36 温もり
間違いない。低くて柔らかなこの声は……
「……レン?」
ペタペタと床を這い、現れた愛しい姿。
オーレンはゆっくり近付き、しゃがむと、その黒髪に手を伸ばす。さらりとした感触を確かめると、横に滑らせ、白い頬に触れる。柔らかさに満足すると、今度は華奢な肩の感触を確かめ……そのまま腕に抱き寄せた。
「……夢じゃないのか」
自分の身体にすっぽりと収まる小さな温もり。それは、全身にじんと響き、確かに此処に存在することを伝えてくれる。
「レンも……夢じゃない?」
小さな手に何度も背中を撫でられる。くすぐったいそれをつと掴むと、オーレンは自分の頬や唇に当てた。
「……本物だろ?」
彼女の黒い瞳に映る自分は、今にも泣きそうな顔をしている。それは次第にゆらゆら揺れて、何も見えなくなった。
「レンだ……本当にレンだ……ずっと会いたかった……触れたかった……!」
シェリナは涙を散らしながら、オーレンの肩にしがみつく。オーレンもシェリナの肩に深く顔を埋め、ただ身体を震わせる。溢れるもので互いの服を濡らしては、時が止まったように抱き合っていた。
少し落ち着くと、シェリナは鞄を開け、一通の書物をオーレンに差し出した。
「ルイス様が私を船に乗せてくれたの……これ、レンにって」
オーレンはそれを受け取り封印を解くと、険しい顔で読み進める。
「……レン?」
書物から顔を上げシェリナを見ると、頬を優しく撫でながら言う。
「ルイスが君を手放した理由が書かれている。……後で詳しく話すよ」
「私も……沢山話したいことがあるの」
突然オーレンは顔色を変え、シェリナの肩を掴みながら全身を見た。
「そうだ……! 怪我はないか? 何もされてないか!?」
「うん。この子が守ってくれたの。綺麗で強いドラゴンに変わったのよ」
指にちょこんと止まる氷の蝶を、オーレンに見せる。
「ルイスの蝶……変化の魔術か。すごいな」
オーレンはその羽を指で優しく撫で、ありがとうと呟いた。
「ところで、この武器も蝶が集めたのか?」
積み荷の中に隠された武器を見ながら尋ねる。
「ううん……それは私が。もし氷が溶けちゃったら、また襲われるかもしれないと思って」
「男達を木にくくりつけたのも?」
「うん」
「やけに頑丈に結べたな」
シェリナの細い腕を不思議そうに見る。
「店の薬や薬草を出荷する時、荷台から落ちないようにああやって結んでいたの」
オーレンは一瞬目を見張ると、ぷっと吹き出す。
「レン?」
「いや……勇敢すぎて。シェリナは兵士にもなれそうだな」
微笑みながら、頭をぽんぽんと叩いた。
「あっ……船首で倒れていた兵は?」
「さっき運ばせたから大丈夫だ」
「良かった……結構傷が深そうだったから。回復魔力を使ってみようかなとも思ったんだけど、力が不安定だから心配で」
「…………」
「積み荷はどうかしら? 結構大きな衝撃だったから、落ちてしまった箱もあるの。中身が無事だといいんだけど」
「……シェリナが無事なら……それでいい」
愛しい身体を再び引き寄せ、強く抱き締めた。
「さあ、暗くなる前に宿へ戻ろう。積み荷には結界と見張りを付けるから、明日回収すればいい」
オーレンは鞄を肩に掛け立ち上がると、シェリナへ手を差し出す。その手を取り、立ち上がろうと足に力を入れた瞬間、激痛が走りよろめいた。
「痛っ……」
「シェリナ!」
スカートの裾を捲ると、白い足首が赤や紫に腫れ上がり、熱を持っている。
「酷いな……」
オーレンは顔をしかめる。
「さっきあの人達に追い掛けられて躓いちゃったの。色々と忙しかったから全然気付かなかったわ」
さらっと話すシェリナの言葉に、オーレンの眉間の皺が一層深くなる。
「あっ……このくらいなら回復魔力を使えるかも」
足にかざそうとする手を、オーレンが掴む。
「……魔力は使うな」
そう言うと、シェリナをふわっと抱き上げた。
「レン!?」
「このまま宿まで行くから大人しくしてろ」
「ゆっくり歩くからいいわよ! 重たいから、ねえ」
足首よりも赤い顔で抗議されるが、オーレンは無視してそのままさっさと船から出る。
やがて、男達がくくられている木まで来ると、片手を男達の凍った足にかざしていった。
「……何してるの?」
「寒そうだから、炎で温めてやった」
静かに笑う美しい横顔は、黒魔術をかけられていた時よりも恐ろしい……シェリナはそう思った。




