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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.31

帝都の片隅、名もなき屋敷の裏庭。




かつて雑草に覆われていた畑は今、豊かな実りをもたらしていた。


流れる時間は、少年を青年に、少女を女へと、残酷なほど美しく変貌させていく。




「——ふんッ!」


鋭い呼気と共に、一振りの「ツルギ」が空を断った。




かつては、ただ握るだけで身体を振り回されていた、レオ王国屈指の名工が鍛え上げた重厚な一振り。




今のセトにとって、それはもはや己の腕の延長線上に過ぎない。






十五歳。




奴隷の細腕だったセトの身体には、日々の農作業と夜の猛稽古によって、しなやかで強靭な筋肉が鎧のように纏われていた。




背も伸び、視線はかつて仰ぎ見ていた大人たちのそれと同じ高さを捉えている。




「……見事です、先輩。もはや僕が教えることなど、何一つありませんね」


傍らで、少しだけ年上になったイブンが、満足げに、そしてどこか寂しげに目を細めた。




王子の気品はそのままに、彼もまたこの数年で帝国の土に馴染み、逞しい若者へと成長を遂げていた。


「いや……。イブンには、まだ全然届かないよ」


セトは微笑み、黄金の剣を鞘に収める。




屋敷の向こうでは、十三歳になったミーナが、母を手伝いながら賑やかに夕餉の支度をしていた。




幼かった少女は、今や可憐な蕾を膨らませるように成長し、その笑い声はこの屋敷に欠かせない光として定着している。




「——セト、いつまで遊んでいるの。早く戻りなさい」


バルコニーから、鈴を転がすような「魔女」の声が降ってきた。




十五歳を迎えたエンヴァ。




少女の面影を残しつつも、その美貌はもはや人智を超えた領域に達していた。




銀糸の髪はより一層の輝きを増し、黄金の瞳は底知れぬ深淵を湛えている。


立ち居振る舞いの一つ一つに、見る者を跪かせる圧倒的な色香と威厳が宿っていた。




「……はい、ただいま」


セトは主を見上げ、その絶対的な存在感に、改めて己の魂が彼女に「所有」されている幸福を噛みしめる。




五人の食卓、土の匂い、そして隣に立つ主の体温。




この穏やかな、泥と黄金が混じり合う日々が、永遠に続いていくのだと。


この時の彼らは、一点の疑いもなく、そう信じて疑わなかった。










穏やかな畑の匂いが漂う屋敷とは対照的に、帝国の心臓部はどす黒い野心と禁忌の香りに満ちていた。


数年ぶりに沈黙を破った「お姉さま」の訪問は、平穏という名の薄氷を容赦なく踏み砕く。




黄金の装飾が施された、重苦しい静寂が支配する皇帝の私室。


香炉から立ち上る紫煙を割り、扇を閉じる音が鋭く響いた。


「何の用だ?」


訝し気に尋ねる皇帝。




「そうね……あの子……あなたが愛人に産ませた、あのかわいい子。」


「エンヴァの事か?」


「……そろそろ、良い頃ではないかしら?」




数年ぶりに王宮へ訪れた魔女——「お姉さま」は、優雅にソファーに身を沈め、皇帝を冷たく見据えた。




その瞳には、情など微塵もなく、ただ冷徹な計算だけが宿っている。


皇帝の背筋を、嫌な汗が伝った。




気まぐれの女が遺した、呪われた末娘エンヴァの存在。




「……何の話だ」


「縁談よ。あの子を——現皇太子、つまり彼女の『兄』に嫁がせましょう」




「っ……!? 正気か。それは、あまりにも無体だ……」


絶句する皇帝。




同じ血を分けた兄妹を交わらせるなど、人の道に外れている。


だが、「お姉さま」は三日月のような笑みを深めるだけだった。




「あの子は魔女よ、陛下。あなたも解っているでしょう? 」


「……ああ。目を見れば解る、貴様らと同じ怪物だ。」




皇帝は苦渋に満ちた表情で目を閉じた。


娘の瞳に宿る、あの美しくも恐ろしい「力」の残照。


それは皇帝の権威すらも呑み込みかねない、異界の輝き。




「なら、話は早いわ。……『次』を産ませるのに、これほど丁度いい器は他にいないでしょう?」


「……」




次を産ませる。




皇帝は震える指先で玉座の肘掛けを掴み、長い沈黙の末に、絞り出すような声で応えた。


「……考えておく、帰れ」




帝都の最奥で下されたその一言が、十五歳の春を謳歌していたセトたちの日常を、音を立てて崩壊させようとしていた。






平穏な畑の朝は、一通の冷徹な勅命によって凍りついた。


十五歳になったエンヴァに突きつけられたのは、実の兄である病弱な皇太子との婚儀。


それは、帝国の倫理を根底から覆す、あまりにも醜悪な縁談であった。






「正気ですか? 父上。血を分けた兄と子を成せ、と……」




玉座の前で、エンヴァの黄金の瞳が氷点下の光を放つ。




だが、皇帝は娘と目を合わせることなく、ただ頑なに勅命を撤回しなかった。


その背後に揺らめく、どす黒い「誰か」の影——。




エンヴァは直感していた。この狂気は、父一人の頭から出たものではないことを。




屋敷に戻り、事実を告げた時の衝撃は凄まじかった。




「断りましょう、エンヴァ様! そんな不条理、到底受け入れられません!」


セトの声が震える。




それを聞いていたイブンは微妙な表情を浮かべていた。


しかし、自分はエンヴァに仕え彼女を支えると決めていた。






炎のようなセトの反対を聞き流しつつも、エンヴァはただ、冬の空を見上げるだけだった。


「……必要なら、私は応えるわ。少し考えさせて」




数日後。




氷のように冷たい風が吹き抜ける「冬の薔薇園」にて、見合いの席が設けられた。


目の前に立つのは、青白い顔をしたここ数年病弱な兄。


性格こそ穏やかだが、父の言いなりにしかなれない、影の薄い男。




「エンヴァ、妹よ。……お前は、私でいいのか?」


二人きりで園内を歩きながら、皇太子が掠れた声で問う。




「それが必要なことなら。私はその役目を果たすまでです」


エンヴァの拒絶も肯定もない答えに、皇太子は自嘲気味に笑った。




「そうか……。だが、私はあの日——あの舞踏会以来、実はお前のことが頭から離れなかったのだよ。お前が、あの元奴隷の少年や砂漠の王子と、泥にまみれて笑っている姿を……遠くの窓から、ずっと見ていた」




執着。




部下に報告させ、幸せそうな「家族」の姿を盗み見ては、嫉妬を募らせていた兄。




「エンヴァ、それなら、私と……っ」




皇太子がエンヴァの手を取ろうと、その細い指を伸ばした瞬間だった。




——シュンッ。


銀色の閃光が、冬の空気を切り裂いた。




次の瞬間、皇太子の言葉は永遠に失われた。




ゴロリ、と。




さっきまで情愛を語っていた男の首が、咲き誇る冬の薔薇の中に転がり落ちる。




「……」


エンヴァが頬に飛んだ返り血を拭う。




その時、遠く離れた「魔女宮」の奥深くでは、一人の女が深紅のワインを煽っていた。


「クックック……。お似合いよ、エンヴァ。


薔薇の赤よりも、あなたの兄の血の方が、ずっとその肌に映えるわ」




「お姉さま」の嗤い声が、呪いのように帝都の空に響き渡っていた。








冬の薔薇園に悲鳴が響き渡った。




皇太子の首が雪の上に転がり、その鮮血を浴びて立ち尽くすエンヴァ。


駆けつけた帝国兵たちの目に映ったのは、あまりにも凄惨な「妹による兄殺し」の構図だった。




セトとイブンが駆けつけてエンヴァを屋敷へと連れ帰る。


「……面倒なことになったわね。」


返り血を拭いもせず、エンヴァは氷のような声で告げた。




事態は最悪だ。




弁明の余地などない。


仕組まれた罠だと叫んだところで、突きつけられるのは「皇女による大逆罪」という断頭台への招待状だけだ。




「馬を出せ! 囲まれる前に脱出する!」


セトの叫びが屋敷に響く。




だが、過酷な運命は残酷な二択を突きつけた。


老齢の母は、疾走する馬に跨る体力など残っていなかったのだ。




セトの鞍の後ろにはエンヴァ。


イブンの後ろにはミーナ。


そもそも体の自由がきかない母を馬に乗せて逃げるなど不可能である事は誰の目にも明らかだった。




「私はいいから。……皆、お逃げ」




母が、穏やかに、けれど拒絶を許さない声で笑った。


「嫌だ! 何を言ってるんだ、母さん! 早く乗ってくれ、お願いだ!」




セトは半狂乱で母の細い腕を掴む。


だが、母の足は地面を離れようとしない。


背後からは


「逆賊を逃がすな!」


「殺せ!皇女は捕らえろ!」


という兵士たちの怒号と、金属の擦れる音が迫っていた。




「セトッ!!」


鋭い衝撃。母の掌が、セトの頬を強く叩いた。




「エンヴァ様を、お前が守らなくてどうするんだ!」


炎に焼かれたような熱さが頬に残る。




セトは、己の使命を思い出した。


自分は彼女の「騎士」なのだと。




「母さん……母さんっ……!」


最期の抱擁。




泥と汗の匂い、そしてずっと自分を支えてくれた温もり。


「さぁ、早く。もっと強くなるんだよ、セト。……お前は、私の自慢の息子だよ」


「母さん!」


涙を流しセトが叫ぶ。


「アタシは幸せだったよ。ありがとうね、セト」

ミーナが泣きながら母に手を伸ばす。

「幸せにおなり、ミーナ」





馬を蹴り、地を駆ける。




振り返る余裕などなかった。だが、背後の喧騒の中で、肉を貫く鈍い音と、愛した人の呼吸が止まる気配だけが、セトの耳に刻み込まれた。




逃げ延びた先、夕闇の中でセトは叫んだ。


それは、少年の終わりを告げる、慟哭の咆哮だった。



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