第六十一話 ミリラーネ vs クフスター
「やっぱり使えるんだな。纏」
ミリラーネは、平坦な声で口にした。
予測はしていた。だからこそ声に驚きはない。
「もちろんです、ご主人様――あぁ、いや、まだ早い。ちゃんと持ち帰ってからだ」
クフスターは一人で勝手に頷き、それから軽く咳払いをして続ける。
「質問なら、いくらでも答えてあげるよ。
……ボクのご主人様になった後でね!」
そう言って、クフスターは何も持っていない右手を振るった。
「……!?」
風を裂く音がミリラーネの耳に届く。
同時に、脇腹へ鋭い痛みが走った。
「ちっ!」
反射的にミリラーネは数メートル後方へ飛び退く。
「ほらほら、次々いくよ!」
クフスターが、軽い調子で腕を振り続ける。空を打つだけの動作。
なのに、その一振りごとに空気が裂ける。
気配だけを頼りに、ミリラーネは身体を捻り、かわし、あるいは鎖で受ける。
だがすべてを捌き切ることはできない。
見えない一撃が掠めるたび、その身体に細い赤線が浮かび上がっていった。
「はっ!」
ミリラーネは咄嗟に地面へ手を触れ、その正面に巨大な岩壁を出現させた。
見えない鞭の一撃が、鈍い音を立てて岩壁に阻まれる。
「……光の屈折か」
ミリラーネが確信したように呟いた。
「泡で光を曲げて、鞭を見えなくしてやがるな」
「ふふふ。正解。 そして……こんなこともできるんだよ」
クフスターが愉快そうに口元を歪める。
――パンッ
その言葉と同時に、ミリラーネの右手付近で破裂音が弾けた。
「っ……!」
ミリラーネが眉をひそめる。
気づいたときには、右手にぬめりとした膜がまとわりついていた。
指先が滑り、神器を握る手がわずかに緩む。
「見えない泡か……!」
――パンッ、パンッ
続けざまに、左目の前、そして右足付近で破裂音。
「……!」
左目に液体が飛び散り、視界の半分が一気にぼやける。
同時に右足の踏ん張りも大きく鈍った。
「纏、できるんだろ?早く使いなよ。
じゃないと悔いが残るだろ? それじゃあ、持ち帰った時に調整が面倒なんだ」
岩壁の向こうからクフスターの声が響く。
「……なんだ。もう勝った気でいやがるのか?」
ミリラーネは、低く言い返した。
身体には無数の傷。片目の視界は未だぼやけたまま。だが、その眼光だけは少しも鈍っていない。
「これだから、百年も生きてねぇガキは温いんだよ」
「まだそんな口が利けるなんて、最高だ!」
クフスターは恍惚とした声を上げると、見えない鞭で岩壁を打ち砕いた。
轟音とともに、巨大な岩壁が崩れ落ちる。
だが。
砕けたはずの岩片は、その場で落ちずに宙へ留まっていた。
次の瞬間、それらが一斉にクフスター目掛けて射出される。
「無駄無駄」
クフスターは、まるで動揺する素振りすら見せない。
その場に立ったまま、ただ口元を歪めていた。
放たれた岩片が直撃する、その直前。
クフスターの全身を覆う巨大な泡が、ぬるりと揺れる。
岩片はその表面を滑らされ、ことごとく軌道を逸らされた。
一片たりともクフスターへ届くことはなく、逸らされた岩片はそのまま背後の木々へと激突する。
「いいから、纏を使うんだ」
クフスターの声には、わずかな苛立ちが混じっていた。
「……それにしても、期待外れだな。
かつてはウィアード様と肩を並べた存在が、この程度なんて……。
まあ、ボクとしては、ご主人様が強すぎるのも趣味じゃないから助かるけど」
クフスターにとって、目の前の傷だらけのエルフの姿は、どうしても自分の主とは重ならなかった。
「……はぁ」
深い溜息。
そして、ミリラーネが鋭く言い放つ。
「そんなに見たいんなら、特別だ」
直後、ガルバーディンが纏へと移行した。
鉄球は砕け、両腕を覆う籠手へと変質していく。
周囲には大小さまざまな岩塊が、衛星のように浮かび上がった。
「おっほ! 格好いいねぇ~!」
クフスターの声が弾む。
「これは好み、好み。うーん……これなら、あの服とかが似合うかなぁ。それとも――」
「……」
またも独り言を始めたクフスターに対し、ミリラーネは何も言わない。
ただ無言のまま、自身の周囲へ拳大の岩を無数に生み出した。
そして、そのまま右手を前へ掲げる。
次の瞬間、岩塊が一斉に射出された。
――ドゴゴゴゴゴゴゴ!
豪雨のような岩弾が、クフスターを覆う巨大な泡へ殺到する。
その大半は泡の表面を滑らされ、軌道を逸らされて周囲の地面へと突き刺さった。
凄まじい轟音とともに、クフスターの周囲には次々とクレーターが作り出される。
しかし、あまりにも膨大な数の岩塊が、ついに泡の防御をすり抜ける。
「……!?」
クフスターの目がわずかに見開かれる。
「流石、纏は一味違うね!」
それでも口元には笑みを浮かべたまま、クフスターは見えない鞭を振るう。
泡の内側へ侵入した岩が、次々と砕き落とされていった。
「さてと、いっぱい遊ぶのは帰ってからにして――そろそろ決着をつけようか」
無数の岩塊を捌き切ったあと、クフスターは楽しげに呟いた。
「見えないご褒美」
その言葉とともに、クフスターの姿がゆっくりと薄れていく。
輪郭がぼやけ、やがて全身が空気へ溶けるように消え失せた。
「ここからは一方的に嬲るから、ご主人様になったら今度はそっちが嫐ってね」
姿が消え、声だけが門前に不気味に響く。
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そこからの戦いは、その宣言通り一方的だった。
ミリラーネは、不可視となったクフスターの攻撃を籠手で辛うじて捌きながら、次々と岩壁を生み出して防御を重ねる。
だが、連続して打ち込まれる見えない鞭は、そのたびに岩壁を砕き籠手の防御すらすり抜けて、ミリラーネの身体へ次々と傷を刻んでいった。
周囲一帯へ岩をばら撒くような攻撃も、姿の見えないクフスターには当たらない。
たとえ掠めたとしても、巨大な泡がそのすべてを滑らせ受け流してしまう。
――そしてついに、ミリラーネが片膝をついた。
その様子を見て、クフスターがゆっくりと姿を現す。
「見た目通り、ずいぶん頑丈だったけど、そろそろ終わりが見えてきたかな?」
「……今のが、お前の奥の手ってわけか?」
ミリラーネは膝をついたまま、顔だけを上げてクフスターを見た。
その眼光は少しも鈍っていない。
「……まぁ、そんなところかな。それじゃあ、一旦寝て貰うよ」
そう告げると、クフスターは右手を大きく振り抜いた。




