0037レトロPCガール
兄貴が俺を陽気に祝福する。
「いい目標だ。それに彼女ができたんだな、敏之。凄いじゃないか」
「ああ、つい今日のことだけど。携帯で一緒に写真撮ったし、後で見せるよ」
俺は余裕たっぷりに、一段と旨みを増したステーキを頬張った。俺なりの反撃は、何も勉学に刻苦精励するばかりじゃない。別の世界で一番を目指すのも、それはそれで楽しいじゃないか。
書くべきことは少なくなった。翌日、文奈は俺に『FM77AV20』を貸してくれた。
「20EXだとカセットインターフェースがありませんから、あえて20をお貸しします。液晶モニターも貸与しますね。3.5インチ2Dフロッピーディスクも提供します」
「ありがとう、根津」
「どういたしまして。FM77AV20は、私の40EXと違って400ライン表示がない代わりに、家庭用テレビに接続・表示することができます」
「へえ。じゃあ家に持ち帰って使うこともできるわけだ」
「いいえ、今の液晶テレビだと接続端子が違うので無理です」
駄目だこりゃ。
「でも、モニターに15KHzと24KHzの水平同期周波数が必要な40/40EX/40SXに比べて、15KHzだけでいいFM77AV20は便利ですよ」
これで部員全体にコンピュータが行き渡ったわけだ。八覇が全員にレモンティーの入った紙コップを配る。立ち上がって杯をかざした。
「みんな準備はできたか? 『Fマイコン同好会』、これで結成や。じゃ、本格活動する前に、それぞれ抱負を語ってもらおか。まずはあたしから」
八覇は室内を眺め渡した。陽気に頬を弛緩させる。同好会リーダーとして、8ビットマイコン戦国時代同様、PC88でみなを主導してくれるに違いない。
「あたしは88に限らず、マイコンピュータの世界を広げていきたいと思うとる。ここを起点に、8ビットマイコンの魅力や底力を周囲に発信していって、いつか世界の同志と手を繋げられたらええなと思う。……次、慧夢是!」
先輩に対しても呼び捨ての八覇は、やはり只者ではない。慧夢是先輩は気にせず、柔和な笑みを顔中に広げた。彼女がいると優しい気持ちになれる。
「そうですね……、やっぱりマシン語を駆使して……、セガの『アウトラン』を勝手移植してみたいと思います……。それがこれからの2年間の目標ですね……」
「次、銅豆!」
銅豆はこの儀式に渋々付き合っているといった風情だ。さすがに俺のタブレットは置いている。眠そうな目で薄笑いを浮かべた。エミュレータが必要になったとき、彼は真価を発揮してくれるだろう。
「これからの3年間、河野のタブレットをこき使って、企業にいろいろいたずらを仕掛けてみるよ。ウイルスなんかも作っていきたいね。8ビットパソコンも、暇になったら試してみようかな。まあよろしく」
「次、慧玖珠!」
慧玖珠は長い黒髪を優雅に払った。不敵に笑ってみせる。鮮烈な美術を得意とする彼女は、必要とあらば俺たちをうならせる、大胆な発想を展開してくれるはずだ――X1で、だけど。
「私はまだ根に持ってるわ、勝負のこと。いいえ、それで負けたことじゃない。X1turboZ3の全力を引き出せなかった、自分自身の不甲斐なさを、ね。これからの3年間、私はリベンジのために、持てる力を残らず発揮するわ」
「次、文奈!」
文奈は可愛い。俺の贔屓目のなせるわざ? いやいや、彼女はそのぶれない芯の強さ、FM-7を溺愛するかたくななまでの心、そしてデモで見せた絵心の確かさなどで、万人をうならせることができるはずだ。それらひっくるめて、俺は彼女を可愛いと思うのだ。
「私も中川さんに同じです。富士通のマイコンが、FM-7が、究極にして最高のマイコンであることを、いつか必ずこの手で証明してみせます」
ちらりと俺を見る。俺はかすかにうなずいた。文奈はわずかに微笑む。
「何度失敗しても、挫折しても……私は挑戦を諦めません。以上です」
「最後、敏之!」
俺は言葉に詰まった。FM-7道に踏み出したばかりの俺では、月並みな言葉しか出てきそうにない。それでも考え考え、口を開閉する。
「入学して1年A組に入った時、最初に自己紹介をやらされた。俺はこう言った――『高校3年間の目標は、せめて無難に何事もなく、健康で完走することです』と。でも――」
俺は八覇を、慧夢是先輩を、銅豆を、慧玖珠を、文奈を見た。
「でも今自己紹介をやらされたら、多分こう答えるだろう。『高校3年間の目標は、仲間と共に8ビットマイコンを堪能し、その魅力を内外に伝えることです』と」
口にしたら奇妙な高揚感が湧いて出てきた。込み上がる感情を抑え切れない。
「俺、頑張るから。今はまだ初心者だけど、いつか必ずみんなに追いついて、FM-7を……Fマイコン同好会を立派にしてみせるから。本当に、よろしく」
八覇は満足そうに首肯した。
「じゃ、乾杯や」
俺たちは唱和した。
「かんぱーい」
俺たちは紙コップの紅茶をあおった。全てはここから。ここから、始まるのだ。
と、その時、ドアをノックする硬質な音が聞こえてきた。
「どうぞ」
八覇がうながすと、扉を開けて入ってきたのは一人の小柄な少女。その胸に何やら重そうな、グレーのパソコンのようなものを抱いている。
彼女はツインテールを揺らし、腹に響く声で宣言した。
「全世界、全宇宙の頂点に立つべきは、この『PC-6001mk2』だ……!」
どうやら8ビットマイコン協奏曲は、まだまだ終わりそうにない。
(完)