたのか」
少し遅れて、瞬が入ってきた。
手にした紙袋には、手紙やプレゼントが詰まっているのが見える。
「お前、授業は?」
「先生こそ」
「俺のは自習にした」
「サボりじゃないですか」
「うるせェ、お前もだろ」
ふん、と鼻を鳴らして、瞬は紙袋を床に放り投げた。ピンク色の便箋を折った手紙が床に転がる。
「うわ、ひどい」
「学校と関係ないモン持ってくる方が悪い」
「急に先生みたいなこと言う……」
「先生だもん俺」
煙草に火をつけながら、瞬は窓際に座った。
この部屋にはクーラーがない。
窓からぬるい風が入ってきて、室温と湿度を中途半端に上げていく。
「……で、なんか用あんのか」
気怠げに。
いつもと変わらないテンションで瞬が言う。
この声がもうすぐ聞けなくなるのは、すこし寂しい。
「お別れなので、写真撮ってください」
「えー俺今日メイクしてないからぁ〜」
「何言ってるんですか……」
「それに今日が最終日って訳じゃねえぞ」
「最終日なんて近づけないじゃないですか、先生は人気者なんですから」
言いながらスマホを取り出して、瞬に近づく。
瞬は微動だにせず、ただ煙草をふかしていた。
「……え、ツーショ撮りたいんですけど」
「撮れば? 来いよ」
「先生が寄ってください、よっ」
開いた窓の外、蒸し暑い風を指先で集める。
そのまま引っ張って、少し暴れた風を瞬の身体に横からぶつけた。
「うわ──」
風に押された瞬がよろめく。
肩が、触れる。
お姫様抱っこしてくれた腕が。細くて、でも筋肉質で、思ったよりがっしりした成人男性の身体が。
「……やだぁ強引」
「さっきからなんですかそのキャラ、照れてるんですか?」
「うるせェ」
インカメラに映る瞬の顔はそれでも、いつも通りだ。
「照れてんのお前の方じゃねえか、顔真っ赤だぞ」
「暑いんです」
「嘘つけ」
指摘されるほどに耳まで真っ赤に染まった顔。
中途半端に外した、交わらない視線。
風で暴れるカーテンと、煙草の煙で全体的にぼやけた一枚を、保存。
「撮り直す?」
「いいですこれで、もう離れてください」
「なんだお前」
「…………私、来年から春一番やることになりました」
ため息混じりに定位置へ戻る瞬に、心は声を掛けた。
ふたりきりになったら、ずっと言いたかった言葉。
「春一番?」
「あれって自然現象じゃなくて、全国の風見鶏が日にちを決めて、一斉に吹かせてるって……この前、母から聞きました。家族なのに知らなかった」
あんたもう強い風操れるんなら──と、母親から指名されたのはほんの数日前だ。
この国に春を届けるという大役を、異能力集団が担っているという事実をさらりと告げられた時の顔は、今でも思い出せない。
「だから私、みんなに隠しながら今まで通り風を読んで、たまに操って……先生がどこに行っても、春一番だけはお届けするので……その……」
まずい。
泣きそうだ。
想像してたよりも恥ずかしくて、寂しい──
「だから、私のこと……」
「あぁ俺、西区の高校行くからそんな感極まんなくていいよ」
「…………えっ?」
「誰にも言ってねえけど」
「西区ってサッポロ市内の?」
「うん」
「えええ、地下鉄で一本じゃないですかあ!」
「サッポロから出られないからな俺、そういう縛りあんの。しっかしお前、今生の別れみたいになってんのウケる」
「──ッ!!」
笑いを堪え、口の隙間からふすふすと息を吐く瞬。
感情がぐちゃぐちゃになって、もはや首まで赤く染めた心。
ふたりの間に風が吹く。
夏の陽気に当てられた、生ぬるくて優しい風。
この人の風向きだけは読めないな……
たぶん、これからもずっと。
【了】
タイトルにspringってつけておいて、夏。から始まるのカッケー!
と思いながら書きました。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
現代ファンタジー(ローファンっていうんですか知らんけど)、特に誰にも知られちゃいけない系異能バトルが好きなので、書きたいように書けてよかったです。
これからも池田と池田作品をよろしくお願いします!
まだまだ書くぞ! 貧乳ヒロイン!!!




