表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生の魔女  作者: RUSA
75/124

5生 ep.29

「ドサッ」


静まり返った夜の練兵場に、鈍い音が響く。




これで何度目だろうか。


セトは、筋肉痛で全身が軋んでいるはずのイブンに頭を下げ、剣の稽古を乞うていた。




イブンとて本調子ではない。


いや、むしろ明日の早起きを考えれば、今すぐにでもベッドに潜り込みたいのが本音だ。


だが、鬼気迫る表情を見せるセトの瞳を前に、王子はついついその願いを引き受けてしまっていた。




「やあああッ!」


セトが渾身の力で木剣を突き出す。


だが、イブンはそれを、まるで羽虫を払うかのような軽やかな動作で受け流した。


「カンッ!」


乾いた音と共に、セトの剣が夜空へとはじけ飛ぶ。




「……もっとしっかり剣を握ってください。半身に構えて、軸をぶらさないように」


イブンは、なるべくセトを傷つけないよう、最小限の力でその猛攻を無力化していく。




「くそぉ……ッ!」


「勢いだけではダメですよ、先輩。剣は、型が第一なんですから」


イブンは自ら木刀を手に取り、セトの歪んだ構えを一つずつ修正していく。




足を開く角度、腰の落とし方、肩の脱力。


その指導は驚くほど的確で、セトは悔しいほどに自分の身体が「正解」へと導かれていくのを感じていた。




「そう、この形のまま、まっすぐ上段から振り下ろしてください。身体の中心線がぶれないように。……僕も幼い頃、まずはここから始めたのです」




(……幼い頃から)


その何気ない一言が、セトの胸を深く抉る。




自分が泥の中で死に物狂いで生き延びようとしていたその間、この王子は陽光の下で、一流の師に囲まれ、この「型」を数万回と繰り返してきたのだ。




埋めようのない歳月の差。


涙が出るほどの劣等感。




「……ありがとう。……もう、休んでください」


セトは短く礼を言い、イブンを部屋へ戻した。


一人残された暗闇の中。セトは、イブンに教えられた通りの型を、一回、また一回と繰り返す。 脳裏にあるのは、砂漠の王子が見せた、淀みのない太刀筋。


気がつけば、白んだ東の空から、冷たい朝の光が差し込み始めていた。







昼間の農作業で奪われた体力。


震える腕を無理やり抑えつけ、セトは今夜も「師」の前に立っていた。


昨日よりも今日、今日よりも明日。一歩でも主の隣に相応しい自分に近づくために。




「まだ重心がぶれています。もっと腰を落として……。振り下ろす時に剣が左右にぶれぶれです。それに……」


夜の静寂を切り裂く、イブンの容赦のない指摘。




王子としての「当たり前」を突きつけられるたび、セトの自尊心は削り取られていく。




「……先輩。一度、本物の剣を、持ってみますか?」


イブンが自室から持ち出してきたのは、一振りの「ツルギ」だった。




セトが持っているのは、エンヴァから貰った小遣いでようやく買った、市井の護身用ミドルソード。

鉄の質も悪く、ただの「道具」に過ぎない。


だが、イブンが差し出したそれは——。




(……なんだ、この威圧感は)


鞘に収まっているというのに、そこにあるだけで空気が凍りつくような存在感。


レオ王国屈指の名工が、王族のために魂を削って鍛え上げた一振り。




「どうぞ」


受け取った瞬間、セトは「ぞっ」とした。


ずしりと腕に沈み込む、圧倒的な重量。


スラリと鞘から抜くとそこにはぬらぬらとした刃が光る。


叩いて、突き刺すだけのセトのミドルソートとは一線を画する玉鋼の剣。



「重い……っ」


「これでもまだ、子供用の軽量なものです。大人の剣となれば、厚みが増してこの倍の重さになりますよ」


(これの、倍……?)




昨晩、血を吐く思いで覚えた型を、この剣で試みる。


だが、大きく振りかぶった瞬間、剣の重量に身体が持っていかれた。




「——っ!?」


踏ん張りが効かず、重心が崩れる。


あろうことか、セトの身体は独楽こまのようにクルクルと回り、無様に地面へ倒れ込んだ。




(……素振りさえ、できないのか)


あまりの落胆に膝をつくセトの前で、イブンがその剣をひらりと受け取った。


そして、淀みのない動作で完璧な上段の素振りを決めてみせる。




一閃。

夜気が鳴った。




「腕で振らないでください、先輩。足と腰です。よく見て」


何度も、何度も見本を見せるイブン。




その足は大地に深く根差し、どっしりと据わった腰は、爆発的な剣の慣性をいとも容易く制御している。


見惚れてしまうほどに美しい、完成された武の形。


「——クソッ!」


セトは自分の無力さに耐えかね、地面を拳で叩いた。




騎士になりたい。主を守りたい。


そう願った自分が、ただ剣を一回振ることさえできない。

絶望が涙となって溢れそうになるのを、奥歯を噛み締めて堪える。




「……ありがとうイブン。もう、部屋へ戻ってください」




昨日のようにイブンを部屋へ帰すと、セトは闇の中で再び立ち上がった。


目に焼き付けたイブンの型。


大地に根差す足の感覚。


それだけを頼りに、木剣を握り直す。




その様子を、バルコニーから見下ろす黄金の瞳があった。


エンヴァは何も言わず、夜風に銀髪をなびかせながら、狂気的な努力を続けるセトの姿を静かに眺めていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ