溺愛の始まりは突然すぎる
溺愛ものがとにかく書きたくて、始めました。
5話構成です。
よろしくお願いします!
「あー、これこれ。このすっぽり懐に入っちまうサイズ感、癒されるわー」
私、宇佐野優は今、誰もいないバスケ部の部室で、学校の先輩である室星颯真の膝の間に座らされ、後ろからぎゅっと抱きしめられている。
耳元で囁かれ、低く響く声と吐息に反応して声を上げないように我慢しながら、私は動けず、体を硬直させる。
室星先輩は私を強く抱きしめながら、私の頭上に顎を乗せ、深く息を吸い込んだ後、音を立てて口付けを落とす。
「っ!」
「ん……どうしたの? 体がビクって揺れたけど?」
「な、なんでもない……です」
「ふふっ、ゆうちゃんは本当にかわいいね」
いたずらっぽく笑う室星先輩。私は彼に動揺を気づかれないように、必死に表情を引き締める。
室星先輩は学校でも一、二を争うほどの有名人。本来であれば私のようなごく普通の女子生徒なんて、一生かかっても関わるようなことはないはずの人だ。
しかし今、私はなぜか毎日のように、彼と二人きりになり、こうして溶けてしまわないかと思うほど甘やかされている。
それなのに、私たちは付き合うどころか、告白したことも、されたこともないのだ。
こんなおかしな関係が始まったのは一年ほど前、私がバスケ部のマネージャーを手伝うことになったことがきっかけだった。
* * *
高校に上がってばかりの頃、私は特に部活に入ることはなく、毎日授業を受けては、友だちとおしゃべりをし、そのまま帰宅する毎日。
特に打ち込むこともなく、たまに図書館に通い、本を読むくらいしかやることはなかった。
そんなある日、小さい頃からの親友である林美弥が、私にこうお願いしてきた。
「ねえ、ゆう。私の入っているバスケ部のことだけど、しばらくでいいからマネージャーの仕事、手伝ってくれない?」
美弥曰く、マネージャーとしてバスケ部に入ったのはいいものの、なぜか先輩マネージャーは一人もいなく、新入マネージャーも美弥だけという状況らしい。
入ったばかりの美弥がすぐマネージャー業務をこなせるわけもなく、忙しさで目が回る毎日を送っているらしい。
そこで限界を感じ、親友である私に助けを求めたというわけだ。
「私、スポーツ系の部活に入ったことないけど……」
「ぜっっっんぜん大丈夫! マネージャーと言っても、簡単な雑用だけだから! 難しいことはやらせないから!」
美弥はデスクに肘を置き、両手で私の手を掴み、うるうるとした子犬のような目で私を見て、『お願い』と甘える声で言う。
それだけで、断るのも忍びなくなり、頷いてしまう。
(まあ……しばらくだけって言ってたし、雑用だけなら私にも……)
そんな軽い気持ちで、私は親友の美弥に押され、彼女がマネージャー業務に慣れるまでの三ヶ月間、バスケ部に一時入部することになった。
そこで私は、室星先輩に出会った。
入学したばかりの頃、すでに彼の名前は知っていた。
バスケ部のエースで、成績もそれなりに優秀。何より学校一イケメンだという噂が、嫌でも聞こえてくる。
臨時マネージャーとして挨拶をする時に彼の顔を見て、まさに噂通りだと思った。
端麗な顔立ちに黒いマッシュルームヘアがとてもおしゃれに見えて、両耳には銀のピアスが三つずつ着けられている。
目元が少し吊り上がっていて、一見鋭く感じるけど、それさえアクセントになっているようだ。
彼ほど容姿がいい人を、私はテレビ以外で見たことがない。
「しばらくマネージャーの仕事を手伝うことになりました、宇佐野優と言います。よろしくお願いします」
私は簡潔にあいさつを終え、部員たちに向かって頭を下げた。
部活に合わせて肩の前で簡単に纏めた髪が、頭を下げるのと一緒に揺れる。
三秒待ち、頭を上げる。
すると、なぜか間近に室星先輩と目が合った。
「っ!」
ビックリして一歩後退る。
しかし彼は体をわずかに屈め、視線は私に向けたまま。
「君、ゆうちゃんって言うんだね。結構かわいいじゃん」
「は、はあ……」
突然距離を詰められ、私はどうすればいいのか分からず、眉をしかめる。
すると、室星先輩は手をこちらに伸ばし、私の髪に触れる。
「この亜麻色の髪は地毛? とてもきれいで、似合っているよ。目元が少し垂れているね。かわいい。小動物みたいだ」
どんどん顔を近づけてきた室星先輩に、私は体を硬直させながら息を呑む。
「おい、颯真! すぐ女の子を口説こうとするな」
叱責する言葉と共に、室星先輩は服の襟を掴まれ、後ろへと引っ張られた。
「優、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫」
小声で心配の言葉をかけてくれた美弥に意識を引き戻され、胸を撫で下ろす。
「俺は思ったことを言っただけだけどなー」
「嘘つけ! お前は誰にも似たようなことを言っているんだろう」
室星先輩を叱るバスケ部の部長は、私に顔を向けた。
「すまない、こいつはいつもこうなんだ。あまり真に受けないでくれ。事情は聞いている、しばらくよろしく頼む」
部長にも無事認められ、私は晴れて、バスケ部のマネージャーになった。
後に聞けば、どうやら室星先輩を奪い合うマネージャーたちが恋愛沙汰を起こして、部活に支障をきたしたらしい。
それで問題を起こしたマネージャー全員が退部になり、室星先輩を目当てにするマネージャー志望者の入部を禁止することになった。結局、入部条件を満たしたのは美弥だけだったということだ。
それでも、室星先輩の女との噂は未だに絶えないから、あまり懲りていないようだ。
そうして、私の部活生活が始まった。
美弥が約束してくれた通り、ボール拾いや、スポーツドリンクの用意、練習後のお片付けなど、簡単な雑務しか任されなかった。
それとは対照的に、美弥はいつも部長と打ち合わせして、あっちこっち走り回っていた。
いつも大変そうだなと思いながら、私はさりげなく彼女の分の差し入れを用意していた。
ここでの活動は想像よりも普通で、少し拍子抜けだった。
唯一普通じゃなかったことといえば――
「ねえ、ゆうちゃん。水をくれない?」
室星先輩に言われ、水ボトルを差し出す。
しかし彼は、差し出されたボトルを受け取る気配がなかった。
疑問に感じながら彼を見上げる。
彼は笑顔を浮かべたまま、私を見つめていた。
視線が合った瞬間、彼は私に顔を近づける。
「ね、飲ませてくれない?」
「……先輩が自分でできるのでは?」
「今、手が塞がっていてね」
手の方を見てみると、先輩は片手でボールを抱えていて、もう片方は何も持っていない。
ギリギリ、ボトルの蓋を開けるには少し不便な様子だった。
それならボールを下ろせばいいではないかと、ツッコミを入れてしまいたいけど、たぶん先輩がまだ他の言い訳を考えるだけだ。
私はボトルの蓋を開け、先輩の空いている手に持たせる。
「どうぞ。私、他の準備があるので」
先輩に何か言われる前に、その場から去る。
これが私の考えた、対処法だった。
「あ〜あ、逃げられちゃった」
なお、その後、部員に渡す飲み物はすべて、片手でも飲みやすいように、蓋の上からストローを刺すことにした。
* * *
それ以降も、先輩は隙さえあれば、私に構おうとしてくる。
「ゆうちゃん、汗を拭いて――」
「タオルです。どうぞ」
「ゆうちゃん、さっきの試合、見て――」
「先輩が最高得点でしたね。美弥が教えてくれました」
「ゆうちゃん、お腹すかない? この後、何か食べ――」
「美弥と一緒に帰る約束しているので」
こんな文言が毎日のように繰り返されていた。
少ししつこいとも思ってしまうけど、それより疑惑が大きかった。
(なんで室星先輩はこんなに、私に話しかけるんだろう)
「室星先輩、優にはよく話しかけるよね? 仲良いの?」
「そんなことはないと思うけど……やっぱりおかしいよね。美弥が入部した時も、そうだったの?」
昼ごはんの時間に、美弥と一緒に裏庭でおしゃべりしながらごはんを食べるのはいつものことだった。
今は部活が一緒だということもあって、それが話題に上がることも多かった。
その中でも、室星先輩の話になることも、少なくない。
「んん……どうかな? 確かに最初の頃、何回かは話しかけられたけど、すぐに止んだから。たぶん、私に興味ないんじゃないかな」
「そうなんだ……じゃ、なおさらなんでだろう」
「普通に優が気になるとか?」
「そんなはずないでしょう」
友だちの私が言うのも何だけど、美弥は普通にかわいい方だと思う。
大きくまん丸の目に、絶えることのないおおらかな笑顔。
頬には淡いそばかすもあるけど、それで逆に愛嬌が増す。
実際、中学時代でも、彼女は何回か告白されたことがある。
そんな彼女に興味がないなら、その陰に隠れる私に興味なんてあるわけない。
「冗談はさておき、室星先輩には気を付けなよ。先輩、女癖が悪くて、いつもカノジョとっかえひっかえだから、本気になったら遊ばれて終わりだよ」
「分かっているよ。私と室星先輩は何とも――」
「俺がなに?」
突然割り込まれた声に、私たちは同時に肩を大きく跳ね上がる。
振り返ると、話題の中心である室星先輩がいた。
彼はベンチの背もたれに肘を置きながら、私の手元を覗いた。
「ゆうちゃん、随分おいしそうな弁当だね。手作り? 俺にもちょうだい」
「いや……先輩に食べさせるようなものでは――」
しかし私が答える前に、先輩は私の手を取り、フォークで刺された玉子焼きを彼の口に運んだ。
「あむ……ん~、塩気が絶妙に効いてて、悪くないね。でも俺は蕩けるくらい甘いのが好きだから、覚えてて」
「……えっ……は?」
私の手を握る先輩の手に一瞬力が入り、そしてすぐ離れた。
「次、俺の弁当も作ってね」
そう言って、先輩は去っていった。
呆然と何も刺していないフォークを持ったままの、私を残して。
「優?……優?……大丈夫? 顔赤いよ」
美弥が心配そうに私を呼びかける。
そこでやっと私は、顔が熱くなっていることに気が付いた。
それに気づいた途端、鼓動が速く打ち始める。
私は慌ててフォークを持っていない方の手を、隠すために頬に当てる。
「だ、大丈夫。大丈夫だから」
(落ち着いて、落ち着くのよ。大丈夫、これは距離が近かったから緊張しただけだから。先輩は誰ともあの距離感だから。私は、勘違いしないから)
室星先輩もすぐ飽きるだろうと思っていた。
しかし予想とは大きく外れ、先輩とはこの距離感のまま、三ヶ月が過ぎていった。
挙句の果てに――
「ねえ、ゆうちゃん。三ヶ月だけとは言わずに、正式にうちのマネージャーになってよ」
部活前に部長に呼び出されて私に、室星先輩から後ろから両手を回され、肩を抱き込まれた。
今までよりさらにぐっと近づいた距離感に戸惑い、私の体は強張った。
先輩の声が近くで、声を上げそうになる。
「颯真、お前まだ宇佐野さんに絡んでいるのか? いい加減その悪い癖を直せ」
「ええ。いやだよ。ゆうちゃんの反応がかわいいんだよ。少しからかうだけで、猛獣に捕まえられた小動物みたいに震えて」
「そういうなら、お前はその小動物をいじめている猛獣になるんだが……」
「そうだよ~。捕まえた獲物は逃がさない主義です。がおー」
室星先輩が部長とじゃれ合っている間、どうにか逃れようと抵抗してみるも、先輩の腕はビクともしなかった。
私はあきらめて、大人しく先輩が飽きるのを待つことにした。
「あの、部長。私を呼び出した理由は……」
「すまない。話が逸れたな。実は宇佐野さんに頼みたいことがあったんだが、颯真に先を越されてしまった」
「……? つまり――」
部長は私の真正面に座り、一枚の紙を差し出す。
それは私が部長に渡しておいた、退部届だった。
「宇佐野さんに、正式にこの部のマネージャーになってもらいたいんだ。宇佐野さんは気配りが上手で、いつも私たちの必要なものを先回りして用意してくれる。部員たちも、宇佐野さんには助かっていると言っているんだ。それに、美弥にすべてを任せるのも負担が大きすぎると思う。宇佐野さんさえ良ければ、一緒に俺らの部活動のサポートをしてくれないか?」
部長は真っ直ぐ私の目を見つめた。そこから感じる真摯な気持ちと、誠実さに、心が微かに動揺する。
正直、少し驚いた。私は美弥にお願いされたことしかやっていないし、先輩と部長以外の部員たちともそんなに交流していなかった。
それなのに、こんなに評価してくれるとは。
(でも……美弥とは三ヶ月だけの約束だし、今以上複雑なことができる自信もないし)
「そう言ってもらえて、とても嬉しいです。でも、私は――」
「ゆうちゃんは退部しちゃダメだよ」
部長の話を断ろうとしたその時、肩に置いていたはずの先輩の手は、デスクに置かれた退部届に伸び、持ち上げる。
そして見せつけるように、私の前でビリビリと破って見せた。
「……えっ」
「――おい、颯真! それはさすがにっ」
「ゆうちゃんは俺が言うまで、部活をやめちゃダメだよ。わかった?」
室星先輩は甘い笑顔を浮かべながらも、反論など許さないと言わんばかりに、私を見つめる。
私はその表情を見て、悟ってしまった。
私は、彼から逃げられないのだと。




