第一話 モンスターパニック
早朝のハンバーガーショップで、ぼくらはウンウンと唸っていた。
〝おまじない〟の力で、ぼくこと鶴屋恩義の右手と美叶木夜目の右手は、どうにも奇妙な状態で、ぺたりと張り付いてしまっていたからだ。
一見すると恋人たちの悪ふざけに見える。
「見えて、たまるかっ。こんなのバカップルの悪ふざけでしょっ」
おそらくは羞恥心から顔を赤くした美叶木さんが、先ほどからなんとか手を剥がそうとしているが、上手く行かない。
カミソリ一枚入らない石組みというのがあるが、こちらは紙ナプキン一枚すら入らない密着っぷりだ。
おおよそ思いつく穏便な方法はだいたい試したが、どうにも駄目らしい。
「恩義ちゃん、もっと焦りなさい。このままじゃ私たち、うかれポンチみたいにおまえが私を背後からハグしながら退店することになるのよっ!?」
「それ自体に否やはないけれど、もう少し大局的にものを見たほうがよいのでは?」
近視眼が過ぎる。
「仮にこのまま手が離れないと、登校をどうするかという問題が出てくるね」
「おまえと手を繋いで登校!?」
「噂になるだろうね。それ自体はいいとして」
「よくは、よくはないのよ。心の準備というものと段階を踏むということが世にはあって」
「授業中も離れられないのはまずい」
「――――」
美叶木さんが、天を仰いだ。
白目を剥いていたかも知れない。
おそらく、キャパがオーバーしたのだ、精神の。
正直、ぼくもパニックに近い。
吸血鬼というモンスターであることと、人間としての精神の許容量は、まったく無関係なことなのだ。
いっぱいいっぱいのギリギリ。
だが、懸念事項はここで全て吐き出しておく必要がある。
ぼくは心を鬼にして、さらなる将来的に起こりうる危機のビジョンを口にする。
「仮に、学校を休んだとして、同じタイミングでぼくと美叶木さんが出席しない場合、示し合わせたのではないか? という邪推が発生するよね」
「終わったわ、深窓の令嬢生活……」
「家に帰るときもどうするかということになる。ぼくは夕飯時、絶対に我が家へ帰るので、美叶木さんには着いてきてもらうしかない」
「この状況でご家族に紹介を!?」
「食事自体はでると思うから心配しなくてもいいのだけど」
「そこじゃないわ恩義ちゃん、ちっともまったくぜんぜん、そこではないの!」
「喫茶店のバイトにも支障が出るよね? この間の無断欠勤の件もあるし、これ以上の迷惑はかけられない」
「そうね……そうだわね……」
疲れ切った様子の美叶木さん。
とりあえず、テーブルの上を片付け、ぼくらは不格好な体勢で店を出る。
そろそろ普通のお客さんが入り始めたからだ。
そのまま裏通りに入り、二人して空を見上げる。
夜と朝の境目にある空はじわじわと明るくなっており、雲のひとつない。
……こちらの心中とは真逆である。
「どうしよっか、美叶木さん」
「どうって」
ぶらーんと、ひと繋がりの手を持ち上げて、彼女は険しい顔をする。
「さすがに、くっだらないとは言えないでしょ。いえ、状況は心底くだらないのだけど」
「ともかく、おまじないをなんとかするしかないとぼくは考えている。それも、出来れば始業時間までに」
「それしかないでしょうね。おまじないの詳しい内容は?」
「手のしわとしわを合わせてしあわ――」
そこまで、言いかけたときだった。
眼前に、何か奇妙なものがあった。
薄明の当たる地面から生える、三角形の黒い物体。
それが、デーデンとでも音がしそうな様子で、すっと動いたのである。
まるで、泳ぐように。
美叶木さんもそれに気が付き、
「度し難いわ」
ただ、それだけ呟いた。
刹那、道を突き破り現れた巨躯!
それは――人食い鮫の影鰐!
この怪異は、消滅していなかったのだ……!
「走るわよ、恩義ちゃん!」
「言われなくとも!」
ぼくらは逃げ出した。
全力で。
右手が繋がった、奇妙な格好のまま。
「サメなんてこりごりよー!」
美叶木さんの切実な悲鳴を背景に。
大口を開けた影鰐が迫る――!




