番外編:彼女の悲劇
彼女には憧れて止まない人がいた。
第四王子のグラノである。
第四王子でありながら時期国王として望まれる声も強い優秀さ。
容姿も女の子の理想を具現化したように素敵で物腰柔らかく優しさ溢れる、とにかく素晴らしい人物だ。
そんな彼の花嫁候補として、年齢も家柄も容姿も申し分ないことから彼女は最有力と噂されていた。
両親からも将来は彼に嫁ぐのだと聞かされて育ち、正式な婚約はまだなもののあらゆるパーティで彼の婚約者であるように振る舞った。
彼の方は婚約に対してやんわりと否定をしていたものの、他に特別親しい女性もいないことから噂は極めて真実に近いと捉えられている。
王子の花嫁探しとして開かれる今度の舞踏会はただの形式的なものであり、実際には正式なプロポーズがあるのではと彼女と彼女の周りは期待している。
自分以上に彼の花嫁に相応しい人間は居まい。
だが、鼻息荒くめかしこんで乗り込んだ舞踏会は彼女の望んだものとは大きく違っていた。
王子は彼女以外の多くの女性と踊るのだ。
しかもそれは義務をこなすがごとくあからさまに淡々としており、いつも浮かべている微笑もなくやつれて見えた。
その様子は彼女と踊る時でも変わりない。
とてもプロポーズの雰囲気ではなかった。
終いには会場を抜け出してしまったようで姿が見えない。
しばらくして戻ってきた彼は周囲の足元をキョロキョロ見回した。
声をかけようとしたが、彼は何かを見つけたようで一目散にどこかへと駆けてしまう。
向かった先に居た一人の美しい少女とダンスを始めた王子。
自分容姿に相当な自信があった彼女だが、その少女には到底敵いそうにない。
何より少女の纏うドレスは一国の姫も持ち得ないほど素晴らしく上等なものだ。
恐らくかなりの家柄の子女であろう。
王子も先程のやつれた様子は払拭され晴れ晴れとしており、どこかに飛び出して行ってしまいそうなほど軽やかで心なしかステップも速い。
生まれて初めての敗北感に打ちひしがれ、きらびやかでお似合いな二人を臍を噛んで見つめ続けた。
そんな時、十二時を告げる鐘の音がホールへと鳴り響く。
「大変! 魔法が解けてしまうわ!」
「え? 待ってくれ! まだメルのことを――」
王子の制止を無視した彼女は走り去ってしまう。
残ったのは見事な一足のガラスの靴。
「はぁ……これで戻れるしまぁいいか。あ、落とし物だよ」
王子は溜め息を吐くとガラスの靴を従者に拾わせ、再び外へ出てしまった。
少女を追ったのだろうか。
これまたしばらくすると酷く慌てた様子で戻ってきた彼。
「大変だ! 居なくなってしまった!」
――うん、見てたから知ってる。
誰もがそう思っていたのだが、王子は今更一人で右往左往。
「そういえば魔法がどうのと彼女は去り際に言っていたな。メルとも関係があったのかもしれない……寝床は彼女の屋敷か」
ブツブツ呟くと先程ガラスの靴を拾わせた従者に目を向ける。
「シンデレラと言う女性の居所を探し出せ。そのガラスの靴を履かせて本人確認をすればいい」
「はっ、かしこまりました」
「明日中には彼女を城へ連れてこい。私は魔女に連絡を取ってみる」
王子の頭の中で何やら段取りが出来上がっているらしい。
忙しげに会場を後にしたので、ポカンとする周りをよそに舞踏会はお開きとなってしまった。
翌日、王子がシンデレラと呼ばれる少女を呼び寄せた噂で国は持ちきりである。
彼女の周囲は気まずそうにその話題を避け、それが余計にプライドを傷つけた。
しかし数日後、彼女のプライドは更にズタズタにされる事態へと陥ることになる。
王子が婚約者として発表したのは彼女でも、況してやシンデレラでもなく貧弱な小娘であった。
まだ幼さの残る面差しは凡庸としか表現出来ず、灰色の髪の他に特徴などどこにもない。
更に貴族ですらないとの噂で、一体どこから連れてきたのか到底王子の相手になど認められるはずがない。
当然周囲は大反対。
しかし誰が説得しようとも王子は聞く耳を持たず、娘との婚姻準備を着々と進めていく。
彼女は周囲に促され彼の目を覚まさせとようと娘との接触を試みる。
だが娘はいつでも王子にベッタリらしく、茶会に呼ぼうが応じることはなく何故かいつも彼から断りの連絡を受ける。
業を煮やした彼女は親のコネで入手した情報を生かし、王子と娘が遠乗りに出掛けた場所に押し掛けることにした。
そこは美しく広大な花畑。
花に囲まれ二人は楽しげに微笑みあっていた。
仲睦まじい様子に彼女は唇を噛み締め一歩近付く。
「偶然ですわねグラノ王子」
「へぇ偶然、ねぇ……」
人払いをさせている場所に偶然立ち寄る筈はなく、明らさまな彼女に王子は目を細める。
「お天気が宜しいので私もピクニックへやって参りました。ご一緒しても?」
「私達は今デート中だ。悪いが気を利かせてくれないか? さぁメル出来たよ」
「わぁ綺麗。ありがとグラノ。これ食べれる?」
「アハハ、食べちゃダメだよ。これは頭に乗せるの。ハイどうぞ」
沸き起こる憤怒に彼女は小さく身を震わせる。
自分と娘に対する王子の態度があまりに違いすぎるからだ。
自分は冷たい口調で言い捨てられたのに対して、娘にはこれ以上ないほど甘く柔らかい声。
娘の頭に花冠を乗せる仕草は物凄く優しい。
これほどまでに自分を蔑ろにされたことは今までになかった。
それに近くで見ると益々際立つ娘のみすぼらしさもまた、彼女の怒りを煽った。
灰色の髪のなんと汚ならしいこと。
丸い目のなんと知性のないこと。
それなのに、着ている服は物凄く上等。
国一番のドレスメーカーへ王子直々に大量注文をした話は有名である。
そして身に付けている装飾品は裕福な彼女も手に取ることが出来ない国宝級。
全ては将来彼女が受けとるものであったのに。
そこは彼女の場所であり、王子に愛されるべきは彼女なのだ。
何一つ自分より優れた部分を持っているとは思えない娘が、自分のモノをかっ拐うなど冗談ではない。
―――身のほどを知れっ小娘がっ!
今すぐにその横っ面をひっぱたいて怒鳴り付けたい。
しかし隣に王子がいる以上、この場で娘をどうこうする訳にはいかない。
「どうやらお邪魔してしまったようで申し訳ありません。ではごきげんよう――あ、そうだわ。お一つだけお話を。
今度私の家の庭でお茶会を設けますの。貴女もいかがかしら? 自慢の庭園ですのよ?」
「え? 私?」
キョトンとした馬鹿面に内心ヘドが出そうになりながら、にこやかに喋る。
常識的に考えて彼女のように身分の高い人間からの直接の誘いを断るなんて出来るわけはない。
「もちろん参加して下さいますよね?」
「うーん……」
「あら、どうしたの? 正式な茶会ではないので気軽な気持ちで参加なさって。お召し物も今着ていらっしゃる物で十分でしてよ。ソレとても素敵なドレスだもの。貴女の素朴なお顔がドレスの意匠を際立たせていますわ」
要するに服に着られているという遠回しな嫌味なのだが、根っからの貴族体質である彼女にとっては挨拶のようなものであった。
しかし王子はそれを見逃しはしない。
「君は何を言っているんだ? 私の贈ったこのドレスなど、魅力的なメルの前ではレースを重ねたただの布にしか見えないだろ?」
こいつ目腐ってんじゃね? 的な表情をされた彼女は狼狽える。
「私はこのドレスに身を包んだメルを目にした時、完全に服がメルの魅力に負けてしまっていることに愕然としたものさ。
まぁ愛らしく美しいメルに着て貰えた布達も喜んでいるではないかな。なぁそうだろお前達?」
王子はドレスについて喋る内に段々と熱が入ってきたらしく、娘の身体を引き寄せ腰辺りを艶かしい手つきで撫でながらドレスに語りかけ始めてしまう。
彼女は自分の知る王子とあまりにかけ離れたその様子にどこか恐怖を懐いた。
「そ、そんなことよりお茶会ですわ! それでどうなの? 参加されますわよね?」
「んー、やっぱり止めとく」
娘は腰を捻り王子の手を嫌そうに払いながら、事も無げに言った。
「なっ! なんですって!?」
自分が開く茶会を断るとは予想外且つあまりに無礼な返答に絶句する。
「だってお姉さん……私のこと殺したいと思ってる。行ったら駆除されちゃうよ」
「……っ!」
「相変わらずメルの勘は素晴らしい。その通りだよ。彼女はメルを害する醜き者だ。近付いてはいけないよ、メルの側には僕しか居てはいけない。ああ可愛いメル、愛してる」
王子は娘に恍惚とした表情で口づける。娘も大人しくされるがままだ。
あの冷静な王子が人前でキス。
いや、人前というよりもそこに彼女など存在しないような扱いだ。
娘には図星をつかれ、王子には醜いとまで言われた彼女は完全に我慢の限界を越えた。
「私が醜き者でその娘が可愛いですって!? 冗談じゃないわよっ!!」
「もちろん冗談なわけないだろ。事実を述べたまでだ」
「グ、グラノ、怒らせちゃ駄目だよ。箒持って追いかけ回されるよ」
服の裾を引っ張り抑えた声で王子を止めようとする娘だが、ばっちり彼女の耳に入りしかもその内容は馬鹿にしているとしか思えない。
如何にも真剣な表情が尚更彼女の神経を逆撫でする。
「お黙りなさいっ! この泥棒猫!」
「ええっ!? 猫に見えた? 残念私は灰色ネズミだよ」
「確かに貴女はドブネズミのように卑しいわ。でもそんなことはどうでもいいのよ!」
「惜しいっ! 実は私はハツカネズミなんだよ。グラノ知ってた?」
「もちろんさ。メルをドブネズミと間違うなんて本当に目が腐っているね」
「ドブネズミの連中は身体も大きくて偉そうで意地悪なんだよ」
「よし国をあげて駆除しよう」
王子はそのまま娘を抱き上げると、彼女に一瞥もすることなく去ろうとする。
「まだ話は終わってませんわっ!」
彼女の声に反応した王子はその場に立ち止まりゆっくりと振り返った。
「……ああ、話といえば、結婚おめでとう」
「は?」
「西の小国の側妃の話が来ていたのだろ?」
西の小国の側妃、確かにそんな話が彼女の実家に来ていたがとんでもない。
そこの国は飢餓者が毎年大量に出るほど貧しく、近隣諸国からの援助もあるはずなのにブクブク太るのは貴族ばかり。
王も脂ぎった小太りの親父で13人もの妃を持ち、酷い加虐趣味という噂で妃も何人か行方不明なのだとか。
その王がこの国を訪問した際、彼女を気に入ったらしくそれから結婚の申し出がしつこい。
当然両親に断って貰っていたはずである。
「そんな話一体いつ……」
「たった今さ。君の結婚は今この時決まったんだよ」
「え……?」
「私が決めたからには決定だ。誰にも文句は言わせない」
底冷えする冷気に震える。
そんな彼女を侮蔑するように鼻で笑うと王子は娘を抱えて今度こそ去っていった。
王子が言った自分の結婚話が本当なのか分からないが、それを告げる王子には確かな殺気が窺えた。
あれは本気の目だ。
生きた心地のしないままフラフラとなんとか自宅である屋敷へ戻ると父親に呼ばれる。
「お前の結婚が決まった。西の小国の王の元だ。拒否は出来ない」
自分にとことん甘いはずの父の目に苛立ちが浮かんでいた。
「よくも要らぬことをしたな。私の立場も今や危うい」
ショックを受けている彼女に忌々しく舌打ちをする父親。
自分の磐石であった筈の地位が崩れたことに彼女はようやく気付いた。
それから彼女は大人しく西の小国に嫁いでいった。
数年後、西の小国の王の悪政に耐えかねた民衆により反乱が起こる。
王宮騎士団も迷うことなく反乱軍に寝返ったことにより、意図も容易く王族達は捕らえられることになった。
その後、大国出身の側妃である彼女は処刑を免れ生涯幽閉されたそうな。
西の小国の歴史が語られる際、この時の反乱はなくてはならないものである。
未来に、この反乱には様々な噂話が存在するのだが、その一つに反乱軍に巨額な支援投資を行った大国があったとかなかったとか。
その支援のおかげで反乱軍は勝利を手にすることが出来たという話だ。
いや、そもそもその大国が反乱を唆したのだという噂もあるが、そのような面倒なことをしたところで大国のメリットは少ない。
過去の文献などにもそのような証拠はどこにもなく、信憑性の薄い噂として語り継がれている。
このカップルに関わると多分ろくなことになりませんが、ちょっかいをかけなければ無害です。




