第十四話 不知火
十年後。
あれからセリアは幾度となく魔物との交戦を重ね、炎の衣の完成を目指してきた。
《見事だな。我から見ても、もはや完成の域だ》
セリアの身体を包む炎の衣は、一見すれば完璧だった。赤橙の光が布とも金属ともつかぬ質感で全身をなぞり、淡い輝きが胸元から裾へと流れている。
だが袖や裾の縁だけは、まだ小さく火花を散らしていた。
セリアは腕を伸ばし、掌を返して衣の表面を見つめる。
赤橙の揺らめきが指先に反射し、彼女は短く息を吐いた。
《不満そうだな》
「完成って言えば完成なんだけどさ……。なんか、まだ上がありそうな気がするんだよな」
《お前がそう言うのなら、そうかもしれぬな》
「やっぱり、勝てるかどうか分からないくらいの魔物と戦わないと駄目かもな。ギリギリの状況で覚醒!ってやつ」
《簡単に言うものではないぞ》
「とりあえずは強敵を探してみるよ、っと」
セリアは軽く伸びをして立ち上がると、指を鳴らす。
その瞬間、掌から金色の炎が溢れ、十数匹の「金火猫」が姿を現した。
それぞれが尾を揺らしながら四方へ散り、紅い光の軌跡が闇を走る。
《何を狙う?》
「勿論強い魔物。……できれば、わたしが避けてたやつ」
しばしののち、セリアの左目が僅かに輝く。
金火猫の一匹が捉えた映像が流れ込み、視界の端に巨大な影が映る。
「……蛇亀がいるな」
《ほう。お望みどおりだな。奴なら灰色猿をゆうに越える強敵だ》
「ふぅ……やるしかないか」
セリアは一つ息を吐き、炎の衣の袖を握りしめる。
赤橙の焔がふっと脈打ち、気配が研ぎ澄まされていく。
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数分後。
洞窟の奥、開けた空間に灼熱の息吹が満ちていた。
その中央――。
セリアはクライゲラクを構え、静かに呼吸を整える。炎の衣が淡く明滅し彼女の輪郭を紅に染め上げていた。
対するは、かつての岩巨人をも凌ぐ巨体。
黒鉄の甲羅は直径十メートルを優に超え、表面を赤い溶岩の筋が脈動しながら走っている。
そして甲羅の隙間、本来なら首や手足が出る孔から、無数の蛇の頭がのたうちながら顔を覗かせていた。その一本一本がセリアの腕ほども太い。
赤い瞳がこちらを向くたび、口元から毒霧が立ちのぼった。
「いいね、わかりやすい強敵って感じ」
熱風が吹き上がり、岩肌が歪む。セリアの瞳に闘志の焔が宿った。
次の瞬間、無数の蛇の頭が一斉に鎌首をもたげ、嵐のような勢いでセリアを包み込む。
「はあっ!」
セリアは飛び込みざまにクライゲラクを振り抜く。纏の結晶の炎が弧を描き、蛇の胴を一閃に裂く。
肉が焦げ、黒煙が上がる――が、断面から新たな蛇の頭がすぐさま再生を始めた。
「……ぐっ!」
反応が一瞬遅れた。別の蛇が横合いから飛びつき、肩に牙を突き立てる。
炎の衣が火花を散らして弾くも、牙はそのまま肉に食い込んだ。
次々と襲いかかる蛇。
一本を斬れば、二本が絡みつき、三本が毒霧を吐きながら死角を狙う。
《連携しているな……。蛇同士で視界を共有しているようだ》
「まじかよっ!」
セリアは地を蹴り、後方へ大きく跳ぶ。
同時に、噛みついていた蛇の頭を切り払い、距離を取った。
だが切り落とした頭部が地に落ちるや否や、焼けた肉の中から新たな蛇の首が再生していく。
「再生まで……。めんどくさい相手だな!」
彼女は一息で呼吸を整え、左手を掲げる。
「――煙炎羅!」
左手から放たれた炎が地を這い、蛇亀を赤い煙で包み込む。
しかし蛇亀は甲羅を軋ませ、無数の蛇の頭で地面を噛みながら信じられない速さで移動する。
巨体とは思えぬ機動力で煙幕を抜け、無数の蛇で壁を伝いセリアの真横まで接近する。
「嘘だろ……!?」
甲羅が轟音を立てて地を抉り、山のような重量がそのままセリアへ迫る――。
セリアは咄嗟にクライゲラクを構え、炎の衣を最大まで燃え上がらせた。
次の瞬間、巨体が直撃。洞窟全体が揺れ、衝撃波が岩壁を砕いた。
「ぐはっ!!」
岩壁に叩きつけられたセリアだが、炎の衣の防御もあってかダメージは大きくない。
《見た目に惑わされるな。奴もまたこの迷宮で生き残ってきた猛者だ》
「はぁ、はぁ……。でも、反則だろ。あの大きさで」
《炎の衣を完成させることに気を取られすぎるなよ。死ぬぞ》
会話している間も蛇亀は手を緩めない。
――ズオオォン!!
蛇亀の突進が再度セリアを襲う。
甲羅が地を裂き、岩盤が波打つ。
毒霧を纏った無数の蛇が、衝撃の波に乗って一斉に跳びかかる。
「くっ……下がってる場合じゃない!」
セリアは息つく暇もなく、全身を覆う炎の衣を燃え上がらせた。
――ガシュッ! ザシュッ!
クライゲラクが多くの蛇を切り裂き、焼き払う。しかし先程のように対処しきれず、肩口に、太腿に、牙が突き立つ。
「っ、ぐ……! 毒、か……!」
痺れが指先から這い上がり、呼吸が浅くなる。
何度も蛇の牙を受けたことにより、毒が全身を蝕む。
《落ち着け。熱を内へ。お前の炎は外にあるだけではない。血を流れる炎で毒を焼け》
「……っ、やってやる……っ!」
セリアは歯を食いしばり、体の奥に炎を沈める。
心臓が灼けるように熱くなり、皮膚の下を火が走る。毒が焼け、黒ずんだ血が鮮やかな紅へと戻っていく。
《……できたようだな》
「はぁ、はぁ……! だけど、このままじゃ埒が明かない!」
セリアは蛇を切り払いながら大きく跳び退く。
《甲羅の中心だ。奴の心臓部はそこにある。》
「そうだろうな!蛇に構ってる暇なんてない!」
《だがあの牙を受けながら甲羅を割る一撃は出せんぞ》
「だったら……もう牙を通さないようにするまで!」
セリアはそう言い放つと、再び蛇の群れに突っ込んだ。
《また無茶を――!》
ラグルスの声をかき消すように、無数の蛇がセリアの身体を覆う。
牙が突き立ち、炎の衣が裂けていく。
「うおおおおおっ!!」
痛みを押し殺し、セリアは全身の炎をさらに燃え上がらせた。
(負けない……これで、完成させる!)
その瞬間、セリアの身体を包む炎が脈打ち始める。
焔が彼女の意思に応え、自ら形を変えていく。
蛇の群れの間から光が溢れ、洞窟の闇を白く照らし出した。
――ズゥンッ!
爆ぜるような閃光の中、蛇の群れが次々と焼き尽くされていく。
炎の渦の中心で、セリアが立っていた。
その身を包む炎の衣は、もはやかつてのそれではない。
かつては呼吸するように揺らいでいた焔が、今は静かに収束し、整然と形を成している。
赤橙の光は金色に輝きながら滑らかに流れ、肩から胸元をなぞる炎の紋様は、鼓動に合わせて規則的に脈動した。
細く編み込まれた炎が身体の曲線を包み、腰から裾にかけて紅蓮の布が広がる。
風に揺れるたび、炎の粒が舞い上がり、彼女の周囲を輝きの輪が包んだ。
「……炎の衣、完成だ。名付けて『炎衣 不知火』。もうお前の牙は通らない」
再生を終わらせ牙を剥いた蛇たちが再び襲いかかる。しかし、その牙は不知火に触れた瞬間、逆に燃え上がった。
セリアは怯むことなく、静かに投擲の構えを取る。
クライゲラクが彼女の手で唸りを上げ、紅蓮の奔流を纏って輝く。
「はああああ!!」
炎の矢が洞窟を裂き、蛇亀の甲羅に突き刺さる。
――ガガガガガ! ズオオォン!!
黒鉄の甲羅が軋み、次の瞬間、内側から赤光が溢れる。
爆ぜる炎が蛇亀の体内を焼き尽くし、無数の蛇が一斉に悲鳴を上げながら崩れ落ちた。
蛇亀の沈黙を見届け、勝利の余韻に浸りながらセリアは声を上げる。
「やっと完成したぞ、ラグルス! 思ったより派手になっちゃったけど」
《似合っているぞ? 特にそのうるさい感じがな》
「ははっ、相変わらず素直じゃないな!」
洞窟の天井に映る炎の影がゆらめき、戦いの熱がようやく静まり始める。
セリアは燃え残る灰を一瞥し、にやりと笑った。
「次は――もっと強い奴を探すか」




